学位論文要旨



No 123904
著者(漢字) 貴志,孝洋
著者(英字)
著者(カナ) キシ,タカヒロ
標題(和) 含フッ素消火薬剤の環境影響に関する研究
標題(洋)
報告番号 123904
報告番号 甲23904
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第370号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 環境システム学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,充
 東京大学 教授 土橋,律
 東京大学 准教授 阿久津,好明
 東京大学 准教授 多部田,茂
 東京大学 准教授 吉永,淳
内容要旨 要旨を表示する

1 はじめに

泡消火薬剤は主に石油火災に用いられており、平成15年9月に起こった北海道十勝沖地震で発災した出光興産(株)ナフサタンク火災では約2000 kL用いられた。しかし消火作業中に消火薬剤が不足したため急遽全国各地から空輸して用いた。このような事態を受け、石油コンビナート等防災体制検討会では泡消火薬剤の全国的な普及と備蓄について検討している。含フッ素消火薬剤(水成膜泡消火薬剤)はフッ素系界面活性剤を含んだ泡消火薬剤で、石油火災に対して特に優れた消火性能を有しているため、今後この水成膜泡消火薬剤が普及する可能性がある。しかし、その環境影響については全く検討されていない。

2 目的・方針

本研究では水成膜泡消火薬剤の環境にどのような影響を与えるかについて検討を行ない、さらに環境に優しい消火方法を確立するため代替手段についても検討を行ない、代替物に関する知見を得ることを目的とした。海洋での環境影響を明らかにするため生分解性試験を行ない、水成膜泡消火薬剤の環境水中での挙動をLC-MSを用いて観察した。次に大気中での環境影響を明らかにするため燃焼実験を行ない、水成膜泡消火薬剤の燃焼生成物について検討した。環境内運命について検討するため、生成物の大気・海洋中での挙動についてシミュレーションを行なった。また、代替手段について検討するため添加されているフッ素系界面活性剤の役割について明らかにし、代替物に関する知見を得た。

3 結果と考察

(1)生分解性試験(OECD 301C;活性汚泥法)

OECD 301Cの活性汚泥法に基づいた生分解性試験により、水成膜泡消火薬剤の環境水中での挙動について検討を行なった。挙動解析にはLC-MSを用いて経時的に測定した。その結果、環境水中の微生物の働きによって水成膜泡消火薬剤からPFOS(Perfluorooctane Sulfonate)が発生することが確認された。また28日経過後もPFOSは分解されることなく存在することも明らかになった。PFOSはその高い生態蓄積性と毒性から新しい環境問題であるPFOS問題として近年欧米を中心に注目を浴びている。PFOSは主に表面コーティング剤や撥水剤、フッ素系界面活性剤などの原料に用いられていることから、水成膜泡消火薬剤からのPFOSの発生は含有するフッ素系界面活性剤からであると考えられる。そこでフッ素系界面活性剤のモデル物質を用いて、同様の試験により挙動解析を行なった。その結果、同様にPFOSの発生が確認された。モデル物質とPFOSの中間生成物の解析よりPFOS発生機構をFig. 1のように提案した。末端のアルコール基は微生物のデヒドロゲナーゼおよびオキシダーゼの働きによってアルデヒド、カルボン酸へと分解され、アシルCoAシンテターゼによって取り除かれ炭素数を減少させる。また、メチル基は微生物の加水分解によって炭素数を減少させ、最終的にはPFOSへと分解されると考えられる。

