学位論文要旨



No 123962
著者(漢字) 三木,周
著者(英字)
著者(カナ) ミキ,メグル
標題(和) 指標色素を用いた海洋植物プランクトンの群集動態に関する研究
標題(洋)
報告番号 123962
報告番号 甲23962
学位授与日 2008.04.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3346号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古谷,研
 東京大学 教授 福代,康夫
 東京海洋大学 教授 石丸,隆
 東京大学 准教授 武田,重信
 東京大学 講師 ニーラム,ラマイア
内容要旨 要旨を表示する

植物プランクトンは海洋における主要な一次生産者であり、その現存量は様々な時空間スケールで起こる環境要因の変化に応答して変動する。植物プランクトン群集を構成する種は多様であり、それぞれ海洋生態系内の物質循環において異なる役割を果たすと考えられている。このため植物プランクトン現存量の変動がどのような種によって担われているかを解明することは、生態系の機能を理解するうえで重要である。植物プランクトンには、サイズが小さく、細胞が脆弱な種が多く、通常の検鏡法による組成解析が困難な場合が多い。このような種は海洋において普遍的に分布し、特に外洋では主要な一次生産者となっている。このため、環境変動に応答する応答解析では、これらの種を含む群集全体を解析することが可能な手法が必要である。これには、指標色素の解析が有効である。これは各分類群に特徴的な色素を指標にして群集組成を解析するものである。この方法で識別される分類群は、厳密な意味で分類学上の分類群とは正確には対応しない、いわば「機能的グループ」として認識されて、これまで、様々な海域において有効性が確認され、植物プランクトン群集組成解析が進められてきた。しかし、これを海盆スケールに適用した研究例は乏しい。本研究は、熱帯、亜熱帯、亜寒帯、極域と太平洋および南大洋の広範な海域を対象に、海盆スケールで植物プランクトン群集構造の空間変動を、植物色素を指標にして明らかにすることを目的とした。

熱帯および亜熱帯海域の観測は、2000年2月および2002年11-12月にスールー海と周辺海域で、2001年1月に赤道域西部暖水塊および東部湧昇域で、2001年12月に南太平洋亜熱帯循環域で行った。亜寒帯海域および極域の観測は、2002年1月および2月に、南大洋インド洋区の亜南極海、南極海開水面域および夏季ブルームが形成される南極海海氷域で行った。全ての海域で、試料海水を200m以浅の7-14層から採取し、懸濁物中の指標色素を高速液体クロマトグラフィーにより分離、定量した。指標色素組成を基に因子分析により、綱レベルで植物プランクトン群集組成を解析した。

熱帯・亜熱帯域においては、成層が発達して表層付近では栄養塩濃度が著しく低く、湧昇や鉛直混合に起因する硝酸塩の供給に応答した植物プランクトン群集組成の変動が捉えられた。スールー海とその周辺海域では、モンスーンに対応して植物プランクトン現存量と組成に変動が認められた。南東モンスーンの影響下ないしは、北東モンスーンの影響を受けない時期は、表層から混合層底部まで硝酸塩が枯渇し、混合層内のクロロフィルa濃度は平均0.1μgl(-1)以下と低く、原核緑藻類、次いでプリムネシオ藻類が主要であった。硝酸塩躍層付近には、クロロフィルa濃度約0.5μgl(-1)の亜表層極大が形成され、原核緑藻類、プリムネシオ藻類、黄金色藻類が主要構成者であった。北東モンスーンの影響を受けると、鉛直混合がより発達して混合層が深化し、表面水温の低下から硝酸塩の表面への付加が示唆された。これに応答して表面のクロロフィルa濃度は0.3μgl(-1)以上に上昇した。亜表層クロロフィル極大の深度は30m付近に浅くなり、クロロフィルaは0.7-0.8μgl(-1)に増加した。このような高クロロフィルa水塊では、珪藻類が主要な分類群であり、プリムネシオ藻類など、珪藻類以外の真核藻類がこれに次いだ。

西部赤道域暖水塊および南太平洋亜熱帯循環域では、表層から混合層底部まで硝酸塩が枯渇し、硝酸塩躍層以浅の混合層内のクロロフィルa濃度は平均0.1μgl(-1)以下と低かった。このような低クロロフィルa水塊では、原核緑藻類が全クロロフィルの平均約40%を占め、次いでプリムネシオ藻類が平均約20%程度であった。その他は、シアノバクテリア、黄金色藻類、緑藻類、渦鞭毛藻類が様々な割合で植物プランクトン群集を構成した。硝酸塩躍層付近には、クロロフィルa濃度約0.2μgl(-1)の亜表層極大が形成されており、極大層付近およびそれ以深にわたり原核緑藻類、プリムネシオ藻類に加え、黄金色藻類が植物プランクトン群集の主な構成者であった。

