学位論文要旨



No 123911
著者(漢字) 長井,謙治
著者(英字)
著者(カナ) ナガイ,ケンジ
標題(和) 日本列島における有舌尖頭器の研究 : 実験考古学の実践的研究
標題(洋)
報告番号 123911
報告番号 甲23911
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第377号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 社会文化環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,宏之
 東京大学 教授 辻,誠一郎
 東京大学 教授 鬼頭,秀一
 東京大学 准教授 清水,亮
 東京大学 准教授 清家,剛
内容要旨 要旨を表示する

有舌尖頭器とは更新世/完新世移行期に作られた狩猟用石器である。近年、日本列島の更新世末期における陸上生態系/植生史が明らかとなることで、針葉樹林から温帯の落葉広葉樹林へという陸上生態系の急変が明らかとなっている。この急変とほとんど軸を一にして、日本列島に出現/消滅した狩猟具のひとつが有舌尖頭器である。旧石器文化から縄文文化へという文化の変化と画期に消長関係が合致する有舌尖頭器は、縄文文化形成の動態を解くきわめて重要な考古文物としてこれまでに学界で注目されてきた。

同石器は、晩氷期中盤から末期にかけて地域差をもちつつ、日本列島(九州―四国―本州をひとつの陸塊島とし、北海道を大陸から突き出した半島とする古地理)のほぼ全域で盛行する。晩氷期後半に凡そ対応する約13,600 y.B.P.から9,800 y.B.P頃における日本列島の有舌尖頭器群が本論文のおもな検討対象である。

これまでの研究は「かたち」の文化規範を探ることに端を発し、その延長上にある諸研究は現在の資料から矛盾をきたしている。第1章では一系統的起源論を前提とした「形」・「型」の研究史を回顧して、有舌尖頭器の学史にある上記の問題を詳しく描出する。

第2章では石器づくりの実験考古学により、独自の方法論を生みだす。まずは有舌尖頭器の復元製作を行い、その複製資料を使って剥離面の解析を行い、石器作り動作の型を指摘する。使用するデータは申請者・T.Dillardの複製品、民族資料等である。結論として、石器作りには「正位」・「逆位」の加工法があり、この2つの加工法は共に辺に対して水平の剥離を生み出すものの、辺に対して上下に傾く剥離をより安定して生み出す傾向にあることを明らかとする。この結論は複製資料の剥離軸を定量的に調べることで導出された。すなわち、右辺で左下方へ、左辺で右上方へと傾く右肩上がりの剥離面は正位の剥離により効率的につくられ、右辺で左上方へ、左辺で右下方へと傾く左肩上がりの剥離面は逆位の剥離により効率的につくられる傾向が明らかとなった。これは石器作りの動作とそれが生みだす痕跡の間にある強い相関関係として指摘された。第3章以降は、このような傾く剥離をもつ有舌尖頭器を対象とした考古学的分析をおこなった。

第3章では、斜行有舌尖頭器を提唱して、その日本列島における分布と展開を検討した。筆者および先学が集成・紹介した本州・四国・九州・北海道に於ける305遺跡以上の有舌尖頭器が主たる検討の対象となった。第3章の結論としては、日本列島における斜行有舌尖頭器は本州西半部と北海道に安定して認められ、北海道で左肩上がりの有舌尖頭器を主体とし、本州以西で右肩上がりの有舌尖頭器を主体とすることが指摘された。日本列島における斜行有舌尖頭器は、北東北地方付近を境とする西と東で斜方向を真逆としたことが明らかとなった。

では、この斜方向の違いは何を物語っているのか。そして、その歴史的意義はどのように解かれるのか。斜方向/剥離順序から石器扱いを読み解いたのが第4章である。

第4章では、二つの石器扱いを導出する。この作業により、日本列島の有舌尖頭器が一系統的存在であるということに対する最初の否定的根拠が提出されることとなった。

二つの石器扱いは石器作りの経験から以下のように導き出された。正位の剥離により連続的な剥離をうみだすとき、左辺で向こうから手前に剥離が進行し(↓)、右辺で手前から向こうに剥離が進行する(↑)。一方、逆位の剥離はすべてこの反対の仕組みとなる。逆位の剥離が手前への剥離である以上、向こうに高所があり、手前に低所があることが打面の強度と剥離誘導の安定性を保障するうえで必要となる。したがって、逆位では右辺で向こうから手前に剥離が進行し(↓)、左辺で手前から向こうへと剥離が進行する(↑)。すなわち、正位の剥離のとき、左辺で向こうから手前(↓)/右辺で手前から向こう(↑)の剥離順序が導出され、逆位の剥離のとき、右辺で向こうから手前(↓)/左辺で手前から向こう(↑)の剥離順序が導出されることを指摘した。(註)向こう、手前などの表現は割り手から見た空間を指す。

