学位論文要旨



No 123871
著者(漢字) 片山,尚幸
著者(英字)
著者(カナ) カタヤマ,ナオユキ
標題(和) 二次元三角格子系バナジウムカルコゲナイドにおける電子物性
標題(洋) Electronic Properties of vanadium chalcogenides with two-dimensional triangular lattice
報告番号 123871
報告番号 甲23871
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第337号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高木,英典
 東京大学 教授 末元,徹
 東京大学 教授 廣井,善二
 東京大学 准教授 中辻,知
 東京大学 准教授 野原,実
 東京大学 准教授 森,初果
内容要旨 要旨を表示する

1 .序論

二次元三角格子化合物は多様な物性や機能が発現する舞台である。幾何学的フラストレーション格子である二次元三角格子上に遷移金属イオンが配列しており、これにカルコゲン元素が6配位したものが稜共有で繋がって層を形成する。層間にはアルカリ金属元素やアルカリ土類金属元素をインターカレートすることができる。層間にインターカレートされた元素はキャリアの供給源となり、これと遷移金属との組み合わせによって様々な電子配置をとりうる。さらにカルコゲン元素をO-S-Seと変化させるとp-p間の混成が強くなり遍歴性が増す。これらの特長を利用した多彩な電子物性や機能の設計が可能となる。多くの硫化物・セレン化物は高い遍歴性を持ち、擬2次元的な電気伝導を示す金属となる。NbSe2やCuxTiSe2などでは、低温でCDWや超伝導の協奏・競合が生じる。一方、多くの酸化物は強い局在性を持ち、電子の持つスピン・軌道・電荷の自由度が顕わになる。NaNiO2は高温で軌道秩序を示し、低温でスピン秩序を示す。NaxCoO2はNa量に応じて電荷秩序や、高い熱電性能を示し、層間に水を挿入すると超伝導を発現する。LiNiO2では幾何学的フラストレーションの影響で最低温までスピンが秩序化できず、スピン液体状態が実現していると考えられている。このように、これらの物質群は三角格子や電子構造、化学修飾性の高さなど多くの特徴からなる物性・機能の宝庫である。

LiVO2はこれらの酸化物の一つで、3重縮退したt2g軌道にd2の電子を持ち、強い電子相関のために絶縁体となっている[1]。幾何学的フラストレーションのために通常の反強磁性秩序をとれず、図1に示すような軌道秩序を伴うVの三量体スピン一重項転移を示す。本研究では、新たな電子物性開拓の出発点としてこの三量体スピン一重項に着目した。O-S-Se置換や静水圧印加による、遍歴性の制御により、このスピン一重項絶縁相から出発してどのような電子物性が発現していくかは興味深い問題である。

2 .目的

局在極限に位置するLiVO2から出発し遍歴性を高めていく過程で、どのような電子物性が現れるか明らかにする。典型的なMott金属-絶縁体転移を示す系の電子相は、常磁性絶縁体相、反強磁性絶縁体相、常磁性金属相で特徴付けられる。これにフラストレーションと軌道自由度を加えたとき、どんな電子物性が現れるか明らかにすることが本研究の目的である。本研究ではバナジウム系LiVX2を取り上げる。XをO, S, Seと変化させp-p混成を増し、局在極限から遍歴極限に至る過程でどのように電子相が制御され、どのような物性が発現するかを明らかにしていく。

3 . 実験

Li2S, S, Se, V粉末試料を700 ℃ 1週間の条件で焼成し、Li0.75VS(2-x)Sexを固相合成した。これをn-BuLiヘキサン溶液中でLi量を1.0に調整し、LiVS(2-x)Sex (0 ≪ x ≪ 2)を得た。これらの試料について粉末X線回折、電子線回折、磁化、電気抵抗、示差走査熱量、核磁気共鳴、圧力下での磁化の測定を行った。

