学位論文要旨



No 123937
著者(漢字) 仲谷,正史
著者(英字)
著者(カナ) ナカタニ,マサシ
標題(和) 触覚ディスプレイ設計のためのヒト触知覚特性の研究
標題(洋) Characteristics of Human Tactile Perception for the Design Guidelines of Tactile Display
報告番号 123937
報告番号 甲23937
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(情報理工学)
学位記番号 博情第182号
研究科 情報理工学系研究科
専攻 システム情報学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 舘,
 東京大学 教授 廣瀬,通孝
 東京大学 教授 石川,正俊
 東京大学 准教授 広田,光一
 東京大学 講師 川上,直樹
内容要旨 要旨を表示する

触覚は人間の五感の中でプリミティブな外界の情報取得に優れており,視覚で情報を取得できない真っ暗な中でも人は触覚だけを信頼して行動することができる.とりわけ,手の指腹部の触覚感度は鋭く,大まかな形状のみならず局所的な凹凸や材質感まで判定することが可能である.ゆえに,手による器用な操作・把持が可能となっていると考えられる.

これまで多くの触覚研究が心理学,解剖学,神経生理学,機械工学,コンピュータ科学およびバーチャルリアリティ学など幅広い分野で行われてきている.その中でも工学的に触覚を再現する装置である「触覚ディスプレイ」の製作は,視覚による情報取得が困難な人間に対する代替手法として広く研究されてきている.しかしながら,触覚ディスプレイの製作にあたってどのような設計指針を持つべきであるかについて統一的に議論されることは少ない.その原因の一つとして,人間の触知覚メカニズムに関する研究がいまだ発展途上にあるため,どのような触覚ディスプレイを開発するべきかについての知見が十分ではないことが挙げられる.

触覚ディスプレイ作成に関わる人間の触知覚特性についてよりよく知っておくことは,正確にかつ効率よく情報を伝達するために必要になると考えられる.また,視覚や聴覚と同様に,人間の主観的な触体験が必ずしも物理世界に基づくわけではなく,物理刺激の一部を利用して知覚している可能性も考えられる.ゆえに,人間にとって触覚ディスプレイを簡便に作成する手法を人間の感覚知覚特性から導き出すことも可能と考えられる.本論文は上述の視座に立って,触覚ディスプレイを製作する際に有用となる知見を得て,今後の触覚ディスプレイの開発の指針を与えることを目的とする.そのために,触覚ディスプレイの発展に重要となる形状知覚・材質知覚・凹凸知覚およびこれらの触覚刺激の空間定位に関して,それぞれの知覚を生む上で重要な刺激特性を検討した.

本論文は6章から構成される.

1章では,これまでの人間の触知覚特性に関する研究を博士論文の背景として網羅的に概説し,これまでの触覚ディスプレイ開発のための知見を整理して概説する.

2章では,指先における形状知覚を,本論文が提案する新規の評価デバイス(高密度ピンマトリクス)によって検討する手法を述べる.高密度ピンマトリクスは,垂直方向にのみパッシブな運動が許されるように拘束された径の細いピン(0.3 - 1.8 mm)を多数本1次元もしくは2次元状に配置することによって,ピン型の触覚ディスプレイによって生じる触知覚を体感させる装置である.また,自由に空間配置が変えられるため,最小限の労力でさまざまな空間解像度を持つピン型触覚ディスプレイを実質的に体験することが可能となる.表面形状に対して,素手もしくは1.0, 1.5, 2.0 mm間隔のピンマトリクスを利用して触れてその形状を回答させる実験を行ったところ,素手と1.0 mm 間隔のピンマトリクス使用時の正答率が同等であった.これより,本実験で行った条件においては,空間解像度が1.0 mm程度のピン型触覚ディスプレイは素手で触れた場合と同等の形状情報を伝達する能力があることが示唆された.

3章では,指先における材質知覚に関して,対象物体の表面粗さと接触している指腹部の温度時間変化の二つを検討し,毛足の短い布の触感を再現する手法を提案した.具体的には,縦弾性を排除した場合に,絹糸・化学繊維糸(ポリエステル)によって編まれた目の細かい布の触感を金属板表面上に再現した.表面粗さの実測,および有限要素法を利用した指腹部内部の温度時間変化シミュレーションを行い,理論的に検証した.加えて,製作した金属薄板を利用した心理実験によって,確かに指腹部における材質知覚が表面粗さと指腹部内部の温度時間変化によって左右されることを行動データとして確認した.

