学位論文要旨



No 123892
著者(漢字) 秋山,智彦
著者(英字)
著者(カナ) アキヤマ,トモヒコ
標題(和) 哺乳類生殖細胞と初期胚におけるヒストンH3変異体の動態解析
標題(洋) Genome-wide replacement of histone H3 variants during mammalian oogenesis and preimplantation development
報告番号 123892
報告番号 甲23892
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第358号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 青木,不学
 東京大学 教授 馳澤,盛一郎
 東京大学 教授 永田,昌男
 東京大学 准教授 内藤,邦彦
 東京大学 講師 尾田,正二
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

我々の体を構成する200種類ともいわれる細胞は、受精卵というたった1つの細胞から発生・分化する。受精卵は分化における全能性を持っており、それは卵割の開始後も発生の初期段階では維持されるが、胚盤胞期になると栄養外胚葉と内部細胞塊という2つの細胞系列に分かれる。

この過程に遺伝子発現のダイナミックな変化が関与していると考えられている。すなわち、最終分化した細胞である卵が受精してそれまでの遺伝子発現プログラムをいったん初期化することで全能性を獲得し、さらに初期発生の過程で新たな遺伝子発現プログラムを進行させることにより未分化な状態から分化していくと考えられる(図1)。ところが、これらの制御機構に関して現在のところまったく明らかになっていない。しかしながら、それが遺伝子発現調節機構の変化によるものであることから、エピジェネティクスが関与していることは疑いのないところである。

一般に分化した細胞がその性質を次世代の娘細胞に伝えるためにはエピジェネティックな情報を記憶しておく必要がある。遺伝子発現制御にはDNAとヌクレオソームを構成するヒストン蛋白質の翻訳後修飾が関わっていることがよく知られているが、さらにヒストン自体がその役割を果たしていることが近年明らかにされた。すなわち、哺乳類のヒストンH3には3つの変異体があり、その中のH3.3はゲノムワイドに活性化した遺伝子の調節領域に局在し、その局在は分裂期においても維持され、次世代に受け継がれることが報告されている。すなわち、H3.3は分化状態を維持するための「cell memory」として機能していると考えられている。さらに、DNA複製時にクロマチンに組み込まれるH3.1とH3.2に関しても翻訳後修飾が異なることから機能的に異なるゲノム領域に分布している可能性が示されている。

したがって、受精前後における分化した卵から全能性を持つ胚への初期化機構、そしてその後、初期発生過程で未分化な状態から分化した状態に変化させる分化調節機構において、ゲノム上でのヒストンH3変異体のダイナミックな置換が関わっている可能性がある。

そこで本研究では、マウスの卵形成および受精後の初期胚発生におけるヒストンH3変異体の動態解析を行うことで、分化全能性の獲得、未分化性の維持、および未分化から分化への進行を制御する分子メカニズムの解明を試みた。

【結果と考察】

1. 受精前後の初期化機構におけるH3.3

マウスの卵巣より成長卵を回収し、Flag-H3.3 mRNAを細胞質にマイクロインジェクションしてから抗Flag抗体で免疫染色したところ、翻訳されたFlag-H3.3が核内に移行していることを確認した。そこで、この卵を培養し第2減数分裂中期に達した後にin vitroで受精させた。その結果、未受精卵の染色体上に局在していたFlag-H3.3は受精直後に形成された雌性前核からグローバルに消去されていることが明らかとなった。

