No | 123876 | |
著者(漢字) | 紅谷,篤史 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ベニヤ,アツシ | |
標題(和) | Rh(111)表面における水分子の吸着、脱離、そして薄膜成長 | |
標題(洋) | Adsorption, desorption and thin film growth of water molecules on the Rh(111) surface | |
報告番号 | 123876 | |
報告番号 | 甲23876 | |
学位授与日 | 2008.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(科学) | |
学位記番号 | 博創域第342号 | |
研究科 | 新領域創成科学研究科 | |
専攻 | 物質系専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 1. はじめに 水は、我々人間の生活や地球上の生命存続にとって欠かせない物質である。最近では宇宙空間における化学進化においてもその重要性が明らかになってきており、21世紀に入った現在においてもその研究トピックスは尽きない。特に水と物質表面との相互作用は、不均一触媒、電気化学、太陽エネルギー変換、腐食化学など工業的観点からも重要であり、微視的プロセスの解明が必要である。そこで、本研究では遷移金属表面と水分子の相互作用に注目した。遷移金属表面への水分子の吸着は現在までに数多く報告されてきた。fccの(111)面やhcpの(0001)面は六方晶氷(Ih)のbasal面との格子整合が良いため、様々な分析手法により研究されてきた。しかし、水素結合を含む、幾つかの相互作用が複雑にからみあうため、吸着構造についてさえ詳細な解明には至っていない。そこで、本研究ではRh(111)表面での水分子の吸着・脱離といった動的な過程、表面での吸着構造、そして薄膜成長過程を明らかにすることを目的として実験を行った。Rh(111)表面は六方晶氷のbasal面との格子整合が良く吸着エネルギーも比較的強いため、水分子の吸着に関して興味深い系である。 2. 実験 実験は全て超高真空中(~5x10-9 Pa)で行った。清浄表面はNeイオンスパッタ、1000 Kでのアニール、酸素処理により清浄化を行った。試料は液体Heにより20 Kまで冷却可能である。気相の水分子は、パルスバルブを用いることで再現性よく装置内に導入した。金属表面に吸着した水分子は電子線などに非常に敏感であるため、本研究では赤外反射吸収法(IRAS)、昇温脱離法(TPD)による非破壊な手法を用いた。さらに、低速電子回折(LEED)では電子線照射量を極力抑えることに注意し実験を行った。IRASは、フーリエ変換型赤外分光器に、検出器としてMCT (HgCdTe, 700-7500 cm-1)とBドープSi (Si:B, 370-4000 cm-1)を用い行った。LEEDはスポット分析型LEEDを用い、電子照射量の少ない条件(~0.01 electrons per Rh atom)で行った。TPDは四重極質量分析器を用い脱離種を観測した。 3. 結果と考察 3-1: Rh(111)表面での水分子の過渡的拡散とクラスター形成1 気体分子が表面に吸着する際、吸着エネルギーは電子-正孔対、フォノンの励起を経て熱浴の基板へと散逸される。この過程において、吸着エネルギーの一部分は分子の運動エネルギーに変換され、入射分子が表面で非熱的な運動をする。この様な吸着過程における入射分子の表面拡散を過渡的拡散と呼ぶ。本研究では、水分子がRh(111)表面に吸着する際の過渡的拡散によるクラスター形成を、IRASを用い調べ過渡的拡散距離を求めた。基板は20 Kに冷却してあり分子の熱的な表面拡散は抑えられている。故にこの温度における水分子のクラスター形成確率は、被覆率と過渡的な拡散距離により決まると考えられる。そこで、IRAS(図1)により吸着状態を、TPDにより被覆率を測定した。 図1はIRASスペクトルのHOHはさみ振動領域における被覆率依存性である。初め1569cm-1に鋭いピークが観測された。このピークはモノマーのはさみ振動であると帰属される。 図2(a)にピーク強度の被覆率依存性を示す。モノマーのピーク強度の被覆率依存性は過渡的拡散によるクラスター形成によるものと考えられる。そこで、以下のようなシミュレーションを行い過渡的拡散距離を見積もった。入射分子は表面に衝突後、Nステップの等方的な拡散を行う。ここで、吸着サイトはオントップのみを考え1ステップは隣接サイトへのホッピングとした。Nステップの拡散中に前吸着した水分子の隣接サイトに到達するとクラスターを形成し、拡散をやめる。この単純なモデルによりモノマーの個数の被覆率依存性を求めた。そのシミュレーション結果を図2(b)に示す。実験結果に最も良くあうシミュレーション結果は8ステップであると求められた。