学位論文要旨



No 123961
著者(漢字) 鄭,秀珍
著者(英字)
著者(カナ) チョン,スジン
標題(和) 伝統的建造物群を中心とした周囲の環境との一体的景観保全のあり方
標題(洋)
報告番号 123961
報告番号 甲23961
学位授与日 2008.04.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3345号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 下村,彰男
 東京大学 教授 永田,信
 東京大学 准教授 小野,良平
 東京大学 教授 堀,繁
 東京大学 准教授 斎藤,馨
内容要旨 要旨を表示する

近代以降、環境や景観に関する問題の解決や、自然の保護保全等において大きな進展がみられる。歴史的な景観や自然景観を主とした保全、保存の取り組みについては、風致地区制度、美観地区制度があり、さらに文化財保護法等が整備された。特に本研究が対象とする伝統的建造物群保存地区制度(以下、伝建制度)は文化財保護法に定められ、地方自治体が都市計画法に基づき保存条例を制定して進められるものである。伝建制度は、従来までの「点的保存」から「面的保存」へと概念を広げ、町並み景観の保全のための実践的な制度として位置づけられた。地域における歴史的な側面や社会的な側面を内包した環境の表現形ともいえる景観の保存が重視されるようになったといえよう。

本研究では、町並み景観の「面的保存」を目的とした伝建制度で選定された地区(重要伝統的建造物群保存地区、以下、重伝建地区)を対象として、「場の景観」という観点から、景観保存の実態がどのようなものであるのか、そして何を守るべきであるのかという課題を検討するために、次の3点を目的とした。

目的(一):重要伝統的建造物群保存地区の保存計画における保存の方針、指定範囲や指定物件等を整理・分析し、制度による景観保存の現状について明らかにする。

目的(二):「伝統的建造物群及びその周囲の環境が地域的特色を顕著に示している」とされている選定地区について、各地区の場の景観特性を分析するとともに、制度による保存の実態とを比較する。

目的(三):目的(二)の分析を踏まえ、場の景観保全の観点からみた伝建制度の問題点を明らかにし、制度のあり方について考察する。

本論文は以上の目的に従って1章から5章で構成されている。

1章では、本研究を進める上での背景と目的、関連する既往研究、研究の位置づけを述べた。

2章の「伝統的建造物群保存地区制度の現状」では、まず、伝建制度による町並み景観の保存について整理した。次に、伝建制度のなかで特に面的保存が重視されると考えられる「伝統的建造物群及びその周囲の環境が地域的特色を顕著に示しているもの」という選定基準(三) で選定された重伝建地区を、本研究では「周囲環境重視型地区」と呼び、各地区における保存の方針、指定範囲や指定物件の状況を整理した。その結果、以下の3点が明らかになった。

1点目は、対象地である周囲環境重視型地区における保存の方向や方針は、歴史的な環境保存であるにもかかわらず、その環境の定義が各地区で様々であるため、結果的に歴史的な環境の保存が不十分となっている。2点目は、近年、周囲の環境として自然環境までを含めて保存するという考え方が増加しつつあるなかで、伝建制度以外の、他の制度を組み合わせた保存の方策が見受けられるなど、伝建制度そのものの「面的保存」に十分な役割を果たしていない。さらに、地区周囲の自然環境への配慮は次第に減少しつつあるなど、指定範囲基準の不明瞭さが露呈している。3点目は、保存対象として指定された、工作物と環境物件をひとつひとつ分析していくと、地区によっては同じ物件が指定されており、建築物とともに伝統的建造物群を構成している工作物と、周囲の環境も含め、伝統的建造物群と一体的環境を保存するために必要と認められた物件である環境物件との間に統一的な基準が示されていない。

