学位論文要旨



No 123938
著者(漢字) 深山,理
著者(英字)
著者(カナ) フカヤマ,オサム
標題(和) ラットカー : 中枢神経信号を用いた車体型ブレイン・マシン・インターフェースの研究
標題(洋)
報告番号 123938
報告番号 甲23938
学位授与日 2008.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(情報理工学)
学位記番号 博情第183号
研究科 情報理工学系研究科
専攻 システム情報学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 満渕,邦彦
 東京大学 教授 舘,
 東京大学 教授 伊福部,達
 東京大学 講師 鈴木,隆文
 東京大学 講師 高橋,宏知
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、ラットを対象とした車体型のブレイン・マシン・インターフェース(BMI)を開発し、ラットが意図するままに車体を制御することを目指したものである。筆者らはこのシステムを「ラットカー」(RatCar)と名付け、以下に述べる複数の要素技術を開発し、これらの組み合わせによって脳・神経系と機械系との直接的な接続を実現してきた。一方、将来的にラットカーを用いた様々な脳科学あるいは生理学的実験を実現するため、簡便かつ標準性の高い手法を用い、BMIを特殊な条件下の限られた実験系に留めないよう注力している。本論文は、システムの概要と各要素技術について詳述するとともに、ラットカーによって得られる知見や実現される実験系について展望を述べたものである。

第 1 章は序論にあたり、初めに生体の感覚器および運動効果器を、外界との情報入出力系として定義し、通常はそこに身体の構造的制約が課されていることを指摘する。そこで、脳・神経系への直接接続によって、この制約を越えた生体と外界との情報通信が実現される可能性を示し、BMI の意義を述べた。次に、近年行われてきた先駆的なBMIの研究を紹介し、これらを踏まえ本研究で扱うラットカーシステムの特徴と意義を挙げている。すなわち、ラットカーにおいてはラットが車体上に直接搭載されることにより、BMI の brain に当たるラットと machine にあたる車体とが一体となって移動する。これにより、ラットは自身の意図が車体によって実現されたことを体感し、車体への速やかな適応あるいは大規模な脳の可塑的変化が生じる可能性があることを示唆するものである。

第 2 章では、ブレイン・マシン・インターフェース開発の背景技術として必要な中枢神経系計測について述べる。ここでは、実験動物(ラット)、計測領野、神経電極、計測信号の予備的処理について、それぞれ背景と開発指針、条件またはアルゴリズムの詳細を示す。実験動物としては Wistar 系ラットが用いられ、大脳機能局在マップおよび微小電気刺激によって計測領野が同定された。また、神経電極はタングステンワイヤを用いて自作し、計測信号に対しては発火波形強調によるノイズ軽減および発火ユニットの弁別が行われた。

第 3 章では、前章までに得られた神経発火情報をもとに、ラットの歩行状態を推定し、ラットカー車体の制御を実現している。ここでは、歩行推定モデルとして推定値の二乗誤差最小化によって得られる線形モデル、またこれを発展した Kalman filter に基づく適応的推定モデルを提案する。上述のモデルに対して、歩行の速度および方向の実測値を与え、パラメータ同定および推定値との比較を行うため、それぞれ車輪状の運動器具および Y 字状経路が用いられた。さらに、これらを統合してラットの移動を一括して捉えるために、光学計測系を有するトレッドミル装置を用いた実験が行われた。その結果、ラット歩行動作の概要が推定され、推定値に応じた車体駆動が実現された。なお今後の課題として、ラットを車体上に搭載した場合の妥当性評価を行うため、より長期にわたる多数例の計測が必要である。

第 4 章では、ラットカーの制御を通じて得られた知見、および今後実現されうる実験系の展望を示す。ここでは、運動前野など大脳内での計測範囲の拡大、歩行推定モデルの時間的拡張と条件に応じた推定精度の改善が主な対象とした。また今後の展開として、長期間連続計測によるラット意図の明確化、モデルパラメータの変化の経過を観察することによる大脳可塑性の定量化などへの指針を示した。今後、長期間にわたる安定した計測を実現するため、計測系の無線化やオンボード化、電極材質・構造の改良などの課題が挙げられている。

第 5 章は本論文のまとめとして、提案した手法と結果、および今後の展望との関係を整理した。

この他、付録として慢性電極埋込手術、神経発火弁別および歩行推定のアルゴリズム詳細、またラットカーシステムの具体的な構成図を添付した。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、ラットを対象とした車体型のブレイン・マシン・インターフェース(BMI)を開発し、ラットが意図するままに車体を制御することを目指したものである。筆者らはこのシステムを「ラットカー」(RatCar)と名付け、以下に述べる要素技術を開発し、それらの組み合わせによって脳・神経系と機械系との直接的な接続を実現した。一方、将来的にラットカーを用いた様々な脳科学あるいは生理学的実験を実現するため、簡便かつ標準性の高い手法を用い、BMIを特殊な条件下の限られた実験系に留めないよう注力している。本論文は、ラットを用いた汎用 BMI 実験系への先鞭をつけたものである。

