学位論文要旨



No 123903
著者(漢字) 田中,泰章
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ヤスアキ
標題(和) 富栄養化が造礁サンゴ群体を通した炭素・窒素循環に与える影響
標題(洋) Impacts of Nutrient Enrichment on Carbon and Nitrogen Cycling through Reef-building Coral Colonies
報告番号 123903
報告番号 甲23903
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第369号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 自然環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 小川,浩史
 東京大学 教授 川幡,穗高
 東京大学 准教授 小畑,元
 東京大学 教授 茅根,創
 東京大学 准教授 渡辺,俊樹
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

人口増加や土地開発に伴い、近年、世界各地で沿岸域の富栄養化が進行しており、サンゴ礁においてもそれは例外ではない。サンゴ礁は通常、栄養塩濃度の低い、いわゆる貧栄養海域に発達しているため、わずかな栄養塩濃度の増加も礁内の生物代謝に影響を与え、さらには生態系レベルのエネルギー循環にも変化をもたらすことが考えられる。本研究で取り上げる造礁サンゴは、その細胞内に褐虫藻と呼ばれる単細胞の藻類が多数(1 cm2あたり数百万細胞)共生し、褐虫藻の光合成とサンゴの石灰化という二つの炭素固定能力を持つため、サンゴ礁生態系内の物質循環に対する寄与が大きい。また、光合成産物の一部を海水中に排出し、有機態炭素および窒素を他の礁内生物に供給していることでもその重要性が指摘されてきた。そこで本研究では、造礁サンゴ群体を通した炭素および窒素の循環が、近年進行する富栄養化によってどのような影響を受けるのか解明することを目的とした。特に、(1)サンゴの石灰化と共生藻の光合成、(2)サンゴ群体からの有機物排出、(3)排出有機物のバクテリアによる分解、という三つの過程に注目し、閉鎖系の培養実験を用いて炭素・窒素のフラックスを定量的に評価することを試みた。対象フィールドとした石垣島の白保サンゴ礁は、近年、地下水を通した硝酸イオン(NO3-)の流入が報告されており、サンゴ群集への影響が懸念されている。

2.実験方法

実験1:石灰化と光合成のバランス

2005年6月から7月にかけて、造礁サンゴAcropora pulchra(オトメミドリイシ)を白保サンゴ礁において採取し、研究施設内(西海区水産研究所石垣支所)の屋外水槽で一定期間培養した。水槽内の栄養塩濃度はNO(3-)が約2umo11(-1)、リン酸イオンPO4(3-)が約0.1umo11(-1)で、現場のサンゴ採取地点の海水中の濃度レベル(NO(3-): <1umo11(-1)、PO4(3-): <0.05umo11(-1))に比べると2倍以上に設定した。さらに、栄養塩の取り込みを促進させる目的で、一日に一回NO(3-)とPO4(3-)をそれぞれ5umo11(-1)、0.3umo11(-1)になるように水槽内に添加した。この水槽内の富栄養環境下で、10日間、5日間、0日間培養したサンゴ片を計29個得た。

それぞれの富栄養化期間を経たサンゴ片を、H13CO3-を添加した海水に同時に移して4日間培養し、炭酸カルシウムと有機炭素への13Cの取り込み速度を測定した。培養中における栄養塩濃度は、現場レベルの極めて貧栄養な状態に保ち、すべてのサンゴについて同じ栄養塩環境で光合成・石灰化速度を測定した。4日間の13Cラベル後、サンゴ、共生藻、骨格(炭酸カルシウム)を分離し、サンゴ・共生藻の炭素・窒素含量やその同位体比、共生藻中のChl a濃度、骨格中の13C量などを分析した。

実験2:サンゴ群体からの有機物排出

06年8月、直径数cmから10 cmくらいの造礁サンゴ(A. pulchra)を採取し、実験1と同様に屋外水槽で前培養した。水槽内の栄養塩濃度はNO3-が約5 umo11(-1)、PO43-が約0.3umo11(-1)であった。この水槽内の富栄養化環境下で、1~14日の異なる期間培養したサンゴ片を用いて、以下の有機物排出実験を行った。

