学位論文要旨



No 123964
著者(漢字) 羽島,知洋
著者(英字)
著者(カナ) ハジマ,トモヒロ
標題(和) 陸上生態系物質循環モデルによる森林炭素収支の推定
標題(洋)
報告番号 123964
報告番号 甲23964
学位授与日 2008.04.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3348号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物・環境工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大政,謙次
 東京大学 教授 蔵田,憲次
 東京大学 教授 塩沢,昌
 東京大学 教授 鈴木,雅一
 東京大学 教授 新藤,純子
内容要旨 要旨を表示する

気候変動に関する政府間パネルが新たに第4次報告書を公開し,20世紀半ば以降に観測された世界平均気温の上昇のほとんどは,人為起源の温室効果ガスによってもたらされた可能性がかなり高い,という内容を報告している。主要な温室効果ガスであるCO2は,大気から海洋・陸上生態系によって取り込まれ,これらは大気CO2の重要なシンクとなっている。陸上生態系においては,炭素収支を推定するために,大規模なフラックスタワー観測や生態学的調査が進められているが,生物が関わる要素が他と比べて多いこともあり,炭素循環プロセスと気候システム内で陸上生態系が果たす役割の理解は未だ不確実な部分が多い。陸上生態系における諸過程をモデル(プロセスモデル)化し,シミュレーションとして再現するという試みは,観測結果の補完や将来予測,さらには陸上生態系へのより一層の理解等への方法として有効であるものの,様々な課題が残されている。

陸上生態系における炭素収支をプロセスモデルとして表現する際には,対象とする時間スケールによって,日変動~季節変動のエネルギー収支や水収支等を扱う短期的モデル,季節変動~年変動における物質循環を推定する中期的モデルなどに分類することができる。実験結果や観測結果をモデルに直接反映させるためにも,日内の物質の移動・エネルギー収支等が積算され,長期の炭素収支等に結びつける必要がある。

そこで本研究の目的は,森林における炭素フラックスの日変化を再現可能な地上部フラックスモデルを作成し,地上部フラックスモデルと物質循環モデルの結合を行い,地上部フラックスモデルによる短期的な炭素収支を積み重ねた上での炭素収支の推定を行うこととした。

地上部フラックスモデルでは,植物群落における総光合成速度(GPP)を算出することを目的とする。また,同時にエネルギー収支式を解くことにより顕熱・潜熱を算出する。そこで,群落光合成速度の算出には,Farquhar et. al, (1980)の光合成モデルと半経験的な気孔コンダクタンスモデル(Collatz et. al, 1991)を用いた。なお,個葉光合成速度から群落光合成速度へスケールアップするため,気孔コンダクタンスモデルを群落頂部からある高さまでの積算葉面積 により積分した。この際,群落内の鉛直方向に対する相対湿度,葉表面CO2濃度,気孔コンダクタンス,葉温等は全て一定であると仮定した。

Farquharの光合成式を群落レベルへ拡張する際には, Depury and Farquhar (1997)の方法を用いた。これは,群落内の鉛直方向の位置関係による光環境の違いと,葉の光合成能力の違いとを表現し,解析的に積分することにより群落の光合成速度を算出する方法である。その際,単純な鉛直方向の積分にともなうエラーを極力減らすために,葉を日向葉と日陰葉とに分離している。

群落光合成速度・蒸散速度を上記の方法により算出するためには,葉温の値が必要となる。そこで,群落を地表面と森林群落面とに分離してエネルギー収支を計算し,葉温の推定を行った。この際,群落面におけるエネルギー収支式には群落光合成モデルと気孔コンダクタンスモデルによって求められた群落抵抗が組み込まれる。また,大気から葉面までの抵抗として中立を仮定した空気力学的抵抗を,葉面から気孔までの抵抗である葉面境界層抵抗が考慮されている。

このモデルの入力データは,エネルギー収支に用いられる純放射量[W m(-2) ],光合成の駆動力となるPPFD[μmol m(-2) s(-1)],潜熱フラックスと気孔コンダクタンスに影響する相対湿度[%],大気CO2濃度[ppm],空気力学的抵抗と葉面境界層抵抗に影響する風速[m s-1]となる。