しかしながら、この実験系においてDNAに組み込まれたFlag-H3.3が卵特異的に発現する遺伝子の調節領域に正確に局在しているのかどうか、という疑問が残った。なぜなら、成長卵にインジェクションしたFlag-H3.3が核に局在していたとはいえ、上述したようにこの時期にはすでに転写が停止しており、核に組み込まれたFlag-H3.3の配置が遺伝子発現していたときの調節領域を反映しているのかがわからないからである。そこでin vivoの卵成長過程で形成されるゲノム上のH3.3の置換を確認するために、転写が活発に行われている卵成長期にFlag-H3.3を発現するトランスジェニックマウスの作製を試みた。トランスジーンとしては、卵成長期に特異的に発現するZp3プロモーターの下流にFlag-H3.3 をつなげたものを用いた。このトランスジェニックマウスから卵を採取し解析した結果、卵成長期に発現して核に組み込まれたFlag-H3.3は成長卵にも維持されていることがわかった。さらに、mRNAマイクロインジェクションの結果と同様に、受精前までにクロマチンを構成していたH3.3は受精後に雌性前核から抜けていくことが明らかとなった(図2)。以上の結果から、遺伝子発現のcell memoryとして機能するH3.3が受精後にゲノムワイドに消去され、そのことが遺伝子発現プログラムの初期化機構に関与していることが強く示唆された。

2. 受精後の初期胚におけるヒストンH3変異体の動態

マウスの卵管から第2減数分裂中期に達した卵を採取し、Flagタグを付加したそれぞれのヒストンH3変異体のmRNAを細胞質にマイクロインジェクションしたあとにin vitroで受精させ培養を行った。その結果、Flag-H3.1は1細胞期および2細胞期で起こる2回のDNA複製期を介しているにもかかわらず、この時期に核への局在はみられなかった(図3A)。ところが、4細胞期以降になると核にFlag-H3.1の強いシグナルを確認できたことから(図4A)、H3.1は初期胚では4細胞期になってはじめて核へ組み込まれていくことがわかった。一方、Flag-H3.2は受精後の1細胞期のDNA複製期を過ぎるとどの時期の核にも局在がみられた(図3B、4B)。また、Flag-H3.3は1細胞期のG1期に雄性前核に観察された(図3C)。この結果、精子ゲノムを構成するプロタミンが卵由来のヒストンに置換され、雄性前核を形成するときに使われるヒストンH3変異体はH3.1やH3.2ではなくH3.3であることがわかった。その後Flag-H3.3は1細胞期のDNA複製期に雌雄の両前核に組み込まれたあと、すべての初期発生過程において核に局在することが明らかとなった(図3C、4C)。

初期胚では発生が進行するにしたがって、未分化な状態から分化した状態へと変化する。その変化にクロマチン構造が関与している可能性があるため、初期胚におけるヒストンH3変異体の核内局在をクロマチン形態の観点から調べた。クロマチンの形態は、不活性化された領域が多く存在する密に凝集したクロマチンであるヘテロクロマチンと、活性化した遺伝子領域が多く存在する緩んだクロマチンであるユークロマチンとに大別される。本実験では未分化な状態である2細胞期胚と、分化が起こっている状態の胚盤胞期胚を比較した。クロマチン形態の区別はDNA染色によってヘテロクロマチン領域が濃く染色されるので明瞭に見分けることができる。その結果、Flag-H3.1は前述したように2細胞期までには核に局在せず、どのクロマチン領域にも局在しなかった(図5A)。ところが胚盤胞期になるとFlag-H3.1はユークロマチンおよびヘテロクロマチン領域にシグナルが観察された。Flag-H3.2は2細胞期と胚盤胞期のどちらの時期も両方のクロマチン領域に局在していた。またFlag-H3.3は2細胞期ではユークロマチンおよびヘテロクロマチン領域の両方に検出されたが、胚盤胞期ではユークロマチン領域に多く局在しており、ヘテロクロマチン領域にはほとんど局在が見られなかった(図5B)。近年、H3.3は遺伝子の活性化にかかわるヒストン修飾がなされ、いわゆる「ゆるんだ」状態のクロマチン構造を作り、逆にH3.1は遺伝子の不活性化にかかわる修飾を受けて凝集したクロマチン構造を作るという報告がなされている。したがって、発生初期にはH3.3がゲノム上のどの領域にも存在することで可塑性を持つ、すべてのゲノム領域で「ゆるんだ」クロマチン構造を形成していると考えられる。さらに、発生が進行するにつれてH3.1が新たにゲノムに組み込まれていき、その一方でH3.3がヘテロクロマチン領域から消失していくというダイナミックなヒストン変異体置換がゲノム領域のサイレンシングに関与していることが示唆された。