これらのことから水成膜泡消火薬剤の海洋への暴露がPFOS問題の原因のひとつとなり得ることが明らかになった。

(2)燃焼実験

一般的に水成膜泡消火薬剤は火災時に用いられることから高温に曝される。そこで燃焼による生成物の検討を、流通系反応装置を用いた燃焼実験により行なった。燃焼実験は空気流通下400℃~1000℃の温度範囲内で行なった。その結果、水成膜泡消火薬剤から粉じんとしてPFOSおよび類縁化合物のひとつであるPFOA(Perfluorooctane Acid)、気体として環境汚染物質のHFやSO2などが環境中に排出されることが確認された。Fig. 2に各温度におけるPFOS、PFOA等の生成量について示す。昇温にともないPFOS生成量は減少し、PFOA生成量は増加する傾向が得られた。このことからPFOSからPFOAへの転化の可能性が示唆される。同様にモデル物質を用いて燃焼実験を行なった。同様に粉じんとしてPFOSなどが、気体としてHFやSO2などが発生していることを確認した。モデル物質の場合では昇温にともないPFOS生成量は減少するものの、PFOA生成量はほとんど増加せず、一方でPFOSとPFOAの中間体が増加する傾向が得られた。これらのことからPFOS発生機構をFig. 3のように提案した。PFOSとPFOAの生成には共存する水蒸気や酸素に影響させると考えられ、モデル物質の単体の場合、水蒸気の供給源が自身の炭化水素基に依存するため充分な量の水蒸気が得られずPFOAの生成量が減少したと考えられる。

これらのことから水成膜泡消火薬剤が高温に曝されることによって大気中にPFOSなどを粉じんとして排出し、PFOS問題の原因のひとつとなり得ることが明らかになった。

(3)環境内運命

PFOS問題においてPFOSの環境内運命はまだ充分に明らかにはなっていない。そこでシミュレーションを行なうことによって、その環境内運命およびリスク評価について検討した。ここでは大気の移流・拡散モデルとして影響評価解析ソフトTRACE(SAFER Systems社)、海洋の移流・拡散モデルとして(独)沿岸生態リスク評価モデルを用いた。

大気での移流・拡散のシミュレーションを行なうにあたり捕集した粉じんの粒経および密度を測定したところ、粒経は11.5um、密度は1.871 g/cm-3であった。なお、ここではケーススタディとし前述した北海道十勝沖地震で発災した出光興産(株)ナフサタンク火災を取り上げた。使用された泡消火薬剤は約2000 kLに達し、そのうち800 kLが水成膜泡消火薬剤であった。使用された水成膜泡消火薬剤からどの程度のPFOSの粉じんが排出されるかは不明であるため、本研究では排出量を仮定して計算を行なった。Fig. 4にフッ素系界面活性剤のうち4分の1量がPFOSの粉じんとして排出された場合の粒子拡散範囲図を示す。また、Fig. 5に同様に粒子堆積分布図を示す。これより、放出されたPFOSの粉じんは大気中を拡散し、最終的には地表面へ沈降する傾向が得られた。一般的にPFOSを始めとする過フッ素化化合物は大気中のラジカルおよび紫外線に反応しにくい耐候性を示すことが知られている。そのためPFOSの粉じんは大気中に拡散されるが、大気中で反応せずそのまま大部分が地表面もしくは海面に沈降していくと考えられる。(独)製品評価技術基盤機構では化学物質の呼吸によるヒトへの暴露量は大気中の濃度と空気吸入量(20 m3 / day)の積で表わせるとしている。PFOSのTDIは0.083 ug/kg/dayとされていることから、呼吸によるTDI(耐用一日摂取量)は4.15 ug/dayであると算出される。そのためFig. 5で示された堆積量1.0 mg/m2以上の範囲中の住民に対してHQ(ハザード比)が481.9ものPFOSに暴露される可能性が示唆された。

次に海洋での移流・拡散のシミュレーションを行なった。Fig. 6に東京湾におけるPFOS濃度分布(xy断面)を示す。また、Fig. 7に東京湾におけるPFOS濃度分布(xz断面)を示す。PFOS排出量は大気での計算と同様とした。暴露されたPFOSは表層水を拡散し、また同時に海底に向かって沈降していく様子が確認された。前述の生分解性試験で明らかになったように、PFOSは生分解をほとんど受けないことから、環境水中に暴露されたPFOSは表層水を拡散しながら海底に蓄積していき、難分解性であるため長期間にわたって残留すると考えられる。またPFOSのNOEC(無毒性量)は250 ng/LであることからMOE(暴露マージン)の逆数によりリスクを計算した。その結果、広い範囲でリスク値が1.0以上となり、一部4.0以上の範囲も存在した。

