学位論文要旨



No 123913
著者(漢字) 福永,真弓
著者(英字)
著者(カナ) フクナガ,マユミ
標題(和) 多声性の環境倫理 : 流域の保全再生をめぐる正統性再構築のダイナミズムを軸に
標題(洋) Environmental Ethics of Polyphony : the Dynamism of Re-legitimation for the Watershed Restoration
報告番号 123913
報告番号 甲23913
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第379号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 社会文化環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鬼頭,秀一
 東京大学 教授 磯部,雅彦
 東京大学 教授 大野,秀敏
 東京大学 准教授 清水,亮
 東京大学 教授 菅,豊
内容要旨 要旨を表示する

本研究は,環境問題の「現場」から投げかけられ,提起されている本質的な問いを踏まえて,さまざまな問題を抱えて岐路にたつ環境倫理学を,新たに再編するための枠組みを提示することを目的とするものである.本論の構成は次のとおりである.第1章においては本論の問題意識と目的を述べ,現場から,という本論のテーマに沿って,第2章では詳細にカリフォルニア州マトール川流域の流域保全に関する事例について分析を行い,環境倫理学の新たな枠組みの雛形を提示した.第3章では,環境倫理学において,あるいは環境思想において論じられてきた理論的枠組みについて批判的に検討を加えながら,第2章の事例分析から析出した理論的枠組みをさらに理論的に深化させる.そして最後に,第4章において新たな理論枠組みの環境倫理学としての可能性を探る.なお,本論の理論的立場と枠組みの今後の課題を明確にする補論として,米国先住民ユロックと彼(女)らの流域保全政策に関する事例の分析を別章として添付した.

なお,研究の目的上,本論は社会学・人類学など近接する人文社会科学諸分野を横断し,学際的な手法を用いてフィールドワークを行い,諸分野の議論の蓄積をもとにしながら論じている.環境問題という問題群の性質上,自然科学分野との共闘はもっとも必要とされる点である.本研究では応用倫理として,自然科学分野の研究者も含めた当事者たちに対して,問題を問題として立てる際の認識枠組みの設定そのものや,問題解決をめざすための実践をどう形づくるか,当事者たちの主体形成はどのようにありうるのかといった総合的な議論を可能にし,実践に向かうための1つの方法論をも提示するものである.

以下,各章を簡単にまとめながら,詳しく本論の概要とその意義について述べたい.

第1章では先行研究に簡潔に触れながら,環境問題の現場から環境倫理学に突きつけられている課題について取り上げ,その課題を乗り越えるためには,環境倫理学を現場からたちあげていくことが必要であることを論じている.環境問題の現場をふまえたとき,環境倫理学が求められているのは以下の2点を含んだ枠組みを構築することである.1つは,道徳的多元性の認識とその尊重である.生態系は人々との長年のかかわりの中で,相互に影響を与え合いながら,人々によって「自然」として表現されてきたが,そのあり方は多様かつ多元的である.時代や状況と共に変容し,過去の枠組みを参照しながら構築される「自然」に対して,人々が抱く価値やそれを妥当とみなす立場もさまざまに異なる.環境倫理学の新たな枠組みは,このような道徳多元性をふまえ,尊重しながらも,単なる相対主義にとどまらずに人々のあいだに規範を形成することを目指す必要がある.

もう1つは正義を環境倫理学の主軸にすえる必要性である.「人と人のあいだ」の規範を考えることは,「人と生態系のあいだ」の規範を考える過程と共になければならない.環境問題は人と人のあいだの事柄であるからこそ問題となるのであり,言い換えれば環境問題は人と人のあいだの問題として解決するほかない.しかも,途上国を現場として社会経済的な分析を行ってきた地域研究などの諸研究や,米国の地域的な文脈を越えて,グローバル社会に広がるグローバルジャスティスを問題にしはじめた環境正義運動やそれに関する諸研究が示すように,人々の社会的諸関係こそが,生態系に対する人々の行為を規定する要因なのであり,社会経済構造の中にある人々の不正義を是正することそれ自体が,生態系に負担を与える人間の行為を止め,持続可能なものへと(何が持続すればいいのかという議論自体をふまえながらも)変えることにつながることは十分に期待できる.以上の点を考えたとき,正義をどのように環境倫理学に位置づけるかは,現在,現場から環境倫理学に投げかけられている重要不可欠な課題である.