以上を踏まえたうえで、考古資料の石器扱いが遺物の詳細な観察により検討された。その結果、正位の石器扱いの証拠を突きつける剥離の順序/向きは、本州・四国の右肩上がりの有舌尖頭器・尖頭器群から導出された。一方、逆位の石器扱いの証拠を突きつける剥離の順序/向きは、北海道の左肩上がりの有舌尖頭器・尖頭器群から導出された。このように斜方向と加工手順という実証的な手がかりから日本列島における二つの石器扱いが導き出された。

以上の分析を介して重要となったのは、有舌尖頭器の石器扱いが本州・四国と北海道では全く異なるという推論であった。石器扱いは石器作りの動作により生まれるが、これは学習、伝承されるものであるから、石器扱いの違いとは、各地方ですでに存在する石器作りシステムの違いを反映している可能性が高いと予想された。そこで次に、有舌尖頭器のみならず、斜めの剥離をもつ石器群(斜行石器群)の検討をしたのが第5章以降である。

日本列島の東と西で認められる石器扱いの東西差は、いつの時期、どの程度の期間に、どのような背景から形成されたのか。第5・6章では、日本列島各地における有舌尖頭器の消長関係を明らかにすると共に、東西・2つの有舌尖頭器群を内包する斜行石器群の様相を検討した。東西・斜行石器群の展開:その時間と構造/有舌尖頭器の由来までを検討した。

第3章から第6章までの検討を通して、東西・斜行有舌尖頭器の展開・構造・時間・由来に関する推論は次のように果たされた。

1)日本列島における一方向型の斜状平行剥離を施す有舌尖頭器は、斜方向の差で異なる分布を示す。本州西半部に分布する斜行有舌尖頭器は、その斜方向が右肩上がりとなるが、北海道に分布する斜行有舌尖頭器は左肩上がりとなる。日本列島における斜行有舌尖頭器は、北東北地方付近を境とする西方と東方で斜方向を真逆とする。そしてこの東西差は晩氷期の約13,000 y.B.P.〈約15,500 cal BP〉から約11,000 y.B.P.〈約13,000 cal BP〉頃の日本列島で一時的に併存した。

2)晩氷期・石器群からは石器扱いの差が導出される。そしてこの石器扱いの違いは、石器作りシステムの違いにより顕現化している。RL-斜行石器群が九州-四国-本州的規模で地域色を有しつつ連なるホライズンを形成しており、LR-斜行石器群が北海道で固有のホライズンを形成する。右肩上がりの有舌尖頭器は晩氷期後半のRL-斜行圏(九州-四国-本州)に消長し、左肩上がりの有舌尖頭器は晩氷期のLR-斜行圏(北海道)に消長する。右肩上がりの有舌尖頭器と左肩上がりの有舌尖頭器は異なる石器作りシステムの中に生まれて消えた。

3)剥離の向きと型式から有舌尖頭器の一系統的起源論を再確認すると、本州以西の小瀬が沢系有舌尖頭器と北海道の立川系有舌尖頭器に右肩上がりないし左肩上がりの有舌尖頭器が認められる。この場合、立川系から小瀬が沢系の型式変化の間に石器扱いの変化を認めざるを得ず、よって立川系と小瀬が沢系は別系統とみるべき結論に至る。この推論により由来を同じくしない有舌尖頭器の存在が明示的となった。

最後に「先史考古学における動作連鎖論」から東西差の意義を検討した。

北海道・斜行石器群を構成する後半期細石刃石器群からは、強固なシェーンに逆位の石器扱いが組み込まれた内鎖(インサイド・オブ・シェーン)および外鎖(アウト・オブ・シェーン)を形成する石器作り(身体技法)が導き出された。北海道・左肩上がりの有舌尖頭器は北海道・固有の動作連鎖により作られたと考えられる。他方、本州以西の西の世界には北海道と同型の動作連鎖は認められないと考えられる。このように、本州以西と北海道が互いに異なる石器作りの文化的伝統を有しており、それぞれ異なる石器作りの文化的伝統から二つの有舌尖頭器が作られていたことを明らかとした。