以上の結果から4細胞期以降に核に組み込まれるH3.1が初期胚における分化調節機構に関与していることが示されたため、RNA干渉法によりH3.1の特異的ヒストンシャペロンであるCAF-1A(Chromatin assembly factor 1A)の発現をノックダウンした。その結果、4細胞期以降のH3.1の核への局在が抑制され、桑実胚期の前後で発生を停止し、胚盤胞期まで正常に到達したものはほとんどいなかった(図6)。したがって、H3.1が4細胞期以降のゲノムワイドなヘテロクロマチン形成に深く関与していることが示唆され、その正しい形成過程が初期発生に必須であると考えられる。

以上よりH3.3が2細胞期ではクロマチン全体に存在し、胚盤胞期になるとユークロマチン領域のみに局在することと、さらにH3.1が4細胞以降に核に組み込まれていくことを合わせて、分化能の視点から考えると次のようなモデルが提唱できる。1細胞期や2細胞期にはH3.1がクロマチンに組み込まれないために、H3.3がゲノム上のどの領域にも存在することが可能となり、あらゆる遺伝子発現パターンが可能な未分化の状態が維持されている。そして4細胞期以降に新たにH3.1がゲノム上に組み込まれることによりヘテロクロマチン化される領域が決定していき、同時にH3.3がユークロマチンに限定して配置されることで分化能が制限されていくと考えられる。

【結論】

本研究では、哺乳類の卵発生および初期発生過程におけるヒストンH3変異体の動態を解析し、ゲノム上におけるそのダイナミックな置換が分化全能性の獲得や未分化から分化への進行の制御機構に関与している可能性があることを示した。今後は遺伝子ごとの調節領域におけるヒストンH3変異体の動態を調べるとともに、その機構を作動させる制御因子を明らかにすることが重要になってくると考えられる。このように遺伝子発現およびクロマチン構造の変化を司る因子について詳細な機能解析を進めることで、同一のDNA配列を持つ細胞がどのように未分化状態を獲得し、そして再び分化した状態へと運命付けられていくのかを分子レベルで解明できると確信する。

【発表論文】1. Akiyama, T., Kim, J.-M., Nagata, M., and Aoki, F. (2004) Regulation of histone acetylation during meiotic maturation in mouse oocytes. Mol. Reprod. Dev., 69, 222-227.2. Akiyama, T., Nagata, M., and Aoki, F. (2006) Inadequate histone deacetylation during oocyte meiosis causes aneuploidy and embryo death in mice. Proc. Natl. Acad. Sci. USA., 103, 7339-7344.3. Matsuhashi, T., Akiyama, T., Aoki F., and Sakai, S. (2007) Changes in histone modification upon activation of dormant mouse blastocysts. Anim. Sci. J., 78, 575-586.4. Inoue, A., Akiyama, T., Nagata, M., and Aoki, F. (2007) The perivitelline space-forming capacity of mouse oocytes is associated with meiotic competence. J. Reprod. Dev., 53, 1043-1052.5. Ooga, M., Inoue, A., Kageyama, S. I., Akiyama, T., Nagata, M., and Aoki, F. Changes in H3K79 methylation during preimplantation development in mice. Biol. Reprod., in press.
審査要旨 要旨を表示する

本論文は、マウスの卵形成および受精後の初期胚発生におけるヒストンH3変異体の動態解析を行うことで、受精前後における遺伝子発現リプログラミングの調節機構の解明を試みたものである。特に遺伝子発現のリプログラミングを、受精前後の分化全能性の獲得、受精後の初期発生期における未分化性の維持および未分化から分化への進行という2つの現象に分け、それらを制御する分子メカニズムの解明を試みた。全体は2章からなり、以下のような内容となっている。