これら2つの課題を念頭に置いた上で,第2章では1つの事例を取り上げ,詳細にその分析と考察を行った.本研究の構成からもわかるとおり,この事例研究は本研究の重要な軸である.具体的には米国カリフォルニア州マトール川流域の流域保全運動と地域資源管理システム構築の過程を扱い,特に「正統性」という概念を軸に分析をおこなった.

マトール川では,流域の保全再生をめぐる人々の激しいせめぎあいの中から,流域住民としての集合的アイデンティティを形成した事例である.マトール川流域において激しく対立していた人々は,サケの記憶を鎹としてアジェンダコミッティと流域協議会という〈応答と関係の場〉を築いた.それは,互いの生態系とのかかわりと,そこに住み生活するという〈生〉を営む上での覚悟を,お互いをつなぐメディアとして意識させる創造的な場であった.同時にそれは,人々がそれぞれに抱えていた流域の利用や資源管理のガバナンスに関する正統性を露わにしながら,それらへの相互理解を促す過程でもあった.そして〈応答と関係の場〉は,対立していた人々のあいだに,新たな正統性を構築することを可能にした.この新たな正統性こそが,人々のあいだに生態系への配慮を呼びかけ,資源管理のガバナンスの根拠となる規範の源泉であった.マトール川流域の環境倫理は,この新たな正統性に依拠しながら存在しているのである.

本論では,マトール川流域の事例において新たな正統性が〈応答と関係の場〉において築かれた過程そのものに着目した.そして,正統化のダイナミズムとそれが開かれる場としての〈応答と関係の場〉,さらに人々が互いを認識し,理解する上で重要な概念としての「生の領域」という概念を抽出すると共にその可能性について論じた.それらはすなわち,生態系を前にした人と人のあいだの規範を築く,多様性/多元性の尊重とそれを支える上位概念としての正義を位置づけられる新たな環境倫理の枠組みの雛形となるものであった.

第2章のマトール川の事例分析とそこから抽出した新たな理論枠組みを軸に,第3章では改めて,「〈応答と関係の場〉で開かれる正統化のダイナミズム」(図1参照)を,多元性/多様性の尊重と,それを可能にする上位概念としての「正義」の必要性,両者を満たす新たな環境倫理の枠組みとして提示した.そして理論的にこの枠組みを改めて他の諸議論の中で位置づけ,深化させることを試みた.まず〈応答と関係の場〉とそのよってたつ空間である「生の領域」について議論を深め,公共性や「応答」を軸に据えた現代正義論との接点を論じ,〈応答と関係の場〉そのものの理論的深みと可能性について議論した.「生の領域」とはすなわち,人々が文字通り身体の再生産(次代の,そして現在の自己の身体も含め)を行いながら,〈生〉の基盤となる安心と安寧を得ようとする,文字通り精神的にも肉体的にも生き抜くための活動が行われる領域のことである.人々は〈応答と関係の場〉に身をおくことによってはじめて,それぞれが背景とする固有の「生の領域」があることに気づきうる.〈応答と関係の場〉とは,自他が出会い,互いの身体を目の前にして相手の声を聞き,自らを語るという過程(応答)をへて,そのコミュニケイションの経験をもとにみずからの認識や理解の背景となる知の体系を再構築しなおし,あらためて相手と関係を結んでいく,そのような行為によって意味づけられる場である.そこでは,出会い,向き合った他者の「生の領域」の認識と理解,あるいは共感が生まれる.そして,他者の「生の領域」の維持のために譲れないこと,他者と自己が物理的に同じ場に「在る」ために必要であることを相互に経験的に知ることによって,人々の間に「生の領域」からたちあがる新たな公・共性が生まれる.それは「生の領域」から現存する社会にある公共性を豊饒化しようとする営みであり,〈応答と関係の場〉から人々のあいだに実践的な規範を与えるダイナミズムである.

本章ではこれらの概念を,環境倫理学の中で実践的な理論をやはり構築しようとしている環境プラグマティズム(Environmental Pragmatism)という環境倫理学の思潮や,「場」を問題にすることから理論的に近接している部分を持つ現象学的場所論などの批判的検討をふまえながら,「〈応答と関係の場〉で開かれる正統化のダイナミズム」の理論的な深化を試みた.そして,研究が示す枠組みが,これまでの環境思想や環境倫理とはまったく異なる形で,現場において問題になっている議論を実際に扱うための重要な枠組みであることを論じた.

