学位論文要旨



No 123870
著者(漢字) 飯田,恭宏
著者(英字)
著者(カナ) イイダ,タカヒロ
標題(和) 金属表面への有機分子の選択的吸着とその物性の研究
標題(洋)
報告番号 123870
報告番号 甲23870
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第336号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,耕三
 東京大学 教授 和田,仁
 東京大学 教授 川合,真紀
 東京大学 教授 柴山,充弘
 東京大学 准授授 高木,紀明
内容要旨 要旨を表示する

1.研究背景

近年,有機分子を利用した電子デバイスの研究が盛んに行われている.例えば,ナノメートルオーダーという微小なサイズを有する分子ダイオードや分子トランジスタなどを用いて分子素子を組み上げることにより電子デバイスの作製を目指す分子エレクトロニクスの研究や、従来無機半導体で作製されていた電界効果トランジスタ( FET )等の電子デバイスを有機分子で作製する研究等が現在までに多くなされている.分子エレクトロニクスの分野では,マクロな電極と分子素子を接続する分子配線を実現する上で分子本体の特性のみならず,分子と金属との接続状態の重要性が低分子の導電率測定等1から指摘されている.また,有機FET等の電子デバイスでも有機分子-金属界面の影響が指摘されている2.これまでの研究から,チオールに代表される金属と化学結合を形成する官能基の導入が分子-金属間の良好な特性を得るために必要なことが明らかになっている3.本研究では,チオールやセレノール等カルコゲンを含有した有機分子と金属表面との間に化学結合を形成し,その電気物性の測定を行った.

2.導電性高分子の末端修飾と電気特性

良好な有機分子-金属界面を形成させるために,導電性高分子であるポリ(3-ドデシルチオフェン)(P3DDT)の末端をセレノール基で修飾し,その電気特性を測定した.末端修飾はScheme 1のよう行った.セレノール基は,NMRにより確認できた.しかし,セレノールの修飾位置に関しては,NMRだけでは同定が出来ない.そこでAFMを使用して一分子を伸長するsingle molecule force spectroscopy (SMFS)と scanning tunneling microscopy (STM)を使用する事でその確認を行った.具体的にはそれぞれの測定から見積もった鎖長を比較する事で末端修飾の確認を行った.SFMSで得られたP3DDTの鎖長は約 40 nm程度であり,これはSTMの結果ともよい一致を示している.したがって,P3DDTの末端修飾に成功したと考えられる.次に導電性への影響を測定するために金の微細電極を作製し,I-V特性を測定した.金の微細電極はSiO2上に作製し,電極間隔は約50 nm程度,電極幅は約5 μmである.溶媒はトルエンを使用し,末端修飾P3DDT(P3DDTSet-Bu)の濃度は0.1 wt%で調製した.トリフルオロ酢酸で脱保護した溶液中に金の電極基板を2時間浸漬させ,その後THFで2回リンスし,I-V特性の測定は真空中で行った.結果をFigure 1に示した.Figure 1に示したように未修飾のP3DDTでは,+0.2Vから-0.2Vまでは,線形なI-V特性を示しているが,それ以上になると非線形なI-V特性を示した.末端を修飾したP3DDTSet-Buでは,測定印加電圧領域でほぼ線形なI-V特性を示した.これは,末端部分のセレノールが金との間に化学結合を形成することによって良好な界面が形成されたためだと考えられる.また,ナノギャップ端子間の抵抗は,オーミックな特性を示す低印加電圧領域でのI-V特性の傾きから見積もった.常温における未修飾のP3DDTの抵抗が100 GΩ,末端修飾のP3DDTSet-Buの抵抗が7GΩとなった.したがって化学結合を形成させたP3DDTSe-Buの方が高い導電性を有していることがわかる.以上のことから分子と金属電極との間に化学結合を形成させる事が電気的特性を上昇させるのに有効であることが確認できた.

3. 導電性高分子の一本鎖レベルでの形態測定

導電性高分子が高い電気特性を示すのは,π結合を形成するπ電子が高分子主鎖方向に非局在化しているためである.そのため,その電気特性は,π結合の構造すなわち分子構造に強く依存する.したがって,分子構造の情報はとても重要である.そこで,末端修飾の同定に使用したSMFSを利用して,単一分子の持続長測定を行った.持続長というのは,分子剛直性を表すパラメーターである.伸長測定は液中セルを使用して溶液中にて行った.試料はP3DDTSet-Buを使用し,脱保護にはトリフルオロ酢酸を使用した.測定から得られたフォースカーブをWLCモデルの式でフィッティングをすることでP3DDTSet-Buの持続長を得た.得られた持続長の分布をFigure 2に示す.これより持続長の平均は1.0 nmという値が得られた.これは,チオフェン環がだいたい3個程度の長さである.一般に導電性高分子は,ドープすることによって高い導電性を得ることが知られており,ドーピングによって分子構造がbenzenoid構造からquinoid構造に変化する.そこで,ドープ状態の導電性高分子に関しても持続長を見積もった.ドーパントには脱保護に使用したトリフルオロ酢酸 (TFA)を使用し,濃度は,UV/vis吸収スペクトルでドープ状態を確認した0.5 mol/Lとした.得られたドープしたP3DDTSet-Buの持続長分布をFigure 2に示した.Figure 2に示したようにドープすることによって,持続長が増加していることがわかる.また,この持続長の増加傾向はUV/Visの吸収スペクトルの傾向と一致した.以上のように、本研究では、AFMを用いてドープ状態における一分子の持続長の変化の測定に初めて成功した.

