学位論文要旨



No 123854
著者(漢字) 山田,薫
著者(英字)
著者(カナ) ヤマダ,カオル
標題(和) アルツハイマー病Aβ免疫療法における抗Aβ抗体の作用機序に関する解析
標題(洋)
報告番号 123854
報告番号 甲23854
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1281号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 准教授 浦野,泰照
内容要旨 要旨を表示する

アルツハイマー病(AD)は高齢者認知症の原因として最も頻度の高い神経変性疾患であり、その発症機序として、アミロイドβペプチド(Aβ)を直接の原因と考えるアミロイド仮説が広く支持されている。通常ARは毒性のないモノマーの状態で神経細胞から分泌されているが、病的状態においては構造変化を起こし、オリゴマーAβを経て凝集し、その過程で神経細胞死が生じると考えられている。

Aβは前駆体蛋白質APPから切り出される約40アミノ酸のペプチドであり、脳細胞外腔に分泌された可溶状態のAβは、proteaseによる分解や、血液脳関門(BBB)を介した血液中への排出(クリアランス)を受けることが知られている。アミロイド仮説に基づいて、Aβの産生や凝集の抑制、分解・除去の促進を図るADの根本療法(disease-modifying therapy; DMT)の開発が進められている。

ADのDMTのなかでAR免疫療法が注目されている。ADのモデルマウスであり、加齢依存的に脳内にAβが蓄積するAPPトランスジェニック(tg)マウスに予めAβペプチドを免疫するワクチン療法、あるいは抗Aβ抗体を輸注する受動免疫療法により脳のAβ蓄積が減少し、認知機能障害の進行が軽減することが報告されている。Aβを免疫するヒトでの臨床治験でもアミロイドの減少が見られ、Aβ免疫療法の臨床応用が期待されている。これまでに抗Aβ抗体が、ミクログリア細胞によるRアミロイドの貪食を促進する、あるいはBBBを介した脳からのAβの除去を促進するなどの仮説が提唱されているが、Aβ免疫療法のエフェクターと考えられる抗Aβ抗体が、アミロイド蓄積を抑制する機序については不明の点が多い。そこで私はAβ免疫療法における抗Aβ抗体の作用機序について、特に抗Aβ抗体がAβの脳クリアランスに与える影響に着目して解析を行った。

従来の研究により、AβのN末端にエピトープの存在するモノクローナル抗体10D5、中央部にエピトープが存在するm266の慢性的受動免疫により、APPtgマウス脳のアミロイド蓄積が抑制されることが示されている。しかし、10D5はミクログリアによるアミロイド斑の除去をexvivoにおいて促進するのに対し、m266にその作用はないとされている。まず各抗体のAβに対する反応性を調べると、10D5は凝集したAβに対し強く反応したが、m266の反応性は弱かった(図1A)。―方、可溶性Aβに対し、m266は10D5に比して高い親和性を有することがわかった(図1B)。この結果から、10D5は凝集したAβに、m266は可溶性Aβに対して作用を及ぼすものと考えられた。

次に抗Aβ抗体が脳から血液中へのAβ排出に与える影響について検討した。従来の研究において、m266をAPPtgマウスに慢性投与すると血中Aβ濃度が顕著に上昇するとともに、脳アミロイド蓄積が減少することから、m266はAβの脳からの排出輸送を促進すると予想されてきた(sink仮説)。この仮説を検証することを目的に、BEI(Brain Efflux Index)法を用いて、Aβの脳からの除去速度を定量的に比較した。300ugの抗Aβ抗体(10D5,m266)あるいはコントロール抗体を野生型マウス腹腔内に投与し、一定時間後にマウス脳のPar2領域に約10nMの125I-Aβ(1-40)を注入し、脳内残存率/100-BEI)の継時変化を追跡した。その結果、10D5はAβの排出に影響を与えなかったが、m266はAβの排出を遅延させることがわかった(図2)。この結果は、sink仮説とは異なり,抗Aβ抗体は、Aβの脳細胞外腔から血中への排出を促進しないことを示すものと考えた。

