学位論文要旨



No 123894
著者(漢字) 木内,隆史
著者(英字)
著者(カナ) キウチ,タカシ
標題(和) 高温ストレスが昆虫の細胞周期に及ぼす影響
標題(洋) Effects of High Temperature Stress on Insect Cell Cycle
報告番号 123894
報告番号 甲23894
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第360号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 永田,昌男
 東京大学 教授 片岡,宏誌
 東京大学 教授 藤原,晴彦
 東京大学 客員教授 野田,博明
 東京大学 准教授 青木,不学
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

昆虫は変温動物であり、さらに体のサイズが小さいことも加わって外界の温度に敏感に反応する。温度は、行動、代謝、成長、発生、生殖と様々な局面で昆虫に多大な影響を与えている。中でも、成長とは密接な関係があり、外気温と発育ゼロ点(昆虫が成長できる最低温度)を利用して昆虫の成長度合いを計算し、発生予定日を的確に求めることも可能である。すなわち、昆虫の成長は温度に制御されているといっても過言ではない。

昆虫と温度との関係についての知見は多く、先に挙げた5つの局面に対する影響を調べた実験をはじめ、昆虫特有の現象である休眠に関する研究が盛んである。しかし、これらの研究は一様に昆虫生体への影響に迫るものが主であり、細胞レベルの研究はあまり進んでいるとはいえない。

さて、古くから人間の生活と馴染みが深いカイコは、人工飼料を用いて安定に飼育する方法が確立されており、研究材料としても扱いやすい。そこで、カイコの体重増加と温度との関係を調べてみると、温度増加に伴う成長の促進がみられたが、一定の温度を越えると体重増加はむしろ抑制された。この成長が抑制される温度は恒温動物である哺乳類では体温に近い温度であり、このような温度域で成長が阻害されることは、昆虫に特有の温度影響が存在する可能性を示していると考えた。この影響を今までとは異なるアプローチで調べるために、私は昆虫培養細胞を利用した。昆虫培養細胞は由来昆虫の性質を反映しており、培養細胞系を用いることで生体での複雑に絡まりあう温度反応が単純化され、細胞レベルにおける影響を詳細に解析できると考えた。

本研究では、温度ストレスに応じた昆虫培養細胞の細胞周期進行に関わる制御機構を発見し、そのメカニズムの解明に迫った。さらに、生体の細胞においても同様な機構が働いている可能性を追求した。

【結果と考察】

1.温度ストレスによる昆虫培養細胞の細胞周期G2期停止

温度が昆虫に与える影響を細胞レベルで調べるために、カイコ培養細胞(BmN株)を様々な温度で培養し、増殖・形態・生存率への影響を調べた。その結果、10℃で増殖は停止し、10℃以上 では温度依存的な増殖率の向上がみられた。この増殖率の促進は30℃付近で頭打ちとなり、34℃では増殖はむしろ抑制され、そして38℃では停止した。増殖が抑制される温度では、細胞形態に異常が見られたがトリパンブルー染色法によりその生存率を調べると、ほぼすべての細胞が生存していることがわかった。細胞が生存しながら増殖を停止するという結果は、細胞周期の途中で停止している可能性を示唆していた。そこで、各温度下で72時間培養した細胞における細胞周期の割合をレーザースキャニングサイトメーター(LSC)により解析した(図1)。その結果、増殖が抑制される温度下で培養した細胞ではG2期の割合が増加していた。このような現象は、他の昆虫培養細胞であるSf9細胞においても確認された。さらに、温度ストレスによりG2期に停止した細胞を常温で再び培養することにより、細胞増殖の復帰とG2期停止の解消をみた。以上の結果は、昆虫細胞が不適な温度条件下に置かれたとき、細胞周期を一時的にG2期に停止する機構を持つことを示唆した。

2.高温ストレスによるカイコ培養細胞のG2期停止機構の解明

細胞周期のG2期からM期への進行に関わる因子と細胞周期の制御機構は酵母からヒトにいたるまでよく保存されている。細胞周期がM期に進行するためには、CDK複合体を形成するCyclin Bと結合したCdc2の不活性なリン酸化状態が、Cdc25の脱リン酸化作用により活性化状態となることが必要である。そこで、高温ストレスによるカイコ培養細胞のG2期停止に関しても同様な機構が働いていると考え、Cdc2のリン酸化状態をWestern Blottingにより調べることにした。その結果、高温下(38℃)で培養した細胞のCdc2は、常温下(26℃)と比較しリン酸化レベルが高く不活性な状態にあることがわかった(図2)。この結果は、高温下でG2期停止が生じる原因がCdc2の不活性化にあることを示している。

