学位論文要旨



No 123874
著者(漢字) 中村,照幸
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,テルユキ
標題(和) 分子線エピタキシー法による立方晶InNおよび関連混晶薄膜の作製と物性評価に関する研究
標題(洋)
報告番号 123874
報告番号 甲23874
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第340号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 尾鍋,研太郎
 東京大学 准教授 杉山,正和
 東京大学 准教授 田島,裕之
 東京大学 准教授 百生,敦
 東京大学 准教授 山本,剛久
内容要旨 要旨を表示する

InNはGaN、AlNと同様、III族窒化物半導体の一つである。これらの中でもInNは最も小さい電子有効質量 (0.11m0)、大きな電子移動度 (2700 cm2/Vs)、飽和速度 (4.2×107 cm/s) [1]、1 eV以下と考えられている最も小さい直接遷移型のバンドギャップを有する[2]ためGHz帯で動作する高速・高周波デバイス用材料、GaN、AlNとの混晶による遠紫外から近赤外まで可視光全域を含む発光・受光素子材料として期待されている。一方、InNはその結晶構造として安定相である六方晶ウルツ鉱型構造 (h-InN) と準安定相である立方晶閃亜鉛鉱型構造(c-InN)をとることが知られている。現在、h-InNに関しては結晶成長から物性に及び議論が活発になされているが、準安定相であるc-InNは格子整合する基板が存在しないこと、六方晶相が混在し易いことにより高品質結晶の作製が困難であり、成長条件を含め報告例は少なくその物性値は不明な点が多い。本研究ではc-In(Ga)Nを、最も基本的な成長条件である成長温度および原料供給比を変化させ作製し、構造的・電気的・光学的特性に与える影響を系統的に評価した。

c-In(Ga)N成長用基板としてGaAs(001)基板およびイットリウム安定化ジルコニア(yttria-stabilized Zirconia YSZ)(001)基板を用いた。まず立方晶構造を有し入手が容易でプロセス技術がよく知られておりc-GaN成長用基板として実績のあるGaAs(001)基板[3]上にc-In(Ga)N成長を試み、成長条件が構造・電気・光学的特性に与える影響を明らかにする。一方YSZ基板はGaAs基板と比較しc-InNとの格子定数差が-3.1%程度と小さく(GaAsは-13.4%)、また大気中アニール処理を施すことでステップテラス構造を有する原子レベルで極めて平坦性の高い表面構造が作製可能であり、GaAs基板を用いた場合より構造特性に優れたc-InN薄膜の実現が期待できる。

InNおよびInGaN薄膜は、III族原料として金属InおよびGaを用い、V族原料としてRFプラズマ源を用いた原子状窒素を用いるRF-MBE法により作製した。GaAs(001)基板上c-In(Ga)N成長においてはGaAs基板をMBE成長室チャンバー内にて610oC、10分間の加熱クリーニング、580oCにて200nmのGaAsバッファー層を成長した後にInN成長を行った。一方YSZ(001)基板上c-InN成長においてはYSZ基板を900oC、30分間の加熱クリーニング後、InN成長を行った。全ての試料作製においてc-In(Ga)Nの成長時間は60分、膜厚は300nm、RFプラズマ出力は300Wである。・GaAs基板上立方晶InN

図1に作製した試料のノマルスキー像を示す。全ての温度領域において低窒素流量側で表面にInドロップレットが観測できる。図中の点線はIn析出の有無から判断した表面ストイキオメトリー条件を表している。作製した全ての試料の傾向として高温で成長するほどストイキオメトリー条件は高窒素流量側にシフトしている。これはInN場合、温度上昇に伴う成長最表面からのIn原子の脱離に比べ、窒素原子種の脱離が顕著となることを示している。図2に成長終了後のc-InN表面AFM像およびInN成長開始後45分経過時点のRHEED像示す。成長温度は450oC、左図は窒素流量がIn過剰、右図は窒素過剰条件にて作製した試料の像である。InN成長開始直後は全ての試料においてスポットパターンを観測した。成長が進むにつれ、窒素過剰条件にて作製した場合のRHEED像はスポットパターンを維持し、かつスポット間を結ぶ斜めのラインが観測された。これは窒素過剰条件では表面平坦性の低い三次元的な成長形態を取り、かつ六方晶相が派生しやすい {111} 面が形成され易いことを示している。このことは後に示すXRDの結果にも現れている。一方、わずかにIn過剰条件にて作製した場合はストリークパターンを観測した。わずかにIn過剰条件にて作製した場合、平坦性の高い二次元的な成長様式を取っていることがわかる。さらにIn過剰にて作製を行った場合、成長の進行とともにRHEEDパターンは消滅した。これは表面の残留Inドロップにより電子線が散乱されたためであると考えられる。ストリークパターンはIn過剰条件かつ成長温度450~490oCにて作製した場合にのみ観測できた。

図3に成長温度450oC、各窒素流量で成長した試料のXRD 2θ/ωスキャンの結果を示す。何れの試料においてもc-InN(002)回折からのピークが観測できc-InNが成長していることがわかる。また窒素流量の減少とともにc-InN(002) 回折からのピーク強度は増大、1.0 sccmで成長した試料では減少に転じている。XRD 2θ/ωスキャンより成長温度400~550oCにてc-InNの成長を確認した。また成長温度300oCにて作製した試料ではc-InNからの回折ピークは確認できなかった。成長温度300oCにおいてはc-InN成長開始直後からRHEEDパターンはハローパターンを示しておりアモルファスのInNが成長したと考えられる。

続いて六方晶相の混入形態に関して、図4に典型的なc-InNのX線逆格子空間マッピング測定の結果を示す。GaAs(002) 回折及びc-InN(002) 回折からのピークのほか、ω=±7°においてh-InN(10-11) 回折ピークを観測した。またh-InN(10-11) 面からのピークは、X線を1<110>方向より<1-10> 方向から入射した場合により顕著に現れた。これはRF-MBE法による立方晶GaNと同様、立方晶 (111) 面は六方晶 (0002) 面と格子間隔は異なるが同じ原子配列であるため六方晶相が派生し易く、さらに本研究で用いた成長条件においては(111) A面より (111) B面から混入し易いことを示している。

図5にc-InN/GaAs界面を含むTEMによる暗視野像を示す。明部がh-InNを表しておりc-InN膜中のc-InN/GaAs界面付近に無数のマイクロファセットとしての混入が顕著であるほか一部表面までh-InNの混入が確認でき膜厚方向にも混在率にばらつきがあることが確認できる。

また結晶品質評価として図6に成長温度450oCにて作製した試料のc-InN(002)回折のX線ロッキングカーブ半値幅 (△ω) およびc-InN(002) 回折とh-InN(10-11)回折の積分強度比より算出した立方晶相純度の窒素流量依存性を示す。窒素流量の減少とともに△ωは減少し、一方で立方晶相純度に関して、N過剰条件である2.25 sccm以上では10 %程度であるのに対しIn過剰条件となる2.0 sccm以下では80 %程度と結晶品質の顕著な向上が確認できた。低窒素流量側でのRHEEDパターンの変化も含めたこの結晶品質の向上は、窒素過剰条件では成長最表面における窒素ボンドがInの表面マイグレーションを阻害するが、わずかにIn過剰条件下ではIn原子がNボンドを被うことでIn自身の表面マイグレーションを促進し結晶品質の向上を促したものと考えられる。さらにInの過剰供給を行うと(1.75 sccmの場合)、Inドロップが形成されInNの成長を妨げるためであると考えられる。

・GaAs基板上立方晶InGaN

図7にX線回折2θ/ωスキャンの結果を示す。rの増大とともにc-InGaN(002)回折ピークが2θ = 36.0o から高角度側へシフトする様子が確認できる。2θ/ωスキャンより算出したGa混晶組成比は最大で29.5%であった。c-InGaN薄膜中の六方晶相の混在率を算出するため2θ/ωマッピング測定を行った。特にr = 0.27においてω ~ 7o 付近にh-InN(10-11) 回折ピークは観測されず、ω ~ 15o 付近に双晶InGaN(111)面からの回折ピークが確認できる。

図8にc-InNおよびc-In1-xGaxN(x = 0.09)、成長温度470oCの低温フォトルミネッセンス測定の結果を示す(強度較正は行っていない)。xの増大とともにピークエネルギーがエネルギー差300meVを保ったまま高エネルギー側にシフトしていることが確認できる。この結果よりc-In(Ga)Nのバンドギャップはh-In(Ga)Nと比較し、同一混晶組成比においておよそ300meV小さいことを示している。

・as received YSZ基板上立方晶InN成長

2θ/ωスキャンから全ての試料においてc-InN(002)のピークを確認し、YSZ基板上c-InNに成功したことを確認した。図9にc-InN(002)回折ピークの△ωおよび立方晶相純度の成長条件依存性を示す。いずれの値も窒素流量の減少とともに減少していることがわかる。GaAs基板上c-InNで最も半値幅の小さい試料(490oC、1.5sccm)と比較していずれの値も約50%減少している。最も小さな△θと△ωの値はそれぞれ0.15o 、0.38o (490oC、1.5sccm)であった。この結晶品質の劇的な向上はGaAs基板と比較して小さい、c-InNとYSZの格子不整合度に依存すると考えられる。

図9にXRDマッピング測定より算出した立方晶相純度の成長条件依存性を示す。最も立方晶相純度の高い試料で17%(490oC、1.75(sccm))であった。

・ステップテラス構造を有するYSZ基板上立方晶InN成長

YSZ基板を用いる事で△2θ及び△ωの値は劇的に減少した一方、六方晶相混在率はGaAs基板上のものと比較して高い。六方晶相はc-InN(111)ファセット、特に基板とエピタキシャル膜との界面付近に支配的に混入することがGaAs基板上c-InNのTEM観察よりわかっている。このため六方晶相混在率を低減させるためにはc-InN成長前の基板表面の平坦性を高くすること及び成長中の表面平坦性を高く保つ必要がある。そこでYSZ基板を大気中でアニール処理を施し、ステップテラス構造を有するYSZ基板上にc-InN成長を行うことで六方晶混在率の低減を試みた。YSZ基板(1350oC、2h大気中アニール)上に先と同様の手順でc-InNの成長を試みた(450oC、1.5sccm)。XRDによる同様の構造解析の結果、△ωの値はステップテラス構造の有無にほとんど影響を受けなかった一方、六方晶混在率は同一成長条件の未アニール処理YSZ基板上の30%から6.7%へと激減した(図9)。GaAs基板上c-InN成長においてh-InNは主にInN/GaAs界面付近のc-InN膜中にマイクロファセットとして形成されることが先のTEM観察よりわかっている。c-InN成長直前のGaAsバッファー層の表面平坦性は極めて高いためこれらのマイクロファセットの原因はGaAsとc-InNの大きな格子定数差によるミスフィット転位に起因すると考えられる。一方、YSZとc-InNの格子定数差はGaAsのそれと比較して小さいため、格子定数差によるマイクロファセット発生は抑制されると考えられる。しかしas received のYSZ基板はその表面に無数の残存している研磨傷がマイクロファセット形成の原因であると考えられ、このためアニール処理を施しステップテラス構造を有するYSZ基板ではこの研磨傷が消滅したため界面付近のマイクロファセットの形成が抑制、半値幅・六方晶混在率の小さなc-InNの成長が実現できたと考える。

・ステップテラス構造を有するYSZ(001)微傾斜基板上c-InN成長

ステップテラス構造を有する超平坦化YSZ基板がc-InNの構造特性(△ω、立方晶相純度)を向上させることがわかった。さらにYSZ基板表面のステップ密度の変化が構造特性に与える影響を調べるためYSZ(001)微傾斜基板(<001>方向から<110>方向へ1o off)を用いてc-InN成長を行う。

表1に積分強度比よりより算出した六方晶混在率の面方位依存性を示す。just基板に関しては何れの面からも3~6%とばらつきのある混在率であることと比較して、<110>off基板では(111)面からの混入が顕著となること、他の面からの混在率が減少していることがわかる。just、off基板の違いで明らかに六方晶混入形態がjust、off基板で変化しており、off基板の使用により六方晶相混入方位の制御や相純度が向上すること明らかである。

[1] S. K. O'Leary et al., J. Appl. Phys. 83, 826 (1998).[2] V. Y. Davydov et al., phys. stat. sol. (b) 230, R4 (2002).[3] H. Yang, O. Brandt, B. Jenichen, J. Muellhaeuser, K.H.Ploog, J. Appl. Phys. 82 (1997) 1918.

図1 ノマルスキー像

図2 AFM像、RHEEDパターン(Tg=450oC)

図3 XRD 2θ/ωスキャン

図4 XRDマッピング測定 (上) <110>,(下) <1-10>入射

図5 c-InN/GaAs界面の暗視野像

図6△ωおよび立方晶相純度の窒素流量依存性(Tg=450oC)

図7 XRD 2θ/ωスキャン

図8 低温PL測定

図9 (左)△ω、(右)立方晶相純度の成長条件・基板依存性

表1 六方晶混在率の基板・面方位依存性

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、III族窒化物半導体であるInNおよびInGaNの立方晶薄膜に関して、分子線結晶成長(MBE)法による結晶成長上の特性、および薄膜の構造的・電気的・光学的性質を、詳細な実験と考察により明らかにしたことを述べたもので、全8章から構成されている。