これらのことから水成膜泡消火薬剤の火災時の使用によってPFOS問題の原因となり得ることが明らかになり、その環境や健康へのリスクは決して低くないことが明らかになった。

(4)フッ素系界面活性剤の役割についての検討

水成膜泡消火薬剤にはフッ素系界面活性剤が添加されているが、その添加は経験的に行なわれており科学的な根拠はあまり存在しない。そこでフッ素系界面活性剤の一般的な性質である表面張力の低下と、フッ素を含むことから負触媒効果の有無について検討し、代替物への知見について検討した。水成膜泡消火薬剤は合成界面活性剤泡消火薬剤にフッ素系界面活性剤が添加されたものである。そこで水成膜泡消火薬剤と合成界面活性剤泡消火薬剤の表面張力と油面への泡の被覆時間を比較した。その結果、表面張力の小さい水成膜泡消火薬剤の方が早く油面を泡で被覆することが分かった。これよりフッ素系界面活性剤は表面張力を低下させ、マランゴニ対流を引き起こすことによって拡散性を向上させていることが明らかになった。一方で燃焼により生じたラジカルの捕捉能がフッ素は弱いことが知られている。また使用時では、泡消火薬剤は水で5%程度まで薄められることからも負触媒効果はほとんど期待できない。これらのことと、前述した燃焼実験の結果からフッ素系界面活性剤の役割は表面張力の低下による拡散性の向上と難燃性の付与であると考えられる。そこで、本研究では炭素数が6のフッ素系界面活性剤を使用することを提案し、リスク評価を行なった。炭素数が少なくなると毒性も大きく下がり、リスクを計算したところ大きくリスクが低減されることが明らかになった。

4. まとめ

本研究において水成膜泡消火薬剤から生分解によってPFOSが発生し、また燃焼によって粉じんのPFOSやPFOAが発生することが明らかになった。また移流・拡散のシミュレーションによってPFOSの粉じんはは大気中を拡散し最終的には地表面へ沈降する、海洋に暴露されたPFOSは表層水を拡散すると同時に海底へと向かって沈降し残留することが明らかになった。さらにフッ素系界面活性剤の役割として表面張力の低下と難燃性の付与であることから、炭素数6のフッ素系界面活性剤を代替として用いることで環境・健康に対するリスクは大きく低減できることが明らかになった。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「含フッ素消火薬剤の環境影響に関する研究」と題し、石油火災に用いられるフッ素系界面活性剤含有の水性膜泡消火薬剤(AFFF)の環境影響を明らかにするために、AFFFの環境内運命についての解析と、低環境負荷消火薬剤開発の検討を目的として行なった研究の成果をまとめたもので、6章からなる。

第1章は序論であり、フッ素系界面活性剤などフッ素化合物に関連する環境問題の現状と既往の研究および消火と環境の関わりについて解説し、その中で本論文の目的と研究方針について述べている。

第2章では、AFFFの環境水中での挙動を解析するとともに、その分解生成物からフッ素系界面活性剤の生分解機構について検討している。AFFFの環境水中での挙動を解析するため活性汚泥法(OECD-301C)に基づいた生分解性試験を行ない、経時変化をLC-MSを用いて観察した結果、AFFFから新しい環境問題であるPFOS問題の原因物質、パーフルオロオクタンスルホン酸(Perfluorooctane Sulfonate、PFOS)が生成することを見出した。また、その後30日間継続して経時変化を観察したところ、このPFOSは分解されることなく、難分解性と高い蓄積性を示すことを明らかにした。これらのことからAFFFの環境水中への暴露がPFOS問題の原因のひとつになり得ることを述べている。更に、モデル物質を用いた実験から、フッ素系界面活性剤からのPFOS発生機構(生分解機構)を提案するとともに、その他のPFOS誘導体もまた環境水中に暴露されると、同様の機構でPFOSを発生する可能性を示した。

第3章では、AFFFの大気環境への影響について検討している。固定床流通系反応装置を用いて、フッ素系界面活性剤の燃焼実験を行ない、分解ガス、生じた粉じんの分析を行った結果、燃焼によってAFFFからフッ化水素および二酸化硫黄などの環境汚染物質が発生すること、生じた粉じんにはPFOSおよびパーフルオロオクタン酸(Perfluorooctane Acid、PFOA)が含まれていることを見出した。また燃焼反応温度を400~1000℃に変化させたところ、低温ではPFOSが、高温ではPFOAが多く粉じんに含まれる傾向があることを見出した。更に、モデル物質単独、およびモデル物質とAFFFに含まれる炭化水素系界面活性剤共存系での燃焼実験の比較から、共存物質がPFOAの発生に寄与していることを見いだした。これらから、AFFFによる火災の消火によってフッ化水素や二酸化硫黄だけではなくPFOS、PFOAも大気中に排出される可能性を示すとともに、火災時のAFFFの燃焼がPFOS問題の原因のひとつになり得るとしている。同時に、フッ素系界面活性剤からのPFOS・PFOA発生機構を提案し、また、その他のPFOS誘導体の燃焼によるPFOS発生の可能性も示唆している。

第4章ではAFFFの環境内運命を明らかにするため、2003年の十勝沖地震で発災した苫小牧でのナフサタンク火災をケースタディとして取り上げ、発生したPFOSの大気中および海洋中での移流・拡散についてシミュレーションによる検討を行なっている。また環境リスクについても述べている。粉じん状のPFOSは大気中を拡散するものの、最終的には地表面に沈降し、火災現場の近隣住民が高濃度のPFOSに暴露する可能性を明らかにした。また同時に、海洋に達したPFOSは、分解されること無く海底へ蓄積することを明らかにした。しかし、火災消火時のPFOS の大気への放出は一時的なものであり、PFOSの急性毒性も高くないことから、健康リスクは高くはないとしている。また、海洋に到達したPFOSは表層水を拡散せず、沈降することから直接的な健康リスクは小さいと考えられるが、高い蓄積性を有することから環境への影響は決して低くないとしている。

第5章では、これまで経験的に添加されてきているフッ素系界面活性剤の消火における効果を検討し、消火機構の解明を試みるともに、新規低環境負荷消火薬剤開発の可能性について述べている。消火におけるフッ素系界面活性剤の効果としては、主に難燃性の付与と流動性の向上が重要であり、特に流動性の向上については、フッ素系界面活性剤による表面張力の低下に基づく、マランゴニ対流による寄与が大きいことを示した。一方、消火機構については主に窒息効果と冷却効果が支配的であり、フッ素系界面活性剤から生じたフッ素ラジカルによる負触媒効果はほとんど期待できないとしている。そのため新規の低環境負荷消火薬剤として炭素数8のフッ素系界面活性剤ではなく、より分解されやすい、炭素数6のフッ素系界面活性剤を用いることを提案している。

第6章は総括であり、本論文の成果をまとめている。

以上、要するに本論文は、石油火災用消火薬剤として使用されている、AFFFの環境影響について検討した結果、AFFF に含まれる、フッ素系界面活性剤が、土壌中、海水中、あるいは消火中の熱分解により、PFOS, PFOAを生じる可能性があることを示すとともに、それらの発生機構、環境内運命、環境影響について明らかにし、更に、その改善方法の提案を行ったものであり、環境システム学の発展に寄与するところが少なくない。

よって、本論文は博士(環境学)の学位請求論文として合格と認められる。

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