学位論文要旨



No 123895
著者(漢字) 辻村,太郎
著者(英字)
著者(カナ) ツジムラ,タロウ
標題(和) ゼブラフィッシュ緑型・赤型オプシン遺伝子における重複遺伝子間の協調的発現の制御機構とその進化
標題(洋) Regulatory mechanisms for the coordinated expression of duplicated green-sensitive and red-sensitive opsin genes in zebrafish and their evolution
報告番号 123895
報告番号 甲23895
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第361号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 河村,正二
 東京大学 教授 大矢,禎一
 東京大学 教授 藤原,晴彦
 東京大学 教授 三谷,啓志
 東京大学 准教授 東原,和成
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

脊椎動物の視覚系オプシンは薄明視に関与する桿体オプシンと明視及び色覚に関与する錐体オプシンに分類される。錐体オプシン視物質の最大吸収波長は主としてオプシンのアミノ酸配列により異なる。生物が色覚を有するためには、それら錐体オプシン遺伝子を複数種有し、さらにそれらを各々異なる錐体視細胞で特異的に発現させることで、異なる波長の光を識別する必要がある。色彩は生物の捕食や性選択において重要な情報で、その色彩を知覚する「色覚」は生物進化にとって重要な要因であり、色覚進化の解明は生物進化を考察する上で重要な知見になる。これまでに多くの生物種でオプシンの遺伝子レパートリーと最大吸収波長が決定され、それらを系統関係や生態環境と結びつけることで色覚進化が論じられてきた。このような研究は、生物の色覚は錐体オプシン遺伝子のレパートリーによって大きく規定されるという考えに基づくものである。しかし、色覚進化の研究としては、この視点だけでは不十分である。なぜなら、上述のように、それらオプシン遺伝子の発現様式も生物の色覚を規定する大きな要因だからである。

現在の錐体オプシンのレパートリーとそれらの発現パターンから、脊椎動物の共通祖先は、4タイプの錐体オプシン遺伝子(紫外線型SWS1、青型SWS2、緑型RH2、赤型M/LWS)を有し、それらを異なる4種類の錐体視細胞に特異的に発現させていたと考えられている。その後、それぞれの生物系統で遺伝子重複・欠失とアミノ酸置換によりオプシンレパートリーの多様化が生じ、それに応じてオプシンの発現様式も変化してきた。このときその発現制御機構がどのように変化したのかという問題は色覚進化という観点から極めて重要であるが、そのような視点で行われた研究はほとんどない。

そこで私はゼブラフィッシュの緑型オプシンRH2及び赤型オプシンLWSに着目した。RH2には遺伝子重複によって生じたRH2-1, RH2-2, RH2-3, RH2-4の4種類のサブタイプが存在し、LWSには同様にLWS-1とLWS-2の2種類のサブタイプが存在する(図1)。それらの発現する錐体視細胞種はRH2ならば複錐体副細胞であり、LWSならば複錐体主細胞であり、サブタイプ間で同一である。しかし、それらの網膜における発現領域はサブタイプ間で互いに異なり、それに応じて吸収波長もサブタイプ間で大きく異なっている。すなわち、RH2、LWSどちらにおいても、短波長側の吸収スペクトルを有するサブタイプ(RH2-1、RH2-2、LWS-2)が網膜の中心から背側にかけて発現し、長波長側に吸収スペクトルを有するサブタイプ(RH2-3、RH2-4、LWS-1)は網膜周縁部、特に腹側で発現する(図1)。このようなオプシン遺伝子のサブタイプ化は水中という多様な光環境に生息する魚類に共通して見られるが、その遺伝子重複は様々な系統で独立に起きている。従って、これらの発現制御機構は、起源の古い視細胞特異性と起源の新しい網膜発現領域調節という2つの視点から捉えることができ、オプシン発現制御機構の進化プロセスに迫るモデルとして適していると考えられる。よって、本研究ではゼブラフィッシュRH2及びLWS両者の発現制御機構を解明し、その進化的成り立ちを明らかにしていくことを目的とした。

【結果】

1.緑型RH2の発現制御機構の解析

これまでに、当研究室の知念の研究により、RH2-1の上流15kbに位置する499bpの領域(RH2-Locus Control Region, RH2-LCR)がエンハンサー活性を有する領域として同定されていた。しかし、各RH2遺伝子の発現におけるRH2-LCRの実際の機能はまったく不明であった。

(1)GFP組み換えRH2-PACによる内在RH2遺伝子の発現の再現

当研究室で、4つすべてのRH2遺伝子を含むインサート長85kbのPACクローン(RH2-PAC)が単離されていた(図2)。私は、このRH2-PACであれば、各RH2遺伝子の発現を正確に再現できると考えた。そこで、RH2-PACで各RH2遺伝子を緑色蛍光タンパク質GFP遺伝子に置換したレポーターコンストラクト(RH2/GFP-PAC)を作製し(図2)、それらをゲノム中に保持するゼブラフィッシュのトランスジェニックライン(Tg)を樹立し、そのF1またはF2個体においてGFPの発現を観察した。すると、RH2-1、RH2-2、RH2-3、RH2-4のすべてについて、それぞれを置換したGFPは内在の各RH2遺伝子の発現を再現していた。よってRH2-PACが十分な発現制御領域を含むことが示された。