3章の「周囲環境重視型の重要伝統的建造物群保存地区における景観の特性と制度による保存の実態との比較」では、周囲環境重視型地区において、場の景観の考え方をもとに景観の構成要素と景観構造(要素間の関係)を把握し、導き出した保存すべき景観と、伝建制度による景観保存の実態とを比較し、両者の乖離を明らかにした。分析方法としてはまず、周囲環境重視型地区を対象とし、建造物群に視点を置いて可視領域を設定し、その一体的環境における場の景観特性を分析した。次に、可視領域内における場の景観を構成する要素を、点・線・面に分類して抽出して、それらの分布パターンから景観構造をタイプ分類した。そして各タイプごとに、「中心性」、「方向性」、「領域性」という観点から、それぞれの特性を分析し、保存すべき景観について考察するとともに、制度による指定がもたらす構造性との乖離について明らかにした。その結果、制度の実施に際して周囲の自然環境の保存への配慮がなされておらず、環境の保存という計画方針に十分に対応した保存とは考えにくい。また、指定範囲や指定物件の分布パターンがもたらす構造性とは大きな隔たりが生じていることが明らかになった。

地域ごとに景観を生み出す生活習慣や土地利用は異なり、周囲の環境を一体と捉えて重伝建地区の景観の保存が図られることが望ましいと考えられる。

4章は、事例調査における場の景観の変化から3章で明らかになった景観の保全に対して伝建制度が抱いている問題点を美山町北地区、大田市大森銀山地区、有田町有田内山地区の3つの事例を通して、場の景観の観点から一体的な環境保全について検討することを目的とした。その結果これら3地区は伝建地区選定によりそれぞれ異なった場の景観の変化が生じていた。

まず、美山町北地区では重伝建地区に選定されることにより、茅葺き屋根の復元が進み、集落部の景観が画一的に変化したことによって地区の中心性がより高まることになった。しかしながら、その材料を提供する茅場が観光客にみせるための立地に変化することによって、方向性に混乱をもたらすことになった。

また、大森銀山地区では、指定範囲が場の景観として一体的なまとまりを有する地域を広く含めておらず、限定的な地域にとどまっている。また、地区の方向性を規定する重要な要素が集中する地域が指定範囲からはずれてしまっている。そのため、伝建地区指定が地区の方向性の混乱と領域性の希薄化をもたらす結果となった。

そして、有田内山地区では、伝建地区の範囲指定の際に場の景観に対する規定が十分ではなくその範囲が限定されたこと、また指定物件が指定される際に場の景観構造の特性を規定する要素の分布に対して配慮が十分でなかったことによって、地区の中心性、方向性に混乱を生じることになった。

以上のように、地区の指定範囲の決定や保存対象の選定において、場の景観の有する特性への配慮が十分ではなかったことが明らかになった。文化財保護法に基づく伝建制度は、本来目的とした「面的保存」という点で、必ずしもその役割を十分に果たしているとはいえない。このような問題は伝建制度の概念の混乱を招き、一体的環境の景観構造の秩序を崩す結果になっている。今後、伝建制度は、「場の景観」を考慮して面的保存の強化を図っていくことが求められる。地区とその周囲の環境を包含した一体的環境保全していくために、現在おこなわれている曖昧な基準ではなく、総合的な保全を進めるための明確な基準を示す必要がある。そして、場の景観の概念、可視領域を中心とした範囲指定、景観コードを考慮した景観の保存計画が策定されることが望まれる。これによって、本研究で明らかになった伝建制度の問題点を補完することが可能になると考えられる。

5章は結論であり、本研究のまとめと考察そして今後の課題について述べた。

本研究は場の景観として「保全」する必要があるという考えのもと、伝建制度により本来保存しようとした地域と周辺環境まで含めた景観をコントロ-ルをする仕組みがまだ十分に確立していない点を明らかにした。特に景観要素間の関係を把握することで、景観構造を守ることのできる保存計画が必要だと考えられる。地域と周辺環境の保全にむけて残された課題はまだ多く、特に景観コードを用いた景観保全についてはそのあり方や手法に関して課題が多い。本研究の成果を発展させ、より今後広い観点から景観の保全に向けた研究に取り組んでいきたい。