4. ポリチオフェンの開環反応と電気物性への影響

現在,有機FETにおいては,金電極表面を有機分子で修飾することによって,特性が大きく変化することが報告されている2.これまで,金の修飾にはチオール基が一般的に使用されてきたが,近年チオフェンが金と化学的な結合を形成することが報告された4.この現象を利用すれば、新たな表面修飾が可能になるが,現在までチオフェンモノマーの誘導体でしかこの反応は報告されていなかった.そこで有機FET等に使用されているpoly(3-alkylthiophene)における化学吸着反応をX-ray photoelectron spectroscopy (XPS)で確認し,その電気物性への影響を測定した.分子はP3DDTを使用し,溶媒はトルエンを使用した.高分子濃度は1 mg/mlとし,基板は多結晶のAu基板を使用した.溶液にAu基板を一晩浸積させた後,THFで2回洗浄し測定を行った.P3DDTのXPS測定で得られたスペクトルをFigure 3に示した.Figure 3よりチオフェン環のSに由来するS(2p1/2)の164.8 eV,S(2p3/2)と163.6 eVの二つのピークの他に, Auと結合を形成したS由来のS(2p1/2)の163.0 eV,S(2p3/2)と161.8 eVが観測された.このことから,ポリチオフェンでも同様に金と特異的に化学結合を形成することが確認できた.次にチオフェン環の開環反応を利用して電極をP3DDTで修飾しその導電性への寄与を測定した.試料の調製法は以下の通りである.電極の修飾はXPSサンプルと同様の条件で行った.電極基板は50 nmのAu電極基板を使用し,P3DDTをスピンコートで製膜して真空中でI-V特性を測定した.対照実験のために, 未修飾電極についても同様に測定を行った.得られたI-V特性をFigure 4に示す.図のように,修飾電極を使用した場合には,未修飾電極と比較して大幅に導電性が低下していることがわかる.このI-V特性から導電率を見積もると未修飾の場合には8.0 ×10-5 S/cm,修飾した場合には 9.3×10-6 S/cmと9分の1程度にまで低下していることが判明した.この傾向は4端子法でも同様に観測された.そのため,この導電率の低下は接触抵抗によるものではないことがわかる.以上の結果から,金属表面の修飾が電気物性に大きな影響を与えることが明らかになった.

5.総括

本研究では,金属表面に有機分子を化学吸着させることで有機分子-金属界面の調製を行い,その電気物性を測定した.導電性高分子であるP3DDTの末端をセレノール基で修飾することによって高い導電性を獲得することに成功し,また安定した電流-電圧特性を示すことが確認された.これは,今後の分子エレクトロニクスへの応用が期待される.また,一分子レベルでの持続長測定に成功し,ドーピングによる持続長の測定に成功した.本手法により,導電性高分子のより詳細な物性評価を行うことができる.さらに、ポリチオフェンの化学吸着反応を新規に発見し,さらにその電気物性への影響を評価した.このチオフェン系分子を利用した表面修飾方法は有機デバイスの特性制御技術としての応用が期待できる.

References[1] X. D. Cui, A. Primak, X. Zarate, J. Tomfohr, O. F. Sankey, A. L. Moore, T. A. Moore, D. Gust, G. Harris, S. M. Lindsay, Science 294, 571 (2001).[2] D. J. Gundlach, L. Jia and T. N. Jackson, IEEE Electron Device Lett. 22, 571 (2001).[3] K. W. Hipps, Science 294, 536 (2001).[4] J. Noh, E. Ito, K. Nakajima, J. Kim, H. Lee, M. Hara, J. Phys. Chem. B 106, 7139 (2002).
審査要旨 要旨を表示する

本論文は,有機エレクトロニクスにおいて重要な役割を有する有機分子-金属界面の電気物性を改良するために,チオフェン化合物の金表面への選択的化学吸着手法の開発及びその物性の研究を行った成果が報告されている.

本論文は4章構成であり,各章の概要は以下の通りである.