(2)RH2-LCRの機能解析とその進化的考察

RH2-PACにはRH2-LCRが含まれる。そこで、各RH2/GFP-PACからRH2-LCRを欠失させたときのGFP発現を調べた(図2)。すると、複錐体副細胞におけるGFPの発現はどれにおいても誘導されなかった。この結果より、RH2-LCRが、4つすべてのRH2遺伝子が複錐体副細胞で発現するのに必要な領域であることを初めて示した。

次に、RH2-LCRだけで複錐体副細胞特異性を規定できるのかを調べるために、RH2-LCRを本来皮膚で発現する遺伝子であるkeratin8の直上プロモーターに付加した。すると、複錐体副細胞における特異的な発現を誘導した。よってRH2遺伝子の発現における複錐体副細胞特異性がRH2-LCRにより規定されていることを示すことができた。

次に、ゼブラフィッシュとメダカの間でRH2遺伝子座のDNA配列の比較を行った。すると、RH2-LCRの位置に突出した相同性が検出された。ゼブラフィッシュとメダカの種が分岐したのは、ゼブラフィッシュでRH2が遺伝子重複する以前である。よってこの結果は、遺伝子重複以前の祖先型RH2では、RH2-LCRが単コピーRH2遺伝子の複錐体副細胞特異的発現を誘導していたことを意味する。そして、その後RH2遺伝子の重複がRH2-LCRを含まない形で起き、それにより現在の発現制御機構の土台ができたと考えられる(図3)。

(3)RH2サブタイプ遺伝子間の発現パターン分化機構の解析

次に、遺伝子重複の後、4つのRH2サブタイプ遺伝子間で網膜における発現パターンが分化した機構を明らかにしたいと考えた。まず、RH2-LCRに各RH2遺伝子の直上領域を付加したGFPコンストラクトによるGFP発現を解析した(図4)。すると、RH2-1とRH2-2については、GFPは網膜の中心から背側にかけて発現し、実際の発現パターンと類似していた。RH2-3については網膜の全域で一様に発現しており、実際の発現パターンとは大きく異なるものであった。RH2-4については網膜の全域で非常にまばらに発現しており、やはり実際の発現パターンとは異なるものであったが、腹側領域でより高頻度にGFP発現細胞が見られた。これらの結果は、各直上領域に何らかの網膜領域特異性が存在することを示唆するが、それらだけでは発現パターンの特異性を説明できないことも明らかにした。

そこで私は、各サブタイプ遺伝子間のゲノム上における位置の違い、特にRH2-LCRとの相対的位置の違いに着目した。そこで、RH2-3/GFP-PACにおいて、RH2-LCRをRH2-3の直下に移設したコンストラクトを作成し、そのTgを樹立したところ、GFPは網膜の中心から背側にかけて発現していた(図5)。これは、本来RH2-LCRに最も近い位置にあるRH2-1の発現パターンと似たものであった。この結果は、各RH2遺伝子の発現パターンが、各々の位置の違いによっても分化したことを示唆するものである。

2.赤型LWSの発現制御機構の解析

(1)GFP、DsRed組み換えLWS-PACによる内在LWS遺伝子の発現の再現

私は、緑型RH2の時と同様に、赤型LWSについても、十分に大きなPACクローンを用いて発現制御機構の解析を行うことにした。私は、LWS-1、LWS-2を含むインサート長110kbのPACクローン(LWS-PAC)を単離し、それに十分な発現制御領域が含まれていることを示すことができた。

(2)LWS-1上流域に存在する制御領域の、LWS-1とLWS-2の発現における必要性の検討

これまでに、当研究室の細谷の修士論文における研究により、LWS-1の上流1.3kb~0.6kbに位置するDNA制御領域LWS Activating Region (LAR)が同定され、それがLWS-2の発現を網膜で誘導できることが明らかにされていた。しかし、LWS-1とLWS-2の発現におけるLARの必要性は示されていなかった。そこで、LWS-PACからLARを欠失させたときの発現を解析したところ、LWS-1とLWS-2の両者の著しい発現低下が見られた。しかし、微かに認められたそれらの発現の特異性は失われてはいなかった。以上の結果から、LARは、LWS遺伝子の発現特異性の決定には必須ではないが、少なくともLWS-1とLWS-2の共通の発現誘導活性化領域の一つとして機能していることが示された。