4 . 結果

4.1 LiVS2の低温相 : V三量体スピン一重項絶縁体

LiVS2は約310 Kの相転移でV三量体を形成することが明らかになった。001入射の電子線回折実験で、転移温度以下では図2 (a)に示すように、(100)等の基本反射に加えて面内に(1/31/3 0)の超格子反射が現れた。これは実空間では面内に の超格子構造が現れていることに対応し、低温相でのV三量体の形成を示唆している。図3の磁化率温度依存性が示すように、LiVS2は転移に伴い非磁性的になる。最低温では僅かなCurie成分が見えているが、スピンS = 1/2換算で全Vの1 %程度の不純物である。低温相の磁気的基底状態については、徳島大学大野研究室のグループと共同でV核の1 / T1測定を行い、約1900 Kのギャップを持つことがわかった。以上よりLiVS2は、低温相で軌道秩序による三量体スピン一重項を形成していると結論できた。低温相では半導体的な温度依存性を示し、基底状態は絶縁体である。格子定数は図4に示すように、転移温度で不連続な飛びを示している。また、示差走査熱量測定により、この相転移が6.85 J/molKのエントロピー変化を伴う1次相転移であることが示唆された。このように、LiVS2の基底状態はLiVO2と同じく、軌道秩序による三量体スピン一重項であるといえる。

4.2 LiVS2の高温相 : 常磁性金属

高温相ではV三量体は消失する。図2 (b)に示すように超格子反射は消失し、ハニカム型のデフューズが現れた。Vの量体化に向けた短距離秩序が発達していることを示唆している。このデフューズは温度上昇に伴い強度が低下した。LiVS2とLiVO2の低温相は同じスピン一重項絶縁体であった。しかし、高温相は全く違う。LiVO2は絶縁体で局在モーメントによるCurie-Weiss常磁性を示すが、LiVS2では常磁性金属となることがわかった。図3に見られるように、LiVS2はTc = 310 Kで金属-絶縁体転移を示した。高温相の常磁性磁化率は温度とともにわずかに増大し、局在モーメントによるCurie-Weiss常磁性とは異なる。以上より、LiVS2の高温相は常磁性金属であると結論できる。

4.3 LiVS2の電子相制御

LiVS2は遍歴性と局在性の拮抗した状態にあり、常磁性金属からスピン一重項絶縁体への相転移が見られた。ここでSをSeで置換して遍歴性を増大すると、スピン一重項相が抑制され、基底状態が常磁性金属となった。Se置換により、図5に示すようにLiVS2の転移温度は急激に低下し、x = 0.3で転移は完全に消失した。x > 0.3の化合物の磁化率温度依存性はいずれもPauli常磁性的で、xの増加に従って磁化率は徐々に増大する。x = 2.0のLiVSe2は挿入図に示したように、低温まで金属的な伝導を示し遍歴極限にある。パウリ常磁性が大きいことから、強電子相関といえる。LiVS2とLiVSe2で連続的に変化していることからも、LiVS2の高温相が金属であることがわかる。

LiVS2に静水圧を印加すると、図5に示すように転移温度は上昇した。静水圧印加に伴う転移温度の上昇率は、 で、転移に伴う体積変化 Å3とエントロピー変化 J/molKを使って、クラウジウス-クラペイロンの式から見積もられる値と良く一致した。S-Se置換ではp-p混成が増すためTcが低下するが、圧力の場合はV-V間距離が縮まるために三量体内部の軌道混成が強まり、Tcが上昇すると予想される。

5 . 考察

図6に示すように、LiVO2-LiVS2-LiVSe2系では常磁性絶縁体相、スピン一重項絶縁体相、常磁性金属相の三相で特徴付けられる電子相図が現れることが明らかになった。基底状態としてスピン一重項が現れる系において、常圧下で局在極限から金属相まで制御することが出来るのは本研究で見出したLiVS2が初めての例となる。この電子相図は、常磁性絶縁体相、反強磁性絶縁体相、常磁性金属相の三相で特徴付けられる典型的なMottの系の電子相図と一見類似している。しかし、典型的なMottの系とは異なる幾つかの特徴が現れる。