Rh(111)面の格子定数が2.69Åであるので、過渡的な総拡散距離は21.5Å、衝突点から吸着点までの直線距離で7.6Åであると求めることができた。 3-2: Rh(111)表面での水分子の吸着・脱離キネティクス2 図3はRh(111)表面に作製した水分子層のTPDスペクトルである。被覆率が増加するにしたがって、一層目水分子の脱離に相当する180 Kのピークは飽和し、その後多層膜に由来するピークが160 Kに現れた。単層以下の時、TPDスペクトルの形状は分数次の脱離を示唆している。しかし、吸着確率の定量的解析や水の同位体を用いた昇温脱離実験から、被覆率に依存し次数が変化する脱離過程であると考えられ、中間的な被覆率領域では一次であると帰属した。 次にTPDスペクトルより脱離の活性化エネルギーと前指数因子を求めた。本研究ではThreshold- TPD(TTPD)と言う解析法を用いた。この方法は反応次数や前指数因子の仮定なしで活性化エネルギーを見積もることができる。また、前指数因子を求める際には反応次数を一次とし見積もった。図4(a)、(b)はそれぞれ活性化エネルギー、前指数因子の被覆率依存性である。活性化エネルギーについてみると、被覆率が約0.6以下のところでは60 kJ/molであるが、それ以上になると減少し、飽和被覆率時では約51 kJ/molであった。多層吸着膜からの脱離の活性化エネルギーは約55 kJ/molと見積もられた。つまり、被覆率が0.6以下のところでは二次元島を形成した方がややエネルギー的に安定であることが分かった。 3-3: Rh(111)表面での水単分子層の構造と氷薄膜の成長過程2 図5はIRASの被覆率依存性である。水分子層は145 Kで作製した。低被覆率の時、2694 cm-1に鋭いピークが観測され、このピークは二次元島の縁に位置する孤立水酸基であると帰属された。また、低波数側の2195 cm-1にブロードなピークが観測された。このピークは氷内部の水分子の伸縮振動数から大きくレッドシフトしており、氷内部に比べ伸びたOD結合を持った水分子の存在が考えられる。本研究ではこのピークを基板側にOD結合を向けた下向き水分子と帰属した。よって、低被覆率時、Rh(111)表面では下向きの水分子が存在していることが実験的に分かった。次に高被覆率のIRASスペクトルについて検討する。被覆率が増加していくにしたがい2694 cm-1のピーク強度が減少し、高波数側の2723 cm-1に新たなピークが現れた。この新たなピークの振動数はバルク氷表面に存在する孤立水酸基の伸縮振動数(2724 cm-1)とほぼ同じである。これより、被覆率が増加するにしたがい氷表面と似た上向きの水分子が現れる事が分かった。つまり、高被覆率時、上向きと下向きの水分子が混在している。 次に上向きと下向きの水分子の割合を定量的に調べるために、飽和被覆率における割合を以下のような「滴定法」で調べた。145 Kで作製した飽和被覆率の水(D2O)単分子層に同位体であるH2Oを20 Kで吸着させた。H2Oは飽和D2O層の孤立水酸基に選択的に吸着すると考えられる。よって、吸着させたH2Oの被覆率[θ(H2O)]に対して孤立水酸基(2723 cm(-1))のピーク強度の減少を解析すれば孤立水酸基を持つ上向き水分子の数、θ(free OD)、を見積もることができる。 図6は飽和D2O単分子層の上に吸着したH2OのIRASスペクトルである。H2Oの被覆率が増加するにしたがい2723 cm-1のピーク強度は減少した。左図はOH伸縮振動領域である。3719、3698 cm-1のピークはそれぞれ二配位、三配位した孤立水酸基の伸縮振動に帰属される。H2Oの吸着初期、二配位したH2Oがほとんどであると考えられる。そこで次のようなH2O吸着モデルを考えた。図7に六員環モデルを示す。このモデルではH2Oは全て二配位である。ここで、六員環に含まれるH2Oは三つであり、二つの孤立水酸基に吸着し、安定化している。このモデルにより、2723 cm-1ピーク強度のH2O被覆率依存性を解析しθ(free OD)を0.22と見積もった。よって、上向き水分子を持つ二次元島の量は0.22 x 2 = 0.44、下向き水分子を持つ二次元島の量は1 - 0.44 = 0.56となり、下向き水分子が上向き水分子より1.3倍多いと見積もることが出来た。 さらに、この水単分子層上での氷多層膜の成長過程についても調べ、多層膜はS-K成長であり、二層目は下向き水分子層上で成長を始めることが分かった。 4. まとめ 本研究ではIRAS,TPD,SPA-LEEDという表面解析手法を用い、Rh(111)表面での水分子の吸着、脱離、そして薄膜成長という一連の過程を詳細に調べた。吸着の際の非熱的な運動である過渡的拡散により、入射分子は平均で7.6Å変位することが分かった。また、吸着の逆過程である脱離過程を詳細に調べ、活性化エネルギーと前指数因子を定量的に求めた。更に、水単分子層の構造について詳細に調べ、Rh(111)表面では水分子は分子状で吸着し、上向きと下向きの水分子が混在していることを明らかにした。