学位論文要旨



No 123960
著者(漢字) 小野,裕介
著者(英字)
著者(カナ) オノ,ユウスケ
標題(和) 出芽酵母における生体膜構成含窒素リン脂質の合成と代謝に関する研究
標題(洋)
報告番号 123960
報告番号 甲23960
学位授与日 2008.04.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3344号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 准教授 有岡,学
 東京大学 准教授 堀内,裕之
内容要旨 要旨を表示する

1.序

細胞内の膜構造は、種々の物質の輸送を担う小胞輸送や、細胞質分裂にともなって極めて活発に変化している。そういった膜構造の時間的・空間的な制御に関しては、膜を構成する主要成分であるリン脂質が重要な役割を担っている。環境の変化に対応してリン脂質の量や種類が変化し、膜の物理化学的性質が変化することにより生体膜としての恒常性が維持されている。従ってリン脂質の量、分子種の制御に関しては厳密な制御系が存在し、リン脂質の合成と代謝を通じてその組成が厳密に決定されていると考えられている。本研究ではリン脂質の合成と代謝、およびその制御機構について明らかにすることを目的として、前半ではリン脂質合成におけるKennedy経路の中で重要な役割を有していると考えられているEct1pの酵素学的性質や制御機構についての解析を行った。また後半ではリン脂質の代謝、特にアシル基の再構成 (リモデリング) 機構に関与する因子の探索を行った。

2.酵母CTP:phosphoethanolamine cytidylyltransferase(Ect1p)の機能解析

出芽酵母S. cerevisiaeにおいて、主要グリセロリン脂質を合成する経路は大きく分けて2種類存在する。1つは細胞内に存在しているCDP-ジアシルグリセロールよりホスファチジルセリン(PS)、ホスファチジルエタノールアミン(PE)、ホスファチジルコリン(PC)と合成が進むde novoの合成経路であり、もう1つが細胞内外のコリン、エタノールアミンからPC、PEを合成するKennedy経路である。当研究室の廬らによって、このKennedy 経路の二番目に働き、エタノールアミンリン酸に対してシチジル基転移反応を行うことによりCDP-エタノールアミンを合成する、CTP:phosphoetanolamine citidylyltransferase(ECT)をコードするECT1が単離、同定された。ECT1の遺伝子産物であるEct1pは、酵母から哺乳類に至るまでそのアミノ酸配列が広く保存されている。また、ECTとKennedy経路のPC合成系において対応する位置にあるCTP:phosphocholine citidylyltransferase(CCT)は基質特異性が特に高いことが知られており、これらのことからECTがKennedy 経路の調節において重要な役割を有している可能性が示唆されている。そこで、酵母Ect1pの酵素学的性質や制御機構についての解析を行った。

1)Ect1pの精製と活性に関する解析

N末端にhis-tagを付加したEct1pの発現プラスミドであるpETECT1を作製し、大腸菌BL21(DE3)株に導入してhis-Ect1pを大量生産させ、ニッケルアガロースビーズにより単一のバンドまでにhis-Ect1pを精製した。酵素的に調製した[14C]エタノールアミンリン酸を基質として精製したEct1pの酵素活性を測定したところ、精製Ect1pがエタノールアミンリン酸をCDP-エタノールアミンに変換する酵素活性を有していることが確認された。また、至適pH はpH 7.5~7.8程度、至適温度は約30 ℃であり、Mg2+、Mn2+といった二価の金属イオンが活性に必須であることが明らかになった。精製Ect1pにおけるエタノールアミンリン酸に対する反応速度定数Kmは318 μM、反応速度の飽和値Vmaxは6.1 μmol/mg protein/min、CTPに対するKmは260 μM、Vmaxは6.7μmol/mg protein/minと算出され、ラット肝細胞由来のECTとほぼ同程度であることが明らかになった。

また、酵母から調製した膜画分であるP12画分、P100画分をEct1pの酵素反応系に添加し、Ect1pの活性を測定した結果、膜画分の添加によって最大で30%程度活性が上昇した。さらに酵母より抽出した脂質画分を用いて作製したリポソームや、PC、PE、PS、PA (ホスファチジン酸)、DAG (ジアシルグリセロール) 、 CDP-DAGを用いて調製したリポソームを反応液に添加し、活性を測定した結果、これらのリポソームの添加によって最大で40%程度活性が上昇した。これらの結果より、膜脂質の存在によりEct1pの活性が上昇することが示された。

