学位論文要旨



No 123907
著者(漢字) 角田,領
著者(英字)
著者(カナ) カクタ,リョウ
標題(和) タスクネットワークシミュレーションによるチームパフォーマンスの定量的評価に関する研究
標題(洋)
報告番号 123907
報告番号 甲23907
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第373号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 人間環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大和,裕幸
 東京大学 教授 保坂,寛
 東京大学 教授 佐々木,健
 東京大学 教授 古田,一雄
 東京大学 准教授 鈴木,克幸
 (株)MTI プロジェクトマネージャー 安藤,英幸
内容要旨 要旨を表示する

高度な安全性と信頼性が社会的に求められる作業現場では、日々試行錯誤によるパフォーマンス向上への取り組みが行なわれている。例えば、原子力プラントのコントロールルーム、大型船舶のブリッジといった現場では、新しい情報システムの導入、マニュアルの改善、CRM(Cockpit Resource Management)に代表されるチームトレーニング、といった手法で、チームパフォーマンスの改善が試みられている。こうした取組みを合理的に行なうためには、様々な変更がチームのパフォーマンスや作業の安全性に与える影響の定量的評価が必要となる。

海事分野においては、船舶運航の国際化により様々な規則が提案され、新しい情報機器の導入やトレーニングの実施が義務化されている。また、近年では新しい規則が提案された際には、その規則の合理性を確認するため、リスク評価の実施が求められるようになった。しかし、人間的要素が深く関わる場合では、利用できるデータも少ないため、主観的評価を利用することが許されている。このため、より客観的な評価手法の開発が期待されている。

そこで本研究では、シミュレーションを利用したチームパフォーマンスの定量的評価手法を提案する。パフォーマンス評価の対象を大型船舶のブリッジ作業とし、様々な定量評価の事例を通して、手法の有効性の検討を行なった。

シミュレーション手法として、ワークフローベースの手法であるタスクネットワークシミュレーションを適用する。この手法は、タスクの系列、条件分岐、ループによって人間の行動を記述する手法である。タスクの実行時間など客観的な観測データを利用しやすいという特徴がある一方で、表現力に乏しく、単純でパターン化されたチーム作業にしか適用されてこなかった。本研究ではクルーによるタスク選択を制御する認知モデルと、タスクの詳細を記述するタスクネットワークモデルを分け、表現力を高める。

本研究で提案するタスクネットワークモデルの構築手順は以下の通りである。はじめに、シミュレータトレーニングを記録し、ビデオ、シミュレータのログといった様々な時系列データを獲得する。シミュレータトレーニングを利用するのは、環境データの取得が容易であることによる。次に、これらのデータをESDA(Exploratory Sequential Data Analysis)システムによって探索的に分析し、コーディングを実施し、基本となる要素タスクと、要素タスクの集まりからなるタスクを明らかにする。さらに、そのタスクの典型的なパターンを要素タスクのネットワークによって表現する。複数のパターンがある場合は、条件分岐ルールをESDAシステムによる定量的・定性的分析から抽出する。また、タスクの開始や終了に必要な条件の抽出も行なう。

各クルーの認知モデルは、スケジューリングと優先順位付けルールによって、割り当てられている複数のタスクから、次に実行するタスクを1つ選択することとする。スケジューリングは、各タスクの実行時間間隔の分析により、優先順位付けルールは、定性的な分析により求める。

パフォーマンスの評価指標は、チーム状況認識の概念に基づいて決定する。具体的には、周囲状況の変化をチームメンバーが気づき、その情報がチームに伝わるまでの時間で評価する。この指標は実際に観測可能であるため、指標と合うようにタスクネットワークモデルのパラメータを調整し、パフォーマンス評価の精度を高められる。

提案手法を船舶ブリッジ作業に適用し、シミュレーションによるパフォーマンスの定量評価を行なった。はじめに、操船シミュレータを利用して行なわれたトレーニングを記録し、CORAS(COllaboration Record and Analyze System)による分析を実施した。CORASでは、ビデオ・音声の他にレーダー情報や対話といった多様な時系列データを扱うことができ、任意の時間枠に対しコーディングを行なうことができる。分析により、19種類の要素タスクが明らかとなり、これらを7種類のタスクへ整理し、タスクネットワークを構築した。タスクには、周囲の危険船舶を発見するための探索タスク、既に発見した船舶の動向を確認するための監視タスクなどがある。これらのタスクは探索及び監視、情報の要求、機器からの情報の読み取り、報告といった要素タスクで構成される。