Aβの脳からの排出促進を仮想するsink仮説ではm266を投与すると、血中のAR量が増加することをその根拠としている。そこでAPPtgマウスにm266を投与し血中Aβ量を測定したところ、確かにm266の投与により血中Aβ量の著しい増加が見られた(図3A)。10D5にはこのような効果はなかった。しかし、in vitroで血漿とARを混和する実験においてm266を添加すると、Aβの分解が阻害された(図3B)。このことからm266投与による血中AR量上昇は、Aβの脳からの排出が促進されたのではなく、m266抗体による血中Aβの安定化効果に起因する可能性が考えられた。以上の結果から、m266は従来考えられてきたように末梢血液中で作用するのではなく、一部脳内に移行して作用するのではないかと考えた。

そこで脳内に1251-Aβをinjectし、灌流で末梢血液を除去したbrain lysateをprotein Gbeadsで沈降したところm266抗体が脳実質画分中でAβと結合していることが示された(図4)。

以上の結果からm266は一部脳内に移行して、脳内のAβを結合することがわかった。そこで、m266はAβをモノマーで安定化してその後の凝集過程を阻害する可能性を考え、m266がARの凝集過程に与える影響を検討した。まずin vitroにおいて合成Aβ(1-42)を抗Aβ抗体とインキュベートし、形成されるアミロイド線維量を蛍光色素thioflavin Tにより定量した。m266はAβの凝集を抑制したが、この効果は10D5あるいはコントロール抗体では認められなかった(図5)。

さらにm266抗体によるAR凝集抑制効果をin vivoで確かめるために、APPtgマウスに抗AR抗体を投与して、脳内のAβ量をELISAで測定した。本検討に用いたELISAはAβのN末端に対する抗体をcapture抗体、C末端に対する抗体をdetect抗体とするsandwich ELISAで、モノマーのみを特異的に検出し、オリゴマーAβは検出されない。そこでオリゴマーAβを含む可溶性Aβ量総量を検出するために、可溶性ARを含むマウス脳RIPA可溶画分にSDSによる解離処理を施した。

APPtgマウスに抗Aβ抗体を腹腔内投与して、摘出した脳をR-PAで可溶化した。まずこのRIPA可溶画分にSDSによる解離処理を施し、マウス脳の可溶性Aβ総量を測定した。その結果、いずれの抗体を投与した場合においても可溶性AR総量に変化はなかった(図6A)。次にSDSによる解離処理を行う前のRIPA可溶画分のモノマーAR量を測定したところ、m266抗体を投与したマウスにおいてモノマーAR量が上昇していた(図6B)。特に凝集性の高いAβ(1-42)がモノマーで安定化されていた。10D5にはこのような効果は認められなかった。

m266を投与すると可溶性Aβ総量に変化がないにも関わらず、Aβモノマーが上昇していたことから、m266はAβをモノマーの状態で安定化することで、オリゴマーAβの形成を抑制するのではないかと考えた。オリゴマーAβは凝集過程の中間体であり、m266によるオリゴマー形成抑制がAβ免疫療法のメカニズムであると考えられた(図7)。

本研究において私は、Aβ免疫療法における抗Aβ抗体の作用機構について検討を行い、抗Aβ抗体は脳からのAβ排出を促進しないことを見いだし、特にこれまでm266抗体について想定されてきた、sink仮説を否定した。さらにm266の一部が脳内に移行し、モノマーのAβを結合することを見いだした。本研究は、Aβ免疫療法の作用機序として新たに、「抗体によるモノマーARの安定化とオリゴマー形成の抑制」を提唱するものである(図7)。近年、凝集中間体であるオリゴマーがシナプス障害性を有することが注目されている。m266によるマウス認知機能の改善はm266によるオリゴマー形成抑制に起因する可能性が考えられる。一方10D5にはこのような効果は認められなかった。これらの結果は、Aβ免疫療法において、各種の抗Aβ抗体は、Aβとの反応性の相違により、Aβ貪食の促進、アミロイド形成の抑制などの異なる複数のメカニズムを介してAβ蓄積を抑制し、認知機能障害の改善に関わる可能性を示唆するものである。

図1:抗体Aβ抗体の反応性に関する検討

A:凝集Aβに対する反応性B:可溶性Aβに対する反応性(mean±SE,**p<0.01, compared to control lqG)

図2:抗Aβ抗体がAβの排出に与える影響(mean±SE,**p<0.01,compared to control lgG)