そこでEct1pが実際に膜に結合しているかどうかを調べるために、Ect1pの酵母細胞内における局在について解析した。N末端にFLAG-tagとhis-tagを連結したEct1pをECT1欠失株で発現させ、抗FLAG抗体を用いた間接蛍光抗体法によるEct1pの局在の観察、および細胞抽出からの膜画分の分画によるEct1pの局在解析を行った。しかしながら、どちらの結果からもEct1pと膜との結合は見られず、細胞質にのみ存在している可能性、あるいは膜や膜タンパク質と結合していたとしても非常に弱い結合である可能性が考えられた。

2) Ect1pの構造と活性に関する解析

共同研究者である応用生命化学専攻田之倉優研究室 (食品工学) の大塚により、酵母Ect1pと、CTP、CDP-エタノールアミン、Mg2+といった反応に関与する物質との共結晶化が得られ、その立体構造が決定された [大塚淳 東京大学大学院農学生命科学研究科修士論文 2006] 。その構造は1次配列から予想された通り、2つの相同性が高い大きなドメイン (前半部分は以下N-ドメイン、後半部分は以下C-ドメイン) が、リンカー配列をはさんで連結しているという双頭型であることが明らかになった。そこでEct1pの一次構造や、大塚により立体構造から推測された情報から、個々のアミノ酸やN-ドメイン、C-ドメインの活性における役割について検討した。

まず、Ect1pの1アミノ酸置換体を作製し、活性への影響を検証した。TKY12G 株 (Δpsd1、Δpsd2、PGAL1-ECT1 ) は、グルコース存在下ではECT1が抑制され、エタノールアミンを添加してもPEが合成できず生育することができない。そこで、Ect1pの1 アミノ酸置換体をTKY12G株で発現させ、グルコース培地の生育が可能であるか検証した。その結果、前半部分であるN-ドメインの中でも保存性が高い、HXGHモチーフの中のHis20、His23のアラニン置換体はTKY12G株のグルコース培地における生育を支持しなかった。また、構造解析により、CTP、CDP-Etnのα-リン酸基と相互作用していることが推測されたPhe16、CTP、CDP-Etnのβ-リン酸基、さらにピロリン酸の相互作用が推測されたLys55、CDP-Etnのエタノールアミン由来の炭素鎖部分と相互作用することが推測されたTyr84のアラニン置換体もTKY12G株のグルコース培地での生育を支持することはできず、また、相互作用は推測されてはいないが種間の保存性が非常に高いAsp17のアラニン置換体も、TKY12G株のグルコース培地における生育を野生型のEct1pと同程度に相補することはできなかった。従ってN-ドメインのHis20、His23、R129、Phe16、Lys55、Tyr84、Asp17はEct1pの活性に重要な役割を持つことが示唆された。

次に、Ect1p 1アミノ酸置換体を大腸菌において生産させて精製し、活性を比較した。その結果、Ect1pF16A 、Ect1pD17A、Ect1pH20A、Ect1pH23A、Ect1pK55A、Ect1pY84A、Ect1pR129Aの活性は、野生型のEct1pと比較して著しく減少していた。従って、in vivo における結果と併せ、それらのアミノ酸がEct1pの活性に重要な役割を持つことが示された。

その一方で、後半部分であるC-ドメインの中の、N-ドメインのHXGHモチーフに相当するHXGD配列、あるいはその他の保存性が高いアミノ酸のアラニン置換体に関して、His210、Asp213、Arg249、Try258のアラニン置換体を発現させたTKY12G株はグルコースを含む培地でも生育が可能であった。His210、Asp213のアラニン置換体に関して大腸菌を用いて生産、精製した結果ECT活性が見られ、in vivoにおける結果と同様の結果を示していた。ただし、C末端付近で形成されている α-ヘリックスにおいて、構造解析よりピロリン酸と相互作用していると推定されたArg315のアラニン置換体を発現させた場合、TKY12Gの生育を支持せず、精製したEct1pR315Aの活性は、野生型のEct1pと比較して著しく減少していた 。