探索時には危険な船舶の存在の有無によって、タスクの分岐が発生する。そこで、他船が発見された際の最接近時の距離やそこまでの時間といったパラメータを、過去のトレーニング記録より分析し、発見される船舶の条件を求めた。これを見張り範囲と設定し、この範囲に船舶が存在するかどうかを条件分岐のルールとした。他の条件分岐についても、同様に詳細な分析を行なうことでルールを求める。

また、船員の認知モデルを構築するために、タスクの実行時間間隔を分析した。特に、監視タスクでは、対象となる船舶の危険度によって時間間隔が変化するように、船舶を本船との位置関係を示すパラメータで分類し、それぞれに時間間隔を設定した。優先順位付けのルールとしては、監視が探索より優先される、通信への対応がどのタスクよりも優先されるといったルールが抽出された。

ブリッジチームのパフォーマンス評価の指標として、Time to SA(Situation Awareness)1とSA2という2種類を定義した。Time to SA1は、船舶が見張り範囲に入ってからチームがそれを初認するまでの時間であり、Time to SA2は、船舶が動向を変化させてからチームがそれを確認するまでの時間である。シミュレーション上では、これらのイベントは、探索あるいは変化のあった船舶への監視が実行されている場合に知覚される。他のタスクや、他の船舶への監視を実行していると、Time to SAは長くなる。

このようにして構築したタスクネットワークシミュレーションによるパフォーマンス評価と、実際のトレーニングでのパフォーマンスを、同じシナリオを利用して比較した。監視のスケジューリングが行なわれる船舶数を変化させて、実際との比較を行なった結果、3隻のときが最も近くなった。また、このとき実際に発見の遅い船舶や動向変化に対するTime to SAは長くなり、実際のパフォーマンスの傾向とよく合うことが確認された。

シミュレーションの応用事例として、構築したブリッジチームのパフォーマンス評価シミュレーションをいくつかの定量評価の事例に適用した。

はじめに、ブリッジにおけるチームトレーニングであるBRM(Bridge Resource Management)シミュレータトレーニングで利用されているシナリオの難易度評価に、シミュレーションを適用した。あらかじめ船長経験者らによって主観的に難易度が評価されている複数のシナリオをシミュレーションに入力し、求められたTime to SAを代表的なサービス時間分布であるアーラン分布に適合させ、95%点を求めた。その結果、Time to SAによるシナリオ難易度の順序は、主観的評価と一致し、さらに船長経験者らの感覚ともよく一致することが確認された。

次に、チームパフォーマンス改善案の評価にシミュレーションを適用した。ここでは、ブリッジの増員、AIS(Automatic Identification System)の導入、役割分担の変更という3つの改善案の評価を行なった。これらの評価のため、船員数と役割分担に応じて、タスクネットワークモデルが動的に構成されるよう、モデルの拡張を行なった。航行シナリオは、難易度評価の対象とした複数のシナリオを利用した。

ブリッジの船員を3名から6名まで変えてパフォーマンスの評価を行なった。その結果、どのシナリオにおいてもブリッジの増員は5名までならば有効であるが,それ以上では効果が無くなることが分かった。これは、最も作業の忙しいときのブリッジの体制として経験的に定められている人数と一致しており、規則の妥当性を定量的に確認することができた。

AISは船名や目的地に関する情報を互いに送受信し、受信機に表示するシステムであり、既に一部の船舶には搭載が義務付けられている。特に、通信時間の削減が期待されている。ここではAIS導入時と非導入時の、船舶間通信にかかる時間を計測し、これをシミュレーションに設定し、AISの効果を検討した。その結果、互いの船名を把握できることによって削減できる通信の時間が短いため、パフォーマンスの改善は小さくなった。AISでは他にも様々なデータを送受信しており、これらのデータを有効活用し、さらなる通信時間の削減が必要であるという知見が得られた。

また、複数の役割分担のパフォーマンス評価を行なった結果、監視すべき船舶数が多い場合に、探索タスクと監視タスクの分担を船員間で明確に分けるという動的な役割分担の変更により、パフォーマンスが大きく改善されることが分かった。

これらの一連の評価結果より、ブリッジ作業のパフォーマンス改善の将来展望として、増員よりもAISの機能の有効活用、役割分担の改善を行なう方が効果的であるという知見が得られた。