第1章では、受精前後における分化全能性の獲得機構について調べた結果を記した。その内容は以下の通りである。マウスの卵巣より成長卵を回収し、Flag-H3.3 mRNAを細胞質にマイクロインジェクションしてから抗Flag抗体で免疫染色したところ、翻訳されたFlag-H3.3が核内に移行していることを確認した。そこで、この卵を培養し第2減数分裂中期に達した後にin vitroで受精させた。その結果、未受精卵の染色体上に局在していたFlag-H3.3は受精直後に形成された雌性前核からグローバルに消去されていることが明らかとなった。さらにin vivoの卵成長過程で形成されるゲノム上のH3.3の置換を確認するために、転写が活発に行われている卵成長期にFlag-H3.3を発現するトランスジェニックマウスの作製を試みた。トランスジーンとしては、卵成長期に特異的に発現するZp3プロモーターの下流にFlag-H3.3 をつなげたものを用いた。このトランスジェニックマウスから卵を採取し解析した結果、卵成長期に発現して核に組み込まれたFlag-H3.3は成長卵にも維持されていることがわかった。さらに、mRNAマイクロインジェクションの結果と同様に、受精前までにクロマチンを構成していたH3.3は受精後に雌性前核から抜けていくことが明らかとなった。以上の結果から、遺伝子発現のcell memoryとして機能するH3.3が受精後にゲノムワイドに消去され、そのことが遺伝子発現プログラムの初期化機構に関与していることが強く示唆された。

第2章では、受精後の初期発生期における未分化性の維持および未分化から分化への進行を調節するメカニズムについて調べた。初期胚では発生が進行するにしたがって、未分化な状態から分化した状態へと変化する。その変化にクロマチン構造が関与している可能性があるため、初期胚におけるヒストンH3変異体の核内局在をクロマチン形態の観点から調べた。クロマチンの形態は、不活性化された領域が多く存在する密に凝集したクロマチンであるヘテロクロマチンと、活性化した遺伝子領域が多く存在する緩んだクロマチンであるユークロマチンとに大別される。本実験では未分化な状態である2細胞期胚と、分化が起こっている状態の胚盤胞期胚を比較した。クロマチン形態の区別はDNA染色によってヘテロクロマチン領域が濃く染色されるので明瞭に見分けることができる。その結果、Flag-H3.1は前述したように2細胞期までには核に局在せず、どのクロマチン領域にも局在しなかった。ところが胚盤胞期になるとFlag-H3.1はユークロマチンおよびヘテロクロマチン領域にシグナルが観察された。Flag-H3.2は2細胞期と胚盤胞期のどちらの時期も両方のクロマチン領域に局在していた。またFlag-H3.3は2細胞期ではユークロマチンおよびヘテロクロマチン領域の両方に検出されたが、胚盤胞期ではユークロマチン領域に多く局在しており、ヘテロクロマチン領域にはほとんど局在が見られなかった。近年、H3.3は遺伝子の活性化にかかわるヒストン修飾がなされ、いわゆる「ゆるんだ」状態のクロマチン構造を作り、逆にH3.1は遺伝子の不活性化にかかわる修飾を受けて凝集したクロマチン構造を作るという報告がなされている。したがって、発生初期にはH3.3がゲノム上のどの領域にも存在することで可塑性を持つ、すべてのゲノム領域で「ゆるんだ」クロマチン構造を形成していると考えられる。さらに、発生が進行するにつれてH3.1が新たにゲノムに組み込まれていき、その一方でH3.3がヘテロクロマチン領域から消失していくというダイナミックなヒストン変異体置換がゲノム領域のサイレンシングに関与していることが示唆された。

以上のように、本論文は、これまでまったく明らかにされていなかった受精前後における遺伝子発現リプログラミングの調節機構の解明に大きく寄与するものであると考えられる。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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