第1章では、始めに生体の感覚器および運動効果器を外界との情報入出力系として定義し、通常はそこに身体の構造的制約が課されていることを指摘する。そこで、脳・神経系への直接接続によって、この制約を越えた生体と外界との情報通信が実現される可能性を示し、BMI の意義を述べる。次に、近年行われてきた先駆的なBMIの研究を紹介し、これらを踏まえ本研究で扱うラットカーシステムの特徴と意義を挙げている。すなわち、ラットカーにおいてはラットが車体上に直接搭載されることにより、BMI の brain に当たるラットと machine にあたる車体とが一体となって移動する。これにより、ラットは自身の意図が車体によって実現されたことを体感でき、その結果として車体への速やかな適応あるいは大規模な脳の可塑的変化が生じうることを示唆する。本論文では、特にラットの意図に応じた車体駆動の実現を目的として、神経信号に基づくラットの歩行状態の推定、および推定結果に基づく車体の制御を行った。

第2章では、本論文で用いられる神経計測および信号処理技術を概観する。ここでは、実験動物(ラット)、神経信号の計測と予備的処理、および歩行推定モデルについて、それぞれ背景となる原理とアルゴリズムの概要を示す。実験動物としては Wistar 系ラットが用いられ、大脳皮質運動野を主な計測対象として微小電極による神経発火波形の細胞外計測が行われた。これらの発火は振幅の混合ガウス分布へのフィッティングによって神経細胞毎に弁別された後、線形モデルによって各細胞の発火頻度とラットの歩行状態との相関付けが行われた。

第3章では、ラットの歩行状態推定およびラットカー車体制御の実現手法について詳述する。本論文では、自作した微小電極を Wistar 系ラットの大脳皮質運動野に刺入し、神経発火信号の細胞外計測を実現した。これを支える要素技術として、タングステンワイヤを用いた束状神経電極の構造と作成手法、電極埋込み手術手技の概要、微小電流刺激による運動野の探索と当該領域からの信号計測が挙げられる。なお、電極埋込み手技に関しては、手順が煩雑であるため、付録 A として整理されている。一方、神経信号との対応付けを行うラットの歩行速度および方向変化を計測する実験装置として、車輪状の運動器具と Y 字経路を用いた実験装置が提案された。さらに、これらを統合して両者を総合的に捉えるため、光学計測系を備えたトレッドミル装置を用いた実験が行われた。これらの実験系を用いた神経信号と歩行状態との対応付けには、線形加算モデルおよび状態空間モデルが適用され、それぞれ一般化逆行列またはカルマンフィルタ型アルゴリズムを用いた自動推定が行われた。

第4章では、上述の原理・手法に対する実験結果がまとめられる。はじめに、筆者らの作成した電極による急性・慢性期の神経信号が示され、神経信号計測の実現が確認された。次に、電極埋込み部位に行われた微小電流刺激に対する応答と術後の脳切片における痕跡が提示された。その上で、本論文の主題である歩行速度および歩行方向変化の推定、さらに両者を統一した推定の結果を得た。この中では、ラット歩行動作の概略が求まり、推定値に応じた車体駆動が実現された。また、計測範囲の拡大、歩行推定モデルの時間的拡張と条件に応じた推定精度の比較が行われた。

第5章では、歩行推定に適した計測領域、電極埋込手法、計測条件および歩行推定モデルのパラメータ設定について検討が行われる。また今後の展開として、長期間連続計測によるラット意図の明確化、モデルパラメータの逐次的経過観察による大脳可塑性の定量化などへの指針が示される。さらに、長期間にわたる安定した計測を実現するため、計測系の無線化やオンボード化、電極材質・構造の改良などの課題が挙げられている。

第6章は、本論文のまとめとして、提案した手法と結果および今後の展望の関係を整理する。その上で、BMI 開発の研究プラットホームとしてラットカーを構築し、歩行状態の推定と条件比較を可能としたことによって、BMI の実現性を高めたと結論づける。

以上、本論文はラットを用いた汎用 BMI 実験系への先鞭をつけ、歩行状態の推定と条件比較を可能とし、BMIの実現性を高めるとともに、BMIによる新たな脳研究の手法を提起したものである。これは工学的応用のみならず、脳・神経に対する基礎科学の観点からも発展が期待される有意義な成果であり、よって本論文は博士(情報理工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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