また、飽和被覆率時、下向き水分子が上向き水分子より1.3倍多いと見積もることが出来た。 図1 H2Oはさみ振動IRASの被覆率依存性、Ts=20 K 図2 (a)ピーク強度の被覆率依存性、(b)モノマーピーク強度の被覆率依存性とシミュレーション結果。 図3 D2O/Rh(111)のTPDスペクトル。昇温速度は1.3 Ks-1。 図4 (a)脱離の活性化エネルギー、(b)前指数因子の被覆率依存性。前指数因子は一次の脱離を仮定し求めた。 図5 OD伸縮振動領域のIRASスペクトルの被覆率依存性。 図6 飽和水分子(D2O)層に20 Kで吸着したH2Oの被覆率依存性。左図がOH伸縮振動領域、右図がOD伸縮振動領域。 図7 飽和水分子(D2O)層に吸着したH2Oのモデル。小さい白丸、黒丸はそれぞれ水素、重水素原子を表す。太線は水素結合を表す。 | |
審査要旨 | 本論文は英文で8章からなり,第1章は研究の背景と本研究の目的を簡潔に述べた序論,第2章は水分子と氷の基礎物性と表面キネティクスのレビュー,第3章は実験法,第4章は測定法の原理,第5章はRh(111)表面における水分子の過渡拡散とクラスター形成過程,第6章はRh(111)表面における水分子の吸着と脱離のキネティクス,第7章はRh(111)表面における水分子単層と氷薄膜の成長過程,そして第8章は結語である.以下,章ごとの内容をやや詳しく述べる. 第1章は,金属単結晶表面と水分子の相互作用について現在問題となっている論点を整理し,Rh(111)表面における水分子の吸着・脱離・氷薄膜成長過程を調べた本研究の位置づけを示した. 第2章は,水分子の性質,水素結合,Ih氷についての基礎知識を簡潔にまとめた.また,吸着・脱離および表面拡散のキネティクスについてまとめた. 第3章は,本研究で用いた実験装置について詳述した.実験を行った超高真空チェンバー,極低温冷却サンプルホルダー,Rh(111)単結晶表面の調製,赤外反射吸収分光(IRAS)装置,スポットプロファイル分析型低速電子回折装置(SPA-LEED),昇温脱離分析(TPD)について,具体的に記述されている. 第4章は,IRAS,SPA-LEED,TPDを解析する際に必要となる基礎的な原理について述べられている. 第5章では,水分子がRh(111)表面に吸着する際の過渡的拡散によるクラスター形成をIRASを用い調べ,過渡的拡散距離を求めた.20Kの基板では分子の熱的な表面拡散は抑えられている.よって,この温度における水分子のクラスター形成確率は,表面における被覆率と分子の過渡的拡散距離により決まると考えられる.そこでIRASにより吸着状態を,TPDにより被覆率を測定した.IRASにおけるモノマーのピーク強度は線形に増加しないで,低被覆率からだんだん飽和することがわかった.この被覆率依存性は過渡的拡散によるクラスター形成によるものである.簡単な拡散モデルに基づくシミュレーションと比較することにより,過渡的な総拡散距離は21.5Å、衝突点から吸着点までの直線距離で7.6Åであることがわかった. 第6章では,Rh(111)における水分子の吸着と脱離のキネティクスを主にTPDを用いて詳細に研究した.一連のTPDスペクトルでは,被覆率が増加するにしたがって一層目の水分子脱離に相当する180 Kのピークが飽和し,その後多層膜に由来するピークが160 Kに観測された.次にTPDスペクトルから,被覆率に依存した脱離の活性化エネルギーをThreshold-TPD法により求めた.前指数因子は反応次数を一次として見積もった.その結果,被覆率が約0.6以下のところでは60 kJ/molであるが,それ以上になると減少し飽和被覆率時では約51 kJ/molであり,多層吸着層からの脱離の活性化エネルギーは約55 kJ/molであることがわかった.つまり,被覆率が0.6以下のところでは,金属表面に濡れて二次元島を形成した方がややエネルギー的に安定であることが解明された. 第7章では,水分子単層の構造について主にIRASとSPA-LEEDの結果に基づき詳細に議論している.145KのRh(111)表面で水分子層は水素結合による2次元ネットワークを形成するが, 2種のドメインが存在することが解明された.一つは °の超構造をとり水分子のOH結合を基板側に向けた相(H-downドメイン),もう一つは水分子のOH結合を真空側に向けた相(H-upドメイン)であり,それらの比は約1.2:1であることがわかった.さらに,2層目以上では3次元的な氷微結晶(3D氷)が成長するが,この微結晶はH-downドメイン上で形成することが解明された. 第8章は,結語であり,本博士論文で解明されたことを簡潔にまとめている. なお、本論文の第5章は向井孝三,山下良之,吉信淳,第6章と第7章は山本達,向井孝三,山下良之,吉信淳との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する. したがって,博士(科学)の学位を授与できると認める. | |
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