本研究では,主として導電性高分子であるポリ-3-アルキルチオフェン(P3AT)を使用した.そのため,第1章では本研究全体の背景として,最初に導電性高分子の基礎について述べており,続いて有機分子エレクトロクスにおける有機分子-金属界面の影響とそれについての先行研究及び今後界面研究が向かうべき方向性について、単分子エレクトロニクスと有機薄膜デバイスの観点から紹介している.

第2章では,分子配線材料と金属電極との接合の改良を目的としたP3ATのSe基末端修飾について検討を行っている.この章の最初には,末端修飾の確認に使用した分子伸長法についての基礎が述べられており,次にSe基末端修飾P3ATの合成法の記述がある.続いてNMR,STM,AFMを使用したSe基末端修飾P3ATの同定手法及び電気測定用の微細電極の作成法に関して説明がある.微細電極を使用した電気特性測定の結果,未修飾のP3ATと比較してSe基末端修飾P3ATが高い電気特性を示しており,筆者は,この電気特性の違いをP3AT末端のSe部位と金属電極との化学結合の形成に由来すると結論づけている.また,末端修飾導電性高分子の分子伸長によって一分子レベルで分子の剛直性を示す持続長を見積もる事が可能となり,また,これと紫外可視スペクトルとを併用する事でドーピングによるP3ATの形態変化を詳細に検討している.その測定の結果,P3AT紫外可視スペクトルと持続長の分布の変化がよい一致を示していることから,P3ATの電子状態とその分子形態の変化に密接な関係があることが明らかになった.

第3章では,有機薄膜デバイスへの応用が期待される自己組織化膜(SAM),特にチオフェン化合物SAMについての有用性とその電気物性への影響が述べられている.まず,チオフェン化合物SAMの膜の形態等の特性が説明されており,次にSAM中のチオフェン化合物の金表面上での化学結合状態がX線光電子分光法(XPS)によって検討されている.その結果,チオフェン化合物がSAMを形成した場合に,チオフェンと金表面との間に化学結合が形成されることから、そのSAMの高い吸着安定性が示されている。また,そのS-Au結合が形成される割合がそのチオフェン化合物の分子構造に依存することが述べられている.続いて有機薄膜デバイスにおいて電極上にSAMを形成させた場合に,電荷注入効率と電極界面周辺の薄膜の形態が影響を受けていることから,P3ATSAMによる電気物性への影響が検討されている.電荷注入効率への影響を観察するために微細電極上にP3ATのSAMを形成させ,その上にP3AT薄膜を作製し,その薄膜の電気特性を測定しており,その結果SAMを形成した場合のP3AT薄膜の導電率は,SAMを形成させない場合と比較して低下することが明らかになった。また,その導電率の低下は側鎖のアルキル鎖の長さに依存していることが述べられている.筆者は,この電気特性のアルキル鎖依存をSAMの形状の観点から説明しており,P3ATSAMによって電荷注入効率が低下すると結論づけている.さらに,電極表面上のSAMによる有機薄膜の形態への影響等の総合的な有機デバイスへの影響を観察するために,有機電界効果トランジスタ(有機FET)を試作し,その修飾電極の影響を検討している.その結果,有機FETの場合においては,P3AT修飾電極を使用したP3AT薄膜FETの移動度は,側鎖のアルキル鎖の短さに依存して減少することが示され,また薄膜の結晶性を向上させるための加熱アニーリング処理を行う事で同様の処理を行った未修飾の場合と比較して移動度が上昇することが述べられている.筆者は.導電率におけるアルキル鎖長依存性とFETにおける移動度のアルキル鎖長依存性の違いから,移動度の変化は,電極界面付近の薄膜の形態に由来すること、すなわちP3AT薄膜FETでは,電荷注入効率よりも界面付近の薄膜の形態による寄与が大きいと結論づけている.

第4章では,本論文の結論が述べられており,本研究を通して明らかとなった, P3ATによる金属表面への選択的化学吸着による電気物性への影響,さらに応用に関する知見の総括が述べられている.

以上のように本論文で著者は,P3ATを代表とするチオフェン化合物による金表面への新規な選択的吸着手法について発見し,その電気物性測定から,チオフェン化合物を有機エレクトロニクスに応用する上で有意義な結果を得ている.さらに本研究において,導電性高分子の一分子伸長と紫外可視分光法と組み合わせるという新たな分析手法を開発した.これら一連の研究成果は,有機分子エレクトロニクスの研究に大幅な進展をもたらすことが予想される.

本論文の内容において,第2章の結果については,中村 徹,梁 天賜,平家 誠嗣,橋詰 富博,酒井 康博,伊藤耕三との共同研究,第3章については,中村 徹,平家 誠嗣,橋詰 富博,酒井 康博,伊藤耕三との共同研究であるが,論文提出者が主体となって実験を行い解析したものであり,論文提出者の寄与が十分であると判断する.よって,本論文は博士(科学)の学位論文として合格と認められる.

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