図3:抗Aβ抗体が血中Aβ量に与える影響

A:抗AR抗体を投与したAPPtgマウスの血漿中Aβ量B:抗AR抗体が血漿におけるAβ分解に与える影響(mean±SE,*p<0.05,**p<0.01, compared to control lgG)

図4:脳内における抗Aβ抗体とAβの結合

(mean±SE,**p<0.05,compared to control IgG)

図5:抗Aβ抗体がAβの凝集に与える影響

(mean±SE,**p<0.01,compared to control IgG)

図6:抗Aβ抗体がAPPtgマウス脳内可溶性A昼畳に与える影響

A:可溶性Aβ総量B:モノマーAβ量(mean±SE,*p<0.05,**p<0.01,compared to control IgG)

図7:免疫療法における抗Aβ抗体の作用点

審査要旨 要旨を表示する

アルツハイマー病(AD)は高齢者認知症の原因として最も頻度の高い神経変性疾患であり、その発症機序として、アミロイドβペプチド(Aβ)を直接の原因と考えるアミロイド仮説が広く支持されている。通常Aβは毒性のないモノマーの状態で神経細胞から分泌されているが、病的状態においては構造変化を起こし、オリゴマーAβを経て凝集し、その過程で神経細胞死が生じると考えられている。Aβは前駆体蛋白質APPから切り出される約40アミノ酸のペプチドであり、脳細胞外腔に分泌された可溶状態のAβは、proteaseによる分解や、血液脳関門(BBB)を介した血液中への排出(クリアランス)を受けることが知られている。アミロイド仮説に基づいて、Aβの産生や凝集の抑制、分解・除去の促進を図るADの根本療法/disease-modifying therapy; DMT)の開発が進められている。

ADのDMTのなかでAβ免疫療法が注目されている。ADのモデルマウスであり、加齢依存的に脳内にAβが蓄積するAPPトランスジェニック(tg)マウスに予めAβペプチドを免疫するワクチン療法、あるいは抗Aβ抗体を輸注する受動免疫療法により脳のAβ蓄積が減少し、認知機能障害の進行が軽減することが報告されている。Aβを免疫するヒトでの臨床治験でもアミロイドの減少が見られ、Aβ免疫療法の臨床応用が期待されている。これまでに抗Aβ抗体が、ミクログリア細胞によるβアミロイドの貪食を促進する、あるいはBBBを介した脳からのAβの除去を促進するなどの仮説が提唱されているが、Aβ免疫療法のエフェクターと考えられる抗Aβ抗体が、アミロイド蓄積を抑制する機序については不明の点が多い。そこで申請者はAβ免疫療法における抗Aβ抗体の作用機序について、特に抗Aβ抗体がAβの脳クリアランスに与える影響に着目して解析を行った。

従来の研究により、AβのN末端にエピトープの存在するモノクロ」ナル抗体10D5、中央部にエピトープが存在するm266の慢性的受動免疫により、APPtgマウス脳のアミロイド蓄積が抑制されることが示されている。しかし、10D5はミクログリアによるアミロイド斑の除去をex vivoにおいて促進するのに対し、m266にその作用はないとされている。まず各抗体のAβに対する反応性を調べると、10D5は凝集したAβに対し強く反応したが、m266の反応性は弱かった。一方、可溶性Aβに対し、m266は10D5に比して高い親和性を有することがわかった。この結果から、10D5は凝集したAβに、m266は可溶性ARに対して作用を及ぼすものと考えられた。

次に抗Aβ抗体が脳から血液中へのAβ排出に与える影響について検討した。従来の研究において、m266をAPPtgマウスに慢性投与すると血中Aβ濃度が顕著に上昇するとともに、脳アミロイド蓄積が減少することから、m266はAβの脳からの排出輸送を促進すると予想されてきた(sink仮説)。この仮説を検証することを目的に、BEI(Brain Efflux Index)法を用いて、Aβの脳からの除去速度を定量的に比較した。300ugの抗Aβ抗体(10D5,m266)あるいはコントロール抗体を野生型マウス腹腔内に投与し、一定時間後にマウス脳のPar2領域に(125I-5l-Aβ(1-40)を注入し、脳内残存率(100-BEI)の継時変化を追跡した。その結果、10D5はAβの排出に影響を与えなかったが、m266はAβの排出を遅延させることがわかった。この結果は、sink仮説とは異なり、抗Aβ抗体は、Aβの脳細胞外腔から血中への排出を促進しないことを示すものと考えた。