まず、圧力印加に伴って転移温度が上昇する。Penらの理論によると[2]、d-d混成の増加はスピン一重項を安定化する。LiVS2に圧力を印加すると、V-V間距離が短くなり三量体内部の軌道混成が増大する。そのためスピン一重項が安定化され正の圧力効果を示したと考えられる。このとき、p-p混成も増大し遍歴性は増大するが、三量体安定化の効果が勝っている。

さらに、金属-絶縁体転移線近傍から離れると常磁性磁化率が増大する。LiVS2の高温金属相では、温度上昇と共に常磁性磁化率が増大する。また、LiVS2-xSex系では、S-Se変化に伴って常磁性磁化率が増大する。これは、典型的なMottの系において金属-絶縁体転移線に近づくほど常磁性磁化率が増大するのとは逆の振舞いである。さらに電子線回折実験から、高温金属相では面内にハニカム型のデフューズが見出された。これは量体化に向けたVの短距離秩序の発達を示唆している。以上より、三量体スピン一重項近傍の金属相では、Vの量体化に向けた短距離秩序が発達しており、擬ギャップが現れているものと考えられる。

5 . 総括

軌道・スピンに自由度があり、これらが幾何学的にフラストレートしている二次元三角格子系における電子相図を提案した。本研究で扱ったLiVO2-LiVS2-LiVSe2系は局在極限から遍歴極限までをカバーし、スピン一重項絶縁体相と常磁性絶縁体相, 常磁性金属相という、系を特徴付けるすべての電子相が発現する。さらに、スピン一重項基底状態に由来して、従来のMottの系では現れない幾つかの特性を示すことを見出した。幾何学的フラストレーションのある系でのスピン軌道物性のモデル物質となりうる。

[参考文献][1] W. Tian et al., Mater. Res. Bull. 39, 1319 (2004).[2] H.F. Pen et al., Phys. Rev. Lett. 78, 1323 (1997).[論文発表 (自身が筆頭著者のもの)]1."Enhanced Superconducting Transition Temperature in the Water-intercalated Sulfides", J. Phys. Soc. Jpn. (Letter) 74 (2005) 851.2."Watery superconductivity in misfit-layer sulfides", Physica C 445-448 (2006) 35-38.[学会発表 (自身が筆頭論者のもの)]1. "Metal to nonmagnetic-Insulator Transition in LiVS2" American Physical Society 2007 March meeting (N10.00005), Denver, Colorado, March 7 (2007). 他、国内会議9件

図1. LiVO2のV三量体. (a) V三量体形成に伴うV原子位置の変化. (b) V t2g軌道の秩序化 (黒のlobeが占有軌道を示す)([2]).

図2. LiVS2の電子線回折 (001入射).(a) 転移温度以下. (b) 転移温度以上.

図3. LiVS2の磁化率・抵抗率温度依存性.

図4. LiVS2の構造パラメータ変化と転移に伴うエントロピー変化.

図5. LiVS2-xSexと静水圧を印加したLiVS2の磁化率温度依存性.(挿入図 : LiVSe2の抵抗率温度依存性).

図6. LiVO2 - LiVS2 - LiVSe2系において予想される電子相図.

審査要旨 要旨を表示する

本論文「二次元三角格子系バナジウムカルコゲナイドにおける電子物性」は、層状バナジウムカルコゲナイドを舞台に、スピン一重項を基底状態とする系の電子相制御を試みた研究である。系に遍歴性を高めていく過程で現れる電子相図の解明と、相境界近傍の金属相で現れる新奇物性の開拓に取り組んでいる。論文は全7章からなる。

第1章では研究の背景が述べられている。従来の反強磁性モット絶縁体の系では、局在極限から遍歴極限まで横断する過程で、常磁性絶縁体相、反強磁性絶縁体相、常磁性金属相の三相で特徴付けられる電子相図が現れる。幾何学的フラストレーションの影響が加わり、反強磁性絶縁体相が不安定化するとどのような変化が電子相図に現れるのか、という問題意識を取り上げ、これまで知られている多くの幾何学的フラストレーション系で基底状態としてスピン一重項絶縁体状態が相図上に現れることを述べている。スピン一重項絶縁体相近傍の金属相では、超伝導をはじめとした新奇な物性が現れる可能性があることを指摘し、物質開拓を通してスピン一重項の系の電子相制御を行うことが重要と述べている。