準備したサンゴ片を、700 mlのろ過海水中で、スターラーで撹拌しながら5時間培養した(昼3回、夜1回)。培養前後における海水中の有機物濃度の差から、サンゴ片からの溶存態および懸濁態有機物(DOM & POM)の排出速度を求めた。また、培養海水中のバクテリア細胞数やChl a濃度の変化も測定した。

実験3:排出有機物のバクテリアによる分解性

実験2で用意したサンゴ片を、閉鎖系培養器中で5時間培養し、海水中に有機物を排出させた。培養終了後、サンゴを除去し、バクテリアによる分解実験に供した。DOMの分解実験では、すべての培養海水をGF/Fフィルター(孔径0.7 um)でろ過し、ろ液を20 mlのガラスアンプルに分注、封管、暗条件下(20°C)で培養し、ろ液中のDOMの無機化速度を調べた。POMの分解実験では、サンゴを培養した海水を同じく暗条件下に置き、一定期間培養後にその一部をサンプリングし、GF/Fフィルターでろ過後、フィルターに捕集されるPOM量の変化を調べた。分解実験は3か月から1年間継続し、各サンプリング時における有機物と栄養塩の濃度、バクテリア細胞数、アミノ酸濃度と組成を測定した。

3.結果と考察

実験1において富栄養化期間が長くなるにつれ、サンゴ骨格単位面積あたりのChl a濃度は、ある一定レベルまでは直線的に増加し、また、光合成の純生産速度もそれに伴って増加した。同様の変化は既往研究においても多く報告されており、共生藻の成長が栄養塩によって律速されていることを示している。また、共生藻は1~2週間程度の短期的な栄養塩濃度の増加にも対応し、その光合成活性を容易に変化させることが示された。

一方、サンゴの石灰化は、統計的には有意な増加傾向を示したものの、その増加率(1.3倍)は光合成(2.8倍)に比べると小さかった。これまで多くの既往研究によって、光合成は石灰化を促進する(light-enhanced calcification)ことが報告され、いくつかのメカニズムによって説明されてきた。これらは通常のサンゴ-共生藻の代謝過程における、光合成(光)の存在の影響について考察したものであり、栄養塩添加などによる光合成活性の変化については考慮していない。今回の実験から、光合成活性(Chl a濃度)が増加しても、石灰化はそれと同じスケールで増加することはなく、何か他の因子によって律速されていることが示唆された。律速因子としては、石灰化部位への炭酸イオン(CO32-)の供給や、骨格形成に必要となる有機基質の合成などの過程が考えられる。

一方、サンゴの骨格密度が変化しないとすれば、観察された光合成と石灰化の間の不均衡は、有機物の過剰生産を意味する。この有機物の行方の一つとして、海水中への排出が考えられる。そこで次に、栄養塩濃度の増加がサンゴ群体からの有機物排出に与える影響を調べた(実験2)。その結果、明条件におけるPOM排出速度が有意に増加した(p < 0.05)。DOMの排出速度については、栄養塩添加の影響は見られなかった。POM・DOMともに、観察された排出速度は既往研究で得られてきた値と同様の範囲内にあり、今回の実験で生産された有機物は通常の代謝過程の結果として排出された有機物と考えられる。

POMに含まれる藻類およびバクテリアのバイオマスを推定したところ、それぞれ約10%程度であったことから、残りの約80%はサンゴから排出される粘液や細胞組織の一部であると考えられた。海水中に観察された藻類は、栄養塩の添加によってサンゴ内で増殖した共生藻が排出されたものであることが予想され、既往研究でも同様の報告が見られる。共生藻(Chl a)の排出速度とPOMの排出速度の間には有意な正の相関が見られたことから、藻類の排出は他のサンゴ組織の排出を伴いながら生じていることが示唆された。光合成の純生産速度に対するPOC排出速度は、栄養塩の添加により14%から21%に増加した。これらの結果から、栄養塩濃度の増加によって、石灰化に比べて相対的に増加した有機物生産の一部は、共生藻を含んだPOMとして海水中に排出されることが示唆された。過剰な共生藻を除去するために、宿主サンゴが積極的に共生藻を放出しているのか、藻類自身がサンゴ内の制限的な空間に耐え切れずに海水中に抜け出しているのかは今後の課題であるが、少なくともマスバランスという点では光合成と石灰化の間の不均衡がPOMの排出によって緩和されると考えられる。