モデルの検証には,フラックスタワーの観測結果を用いた。多くのフラックスタワーサイトでは,樹冠上におけるCO2交換速度(NEE),潜熱・顕熱フラックスを計測すると同時に,純放射量やPPFD,気温,湿度,風速等を計測している。これらの気象データをモデル入力値とし,フラックスデータとモデルが出力する各種フラックスと比較した。

地上部フラックスモデルでは,顕熱・潜熱を出力することはできるが,求まるCO2フラックスは大気から植物へ吸収される総光合成速度(GPP)のみであり,樹冠上部で計測されるCO2交換速度(NEE)と直接比較することはできない。そこで,ここではFalge (2002)の方法を用いることにより,タワー観測によって得られたNEEデータからGPPを算出した。

常緑/落葉性,広葉/針葉,気候帯等によるフラックスの違いを確認するため,以下の2つのサイトを選んだ。1つは温帯落葉樹林(Temperate Deciduous Forest, 以下TDFサイトとする)であり,2つ目は寒帯常緑針葉樹林(Boreal Coniferous Forest, 以下BCFサイトとする)のデータである。

モデル計算には,入力データとして純放射量や風速のような気象データの他に,群落の積算葉面積(LAI)等が必要になる。BCFサイトではLAIを3.0[m2 m(-2)]で一定とし,TDFサイトではLAIは葉展開日を1/1から数えて120日目として10日間で最大4.5[m2 m(-2)]となるようにした。また,305日目に全ての葉が落葉するとした。

モデルによって得られたGPPと,タワーフラックスデータから得られたGPPの結果を比較したところ,BCFサイトにおいて,春~夏先のGPPの過大推定はあるものの,夏の光合成が活発な期間におけるGPPはよく再現された。 またTDFサイトでは,植物の水利用に制限がないという仮定で計算を行っているため,秋の少雨期間における光合成速度の低下は表現できないものの,成長期間におけるGPPはよく表現されていた。

森林生態系における大気-陸面間での炭素収支を推定するためには,地上部フラックスモデルによるGPP推定だけでは不十分である。大気-陸面間での正味の炭素交換量NEEを推定するためには,植物自身による呼吸(Autotrophic Respiration,AR)と土壌有機物の分解によるCO2放出(Heterotrophic Respiration,HR)が必要となる。これらは,陸上生態系に蓄積された植物バイオマスや土壌炭素量と関係するため,長期間における生態系内での炭素量の変動が必要となる。また,土壌水分による地上部フラックスモデルの気孔コンダクタンスの低下や,土壌内栄養塩と光合成速度・呼吸速度との関連付けを行う必要がある。そこで本研究では,陸上生態系物質循環モデルであるCENTURYモデル(Parton, 1998)を物質循環モデルとして採用し,地上部フラックスモデルと結合することにした。

CENTURYモデルは,主に農地における炭素・窒素・水循環等を再現するために開発されたモデルであり,一定の評価をこれまで受けてきている。CENTURYモデル内部には森林における物質循環サブモジュールが入ってはいるものの,他の計算タイムステップが1日であるのに対し,森林モジュールは1週間単位と,他のサブモジュールと比べて粗い構造をしている。

炭素の物質循環は,いくつかの炭素プールを設け,その炭素プール間を1日単位で炭素移動が生じるとして計算を行っている。植物の炭素プールは,葉プール,枝プール,幹プール,根プール,細根プールの5つであり,土壌炭素プールは,大きく分けて枯死物プール,地表面活性プール,土壌活性プール,土壌遅効プール,土壌抵抗プールとなる。

本研究で作成した地上部フラックスモデルと,物質循環モデルであるCENTURYモデルとは,葉炭素/窒素量,純光合成速度,蒸発散速度等で結合を行い,地上部フラックスモデルによって時間スケールで計算した炭素・窒素・水のフラックスを,CENTURYモデルの物質循環に受け渡している。

モデルの検証には,TDFサイトとBCFサイトに加え,温帯針広混交林(Temperate Mixed Forest, 以下TMFサイトとする)と熱帯常緑樹林(TRopical Evergreen Forest,以下TREFサイトとする)のフラックスタワー観測データを用いた。