これらの結果より、Ect1pを構成するドメインのうち、N-ドメインがEct1pの活性に重要な役割を担っているという可能性が示唆された。しかし、C-ドメインを欠失したEct1pはTKY12G株を相補することができなかったことから、C-ドメインの存在も活性に必要であるということも示された。さらに、Ect1pのC末端へリックス、特にArg315が活性に重要な役割を果たしているということが示唆された。

3.短鎖のアシル基をもつPCの取り込みとリモデリング機構についての解析

細胞内では損傷を受けた脂質の修復、あるいは生理活性脂質である多価不飽和脂肪酸のリン脂質への導入などの際に、脂質の再構成機構としてアシル基の変換 (リモデリング) が行われていることが知られている。リモデリングにはアシル鎖の切断を行うホスホリパーゼや、アシル鎖の転移を行うアシルトランスフェラーゼが関与していることが予想されているが、明確な証拠は未だ得られてはいない。

当研究室の延は遺伝学的解析が容易である出芽酵母を用い、PSを合成するPSシンターゼを欠損するCHO1/PSS 変異株、または、PEメチルトランスフェラーゼを欠損したPEM1、PEM2破壊株は培地に供給されたコリンやエタノールアミンの代わりに、炭素鎖長8または10のアシル基のみからなるPC(以下、diC8PC、diC10PC)を培地中に添加することにより、最少培地での生育が支持されることを明らかにした。従って、単独では構造的に膜構造を形成することのできないこれらの短鎖PCのアシル鎖が、一般的なPCの鎖長である16~18の長鎖のアシル鎖に変換されることで利用されているという可能性が考えられた。また、当研究室の田中らは安定同位体で標識したdiC8PCを細胞に取り込ませ、その代謝を質量分析装置で分析した。その結果、diC8PCのアシル鎖が炭素鎖長16~18のものに変換されていたことから、PCのアシル鎖のリモデリングが実際に起きていることを示した。そこで本研究では、この短鎖PCのリモデリング機構に関与する因子の探索を行った。

まず、アシル基の切断を行う既知のホスホリパーゼがリモデリングに関与しているかどうか調べた。コリン要求性を示すPEM1、PEM2破壊株において、S. cerevisiaeの主要なホスホリパーゼBをコードするPLB1、PLB2、PLB3 の三種の遺伝子を破壊し、この五重変異株の生育がdiC8PCにより支持されるかどうかについて検討した。その結果、この変異株はdiC8PCを添加した培地でも生育が可能であったことより、diC8PCのアシル基の切断、変換にはこれらの主要なホスホリパーゼは必須ではないということが明らかとなった。

次に、diC8PCで生育することができない変異株のスクリーニングを行い、diC8PCの取り込み、輸送、およびリモデリングに欠損を持つ変異株の取得を試みた。PEM1、PEM2 の二重遺伝子破壊株を親株として、EMSによる変異原処理後にコリン添加培地では生育できるが、diC8PC添加培地では生育できないという変異株を、それぞれα型株約45,000コロニー、a 型株30,000コロニーの中から選出した。その結果、α型株からは22株、a 型株からは45株の変異株を取得した。

このようにして得られた変異株の中で、A2株は蛍光標識されたリン脂質であるNBD-PCの取り込みが起こらなかった。NBD-リン脂質、リゾリン脂質の取り込みに関与していることが知られている細胞膜タンパク質をコードするLEM3/ROS3を低コピーで導入した結果、diC8PCにおける生育がある程度回復した。このA2株のLEM3/ROS3領域の配列を調べたところ160 番目のグルタミンが終止コドンに変化していた。さらにPEM1、PEM2、LEM3/ROS3の三重破壊株はdiC8PC添加培地では生育が見られなかった。

従って、この結果diC8PCの取り込みに LEM3/ROS3が関与していることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

生体膜を構成する主要成分であるリン脂質は、合成、代謝における制御を受けることで、その組成が厳密に決定されていると考えられている。申請者は真核生物におけるリン脂質の合成と代謝に関与する未知の制御機構について明らかにすることを目的として、出芽酵母Saccharomyces cerevisiaeを用いて研究を行った。第1章から3章までは、リン脂質ホスファチジルエタノールアミン(PE)を合成するKennedy経路の第2段階目に位置し、重要な役割を有するとされるCTP:phosphoetanolamine cytidylyltransferase(ECT、遺伝子ECT1の産物をEct1pと表示)の諸性質を検討し、第4章ではリン脂質ホスファチジルコリン(PC)の取り込みと代謝に関する遺伝学的解析を行った。