審査要旨 要旨を表示する

歴史的環境の保全は、建築物の保護を中心とした「点的保存」から町並み全体の保存である「面的保存」へと概念を広げてきており、地域における歴史的な側面や社会的な側面を内包した環境の表現形ともいえる景観の保全が重視されるようになってきた。

本研究では、町並み景観保全の実践的な制度として位置づけられる伝統的建造物群保存地区制度(以下、伝建制度)を対象として、「場の景観」という観点から、保存の現状を明らかにするとともに、景観保全のあり方について検討することを目的としている。具体的には次の3点である。

(一):重要伝統的建造物群保存地区の保存計画における保存の方針、指定範囲や指定物件等を整理・分析し、制度による景観保存の現状について明らかにする。(二):「伝統的建造物群及びその周囲の環境が地域的特色を顕著に示している」とされている選定地区について、各地区の場の景観特性を分析するとともに、制度による保存の実態とを比較する。(三):場の景観保全の観点からみた伝建制度の問題点を明らかにし、制度のあり方について考察する。

本論文は以上の目的に従って5章で構成されており、1章では、本研究を進める上での背景と目的、関連する既往研究、研究の位置づけを述べている。

2章では、伝建制度による景観保存の現状について明らかにしている。特に、「伝統的建造物群及びその周囲の環境が地域的特色を顕著に示しているもの」という選定基準(三) で選定された地区を「周囲環境重視型地区」と呼び、景観保存の現状について整理・分析を行い、以下の3点を明らかにしている。(1)「周辺環境」の定義が各地区で異なっており、結果的に歴史的な環境の保存が不十分となっている。(2)伝建制度は必ずしも面的保存に十分な役割を果たしておらず、伝建制度以外の制度を組み合わせて保存が行われている。(3)保存対象として指定された工作物や環境物件の選定に際して統一的な基準が示されていないため地区ごとに差異が生じている。

また3章では、周囲環境重視型地区における場の景観特性と、制度による保存の実態とを比較検討し、両者の乖離について分析を行っている。分析に際しては、対象地における場の景観構成要素の分布パターンから景観構造をタイプ分類し、タイプごとに、中心性、方向性、領域性の観点から、それぞれの特性を分析している。そして、各地区における制度による指定範囲や指定物件の現状と比較検討し、両者の乖離を明らかにしている。その結果、(1)周囲の環境、特に自然環境に対する保存配慮が十分ではなく、制度本来が目標とする保存とは考えにくい。また、(2)指定範囲や指定物件の分布パターンがもたらす構造性とは乖離が生じていることが明らかになった。

そして4章では、詳細事例調査地として、京都府美山町北地区、島根県大田市大森銀山地区、佐賀県有田町有田内山地区の3地区をとりあげ、3章で明らかにした景観保全に対する伝建制度の問題点を確認するとともに、選定の前後における景観変化を明らかにし、制度による景観への影響について考察している。その結果、地区毎に様相は異なっているが、総じて建築物群(集落)の保存、復旧は促進されるものの、指定範囲が限られかつ指定物件も限定されるケースが多いことから、周囲の環境をも含んだ一体的な保全は十分ではなく、地区の景観特性に混乱を生じさせていることが明らかとなった。

5章は結論であり、本研究のまとめと今後の課題について述べている。本研究では、場の景観保全という観点のもとに実態の分析を行った結果、周囲の環境をも含んだ保全の仕組みが未だ十分に確立しておらず、特に景観構成要素間の関係を保全し景観構造を守ることのできる保全方策の必要性を指摘している。

以上、本研究は歴史的町並み保全の代表的制度である伝建地区制度について「馬の景観」の観点から調査分析を行い、要素(物件)の点的な保存を有力な手法とする現行制度の問題点を明らかにするとともに、要素相互の関係が形成する景観構造の保全の必要性を示唆するものとして高く評価される。本研究は今後の歴史的環境保全のあり方に関する重要な知見を提供すると考えられ、学術上、応用上、寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた。

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