第1章は序論であり、本研究の背景と目的および本論文の構成が述べられている。III族窒化物半導体は通常六方晶を安定相とし、従来の半導体デバイスへの応用は六方晶相に基づいている。しかしながら、準安定相として立方晶も可能であり、GaNなどで立方晶相の研究が進展している一方で、立方晶InNについては、相純度にすぐれた高品質の結晶成長の成功例がなく、その物性も不明な点が多かった。このような背景に立って、MBE法により、立方晶InNおよびInGaN薄膜の作製を試み、その構造的・電気的・光学的性質を結晶成長条件との関連において明らかにすることを本研究の目的としている。

第2章は「実験装置及び評価方法」と題し、本研究で用いたMBE法および試料の評価方法について述べている。本研究で用いたMBE装置には、窒素源としてRFプラズマセルが具備されており、これにより結晶成長に有効な原子状窒素を供給できることが特徴である。薄膜結晶の評価方法として、中心的な構造評価手法であるX線回折(XRD)法について述べたほか、原子間力顕微鏡(AFM)、また光学的評価手法であるフォトルミネッセンス(PL)法を説明している。

第3章は「GaAs基板上立方晶InN成長」と題し、GaAs(001)基板上のInN薄膜の成長とその評価結果および考察が述べられている。成長温度400℃から550℃の間で、立方晶InN薄膜が得られた。成長表面においてInおよびNの化学量論比が成立する条件よりわずかにIn過剰な条件下で、表面平坦性、結晶性、立方晶相純度が最適となり、これらの振る舞いをInの表面拡散の差異で説明している。また六方晶相はGaAsとの界面の(111)マイクロファセットから積層欠陥に伴って発生することを電子顕微鏡観察より明らかにした。さらに、立方晶相純度の向上とともに、電子濃度の減少および電子移動度増加がみられることから、六方晶混入による構造欠陥が、電気伝導特性を低下させることを明らかにしている。

第4章は「GaAs基板上高In濃度立方晶InGaN成長」と題し、GaAs(001)基板上のInGaN薄膜の成長とその評価結果および考察が述べられている。成長温度490℃において、Ga組成比29.5%の立方晶InGaN薄膜を得ることに成功した。さらに高温または高Ga濃度では、六方晶相の混入や相分離傾向が顕著となることなどを明らかにした。またPL特性より、同一組成のInGaNにおいて、立方晶相のバンドギャップは六方晶相に比べて0.3eV小さいことを明らかにした。

第5章は「YSZ基板上立方晶InN成長」と題し、イットリア安定化ジルコニア(YSZ)基板上のInN薄膜の成長とその評価結果および考察が述べられている。YSZ基板は、GaAsよりも熱的安定性にすぐれ、立方晶InNに対する格子不整合度が小さいという利点がある。購入状態のYSZ基板上の、温度490℃の成長において、立方晶InNの結晶配向性が顕著に改善する一方で、相純度の改善は明らかでないことを述べている。

第6章は「超平坦化YSZ基板上立方晶InN成長」と題し、大気中高温熱処理によって原子レベルで超平坦化させたYSZ基板上のInN薄膜の成長とその評価結果および考察が述べられている。超平坦化表面にはステップ‐テラス構造が生じ、立方晶InN薄膜の相純度が顕著に改善し、93%の相純度を実現したことを述べている。

第7章は「超平坦化微傾斜YSZ基板上立方晶InN成長」と題し、基板面がが(001)方位に対し微傾斜を有するYSZ基板上のInN薄膜の成長とその評価結果および考察が述べられている。微傾斜表面において、熱処理した場合のステップ密度が増大することにより、六方晶混入方位の制御が可能であり、同時に相純度が改善されることを明らかにしている。

第8章は本論文の総括的な結論を述べたもので、本研究により学術上意義のある新規な知見が得られたことを述べている。

なお、本論文の第3章は、尾鍋研太郎、片山竜二、山本剛久、飯田汗人、第4章は、尾鍋研太郎、片山竜二、矢口裕之、遠藤雄太、第5章と第6章は、尾鍋研太郎、片山竜二、山本剛久、徳本有紀、第7章は、尾鍋研太郎、片山竜二、山本剛久、片岡敬弘との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったもので、本人の寄与が十分であると判断される。

以上、本論文は、物質科学へ大きく寄与するものであり、よって、博士(科学)の学位を授与できると認められる。

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