これまでに、我が国の有舌尖頭器はごく一般的に大陸から渡来したと見なされてきた。すなわち、旧石器時代から縄文時代へという文化の変化は、大陸起源という新たな文化的接触にその形成の契機を求めてきた。北海道を伝播経路とし、そして、本土へと渡来した大陸起源の文物は、我が国・当地の文化と融合・融和し、所与の縄文文化を形成した。こうした理解を支えたのがまさに日本(北海道・本州・四国・九州)におけるひとつの有舌尖頭器文化であった。

ところが、日本列島の有舌尖頭器は、東西の異なる石器作り文化に生まれて消えた結論に達する。この結論は同時に、日本の一系統的有舌尖頭器が成立する余地が無いことを実証的に説明できたことを意味するのであり、所与の縄文文化を否定するものであった。

このように、本研究は石器づくりの実験考古学による独自の分析手法を介して、晩氷期の日本列島における2つの石器文化を描き出すことで、日本の一系統的有舌尖頭器が成立する余地が無いことを実証的に説明している。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、日本列島の自然環境が、氷期の大陸的な寒冷・乾燥気候を基調とする更新世から、列島特有の温暖・湿潤気候を基調とする完新世にかけて大きく転換したのに適応して、人類文化・社会が対照的に変化した移行期(晩氷期)後半(縄文時代草創期)の集団的な文化動態を、同時期を特徴づける有舌尖頭器に象徴される石器群の技術構造に関する徹底的な分析を通して、従来の定説であった大陸からの技術・集団伝播による一系的な縄文化プロセス説が成立しがたいことを明らかにした完成度の高いきわめて独創的な研究である。

本論文は、9章から構成されており、第1章緒論では、有舌尖頭器をめぐるこれまでの学史を整理して、本論文の問題の設定と方法について述べられている。これまでの諸説が、縄文文化の大陸起源説を前提に、移行期に特有な有舌尖頭器の形態分類とその型式間の関係性にのみ焦点が当てられる抽象的かつ非生産的な議論に終始してきた点を問題視し、現実の資料の実態からこの議論が成立しないことを明らかにして、新たな視点に基づく研究法を提案する。

第2章~第5章までは、具体的な分析が展開されている。まず第2章では、有舌尖頭器の器体を仕上げるために発揮される押圧剥離技法に関する徹底的な実験考古学的分析によって、有舌尖頭器にしばしば観察される斜行剥離が、二つの押圧剥離法(「正位」と「逆位」)から成り立つことを見いだした。論文提出者は、自身の10年以上に及ぶ石器製作実験の経験の積み重ねと、日米の現代の石器製作者の製作実験に対する参与観察等の分析から、この結論を導き出している。第3~5章では、列島の有舌尖頭器石器群資料を徹底的に渉猟した結果、二つの剥離法が、当時大陸と陸接していた北海道(「逆位」)と、同じく当時ひとつの古本州島を形成していた本州・四国・九州(「正位」)という単位の違いに分割されることを周到な議論を経て明らかにしている。この研究成果は従来指摘されたことがなく、本論文のきわめて重要な成果のひとつである。

結論にあたる第6~9章では、この研究成果の説明と解釈に当てられている。その際、動作連鎖論という新しい分析概念に基づいて、ふたつの地域の剥離法の違いを「石器扱い」と概念化し、それを「社会的慣習」という伝習される身体的な文化行為の差異として認識したが、その蓋然性は説得力ある議論として結実している。

従来の文化要素としての石器の形態学的研究というレベルを超克し、社会慣習や文化伝統を石器から読み解くという具体的方法を実践した本論文は、研究理論や方法の視野を拡大させ、より具体的な先史集団の文化的動態を展望しうる地平を本格的に切り開いたという意味でも秀逸である。

近年大陸渡来による縄文文化成立説に関する批判が提起されてはいるが、本論ほど具体的かつ詳細な分析による批判はなかったと言えよう。ただし、本論の分析が有舌尖頭器を有する斜行剥離石器群に焦点を絞るあまり、その出現と消長関係に関する分析と展望が手薄であること、当時の先史集団の中で展開された「石器扱い」像にやや具体性を欠くこと等、不満を感じさせる部分もなくはないが、本論文の意義を損なうほどのものではない。むしろ、論文提出者の将来の課題とすべきであろう。

従って、本委員会は、博士(環境学)の学位を授与するにふさわしいと認めるものである。

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