今回の実験では、栄養塩添加によるDOM排出速度への影響は検出されなかった。ただし、DOMの排出は光によって促進されたことから、共生藻の光合成産物の一部が海水中へDOMとして漏出していることが示唆される。栄養塩濃度の増加は、骨格面積あたりの共生藻のChl aや細胞数を増加させることが、今回の結果や既往研究から示されているが、それにもかかわらず面積あたりのDOM排出速度が変化しなかったということは、Chl aあるいは藻類細胞あたりのDOM排出速度は減少したことになる。これは、栄養塩添加によって共生藻がC:N比の低い有機物を合成することができるようになり、光合成産物のバイオマス合成への利用効率が上がったためと解釈できる。

実験2により、栄養塩添加によってPOMの排出速度は大きく増加することが明らかとなったが、実験3により暗条件下でバクテリアによる分解実験を行った結果、最初の1週間でその濃度は40%まで減少し、4か月後の残存量は栄養塩添加をしなかった場合とほぼ同じであった。サンゴから排出されるPOMの大部分は、上述したように粘液や軟組織の断片、サンゴ内に共生する藻類などであると考えられ、これらの有機物はバクテリアによって速やかに無機化される、または断片化によってDOM画分へ移行すると考えられる。従って、栄養塩濃度の増加は、サンゴ群体から排出されるPOMによって、サンゴ礁内の従属栄養群集への有機物供給量を増加させる効果があると言える。DOMについても、POMと同様に濃度の減少は最初の一週間まで見られ、その後はあまり変化がなかった。これらの結果は、サンゴから排出される有機物は易分解性と難分解性という、二つの異なる分解性を持った有機物の混合物であることを示している。有機物の分解が一次反応で進むと仮定した場合、易分解性画分の回転時間は3.2~9.1日、難分解性画分については100日以上であった。

POM、DOMともに一部の有機物は長期的に残存するという結果が得られたが、この原因として、(1)サンゴから排出された有機物の一部はバクテリアの分解に対する耐性を持っており、排出有機物そのものが分解されにくい、(2)バクテリアの関与によって元の有機物が分解されにくい有機物に変換された、といった可能性が考えられる。サンゴ群体からの排出有機物は、バクテリアや他の生物にとって重要なエネルギー源になることが多くの既往研究において指摘されてきた。しかしながら、今回の実験で定量的かつ長期的に排出有機物の分解性を調べた結果、確かに一部の有機物はバクテリアの増殖を促進するが、サンゴ組織の純生産量に対して無視できない量の有機物(炭素14%、窒素34%)が、排出後も長期的に残存することが示された。これらの結果は、サンゴ礁生態系における炭素固定という観点からも重要な知見になると考えられる。

4.まとめ

本研究によって、造礁サンゴ群体に対する栄養塩濃度の増加は、光合成に対する石灰化速度を相対的に低下させ、過剰な有機物は褐虫藻を含んだPOMとして海水中に排出されることが示された。また、排出された有機物の易分解性画分は、バクテリアによって数日以内に分解されたことから、従属栄養群集へのエネルギー供給をもたらすと考えられる。従属栄養群集の増大によって、サンゴ礁レベルでの呼吸速度の増加や、それに伴う栄養塩類の速やかな再生産が示唆される。また、一部の排出有機物は無機化されずに長期的に残存したことから、サンゴ礁生態系における正味の炭素固定につながると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章から構成されている。第1章は,本研究の背景として,サンゴ礁における環境問題,炭素循環に関する知見を整理し,それを受けて本研究の意義と目的を記述し,最後に研究対象フィールドである沖縄県白保サンゴ礁の特徴について整理している。本研究では,人口増加や土地開発に伴う沿岸域の富栄養化の問題が,近年サンゴ礁域にも広がりを見せている点に着目し,それがサンゴ礁の炭素・窒素循環にどのような影響をもたらすかを明らかにすることを大きな目的としている。その中で特に(1)共生褐虫藻による光合成とサンゴの石灰化という二つの炭素固定経路,(2)光合成産物の一部が懸濁態,溶存態有機物(POM,DOM)として海水中へ排出,(3)排出有機物のバクテリアによる分解,の3つのプロセスに与える影響に焦点を当て,サンゴ群体の培養実験を中心としたアプローチに基づき解析を進めるという,本研究の基本方針が述べられている。