「〈応答と関係の場〉で開かれる正統化のダイナミズム」が,冒頭に述べた現在の環境倫理学に向けられた現場からの批判的な声に応えられる枠組みであることは,補論として本研究の最後に添付した,米国先住民ユロックの流域保全の試みに関する事例分析からも明確に裏付けられている.伝統的生態学的知識(Traditional Ecological Knowledge, TEK)を用いながら,西欧近代科学の世界観や概念とは異なる,ユロックの生態系との歴史的なかかわりとそれに基づいた流域保全政策の確立をめざしているこの事例では,「〈応答と関係の場〉で開かれる正統化のダイナミズム」が,先住民にとって,みずからの尊厳を回復する主体化の過程であるとともに,先住民権を裏付ける重要な根拠を形成するための過程であることも明確に示された.そして,しばしば文化の真正性を論じる際に問題となる,規範や規則が集団の内部に抑圧的に働きうる諸刃の剣であるという点についても,本研究の規範形成の枠組みは,正統化のダイナミズムそのものに着目し組み立てているがゆえに,そのような負の側面を問題化し,乗り越える新たな正統性を構築しうる可能性があることを理論的に指摘した.

以上を踏まえ,第4章では,結論として,「〈応答と関係の場〉で開かれる正統化のダイナミズム」を環境倫理の枠組みとして新たに定義し,改めてその意義と可能性について論じた.特に,これまで環境問題においてその必要性が述べられてきた正義論の1つの新しい形として,そして米国の事例を用いることの限界性はあるものの,事例の固有性を超えて倫理の枠組みとして,さまざまな問題を問題化し,解決を求めるための実践性の高い枠組みであることを示した.

本研究で扱った理論の枠組みは,当事者たちの主体形成過程と正義の実現を共に行いうるものとして,近接する人文社会科学の議論においても極めて重要な論点を提案するものであり,環境倫理学をそれらの諸分野と密接に関連する学問分野として改めて再定義しなおす枠組みである.本論で議論したとおり,環境倫理学が「生態系を前にした人と人のあいだ」の規範を論じるものである以上,その議論は「人と人のあいだ」を議論してきた政治学やそこから生まれた社会そのものを論じる社会学にも十分に開かれるべきものである.また,環境問題は,冒頭でも述べたとおり,時に専門家の間でも,生態系のことは自然科学,人間のことは人文社会科学,と隔てられ,その結果,解決はおろか,問題を総合的な視野で捉えるという出発点でつまづきがちである.本論は,自然科学に対しても,対象とする「自然」概念の社会的文化的構築性を示し,何が問題か,何を問題解決とみなすのか,という「人と人のあいだ」の政治的社会的決定が不可欠であることを改めて示し,問題に関る当事者として分野を横断しつつ,同じ議論の土俵に乗ることが求められることを,環境倫理の新たな枠組みという形で改めて提案すると共に,そのような営みが可能であること,営みのもたらす豊穣な問題解決の実践性を示した.

図1 正統化のダイナミズム

審査要旨 要旨を表示する

本論文は4章からなる。

第1章では本論文の問題意識と目的が述べられている。

環境倫理学においては、実践性に関することと理論的な部分で大きな課題がある。実践的には、環境にかかわる問題に関して、その問題を分析する枠組みを提示し、その解決の方向性を示すことであり、理論的な部分は、道徳的多元主義を巡る問題と、環境正義の問題をどのように取り込みそれを環境倫理学の理論的な柱に据えるかという問題である。その問題は実はかなり関連しており、統合的に捉えることが不可欠になっている。文化的多元性を軽視し、自然を前にした人と人との関係性、特に社会的公正の問題を理論的にうまく組み込めなかったところに、従来の環境倫理学が、さまざまな現場における実践性について有効性を示すことができなかったという問題がある。