次に、このCdc2を不活化する機構について推測した。現在までに、ある種のストレスや紫外線等によるDNA傷害を受けた細胞は、G2/M期チェックポイント機構が働き細胞周期の進行を停止することが知られている。近年、ATM/ATRを介した経路に加えMAPKファミリーに属するp38もこの機構の一員であるとする報告がされている。さらに、キイロショウジョウバエでは、高温ストレスによりこのp38がリン酸化され活性化するという知見があることから、高温下におけるG2期停止機構へのp38の関与を推測した。この推測に関して、まずカイコ培養細胞においても高温ストレスによりp38の活性化が見られることを確かめた(図3A)。さらに、p38特異的阻害剤SB202190を用いて、G2期停止の抑制を試みた。この結果、不活性なリン酸化Cdc2の減少に伴い、高温下での細胞増殖、そしてG2期にある細胞数の低下がみられた(図3B、C、D)。以上より、高温ストレスを受けた昆虫細胞ではチェックポイント機構が働くことで、細胞周期を積極的に停止していると考察した。

さらに、高温ストレスの実態に迫った。過去の論文を紐解くと、高温ストレスと酸化ストレスの密接な関係が浮き上がる。そこで、高温下で培養した細胞における活性酸素種の発生状態を、H2O2の蓄積を指標として調べた。H2O2特異的蛍光試薬2',7'-dichlorofluorescin diacetateを用いた蛍光顕微鏡下の観察により、38℃で培養した細胞における時間依存的なH2O2の蓄積をみた(図4)。このH2O2の蓄積とp38のリン酸化およびG2期停止機構との関係を調べるために、抗酸化剤であるアスコルビン酸を培地に添加した状態で高温処理を行った。すると、アスコルビン酸の添加によりp38の活性化は遅延し、それに伴う細胞増殖の回復、細胞周期停止からの復帰を確認した(図5)。これらの結果、高温下における酸化ストレスの蓄積がG2/M期チェックポイント機構を制御している可能性が示唆された。

3.カイコ血球における高温ストレスの影響

培養細胞で明らかとなった高温ストレスによる昆虫細胞の増殖への影響を、カイコ生体内の細胞に関しても確認するために、細胞の単離が容易な血球を用いて解析を行った。まず、4齢幼虫に脱皮した未摂食のカイコを0日齢とし、次の脱皮準備に入る4日齢までを対象として血球数の変化を調べた。血球密度と体重から求めた体液中の総血球数は、26℃で飼育したカイコ4齢幼虫では食餌開始後から飛躍的に増加するが、脱皮準備に入ると血球の増殖は停止することがわかった。一方、38℃で飼育したカイコでは、初期に体重増加はみられるものの血球数に大きな変化はみられなかった(図6A)。また、4齢期の途中で温度を変えた場合にも、高温は血球増殖を抑制し、常温飼育に戻すことで再び増殖は開始した。これらの結果は、培養細胞で見られた現象と一致するものであった。次に、血球数の変化が細胞分裂によるものであることを確かめるために、細胞分裂のM期特異的にリン酸化されるヒストンH3のリン酸化抗体を用い、免疫染色法による有糸分裂血球の検出を行った。その結果、血球数の増加する時期に、血球分裂が比較的盛んに起こっていることを確認した(図6B)。

さらに、血球に対してもLSCを用いた細胞周期の解析を行った(図7)。昆虫の細胞には染色体の高倍数化が起こっていることが知られており、カイコの血球にも2C、4C、8Cと3つのDNA量のピークがあることが明らかになった。また、この3つのDNA量をもつ各血球の割合は、4齢期の間にダイナミックに変動していることがわかった。すなわち、4齢0日では2Cと4Cのピークがメインであるが、成長を始めるとピークが高DNA量側へ推移し、脱皮期に入ると再び2Cと4Cに戻るという動態を示した。この動きは、DNA合成は行うものの、分裂は少ないという血球の性質に起因し、脱皮期での高DNA量のピークの消失は血球の分解がこの時期に生じるためと考えられた。常温下でのこのような変化に対し、高温下では血球のDNA量は増加の一途をたどり、3日齢には8Cの血球の大量な蓄積がみられた。この結果は、高温ストレスを受けた血球がDNA合成能を保持するものの、分裂が停止していることを示唆し、生体内の細胞にも高温ストレスによるG2期停止機構が働く可能性が示された。

そこで、カイコ体液を集め血球タンパク質を抽出しCdc2のリン酸化状態を培養細胞のときと同様に調べた(図8)。まず、血球あたりのCdc2のタンパク質量自体がカイコの成長に依存して変化を示していた。摂食前のカイコの血球ではCdc2のタンパク質量は低いレベルにあったが、発現レベルは1日齢で高い水準を示し、成長が盛んな2日にそのピークがみられた。その後、脱皮準備に入り始める3日以降に再び減少を始めた。このときのリン酸化レベルの推移はCdc2の発現量の推移と類似しており、Cdc2タンパク質量あたりのリン酸化レベルは4齢期を通じて大きな変化はなかった。血球の分裂が盛んな時期とCdc2の発現量が高い時期に相関性が認められたことは、転写もしくは翻訳レベルの細胞分裂制御機構の存在を推測させた。一方、高温ストレス下における血球Cdc2の発現量は、常温下と比較するとそれ自体は少ない値を示すがリン酸化レベルは高い水準を保っていた。以上のことから、高温ストレスによる不活性なリン酸化状態のCdc2の蓄積が確認され、生体内の細胞でもG2期停止機構を備えていると考えた。