4章では,指先における凹凸知覚に関して,新規に見出したFishbone Tactile Illusionを利用した研究手法を提案した.Fishbone Tactile Illusionが生じるためには,滑らかで平らな面と,それをはさむ2つの粗い面によって構成される物理刺激が必要となる.人間が手の指腹部によって上述の物理的に平らな面をなぞると,主観的にはくぼんで感じられると体験されることから,錯触覚と呼ぶことができると考えられる.4章では上述の錯触覚現象が生じる物理条件を調べることで,凹凸知覚に関する簡便な提示方法について検討した.

5章では,腕運動時における指先に対する触覚刺激の感覚的な空間位置と,物理的に与えた空間位置の間の誤差に関して評価を行った.結果,腕が運動開始した直前直後および運動終了する直前に定位誤差が生じることを示した.さらに,短時間(20ms)提示される触覚刺激と長時間(300ms)提示される触覚刺激が生じ始める/生じ終えた場所を答えさせる場合では,定位誤差の傾向が異なることを示した.以上の結果より,触覚ディスプレイが2次元平面上に移動しかつ触覚刺激の提示時間が変化する場合に,触覚刺激の位置まで正確に伝えるためには,上述の特性に基づいて触覚刺激を提示するべきであることを示した.

6章では,前章までの結果をまとめ,触覚ディスプレイを製作する際の具体的な指針を示した.

上述のように,触覚ディスプレイの発展に重要と考えられる,形状知覚,テクスチャ知覚,凹凸知覚に触覚刺激の空間定位に関して,各々の触知覚を生む上で重要な刺激特性を検討した.本論文が与える知見は,触覚ディスプレイによって意図しない誤った触知覚を生じさせないための注意を促すのみならず,人間の触知覚特性を明らかにしたという点で意義深い.本論文によって明らかになった触知覚特性と以後の同様な研究成果によって,より人間にとって正確に情報が伝達可能な触覚ディスプレイ開発につなげられるだろうと考えている.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「Characteristics of Human Tactile Perception for the Design Guidelines of Tactile Display(触覚ディスプレイ設計のためのヒト触知覚特性の研究)」と題し、6章からなる。近年、感覚代行やバーチャルリアリティの分野において、触覚をコミュニケーションのためのモダリティとして利用することが緊要となってきている。しかし、触覚の情報を人間に提示する触覚ディスプレイの製作にあたって、どのような設計指針を持つべきかに関する系統的な議論が行われることは少なかった。その原因の一つとして、どのような触覚ディスプレイを開発すべきかの立場に立った人間の触知覚メカニズムに関す知見が十分でないことが挙げられる。本論文は、触覚ディスプレイ設計の立場から形状知覚と材質知覚に関する人間の触知覚特性の知見を得て、コミュニケーションに利用可能な触覚ディスプレイを製作する際に有用となる開発指針の幾つかを明確にし、今後の一般的な触覚ディスプレイ設計論への道を拓いている。

第1章「Introduction(序論)」は緒言で、人間に触覚情報を、実物に直接素手で触れたと同じように提示するための触覚ディスプレイを設計するという立場に立って、そのために必要な人間の触知覚特性を、形状知覚と材質知覚について明らかにし、それらの知見から触覚ディスプレイ製作に有効な設計指針を導いて行くという本研究の目的と立場と意義を明らかにしている。

第2章は、「Geometric perception: analysis on spatial acuity (形状知覚:解析と空間解像度)」と題し、指先における形状知覚情報の提示について調べている。まず、手の指腹部における空間解像度について、既往の心理実験の結果と、新たに理想接触子という幅およびサンプリング間隔が無限小な理想サンプラの概念を利用して物理刺激のもつ時間周波数と空間周波数の関係を記述した結果とから、1.0 mmの空間解像度が人間の感覚閾値であるとしている。 その上で、垂直方向にのみパッシブな運動が許されるように拘束された径の細いピン(0.3 ~1.8 mm)を多数本1次元もしくは2次元状に配置することによって理想接触子を体現した高密度ピンマトリクスを作成している。この高密度ピンマトリクスを利用した形状プリミティブの形状同定実験の結果、素手と1.0 mm 間隔のピンマトリクス使用時の正答率が同程度であったことから、空間解像度1.0 mmを有するピンマトリクス型触覚ディスプレイは素手で触れた場合と同等の形状情報を伝達する能力があるといえるとしている。

第3章は「Material perception: tactile impression of texture (材質知覚:テクスチャ感)」と題し、指腹部における材質知覚について、材質感覚を司る心理物理量のうち縦弾性を排除した際に任意の材質知覚が表面粗さと温度感覚で表現されうるか、例えば、材質知覚を布とは物性の異なる材料を利用して表現しうるかどうかを調べている。具体的には、アルミ材表面に微細な表面パターン(テクスチャ)を切削することによって、布の触感に近づけることを意図している。 まず、指腹部が絹や綿やポリエステルの布試料と4種類のテクスチャをもつアルミ材に触れた場合の指腹部内部の温度受容器周辺における熱流の時間変化を、布試料やアルミ材や指腹部が持つ物性値に基づいて有限要素モデルを構築しシミュレーションを行い比較したところ、アルミ材と指の接触表面積が少ないものほど絹や綿といった布素材と類似した温度時間変化が生じたとしている。 次に、絹・ポリエステルの布素材と前述の4種類の表面パターンを実際にアルミ片に加工したものの表面粗さ(中心線平均粗さ)を実測したところ、シミュレーションで布に最も温度時間分布が類似していたアルミ片は、今回用意した絹とポリエステル布の中心線平均粗さとほぼ同程度の表面粗さであった。さらに、アルミ材上の表面パターンと絹とポリエステル素材の触感を触覚のみで主観評価する実験を行った結果、指腹部と最も接触面積が小さいアルミ材と布試料を区別できず、また、アルミ材だけでなく鉄材に同様の加工を加えても鉄材表面に絹の触感を与えることができたとしている。以上の結果は、金属などに毛足の短い布の触感を再現するためには、似せたいと思う素材の表面粗さのパターンを与え、類似した熱流変化を素材の表面に持たせればよいことを示唆している。

第4章は「Depth perception: a part of geometric perception (凹凸知覚:形状知覚の一部)」と題し、指先における凹凸知覚に関して、新規に見出したFishbone Tactile Illusionの機序を解明している。魚の骨のような形状を指先で触ると、それが平坦であるにも拘わらず中心部の背骨にあたるところが凹んで知覚されるという錯触覚現象である。この錯触覚は、表面パターンが滑らかで平らな面と、それを挟む二つの粗い面によって構成され、指と表面パターンが相対的に動く条件下で生じること、また、中心部の滑らかな面の横幅が3.0 mm程度であるときこの錯触覚が最も生じやすいこと、知覚上で生じる凹知覚の深さは最大0.2 mm程度であることを明らかにしている。 次いで、簡易化したFishbone Tactile Illusionに対して、指腹部の持つヤング率や表皮の厚さなどの物理量を利用した3次元有限要素モデルを構築し、外界からの物理刺激によって引き起こされる歪分布を計算したところ、簡易化したFishbone Tactile Illusionにおいて生じる凹凸知覚は、指腹部内部の機械変形によって説明されうることを見出している。これらの知見から、形状知覚の一種である凹凸知覚を生じさせる場合には,少なくとも凹凸の高さ差を0.2 mm以上にすべきであり、垂直変位・水平変位を問わず、指腹部内部の主歪分布が凸形状・凹形状を垂直に指腹部に対して押し当てた場合と類似するように提示すべきであるといった指針を得ている。

第5章は「Tactile Stimulus in Space (空間における触覚刺激)」と題し、腕が運動している最中に指腹部に提示された触覚刺激の主観的な空間位置と、実際に与えた物理的空間位置の間の誤差を調べている。ボイスコイル型振動モータを触覚提示装置として利用し、腕運動中の触覚刺激の定位性能を計測した結果、腕が運動開始した直前と直後および運動終了する直前の知覚における刺激提示位置と、実際の刺激提示位置との間に一定量の誤差が生じること、また短時間(20ms)提示される刺激と長時間(300ms)提示される刺激では定位誤差の傾向が異なることを示している。これらのことから、腕運動中に触覚刺激を時空間提示するには、腕の運動の開始と終了および刺激の開始と終了を考慮して触覚刺激の提示タイミングを決めるべきであり、また、運動開始と終了100ms前後において位置誤差が多いことから、触覚ディスプレイの持つべき応答速度は,少なくとも100 ms以下にすべきであるとしている。

第6章「Generalizations and Future Works (一般化と今後の課題)」は結論で、本論文の結論をまとめ、今後を展望している。

以上これを要するに、本論文では、実物に直接素手で触れたと同じように触覚情報を提示するための触覚ディスプレイを設計するという立場に立って人間の触知覚特性を解明するとともに、それにより触覚ディスプレイの設計指針を積み上げていくという方法論を示して、今後の一般的な触覚ディスプレイ設計論への道を拓いたものであって、システム情報学、特に計測工学及びバーチャルリアティ学に貢献するところが大である。

よって、本論文は博士(情報理工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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