学位論文要旨



No 123902
著者(漢字) 佐野,哲也
著者(英字)
著者(カナ) サノ,テツヤ
標題(和) 八ヶ岳山麓地域における半自然植生の成立過程とその保全に関する研究
標題(洋) Pattern and conservation of semi-natural forest ecosystems in the foot of Yatsugatake volcano
報告番号 123902
報告番号 甲23902
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第368号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 自然環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大澤,雅彦
 東京大学 教授 福田,健二
 東京大学 教授 山本,博一
 東京大学 教授 須貝,俊彦
 東京大学 准教授 ザール,キクビツェ
内容要旨 要旨を表示する

火山麓の森林は牧場、農耕地をはじめとする農業開発や道路や別荘地建設などの観光開発などによってその多くが失われ、かろうじて開発から逃れた林分も社会構造の変化によって長い人間利用の歴史によって保たれてきた構造を失いつつある。こうした現状にある火山麓の自然を科学的な視点にたって適切に保全、管理するためには、出現種や群落に関する知識の他に、構造、遷移、生育(成立)環境の特性やその形成プロセスなどに関する知識が必要不可欠である。しかし、既存のデータは森林生態系の出現種や群落の種類に関するものばかりで、他の情報が欠けている。そこで本論文では、八ヶ岳山麓に残存する森林生態系を対象に生態系のパターンとプロセス、および群集構造とその遷移について論じた。

まず、近年になって農地開発や観光開発で広く森林生態系が失われたエリアを保全が望まれるエリアとして抽出するために、八ヶ岳南東麓で起こった過去100年間の土地利用の変遷過程を森林開発の時期や規模に焦点をあて叙述した。八ヶ岳南東麓における土地利用形態の変遷は鉄道の開通、開拓民の移住、拡大造林、リゾート計画の策定など当時の社会状況を反映しており、森林開発が行なわれた時期や規模は標高によって異なっていた。標高1000m以下の地域は1910年頃にはすでに生活の場となっており住宅地、水田、畑、針葉樹の占める割合が高く落葉広葉樹林の割合は少なかった。標高1000m~1250mの地域は1910年頃には針葉樹林や無流木地でほとんどが占められていたが、終戦直後(1952)年には開拓の影響によって無流木地が増大し、1975年頃までには住宅地や畑などの割合が増え、現在とほぼ同じ土地利用形態を示すようになった。標高1250~1500mの地域は終戦直後にはまだ広大な森林で覆われていたものの1975年頃には人工林化や別荘地開発などによってその面積が半減し、それ以後も続いた別荘地や住宅地開発によって1989年までにはおよそ3分の2の面積の森林が失われた。この標高1250m~1500mの地域には戦前から続く森林がまだ断片的に残存しており、積極的に保全される必要があると考察された。

そこで、この標高1250m~1500mの地域に存在する森林生態系のパターンを解明するため全部で77箇所の調査スタンドを設置し植生、地形(地形、斜面傾度、礫の露出の有無)、土壌環境(土壌水分、pH、EC、全窒素・全炭素量)を調べた。調査対象とした森林に出現した植物種や群落の分布は地形、土壌環境との結びつきが認められ、調査対象とした森林生態系は植生、地形、土壌環境のデータより全部で7つの生態的な立地単位(ecological site unit)に区分された。また各立地単位の空間配列にはそれぞれ規則性があり、広大な緩傾斜地(火山麓扇状地)上で過去に繰り返し起こった浸食や堆積の歴史を反映していることが明らかになった。すなわち火山麓上に出現する植物の分布パターンや多様な群落の成立には、扇状地上で過去に繰り返し起こった浸食や堆積によって形成された微妙な起伏とそれに対応した土壌特性や土壌水分の動態が重要であることが明らかになった。この結果は、この地域に生育する植物種や群落を保全するためには、立地単位間の連結を保つことによって、その地形や土壌およびその成因となっている浸食や堆積など地形形成プロセスを維持することが必要であることを示している。

次に、火山麓でもっとも広い面積を占めていたミズナラ林に着目し、その構造と遷移過程を成立環境別に明らかにした。まずミズナラは火山麓扇状地の中でも形成時期が古い4つの立地単位:凸状緩斜面(mound)、凹地(depression)、急斜面(side slope)、岩角地(rock outcrop)で優占していたが、形成時期が新しい谷底の3つの立地単位:河岸段丘面(Stream terrace)、 岩角で構成された自然堤防(natural levees of coarse rock fragment)、湧水地(seeps) では分布が稀薄となり変わりにケヤマハンノキ、ハルニレ、モトゲイタヤなどが優占していた。前4つの立地単位のうち、岩角地をのぞいた立地単位では有機質に富んだ土壌(黒ボク)が堆積しており、後3つの立地単位では粒径の粗い河流堆積物で覆われていた。ミズナラが優占していた前4つの立地単位間で伐採放棄後約55~65年経過した39箇所のミズナラ優占林分の構造を比較したところ、ミズナラは凸状緩斜面(mound)で最も優占度が高くなり、その他の3つの立地単位ではミズナラ以外の高木性樹種の占める割合が高くなっていた。ミズナラの稚樹サイズの個体(胸高直径10cm以下、樹高1.3m以上)の密度はすべての立地単位で低かったものの、耐陰性が強いと考えられる亜高木性樹種(コハウチワカエデやサワシバなど)の優占度が高くなる単位急斜面(side slope)、岩角地(rock outcrop)において特に低くなっていた。またそれら耐陰性が強いと考えられる亜高木性樹種の稚樹サイズの個体や実生の密度は急斜面(side slope)、岩角地(rock outcrop)など水はけの良い立地で高く、黒ボクで厚くおおわれ林床にササが覆っている立地で低くなっていた。