カイコ培養細胞を利用することで、昆虫細胞は温度ストレスを感知すると細胞周期をG2期に停止する機構を備えていることが判明した。また、高温ストレスについてはシグナル経路にp38MAPKが介在し、高温により活性化したp38はCdc25の脱リン酸化作用を抑制することでCdc2を不活性なリン酸化状態に保ち、細胞周期をG2期に停止していると推測された。そして、高温により酸化ストレスが発生することが、一連のG2/M期チェックポイント機構が働く要因の一つであることが示された(図9)。さらに、血球における解析から、カイコ生体内の細胞でも同様な高温ストレスによる細胞周期停止機構が機能していると考察した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、変温動物である昆虫の温度に対する反応、とくに高温ストレスが細胞分裂に与える影響について研究したものであり、3章から構成される。

第1章では、温度が昆虫に与える影響を細胞レベルで調べるために、カイコ培養細胞を様々な温度で培養し、増殖・形態・生存率への影響を調べた。その結果、10℃で増殖は停止し、10℃以上では温度依存的な増殖率の向上がみられた。増殖率の促進は30℃付近で頭打ちとなり、34℃では増殖はむしろ抑制され、そして38℃では停止した。増殖が抑制される温度では、細胞形態に異常が見られたが、ほぼすべての細胞が生存していることから、細胞周期の途中で停止している可能性が示唆された。そこで、各温度下で培養した細胞の細胞周期の割合を解析した。その結果、増殖が抑制される温度ではG2期の割合が増加していた。さらに、温度ストレスによりG2期に停止した細胞を常温で再び培養することにより、細胞増殖の復帰とG2期停止の解消をみた。以上の結果は、昆虫細胞が不適な温度条件下に置かれたとき、細胞周期を一時的にG2期に停止する機構を持つことを示唆した。

第2章では高温ストレスによる細胞のG2期停止機構を解析した。細胞周期のG2期からM期への進行にはCDK複合体が関与するが、それを構成するCdc2が不活性なリン酸化状態にあることがG2期停止に関して働くと考え、Cdc2のリン酸化状態を調べた。その結果、高温下で培養した細胞のCdc2は、常温下と比較しリン酸化レベルが高く、不活性な状態にあることがわかり、高温下でG2期停止が生じる原因がCdc2の不活性化にあることが示された。次に、このCdc2を不活化する機構について調べた。高温ストレス下においてMAPKファミリーに属するp38のリン酸化を調べた結果、p38の活性化が確かめられ、これがCdc2の不活化をもたらすと推測された。次に、p38の特異的阻害剤を用いて、G2期停止の抑制を試みると、不活性なリン酸化Cdc2の減少に伴い、高温下での細胞増殖、そしてG2期にある細胞数の低下がみられた。これらのことより、高温ストレスを受けた昆虫細胞ではチェックポイント機構が働くことで、細胞周期を積極的に停止していると考察した。さらに、高温下で培養した細胞における活性酸素種の発生状態を蛍光試薬を用いて観察すると、38℃で培養した細胞では活性酸素種の蓄積をみた。抗酸化剤のアスコルビン酸を培地に添加した状態で高温処理すると、p38の活性化は遅延し、それに伴う細胞増殖の回復、細胞周期停止からの復帰が確認された。これらの結果、高温下における酸化ストレスの蓄積がG2/M期チェックポイント機構に働く可能性が示唆された。

第3章では、カイコ生体内の細胞、すなわち血球を用いて高温ストレスの細胞に与える影響を確認した。4齢幼虫の総血球数は、26℃では幼虫経過とともに飛躍的に増加するが、次の脱皮期に入ると増殖は停止した。一方、38℃の飼育では血球数に大きな変化はみられなかった。また、4齢期の途中で高温に変えると、血球増殖は抑制され、常温飼育に戻すことで再び増殖した。次に、有糸分裂血球を調べ、血球数の増加する時期に血球分裂も比較的盛んに起こっていることを確認した。血球の細胞周期を解析すると、昆虫の細胞には染色体の高倍数化が起こっており、2C、4C、8Cと3つのDNA量のピークがあることが明らかになった。これらのDNA量をもつ各血球の割合は、4齢期の間に変化し、脱皮直後の2Cと4Cのピークが、成長を始めると高DNA量側へ推移し、次の脱皮期に入ると再び2Cと4Cに戻るという動態を示した。このような変化に対し、高温下では血球のDNA量は増加の一途をたどり、3日齢には8Cの血球の大量の蓄積がみられた。この結果は、高温ストレスを受けた血球がDNA合成能を保持するものの、分裂を停止していることを示唆し、生体内の細胞にも高温ストレスによるG2期停止機構が働く可能性が示された。次に、Cdc2のリン酸化状態を調べた結果、高温ストレス下において血球のリン酸化レベルは高い水準であることが明らかになり、生体内の細胞でもG2期停止機構を備えていると考えられた。

以上から、昆虫細胞においては、高温ストレスがかかると、酸化ストレスがもたらされ、p38MAPKが活性化して、Cdc25を不活性化し、G2/M期で細胞周期を停止させると推測された。

なお、本論文は、青木不学、永田昌男との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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