第2章では、スピン一重項を基底状態とする系の電子相制御という本研究の目的について説明している。出発物質として、絶縁体-三量体スピン一重項絶縁体転移を示す層状LiVO2を取り上げ、O-S-Se変化によるバンド幅制御とLi量制御によるキャリア数制御という二つの戦略を提案している。

第3章では、研究で扱うすべての化合物の合成法及び試料評価について説明している。

第4章から第6章では実験結果とそれに対する考察が述べられている。第4章の前半ではLiVS2が示す相転移の詳細が述べられている。電気抵抗・磁化測定・NMR等による物性測定や、電子線回折・EXAFSによる構造解析を通して、LiVS2が金属-三量体スピン一重項絶縁体転移を示すことを明らかにしている。実験結果を元に、第4章の後半ではLiVS2の相転移機構や高温金属相で現れる異常物性について議論している。低温スピン一重項絶縁体相では、従来のモット絶縁体よりも電気抵抗率がかなり小さく遍歴性が高いこと、スピン秩序由来のギャップとしてはスピンギャップが大きすぎること、などを指摘し、低温相を遍歴性の高い絶縁体と捉えて相転移機構を考えていく必要があると述べている。また、高温金属相では、転移温度直上で電子線回折像に散漫散乱が現れ、磁化率が正の温度依存性を示す。これより、量体化に向けたVの短距離秩序が発達しており、擬ギャップが生じていると指摘している。高温金属相では、EXAFS測定からV-V間距離に相当するピークが消失したように見えるとの異常も見出だされた。量体化に向けたVのフォノン異常という可能性を念頭に、高温金属相の詳細な構造解析を進めていくことが重要と結論付けている。

第5章では、LiVS2-LiVSe2置換系の物性とLiVS2の圧力効果について述べられている。まず、S-Se置換によってスピン一重項絶縁体相が抑制されることを明らかにし、O-S-Se変化による電子相図を完成させた。また、スピン一重項絶縁体転移線から離れるほど常磁性磁化率が増大することに着目し、S-Se置換に伴って現れた金属相でも擬ギャップが現れると指摘している。一方で、静水圧下ではスピン一重項絶縁体相は安定化し、系は金属化しないことを明らかにした。スピン一重項絶縁体相の方が常磁性金属相よりも体積が小さいことに着目し、体積効果が正の圧力効果の原因と結論付けている。

第6章では1T-VS2の物性について述べられている。LiVS2からLiを取り除き、d2からd1へとキャリア数を制御すると、系が完全に金属化されることを電気抵抗測定から明らかにしている。また、低温で現れる二次元CDW相が、静水圧下では別のCDW相へと転移することを明らかにした。1T-VS2の高圧下でのCDW転移温度圧力依存性が、同じ結晶構造・電子状態を持つ1T-VSe2の三次元CDW転移温度圧力依存性と良く似ていることに着目して、二次元CDW-三次元CDW転移であると結論している。

第7章では、本論文で行われた研究について総括的な議論を行っており、本研究で得られた知見がまとめられている。

以上、本論文にまとめられた研究は、スピン一重項を基底状態とする系の電子相制御を行い、絶縁体から金属まで横断できる系を無機化合物で初めて開発した先駆的なものである。また、金属相で現れるVの量体化に向けた短距離秩序発達とそれに伴う擬ギャップ形成は、スピン一重項の系に見出された新しい現象である。高温超伝導の擬ギャップ状態との類似性も物理的に極めて興味深い。これらの結果は強相関電子物理、量子磁性物理の発展に寄与するところ大であり、本論文は博士(科学)の学位請求論文として合格と認められる。

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