さらに、伐採放棄後約90年間にわたるミズナラ一斉再生林の遷移過程を詳細に調べるため土壌が比較的厚く堆積している3つの立地単位:凸状緩斜面(mound)、凹地(depression)、急斜面(side slope)について15-20、35-40、60-65年、85-90年生の全12箇所の林分について種組成と構造(個体数、樹高、BA)を比較した。ミズナラの樹高はどの立地でも伐採放棄後15~20年で6~8mに達し90年経った頃には20m程度になった。また、総個体密度は伐採放棄後15~20年の林分で一番高く、時間が立つにつれ減少する傾向にあった。伐採放棄後15~20年の林分における個体密度は凹地(depression)、急斜面(side slope)ほうが凸状緩斜面(mound)よりも著しく高くなっており、ミズナラ以外の樹種が多数再生していた。遷移初期段階に多数侵入、再生したミズナラ以外の高木性樹種や亜高木性樹種の樹高は伐採放棄後15~20年の林分でミズナラとさほど変わりがなく、ミズナラの再生を阻害していることが示唆された。遷移の進行にともなうミズナラと他高木性樹種の優占比率の変化過程は立地環境によって異なっており、凸状緩斜面(mound)ではどの年代でもミズナラの優占比率が高く、遷移の進行にともなう著しいミズナラBAの増加傾向が認められた。一方、凹地(depression)でもミズナラのBAの増加は認められたが伐採放棄後40年~60年の間まではカンバやミヤマザクラなどの高木性樹種の優占率が高くなっていた。急斜面(side slope)では伐採放棄後40年~60年の間まではミズナラのBAの増加は認められたがそれ以降の増加は他の立地単位よりも緩やかで他の高木性樹種と同程度のBAであった。また、急斜面(side slope)では亜高木性樹種の個体密度の減少が他の立地単位よりも緩やかで、伐採放棄から90年立ってもミズナラより樹高が高くはならないものの、下層において高い優占度を示していた。

以上の結果は、ミズナラ林の林分構造や遷移過程は立地単位特有の環境要因によって大きく異なってくることを意味している。ミズナラは過去に繰り返された伐採や火入れなどによって勢力を拡大したと考えられているが、そのような撹乱が減少した現在では個体数を減らしていくことは明白であり、耐陰性の強い亜高木性樹種が多く生育する急斜面(side slope)や岩角地(rock outcrop)でその傾向がより強いことが予測された。今後の変化についてはまだ不確実な点が多く、ミズナラ林の保全や管理には目標によって様々な手法の適応が考えられるが、自然の生態的境界によって確定された立地単位のような地理的フレームワークを基礎にしたモニタリングや実験が、ミズナラ林の管理手法の開発やその効果を評価する際の有効な手段になり得ることが本研究の結果より示された。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、地形がなだらかで牧場、農耕地などの農耕地開発、道路、鉄道、別荘地などの観光開発をはじめさまざまな人間活動によって原植生が失われることが多い火山山麓地域における植生の分布、配列、森林の構造と遷移などについて生態学的に解明し、植生の成立と人間とのかかわりを明らかにして、植生の保全、管理に役立てることを目的としている。

本論文は5章からなり、第1章は、序章として研究の目的、アプローチについて述べている。第2章は、調査地として選んだ山梨県八ヶ岳東麓の土地利用変遷を1910年から1985年までの地形図、空中写真などを用いて復元し、とくに戦後、各時代の社会経済情勢を反映して、牧場、農耕地、別荘開拓などの自然利用が行われてきた経緯を明らかにした。アカマツ、カラマツなどの針葉樹林は、遷移の進行と共に落葉広葉樹林へと推移したことが示されたが、同時に別荘地などの開発が行われ森林が失われた地域もある。第3章では清里地域を対象に扇状地の微地形とその上に成立している植物群落とから地形―植生複合単位を抽出し、それぞれの単位の属性と成立過程を明らかにした。土石流や洪水などによって形成された微細な起伏や岩礫の状態によって、種や群落の分布が左右されていた。それぞれの地形単位に出現する樹種の地理分布型は異なり、多様な地形・土壌条件が多様な樹種のすみわけ的な共存を可能にしていた。とくに本州内陸部から北方に分布する種群は河川氾濫原の砂質土壌、東北地方以南に分布する種群は岩角地や水はけの良い黒色土の立地と住み分ける傾向がみられた。第4章では扇状地に広く分布するミズナラ林について、コナラ属樹種一般の分布特性と関連付けて論じている。とくに八ヶ岳山麓のミズナラ林で、各立地に成立している林分を構成する樹種ごとのサイズ分布、下層木の種組成とサイズ分布などを明らかにし、ミズナラが卓越する林分が成立する条件を予測した。最後に第5章ではこの40年間で半減したミズナラ林を含む半自然林を保全する意味とその方策について扇状地の立地単位に着目することによってより的を絞った形で進めることが出来ることを提案している。とくにミズナラが優占する林分は一見すると単調で同質なものと見られがちであるが、成立する立地条件によって希少種が共存したり、再生個体による成林が困難な場合もあり、モニタリングを含めた順応的な管理・保全方法をとることが重要であると指摘している。

なお、本論文第3、4章は大澤雅彦との共同研究であるが、論文提出者が主体となって野外調査、分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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