Aβの脳からの排出促進を仮想するsink仮説ではm266を投与すると、血中のAβ量が増加することをその根拠としている。そこでAPPtgマウスにm266を投与し血中Aβ量を測定したところ、確かにm266の投与により血中Aβ量の著しい増加が見られた。10D5にはこのような効果はなかった。しかし、in vitroで血漿とAβを混和する実験においてm266を添加すると、Aβの分解が阻害された(図3B)。このことからm266投与による血中Aβ量上昇は、Aβの脳からの排出が促進されたのではなく、m266抗体による血中Aβの安定化効果に起因する可能性が考えられた。以上の結果から、m266は従来考えられてきたように末梢血液中で作用するのではなく、一部脳内に移行して作用するのではないかと考えた。

そこで脳内に125I-Aβをinjectし、灌流で末梢血液を除去したbrain lysateをprotein G beadsで沈降したところm266抗体が脳実質画分中でAβと結合していることが示された。

以上の結果からm266は一部脳内に移行して、脳内のAβを結合することがわかった。そこで、m266はAβをモノマーで安定化してその後の凝集過程を阻害する可能性を考え、m266がAβの凝集過程に与える影響を検討した。まずin vitroにおいて合成Aβ(1-42)を抗Aβ抗体とインキュベートし、形成されるアミロイド線維量を蛍光色素Thioflavin Tにより定量した。m266はAβの凝集を抑制したが、この効果は10D5あるいはコントロール抗体では認められなかった

さらにm266抗体によるAβ凝集抑制効果をin vivoで確かめるために、APPtgマウスに抗Aβ抗体を投与して、脳内のAβ量をELISAで測定した。本検討に用いたELISAはAβのN末端に対する抗体をcapture抗体、C末端に対する抗体をdetect抗体とするsandwich ELISAで、モノマーのみを特異的に検出し、オリゴマーAβは検出されない。そこでオリゴマーAβを含む可溶性Aβ量総量を検出するために、可溶性Aβを含むマウス脳RIPA可溶画分にSDSによる解離処理を施した。

APPtgマウスに抗Aβ抗体を腹腔内投与して、摘出した脳をRIPAで可溶化した。まずこのRIPA可溶画分にSDSによる解離処理を施し、マウス脳の可溶性Aβ総量を測定した。その結果、いずれの抗体を投与した場合においても可溶性Aβ総量に変化はなかった。次にSDSによる解離処理を行う前のRIPA可溶画分のモノマーAβ量を測定したところ、m266抗体を投与したマウスにおいてモノマ-Aβ量が上昇していた。特に凝集性の高いAR(1-42)がモノマーで安定化されていた。10D5にはこのような効果は認められなかった。

m266を投与すると可溶性Aβ総量に変化がないにも関わらず、ARモノマーが上昇していたことから、m266はAβをモノマーの状態で安定化することで、オリゴマーAβの形成を抑制するのではないかと考えた。オリゴマーAβは凝集過程の中間体であり、m266によるオリゴマー形成抑制がAβ免疫療法のメカニズムであると考えられた。

本研究において申請者は、Aβ免疫療法における抗Aβ抗体の作用機構について検討を行い、抗Aβ抗体は脳からのAβ排出を促進しないことを見いだし、特にこれまでm266抗体について想定されてきた、sink仮説を否定した。さらにm266の一部が脳内に移行し、モノマーのAβを結合することを見いだした。本研究は、Aβ免疫療法め作用機序として新たに、「抗体によるモノマーAβの安定化とオリゴマー形成の抑制」を提唱するものである。近年、凝集中間体であるオリゴマーがシナプス障害性を有することが注目されている。m266によるマウス認知機能の改善はm266によるオリゴマー形成抑制に起因する可能性が考えられる。一方10D5にはこのような効果は認められなかった。本研究は、Aβ免疫療法において、各種の抗Aβ抗体は、Aβとの反応性の相違により、Aβ貪食の促進、アミロイド形成の抑制などの異なる複数のメカニズムを介してAR蓄積を抑制し、認知機能障害の改善に関わる可能性を示唆するものであり、アルツハイマー病の治療研究に新知見を与え、博士(薬学)の学位に相応しいと判定された。

UTokyo Repositoryリンク