この第1章では環境倫理学のその問題を明確に指摘し、実践的な意味においても、理論的な意味においても、環境倫理学を現場からたちあげていくことの必要性を提示し、そのための枠組みとして、道徳的多元性を認識し尊重しつつも相対主義に陥らない普遍的な規範を提示することと、自然を前にした人と人の間の規範、通常は環境正義として整理されている「正義」の問題を取り上げている。この問題に関しては、環境倫理学そのものの先行研究のみならず、アジアやアフリカなどの環境の現場における地域研究や、環境正義運動に関する社会学的、政治学的研究が先行研究として重要である。この第1章では、それをすべて統合的に捉えた上で、環境倫理学を、実践性と理論性、多元性と普遍性という二つの不毛な二項対立図式に押し込められてしまった問題状況を超え、「現場から立ち上げる」ことの意味を説得的に提示する形で、本論文の問題意識と目的が提示されている。

第2章では、「現場から立ち上げる」ことを実践的に示すために、一つの事例を詳細に分析し、理論的な枠組みを提出している。具体的にはカリフォルニア州マトール川流域の流域保全運動と地域資源管理システム構築の過程を詳細に記述している。もともとネイティブの先住民族が住んでいた記憶がある場所であるが、そこに入植し牧畜業を営んでいるランチャーの人たちと環境主義者(生命地域主義者)の人たちの間のマトール川流域の保全再生をめぐる激しいせめぎあいがあったものの、その中から、流域住民としての集合的アイデンティティを形成した成功事例である。その契機を作ったのは、アジェンダコミッティと流域協議会が作られたことである。本章では、このアジェンダコミッティと流域協議会が、サケの記憶を鎹として形成されたことを示しているが、それは、そこに住み生活するという〈生〉を営む上での覚悟も含め、お互いをつなぐメディアとして意識させる創造的な場として機能していることが重要である。

本章では、事例の詳細な記述と分析をしていく中で、〈応答と関係の場〉という「生の領域」にかかわる概念によって整理している。そして、その〈応答と関係の場〉において、さまざまなレベルでの流域の利用や資源管理のガバナンスにかかわる正統性が、応答と関係というダイナミックな関係性の中で、構築され、さらに再構築され直していくダイナミズムを多元性と正義が保証される空間として示そうとしている。それは、多元的な価値をもつ人たちが、互いに異なる生態系とのかかわりと、それぞれ別になされていた流域の利用や資源管理のガバナンスに関する正統性を主張しつつも、同じ場所に生き続けるという「生の領域」を共有していく中で、相互理解を促し、集合的アイデンティティをダイナミックに形成していく過程でもあった。それはまた、多元性を尊重し、多声性をくみ取りつつも、それを支えるメタのレベルでの普遍性を保証する新たな環境倫理の枠組みの雛形となるものでもあった.

第3章では、第2章のマトール川の事例を再整理しつつ、そこで立ち上げられた概念枠組みである、「〈応答と関係の場〉で開かれる正統化のダイナミズム」を、既存のさまざまな社会理論との関係の中で位置づけ深化させている。それによって、多元性と多声性をダイナミズムの中で尊重することを可能にする上位概念としての「正義」概念を理論的に精緻化して位置づけて、多元的でありながらも普遍性を保証する環境倫理を明確な形で提示している。さらに、「生の領域」についての既存の議論、公共性や「応答」を軸に据えた現代正義論、環境倫理学の中では、環境プラグマティズムの議論や、現象学的場所論なども批判的検討をしつつ、「〈応答と関係の場〉で開かれる正統化のダイナミズム」の理論的な深化をしている。

第4章では、「〈応答と関係の場〉で開かれる正統化のダイナミズム」を環境倫理学の枠組みとして新たに提示しその意義と可能性について論じている。

場所に生き続けることの正統性ということについてマトールと別の形のダイナミズムが存在しているユロックの先住民族の居留地の事例を、本論でも言及しているが、より詳細な分析を補論として収めている。

このように、環境倫理学における本質的で困難な大きな課題に対して、「現場」から詳細なフィールドワークを通じて、理論的な枠組みを立ち上げていくという、方法論的にも斬新な手法で取り組み、結果的に、環境倫理学の新たな枠組みを構築することを成し挙げた、オリジナリティの高い研究である。また、理論的にも、環境倫理学の既存の議論だけでなく、周辺の社会科学の議論や地域研究の蓄積など、多くの研究を参照しつつ、現場から立ち上げた理論が、普遍性を持ち、他の領域にもインパクトがあるような形で提示している。

したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認められる。

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