【結論】

ゼブラフィッシュの緑型RH2及び赤型LWS各サブタイプ遺伝子の発現を、それぞれRH2-PACクローン、LWS-PACクローンを用いて再現した。緑型RH2については、遺伝子重複以前の祖先型RH2において複錐体副細胞特異的な発現誘導を担っていた領域が、遺伝子重複後の現在、RH2遺伝子座においてRH2-LCRとして唯一保存されており、それが4つすべてのRH2遺伝子の複錐体副細胞特異的な発現を制御していることを明らかにした。重複RH2遺伝子間の発現パターンの分化においては、各RH2遺伝子の直上領域が網膜における発現領域特異性を一部獲得したことに加えて、各RH2遺伝子のRH2-LCRとの相対的な位置関係も重要な役割を果たしたことを示唆した。LWSについても、やはりLWS-1、LWS-2両遺伝子の発現を調節する共通の制御領域が存在することを示した。このことは、RH2とLWSそれぞれにおいて「単一制御領域による発現誘導」という同様の機構が収斂的に進化したことを意味する。RH2における発現パターン分化とLWSにおける発現パターン分化との間には、多くの類似性が見られる。「単一制御領域による発現誘導」という共通の機構がそのような類似性を生み出した要因の一つであると考えられる。

【発表論文】Tsujimura, T., Chinen, A. and Kawamura, S. (2007). Identification of a locus control region for quadruplicated green-sensitive opsin genes in zebrafish. Proceedings of the National Academy of Sciences USA, 104 (31):12813-12818.
審査要旨 要旨を表示する

本論文は2章からなり、第1章は4つに遺伝子重複したゼブラフィシュの緑型視物質オプシン遺伝子の発現制御領域の解明について、第2章は2つに遺伝子重複したゼブラフィシュの赤型視物質オプシン遺伝子の発現制御領域の解明について述べられている。

色覚は動物の重要特徴であり、その進化過程の研究は動物の環境適応の仕組みを明らかにする上で究めて重要である。そのなかでも魚類の色覚は水中という多様性に富む光環境を反映して多様であることがこれまでに明らかにされてきており、動物の色覚進化研究の優れたモデルである。脊椎動物の視物質遺伝子は進化系統的に5タイプに分類される。これらは桿体に発現し薄明視を担う桿体タイプ(RH1)と、錐体に発現し色覚を担う赤タイプ(LWS)、緑タイプ(RH2)、青タイプ(SWS2)、紫外タイプ(SWS1)である。高等霊長類以外では魚類にのみ5タイプ内にさらにサブタイプの形成による視物質多様化が見られ、多様な水中光環境への適応と考えられる。しかしこれまでサブタイプオプシンの機能分業、特に発現パターンの分化がどのような仕組みにより制御されているのは不明であった。

論文第1章で論文提出者の辻村は、飼育が容易でオプシンレパートリーの研究が最も進んだゼブラフィッシュを研究対象とすることで、この問題に初めて取り組んだ。辻村は4つに遺伝子重複した緑型オプシン遺伝子がたった1つの遺伝子制御領域によってコントロールされていることを、蛍光タンパク質マーカーを用いたトランスジェニックフィッシュの緻密なプロモーターアッセイにより明らかにした。さらに第2章でも2つに遺伝子重複した赤型オプシン遺伝子も単一の制御領域にコントロールされている可能性を示した。

具体的には、ゼブラフィッシュの緑型RH2及び赤型LWS各サブタイプ遺伝子の発現を、それぞれRH2-PACクローン、LWS-PACクローンを用いて再現した。緑型RH2については、遺伝子重複以前の祖先型RH2において複錐体副細胞特異的な発現誘導を担っていた領域が、遺伝子重複後の現在、RH2遺伝子座においてRH2-LCRとして唯一保存されており、それが4つすべてのRH2遺伝子の複錐体副細胞特異的な発現を制御していることを明らかにした。重複RH2遺伝子間の発現パターンの分化においては、各RH2遺伝子の直上領域が網膜における発現領域特異性を一部獲得したことに加えて、各RH2遺伝子のRH2-LCRとの相対的な位置関係も重要な役割を果たしたことを示唆した。LWSについても、やはりLWS-1、LWS-2両遺伝子の発現を調節する共通の制御領域が存在することを示した。このことは、RH2とLWSそれぞれにおいて「単一制御領域による発現誘導」という同様の機構が収斂的に進化したことを意味する。RH2における発現パターン分化とLWSにおける発現パターン分化との間には、多くの類似性が見られる。「単一制御領域による発現誘導」という共通の機構がそのような類似性を生み出した要因の一つであると考えられる。

これらのことは色覚の進化研究に対する極めて重要な貢献であり、第1章の内容の一部は2007年に権威ある学術である米科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences USA)(104 (31):12813-12818)に掲載され、新聞においても紹介された(日経産業新聞2007年7月25日)。これらの成果は魚類さらには脊椎動物の視覚研究に強固で新たな基盤をもたらす重要な成果である。

なお、前述の学術誌掲載論文は知念秋人、河村正二との共著論文として発表されているが本博士論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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