第1章と2章では、Ect1pの酵素学的性質を明らかにしている。申請者はN末端にhis-tagを付加したhis-Ect1pを大腸菌で大量生産させ、精製を行った。his-Ect1pがEct1pと同等の活性を有することを確認した上で、主としてhis-Ect1pについてその諸性質を検討している。基質[14C]エタノールアミンリン酸は大腸菌で生産した酵母エタノールアミンキナーゼを用いて酵素的に調製して用いている。his-Ect1pの至適pHは7.8、至適温度は30℃であり、Mg2+、Mn2+といった二価の金属イオンが活性に必須であること、さらにCTP以外にdCTPも基質として利用できることを明らかにした。his-Ect1pにおけるKm、Vmaxはラット肝細胞由来のECTと類似している。また、酵母から調製した膜画分、とその脂質抽出物あるいは主要リン脂質PCを用いて作製したリポソームの添加によってhis-Ect1pの活性が部分的に上昇したので、膜脂質がhis-Ect1pの活性に影響を与えるとしている。

第3章では、Ect1pの一次構造に保存されたアミノ酸配列と、共同研究者により決定されたEct1pの立体構造重要と考えられる個々のアミノ酸やドメインの役割を、変異型酵素を作製して検討している。

申請者は1アミノ酸を置換するように変異を導入したECT1遺伝子をEct1p欠損株に発現させた時の相補性、及び大腸菌を用いて精製した1アミノ酸置換体の活性を検討することにより、Ect1pのN末端側半分に相当するN-ドメインに構造上予測された活性中心が存在していること、特に各種真核生物に保存されたHXGHモチーフ、RTXGVSTTモチーフが活性に必須であることを示した。その他にもCTPやCDP-エタノールアミンと相互作用していることが推測されたPhe16、Lys55、Tyr84、相互作用は推測されてはいないが種間の保存性が非常に高いAsp17がEct1pの活性に重要な役割を持つことを示唆した。その一方で、N-ドメインと相同性の高いC末端側半分に相当するC-ドメインの中のアミノ酸と、Ect1pの活性との関連は見られないこと、しかしC-ドメインの存在自体はEct1p活性に必要であることを示している。さらに、C末端に形成されているα-ヘリックスの塩基性アミノ酸Arg315がEct1pの反応に重要な役割を有していることを強く示唆した。

第4章ではPC合成欠損株が炭素鎖長の短いアシル鎖を有する水溶性のPCを取り込んで生育できることを利用して、この短鎖のアシル鎖を一般的な鎖長のアシル鎖に変換する機構やPCの取り込み、輸送に関与する因子の探索を行っている。

コリン要求性を示すPEのメチル化によってPCを合成するメチルトランスフェラーゼをコードする、PEM1、PEM2破壊株はコリン要求性であるが、炭素鎖長8のアシル基をもつdiC8PCを添加すると生育できる。主要なホスホリパーゼBをコードするPLB1、PLB2,PLB3を全て破壊した5重破壊株がdiC8PCを添加した培地で生育可能であり、diC8PCのアシル鎖の除去にはこれらの主要なホスホリパーゼは必須ではないことを示した。また、diC8PCで生育できないことを指標にΔpem1 Δpem2二重変異株から分離された変異株A2株は形質膜上でPEの内層への転移を行うflippaseである、DnflpとDnf2pのサブユニットとされるLEM3/ROS3に変異が生じていたこと、LEM3/ROS3遺伝子を破壊した三重破壊株はdiC8PC添加培地で生育しなかったことから、短鎖のアシル基を持つPCの取り込みに、LEM3/ROS3が関与していることを示した。

以上、本論文は酵母Ect1pの酵素学的諸性質を明らかにし、また、酵母における短鎖のPCの代謝機構の解明に新たな知見を加えたものであって、今後の脂質代謝の解明に向けて学術上寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク