学位論文要旨



No 123877
著者(漢字) 細井,慎
著者(英字)
著者(カナ) ホソイ,シズカ
標題(和) III族元素が作る化学結合の電子密度分布測定による評価
標題(洋)
報告番号 123877
報告番号 甲23877
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第343号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木村,薫
 東京大学 教授 尾鍋,研太郎
 東京大学 教授 瀧川,仁
 東京大学 教授 高田,昌樹
 東京大学 准教授 三尾,典克
内容要旨 要旨を表示する

ボロン(B)・アルミニウム(Al)等が属するIII(13,3B)族元素は周期律表で金属元素と非金属元素の中間の位置にある。これらの元素を主として構成される物質では、物性や化学結合も金属・非金属の中間的な性質を示す事例がしばしば確認される。今日では、電気伝導性は第一原理計算などを利用したバンド構造から理解されることが多いが、特にクラスター構造を有する固体などの複雑構造固体ではバンド構造の決定要因を知ることは容易ではなく、局所的な化学結合の状態を知ることがバンド構造や物性を理解するためには有益な情報となろう。化学結合の状態を実験的に観察する手法としては、電子密度分布をX線回折(X-Ray Diffraction: XRD)パターンから求める、という方法が挙げられる。従来XRDは結晶の構造解析手法として用いられてきたが、近年高輝度の軌道放射光を物性研究に利用できるようになり、ボロンのような軽元素が主要な構成元素である物質に対しても精密な電子密度分布を得られるようになった。特にSakata, Takataらによって開発されたMEM/Rietveld法は、単結晶の作製が難しい試料であっても、粉末XRDの実験的データから結合電子を含む詳細な3次元電子密度分布を明瞭に示すことが出来るため、大きなインパクトを与えた。Al正20面体クラスター固体の場合では、MEM/Rietveld法によって得られた電子密度分布の形状が電気伝導性とうまく対応しており、金属的なAl12ReではAl周辺の電子密度分布が等方的になるのに対し、半導体的なα-AlReSiの場合にはAl間に共有電子が観察された。我々のグループでは、このように結晶構造に同一性が認められながら、結合性が金属結合と共有結合の間で転換する現象を、金属結合-共有結合転換(Metallic-Covalent Bonding Conversion: MCBC)と呼び、そのメカニズムを追求してきた。本研究では、以下に示すようなIII族元素が特徴的な化学結合を形成すると考えられる系について、実験的に電子密度分布を求めることを目的としている。電子密度分布は粉末XRDパターンに対するMEM/Rietveld解析によって得た。

電子密度測定をしたサンプルは、α-B12系がα-B12, B4C, B12P2の3種、β-B105系がドープしていないβ-B105のほか、V, Li, Mg, Cr, Feをドープした6種である。Vドープβ-B105に関しては、バンド構造やVの結合状態に関する相補的な情報を得るため、X線吸収端構造(XANES)測定を行った。また、α-Ga, Al3Vの2物質については電子密度と状態密度を、FLAPW法を用いた密度汎関数法パッケージWien2kによって計算し実験との比較を試みた。

(1) 擬ギャップの形成起源としての金属結合と共有結合の共存

III族元素を主要な構成要素とする固体には、状態密度のギャップが完全に開かない擬ギャップ状態を持つものが多くあり、バンド構造にも金属と半導体の中間性が表れているといえる。擬ギャップ構造を持つ固体は熱電変換材料として有望視されており、その起源のひとつのモデルとして共有結合と金属結合の共存が考えられる。このことを確認するため、金属元素のみからなるにもかかわらず、深い擬ギャップ構造を持つことが計算から予測されているα-Ga, Al3Vの2物質について、電子密度分布測定を行った。特にα-Gaについては、第一原理計算によって最近接原子間に共有結合が存在し、"分子金属"になっている可能性が示唆されている。いずれの系も電子密度分布を実験的に示した例は無いため、MEM/Rietveld法を用いた詳細な電子密度分布の描画を試みた。図1,2にα-GaとAl3Vの結晶構造と電子密度分布を示す。両物質とも金属原子のみからなっているにもかかわらず、α-Gaでは100面の最近接Ga-Ga間、Al3Vでは001面のAl-V間に共有電子が確認された。とくにAl3Vの場合は単体のAl、Vと比較すると、典型的な金属結合をしている場合との違いが明らかである。α-GaのGa-Ga間の共有電子は実験では0.28e/A3であり、0.40e/A3である計算の方が大きいが、これは有限温度下の測定では原子振動によって電子密度分布が平均化され、低融点のGaでは特にこの影響が大きかったことに由来すると思われる。定性的な形状に関しては非常によく一致している。Al3Vに関しては面内の共有結合の形状は計算結果と定量的にもよく一致し、弱いながらも共有結合の存在が明らかになった。このように、擬ギャップを作るIII族元素の系においては、金属結合と共有結合が共存しており、擬ギャップ形成の主たる起源であると考えられる結果を得た。