第2章では,栄養塩濃度の増加が石灰化と光合成のバランスに与える影響を調べた実験に対する記載がされている。本実験ではまず,白保サンゴ礁において採取した造礁サンゴAcropora pulchra(オトメミドリイシ)を,屋外水槽内で硝酸イオンとリン酸イオンが現場海水濃度の約2倍強程度になるよう添加した条件下で培養後,0,5,10日後に回収し,富栄養化期間の異なる3つグループに分けた。その後,13C添加培養法を用いて,各グループに対し石灰化と光合成速度を測定し比較を行った。その結果,富栄養化期間が長くなるにつれ,サンゴ骨格単位面積あたりの光合成と石灰化の速度は有意に増加する傾向を示したが,その増加率は前者に比べ後者は著しく低く,富栄養化によって光合成と石灰化の間の不均衡,つまり有機物の過剰生産が生じることが明らかとなった。過剰な有機物の行方の一つとして海水中への排出が示唆された。これらは,未だ議論の余地が大きいサンゴ礁における炭素収支を理解する上で極めて重要な知見といえる。

第3章は,第2章の結果を受け,富栄養化によってサンゴ群体から海水中への有機物排出プロセスがどのような影響を受けるかについて調べた実験内容が記載されている。本実験は,第2章の実験と同様に前培養によって調整した富栄養期間が異なるサンゴ片を用い,本培養中における溶存態および懸濁態有機物の排出速度を比較した。その結果,富栄養化期間が長くなるにつれPOM排出速度が顕著に増加するのに対し,DOMの排出速度については有意な増加は見られなかった。これらの一連の結果から,栄養塩濃度の増加によって石灰化に対し過剰に生産された有機物の一部は,主にPOMとして海水中に排出されるメカニズムが初めて明らかとなり,サンゴ礁全体への有機物供給の観点から食物連鎖へのインパクトが示唆された。

第4章は,第3章の結果を受け,サンゴ群体から排出された有機物の行方としてバクテリアによる分解過程に着目し実施した実験について記載がされている。本実験では,まず第3章で行った実験と同様に,サンゴ片を培養し海水中に有機物を排出させ,培養終了後サンゴを除去し,バクテリア群集によるDOMとPOMの分解実験に供した。実験は,暗条件下(20°C)で一定期間培養後,DOM,POMの減少量を測定し分解速度を求めた。また,栄養塩添加有無の2系列作成し分解速度に与える影響を調べた。POM,DOM濃度ともに最初の1週間で急激に減少,その後は緩やかな減少を示し,サンゴから排出される有機物は易分解性と難分解性の2つの異なる分解性を持つ画分から成ることが示唆された。また,栄養塩濃度の増加が分解速度に与える影響は有意には認められなかった。易分解性画分の回転時間は3.2~9.1日、難分解性画分については100日以上と推定された。以上,サンゴ組織の純生産量に対して無視できない量の有機物が排出後,分解されずに長期的に残存することが初めて明らかとなり,サンゴ礁生態系における炭素固定能という点からも重要な知見と考えられる。

最後の第5章では,第2-4章で述べられた3つの実験解析結果を統合し,栄養塩濃度の増加に対しサンゴ群体を通じた炭素と窒素のフローがどのように変化するのか,定量的な解析を行い全体をまとめている。さらに,サンゴ礁における物質循環や環境問題に関する今後の課題についても議論を行っている。

なお,本博士論文の内容の一部は,英文の原著論文4報にまとめられ(いずれも論文提出者が筆頭著者)国際学術誌等に公表されている。それらの論文は,宮島利宏,小池勲夫,梅澤 有,福田秀樹,林原 毅,小川浩史の各氏との共著論文となっているが,論文提出者が主体となって,分析,実験,検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって,博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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