以上により、シミュレータトレーニングの詳細な分析に基づいてタスクネットワークシミュレーションを構築する手法により、複雑なチーム作業のパフォーマンスの定量評価が可能となり、従来困難だった、チーム作業の変更が与える影響の定量化が行いやすくなることを示した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、船長を中心としたグループ操船作業をタスクネットワークとしてモデル化してシミュレーションを行い、輻輳海域での操船難易度などを定量的に評価することをテーマとして、所論を展開している。

本論文は10章からなっている。

第1章は緒言として、本研究の背景や着眼、論文の構成などが述べられている。チームパフォーマンス評価におけるヒューマンモデリングや、シミュレータを利用したデータ獲得の有用性について言及されている。

第2章では背景と目的の記述がある。本研究で対象とした海事分野における、トレーニングやマニュアル開発における問題点を整理し、特に作業の定量評価技術の確立の重要性を指摘している。こうした検討に基づき、訓練シミュレータから得られる客観的データを利用してシミュレーションを開発するという手法の提案に至る経緯が説明される。

第3章では、チームワークやチーム評価シミュレーションに関する研究などが紹介されている。特に各種チームモデルの構築法の利点と欠点が整理され、複雑なチーム作業の評価に客観的データを利用するには、タスクネットワークシミュレーションの拡張が必要であることが確認されている。

第4章では、大型船舶のブリッジチーム作業と、シミュレータトレーニングの概要について述べられている。大型船舶操船では、操縦性の問題から慎重な見張りや、他船との通信といった高度なタスクが要求されるため、チームの協同作業が必要となることが述べられている。また、協同作業を向上させるためのBRM(Bridge Resource Management)トレーニングについて紹介されている。

第5章では、チームパフォーマンスの定量評価手法を提案している。シミュレーションは、人間行動を要素作業、条件分岐、ループ等で表現するタスクネットワークモデルと、タスク選択を制御する認知モデルによって構成される。シミュレータによって得られる多様な時系列データを、ESDA(Exploratory Sequential Data Analysis)の手法によって詳細に分析することで、複雑なチーム作業のタスクネットワークモデルや認知モデルが開発できるとしている。また、パフォーマンスの評価指標として外部観測可能な状況認識に着目することで、実際のデータとも合わせられ、モデル開発が容易になるとしている。

第6章は提案手法の立証に当てられている。実際のBRMシミュレータトレーニングを記録し、CORASと呼ばれるESDAシステムにより分析を実施し、タスクネットワークモデルを開発している。トレーニングログの分析により、タスクネットワークに設定する条件分岐や、認知モデルに設定するスケジューリングや優先順位のルールを獲得する過程が述べられている。また、パフォーマンス評価指標として、状況認識までの時間を示すTime to SA(Situation Awareness)を定義している。さらに、実際のトレーニングシナリオをモデルに入力し、現実と近いパフォーマンスが得られることを確認している。

第7章、8章は、評価手法の応用について述べている。第7章では、シミュレータトレーニングシナリオの評価に応用している。複数のシナリオを入力してシミュレーションを実施した結果、求められたTime to SAによる難易度比較が、熟練者らの主観評価と一致することが確認された。第8章では、パフォーマンス改善案として、乗員数の変更、情報機器の導入、役割分担の変更の影響を評価している。これにより、従来の経験的に定められた最高の乗員数が合理的であることや、新しい役割分担の可能性が確認された。

第9章では、これらの成果をまとめて考察している。提案手法により、チームパフォーマンスの定量評価が可能となること、様々な変更の影響をモデルに取り込めることが述べられている。また、評価指標としてのTime to SAの有効性についての考察と展望が述べられている。

第10章では結論を述べている。

タスクネットワークシミュレーション、シミュレータ、状況認識といった技術と理論を組み合わせたチームパフォーマンス評価手法により、所期の成果が得られ、さらにトレーニングシナリオやチーム体制のあり方の検討にも利用できたことについて述べられている。

以上のように本論文では、タスクネットワークシミュレーションの具体的な手法を詳細に提案している。認知モデルから導かれたTime to SAを難易度の指標として評価することを独自に提案して、具体的な例題で実証している。これらはこれまでにない独創的な内容で、論理的にも明確である。また、グループ作業による事故の分析等、多様な産業環境の分析評価に用いることができ、きわめて重要な成果といえる。

したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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