(2) ボロン系固体における共有結合の特殊性と金属結合-共有結合転換

α菱面体晶ボロン(α-B12)には3中心の共有結合などの特殊な形状を持つ共有結合の存在が計算・実験の両面から指摘されてきたが、B4Cなどの派生結晶や単位胞の大きいβ-菱面体晶ボロン(β-B105)の結合の形状は未知であった。電子密度解析の結果、図5に示したとおり、クラスター内にはいずれも3中心結合が表れており、クラスター内の3中心結合はボロン系正20面体クラスター固体の普遍的な性質であることが明らかになった。また、α-B12において既往の研究によって明らかになっている屈曲結合に関しては、菱面体の格子軸と正20面体クラスターの擬5回軸との方向が異なることによるものと予想される。実際に図6を見ると、角度の大小関係の逆転に対応した屈曲方向の逆転が見られ、前述の予想を支持する結果となった。

ボロンの常温常圧相であるβ-B105は図3(b)に示したとおり、正20面体クラスターを局所的に有する非常に複雑な構造で、多数のドーピングサイトを有している。この固体にバナジウム(V)をドープした場合、1at.%程度のドーピングで電気伝導率が飛躍的に上昇し、温度依存性もフラットになっていくのに対し、リチウム(Li)やマグネシウム(Mg)をドープした場合、ドープ量は7~8at.%に達するにもかかわらず、電気伝導性の上昇はそれほど大きくならず、温度依存性も半導体的なままである(図4)。Vのドープにより周辺の結合性が金属結合的なものにシフトし、MCBCを起こした可能性があるが、化学結合性については直接調べられていない。また、Li, Mgドープに関してはそのドープ位置に関しても統一的見解が得られていない。そこで、Vをドープした場合とLi, Mgをドープした場合ではドープ位置や電子密度分布にどのような差が出てくるのかをMEM/Rietveld解析を用いて考察した。

Vはドープした原子のほとんどがA1サイトを占有するのに対し、Li、Mgは占有する原子の数が多く様々なサイトを占有することがわかった。Mgに関しては、近年大量ドープのサンプルにおいて新たなサイトHの存在が示唆されているが、本研究においてもRietveld解析の結果はHサイトの占有を示唆するものであった。

そもそも純β-B105のバンド構造には未知の部分が多くあるが、光誘起吸収の実験等から価電子帯と伝導帯の間に電子8個程度を収容する内因性アクセプター準位(Intrinsic Acceptor Level: IAL)が存在すると考えられている。我々は図4のような電気伝導の変化は、Li、Mgドープにおいてはイオン結合的に価電子がIALに供給されるのに対し、Vドープの場合はA1サイト周辺でMCBCを起こすことによってバンド構造自体が変化し、金属的なものになるという違いに由来すると考えた。実際に電子密度分布を見るとVのA1サイトへのドープの場合、周辺のボロン原子と共有結合を形成しているような非等方的な電子密度分布を観察することができる(図7)。それに対し、MgをEサイトへドープした場合、Eサイトの占有率はVドープの場合のA1サイトの占有率より高いにもかかわらず電子密度分布は等方的である(図8)。この電子密度分布の形状は、イオン結合的な前述のモデルと矛盾していない。 次に、図9のように特定サイト周辺のボロンの原子間距離とボロン原子間の電子密度の極値を散布図でプロットすると、Vドープの場合にA1サイト周辺の共有結合性が大きく下がっている様子が明らかになった。共有結合性の強さの序列と電気伝導率の序列は一致しており、A1サイト周辺の共有結合性と伝導性には強い相関があることが分かった。Eサイト周辺ではLi、Mgドープの場合に共有結合性が上昇しており、これもVドープの場合と明瞭な差があることがわかった。図10のようにドーピングのバンド構造に与える影響の違いが現れているものと考えられる。

XANES測定では、VK吸収端付近におけるピーク位置の移動から、ドープされたVは+3価にイオン化している可能性が高いことがわかった。プリエッジ部分の形状はA1サイトをVが2個占有したモデルで計算した第一原理計算の結果と非常によく一致し、状態密度の変化からVと周辺のBの間に共有結合を示唆された。これは電子密度分布の形状から推察された結果と一致している。A1サイト周辺の原子について部分状態密度を見ると、伝導帯の遍歴化とエネルギーの相対的低下が見られ、これがMCBCに対応するものと考えられた。第一原理計算の結果は図10のようなバンド構造の変化を示しており、Mgドープと遷移金属ドープの場合では明らかに状態密度の変化が異なっており、当初の予想と一致していた。このように、VドープB105において実験と計算の両面からMCBCを示唆する結果が得られた。

図1:α-Gaの(a)結晶構造と(b)(c)電子密度分布(0.28e/A3)。(b)はMEM/Rietveld法による実験的な電子密度分布であり、(c)はWien2kによる第一原理計算の結果。定性的には非常に近い。

図2:Al3Vの(a)結晶構造と(b)(c)電子密度分布(0.25e/A3)。(b)はMEM/Rietveld法による実験的な電子密度分布であり、(c)はWien2kによる第一原理計算の結果。同一面内のAl1-V,Al2-Al2間に共有結合的な電子密度が存在し、定量的にも実験と計算がよく一致した。

図3: (a)α-B12 (b)β-B105の結晶構造。大きい球は正20面体クラスターB12を表す。α-B12にはp,eの2サイトが存在し、β-B105のB5,B6に対応する。

図4:金属ドープによる電気伝導率の上昇。Vドープの場合に飛躍的に上昇が大きい。

図5:p-e-e面方向から見たB(12)クラスターの等電子密度面。(0.62e/A3)クラスター内に3中心結合が観測できる。(a)α-B(12), (b)B4C, (c)B12P(1.8), (d)β-B(105)。

図6::B12クラスター間の結合周辺における等電子密度面(0.69e/A3)と六方晶110面上の等密度線。実線は菱面体格子軸、点線は擬5回軸であり、これらの相対的な位置関係が結合の屈曲方向を規定していることがわかる。(a)α-B(12), (b)B4C, (c)B(12)P(1.8), (d)β-B(105)。

図7:Vドープの場合、A1サイト周辺の(a)結晶構造と等電子密度面(b)(0.80e/A3) (c)(0.55e/A3)。Vから周辺のB原子に向かって共有結合的な分布の指向性が見える。

図8:Mgドープの場合、Eサイト周辺の(a)結晶構造と等電子密度面(b)(0.80e/A3) (c)(0.55e/A3)。Mg周辺に共有結合的な分布はなく、球状の等方的な分布である。

図9:ボロン原子間距離に対するボロン間の電子密度極大値の変化。(a)A1サイト周辺ではVドープによって共有結合性が低下するが、(b)EサイトではMgドープによって共有結合性が上昇する。

図10::第一原理計算から求めた、B105に各金属原子をドープした場合の状態密度変化の模式図。バンド間に存在するIALが遷移金属ドープで生じた共有結合によって価電子帯に吸収されるが、Mgドープの場合はリジッドバンド的にIALを埋める。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、金属結合と共有結合が共存・競合するIII族元素を主体とする固体中の電子密度分布を、軌道放射光を用いた粉末X線回折測定とRietveld法と最大エントロピー法を組み合わせた解析法(MEM/Rietveld法)により求め、特異な化学結合の特徴を明らかにしたものである。特異な化学結合に起因した複雑な構造の結晶への適用方法を確立し、化学結合制御による材料設計の可能性を検討している。論文は6章からなる。

第1章は序論であり、背景となる従来の研究について概観し、本研究の目的、本論文の構成について述べている。III族元素は、周期表で金属結合を作る元素と共有結合を作る元素の境界に位置し、固体中のサイト環境により金属結合から共有結合までの幅広い性格の結合を実現する。特に正20面体クラスターは、中心原子の有無等の僅かな違いにより、III族元素にとって金属結合にも、共有結合にも適した構造になり得る。金属結合と共有結合の共存は、フェルミ・エネルギー(EF)付近に擬ギャップを形成し、熱電変換材料として期待できる。ボロン(B)の正20面体クラスター固体で、アルミニウム(Al)の固体と同様に金属結合-共有結合転換が起こるかどうかは興味深く、熱電変換性能向上との関連も考えられる。また、正20面体対称性は周期性と共存できないため、クラスター固体と呼ばれる複雑な構造にならざるを得ない。そこで、本研究は、複雑な構造の結晶におけるMEM/Rietveld法による化学結合の評価法を確立し、III族元素が作る特異な化学結合を観察し、金属結合-共有結合転換を用いた化学結合制御による材料設計の可能性を検討することを目的としている。

第2章は実験・解析方法であり、本研究で用いた、軌道放射光を用いた粉末X線回折実験、Rietveld解析、最大エントロピー法について述べている。また、相補的な情報を得るために使用した、X線近吸収端構造(XANES)測定と、密度汎関数法を用いた全ポテンシャル線形補強平面波(FLAPW)法による第一原理バンド計算についても述べている。

第3章では、Al3V結晶とα-Ga結晶の電子密度分布を測定し、第一原理計算の結果と合わせることにより、金属結合と共有結合の共存と擬ギャップ形成の相関を明らかにしている。Al3V結晶ではc軸に垂直な層内のAl原子とV原子間を電子密度の高い部分が繋ぎ共有結合と考えられ、状態密度にはEF付近に擬ギャップが存在する。α-Ga結晶ではただ1個の最近接原子間を電子密度の高い部分が繋ぎ、EF付近に擬ギャップも存在し、2原子分子の金属と考えられる描像を確かめた。

第4章では、Bの正20面体クラスター固体であるα-およびβ-菱面体晶ボロンの電子密度分布を測定し、その特異な共有結合を明らかにしている。クラスター内3中心結合は、両結晶および前者の派生結晶において共通して観測された。クラスター間2中心結合の屈曲方向は、クラスターの擬5回軸(クラスターが結合の手を出す方向)と菱面体の格子軸(隣のクラスターに向かう方向)のずれ方によって決まり、派生結晶における原子鎖の挿入等により反転する。これは正20面体クラスターが単に結晶構造を理解するための単位ではなく、固体への凝集において重要な役割を持っていることを意味している。

第5章では、β-菱面体晶ボロンに様々な金属をドープした場合の、電子密度分布と状態密度の変化を調べ、Li、Mgではリジッドバンド的に電子がドープされ、Vでは金属結合-共有結合転換が起きることを明らかにしている。Vは正20面体の中心と同じ最近接にB原子12個を持つサイトのみにドープされ、その周囲のB原子間の電子密度が減少する。これは共有結合が弱くなったことを意味し、また、VとBの軌道混成により周囲のBの部分状態密度のエネルギー・ギャップが小さくなり、金属結合-共有結合転換が起きたと考えられる。そして、熱電性能向上の実験結果を定性的に説明することに成功した。

第6章は、総括である。

付録Aには、複雑な結晶構造を持つ正20面体クラスター固体にMEM/Rietveld法を適用した結果の様々な解析条件依存性を検討した結果がまとめられている。本論文の議論は、結果の解析条件に依存しない部分について行われている。

なお、本論文第3、4、5章は、兵藤宏、根津暁充、金泓基、永田智啓、桐原和大、曽我公平、木村薫、加藤健一、高田昌樹、等との共同研究であるが、論文提出者が主体となって測定および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上本論文は、III族元素を主体とする固体の特異な化学結合の特徴を明らかにし、化学結合の制御による材料設計の可能性を切り開いた点で、物質科学の発展に寄与するところが大きく、よって博士(科学)の学位を授与できると認める。

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