一方、東部赤道湧昇域では、湧昇の影響を反映して硝酸塩が水柱を通して高濃度存在した。しかし、クロロフィルa濃度は硝酸塩濃度から期待される程高くは無く、混合層内で0.2μgl(-1)程度と、前述した海域より若干高い程度であった。既往知見から、植物プランクトン群集は鉄制限を受けて、いわゆる高栄養塩低クロロフィル状態であったと考えられる。東部赤道湧昇域の植物プランクトン群集組成は、低クロロフィルa水塊同様に、原核緑藻類が卓越し、プリムネシオ藻類がこれに次いだ。

亜寒帯および極域では、栄養塩は十分に存在し、混合層内のクロロフィルa濃度の地理的変動は、混合層深度と対応した。南極海海氷域では、混合層深度が40m以下と浅く、水温躍層よりも上に夏季ブルームが発達しており、表面付近のクロロフィルa濃度は2-5μgl(-1)と高かった。ブルームは構成者の違いにより2種類認められ、珪藻類主体のものと、プリムネシオ藻類主体のものが観察された。これら主要構成者がどのような条件で異なるブルームを形成するかについては、混合層深度などの環境要因とつき合わせた解析を行ったが明らかにはならなかった。一方、開水面域では、低緯度側に向けて混合層深度が50m程度から100m程度へと深くなった。これに応じて、混合層内のクロロフィルa濃度は0.7μgl(-1)程度から0,1μgl(-1)以下へと低下し、混合層深度の増加に伴う光環境の悪化が示唆された。開水面域では、概ね珪藻類が卓越したが、北側のクロロフィルa濃度が0.1μgl(-1)以下の水塊では、プリムネシオ藻類が卓越した。これに対して、亜南極海では混合層深度が30-40mと浅く、南極海開水面域に比ベクロロフィルa濃度が高かった。特に、亜熱帯収束線内と考えられる北部の測点では、0.2μgl(-1)程度のクロロフィルaが存在し、これは珪藻類主体の群集で構成された。

各分類群の海盆スケールの分布は、以下のように整理された。珪藻類、プリムネシオ藻類、黄金色藻類、渦鞭毛藻類は、熱帯から極域にかけて広範囲に分布した。このうち、珪藻類はスールー海の鉛直混合が発達した測点、亜南極海北側、南極海の海氷域と開水面域南側と、表層の栄養物質が豊富な水塊において高い現存量を示した。また、海域による現存量の変動幅が大きいという特徴を示した。渦鞭毛藻類は珪藻類同様に表層により多く分布したが、海域による現存量の変動幅は珪藻類と比べ、小さかった。一方、プリムネシオ藻類は栄養塩濃度の高低によらず表層から有光層まで比較的広範囲に分布した。黄金色藻類はプリムネシオ藻類と類似した地理分布を示したが、より深層において現存量が増加する傾向にあった。原核緑藻類およびシアノバクテリアは熱帯域から南太平洋亜熱帯循環南側まで存在し、有光層底部で優占する傾向を示し、水平的には水温の影響受けると考えられ、南極周極流では、急激に現存量が低下した。シアノバクテリアは原核緑藻類より表層において現存量が高かった。クリプト藻類およびプラシノ藻類は、外洋より縁辺海や南極海の沿岸において現存量が高くなる傾向を示し、沿岸性であることが示唆された。緑藻類も同様に、縁辺海、南極海沿岸、赤道湧昇域において高い現存量が認められ、高栄養塩環境を好むと考えられた。

熱帯・亜熱帯表層では、全クロロフィルaが0.3μgl(-1)以下の低濃度域では、原核緑藻類とプリムネシオ藻類のクロロフィルaが、それぞれ、全クロロフィルaと有意な正の相関を示した。これに対して、0.3μgl(-1)以上の濃度範囲での変動は、珪藻類とそれ以外の真核藻類群によるものであった。亜寒帯域・極域全体では、全クロロフィルaの変動は、珪藻類とプリムネシオ藻類のクロロフィルaで説明された。さらに亜南極海と南極海開水面域のうち、クロロフィルa濃度が0.5μg1(-1)以下の低濃度域では、珪藻類がおもにクロロフィルa変動に寄与するものであり、プリムネシオ藻類の寄与は少ない事が明らかになった。

以上、本研究から、太平洋と南大洋において、海盆スケールでの環境要因の違いと、これに対応した植物プランクトン群集組成が明らかになった。さらに、海氷域周辺を除く南大洋と太平洋熱帯亜熱帯域の表層については、クロロフィルa濃度から、植物プランクトン群集組成が推定できることを明らかにした。これは、光や栄養物質などの要求量の違いやそれらの変動に対する敏感性が分類群によって異なる結果として、空間分布の違いに現れている、即ちボトムアップ制御の重要性を示唆している。近年、海色衛星情報から、海域の優占グループを推定する研究が始まっているが、現在は珪藻類にとどまっている解析が、本研究の結果により、その他の分類群について展開される可能性が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

植物プランクトンは海洋における主要な一次生産者であり、その群集組成は、餌として利用する植食性動物プランクトンの組成に大きな影響を及ぼす。植物プランクトンには、通常の検鏡法による解析が困難な種類が多く存在し、これらは従来の研究では見落とされてきた。このため、植物プランクトン群集組成の解析にはこれらの種を含む群集全体を対象とした手法が必要である。この観点から申請者は、植物プランクトンには綱レベルで特徴的な色素が存在することから、これらを指標とした群集組成の解析が有効であることに着目して、植物プランクトン群集組成を解析した。これまでにも指標色素を用いて群集組成を解析する研究はあったが、それらはメソスケール以下の空間規模を対象としたものに限られ、海盆スケールに適用した研究例はこれまでに無い。そこで、本研究は、熱帯から極域まで西部太平洋の広範な海域を対象に海盆スケールで植物プランクトン群集構造を明らかにしたものである。

観測は、2000年2月および2002年11-12月にスールー海と周辺海域で、2001年1月に赤道域西部暖水塊および東部湧昇域で、2001年12月に南太平洋亜熱帯循環域で行った。さらに亜寒帯海域および極域の観測は、2002年1月および2月に、南大洋インド洋区の亜南極海、南極海開水面域および夏季ブルームが形成される南極海海氷域で行った。海水試料中の指標色素を高速液体クロマトグラフィーにより分析し、その結果を基に、因子分析から各植物プランクトングループのクロロフィルa現存量を算出した。

本研究では因子分析による解析が鍵となることから光環境の違いによる色素組成への影響や、因子分析の解析法そのものの技術的問題の解決に加えて、近年、プリムネシオ藻類の解析に有効とする報告のあるクロロフィルc3の有用性等の検討が第一の課題である。この問題のため海盆スケールの研究が展開されてこなかった。まず、光環境については、0-50 m層と50 m以深とで別々に因子分析を行ったところ、0-50 mでは、50 m以深より強光環境に適応したと考えられる指標色素:クロロフィル a比が得られ、既往知見を支持する結果を得た。次に因子分析の解析法については、近年報告されている諸方法が必ずしも適切ではないことを指摘した。特にシアノバクテリアおよびプリムネシオ藻類の現存量推定に難点が有ることを示した。クロロフィル c3については、考慮した場合としない場合で解析結果に有為な差が認められないことから、綱レベルでの現存量評価には有用ではないと結論した。

植物プランクトンの海盆スケールでの分布型に5型が存在することを明らかにした。第一には珪藻類および渦鞭毛藻類であり、熱帯から極域にかけて広範囲に分布し、沿岸域および鉛直混合の発達した海域で現存量が多かった。珪藻類はスールー海の鉛直混合が発達した測点、亜南極海北側、南極海の海氷域と開水面域南側などの表層の栄養物質が豊富な水塊において高い現存量を示したのに対し、外洋では極めて現存量が低いことなど、海域による現存量の変動幅が大きいという特徴を認めた。渦鞭毛藻類は珪藻類同様に表層により多く分布したが、海域による現存量の変動幅は珪藻類と比べて小さかった。第二には、プリムネシオ藻類である。このグループは栄養塩濃度の高低によらず、第一のグループに比べて広い海域に分布した。鉛直的にも表層から有光層まで比較的広範囲に分布した。第三は黄金色藻類であり、このグループはプリムネシオ藻類と類似した地理分布を示したが、より深層において現存量が増加する傾向にあった。第四には、原核緑藻類およびシアノバクテリアであり、これらのグループは比較的高水温の、熱帯域から南太平洋亜熱帯循環南側まで出現し、南極周極流では、急激に現存量が低下した。このうち原核緑藻類は有光層底部で優占する傾向を示した。最後のグループは、クリプト藻類、プラシノ藻類および緑藻類である。これらは、外洋より縁辺海や沿岸において現存量が高くなる傾向から、沿岸性であることが示唆された。このような類型化は、成層が発達した時期に適用できるものであり、水柱の安定性が変動する場合には、栄養塩と光環境に応じた群集組成の変化が有ることをスールー海および南極海で明瞭に示した。

以上、本研究により、色素分析に基づいた植物プランクトン群集組成解析が海盆スケールでの環境要因と植物プランクトンの群集組成の関係を研究する際にも適用可能になり、各グループの分布様態がはじめて太平洋において明らかになった。このことは、植物プランクトン生態学における重要な貢献であり、学術的価値が高い。その過程において、指標色素を用いる群集組成解析手法を発展させたことは評価される。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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