長期間の物質循環も推定するため,シミュレーションにはサイトにおける観測期間以前の気象データ等が必要となる。各サイトにおける観測期間での計算にはタワーサイトでの気象データを,それ以前の期間にはNCAR/NCEP再解析データ(Kanly et. al, 1998)による気象データを用いた。

地上部フラックスモデルとCENTURYモデルを結合した後の,NEEの推定結果であるが,TMFサイトでは,年平均のNEEが77.5[gC m-2 year-1]に対し,モデル推定値は50.5[gC m-2 year-1]と,良く推定できていることがわかる。また,TREFサイトにおいて,2002年のみではあるが,観測データの積算値は267[gC m-2 year-1]であるのに対し,モデル推定値は263.5[gC m-2 year-1]とかなり近い値を示した。

本研究では,日内での炭素フラックスが算出可能な地上部フラックスモデルを作成し,これを長期間の炭素動態を再現する物質循環モデルと結合した。これにより,時間~日での時間スケールのフラックス計算結果を物質循環モデルに反映させるとともに,長期間の炭素変動を短期間の炭素収支の結果に反映することのできる,再現性の高いモデルを構築することができた。

審査要旨 要旨を表示する

近年確認されている地球温暖化の主な原因の一つとして温室効果ガスであるCO2が挙げられる。大気中のCO2が海洋や陸上生態系にどの程度吸収もしくは放出されるかを調べることは非常に重要な問題となっている。陸上生態系と大気の間における炭素収支を推定する方法として、陸上生態系の諸過程をモデル化(陸上生態系プロセスモデル)し、シミュレーションによって推定する方法がある。近年、様々な時間スケールの陸上生態系プロセスモデルを相互に結合する試みがなされている。しかし、開発効率の優先のために、大気と陸上生態系の間における炭素収支とエネルギー収支の整合性をとれていないケースが多く、この問題を解決することが、今後の気候変動と全球レベルでの炭素循環との関連性を解明するために非常に重要な課題となっている。本論文では、大気と陸上生態系の間における炭素収支とエネルギー収支の整合性をとり、時間スケールの異なる陸上生態系モデルを相互に結合したモデルを構築し、大気と陸上生態系の間の炭素およびエネルギー収支の推定と検証を行うことを目的としており、4章で構成されている。

序論となる1章において、現在の気候変動とその原因である大気CO2の現状と陸上生態系による炭素およびエネルギー収支を推定することの意義について述べた。また、大気と陸上生態系問における炭素収支の推定方法として用いられる陸上生態系モデルについてレビューし、異なる時間スケールの陸上生態系モデルを結合することの必要性と現状における問題点を指摘し、本研究の方向性と目的を確認した。

2章においては、総光合成速度(GPP)の日内変動や季節変動を推定することが可能な陸上生態系フラックスモデルを作成し、潜熱・顕熱フラックスの推定とともに陸上生態系に流入する炭素の移動を支配する総光合成速度の推定を行い、検証を行った。総光合成速度は、陸上生態系に蓄積される炭素量を支配するものであり、陸上生態系全体の炭素動態を推定するために重要である。植物の生化学的光合成モデルと気孔コンダクタンスモデルに、エネルギー収支・物質輸送モデルを加えて、植物群落の陸上生態系フラックスモデルを構築することにより、炭素収支とエネルギー収支の整合性をとり、バイオマスや土壌中の水分などの物質循環に関わる要因が変わらない範囲において、総光合成速度とエネルギーフラックス(潜熱・顕熱フラックス)を良好に推定することが可能となった。

3章においては、2章で作成した陸上生態系フラックスモデルと、長期的な物質動態を再現する陸上生態系物質循環モデルとを結合し、大気と陸上生態系間における炭素およびエネルギー収支の推定、検証を行った。この結果、フラックスモデルおよび物質循環モデルの持つ欠点を互いに補完し、陸上生態系における、より現実的な炭素およびエネルギー収支の推定が可能になった。そして、陸上生態系への炭素蓄積量の推定値を、異なる気候帯における実測された結果と比較し、その有用性を確認した。また、既存の物質循環モデルであるDAYCENTモデルと比較して、炭素およびエネルギー収支の推定精度を向上させることができた。このことにより、陸上生態系フラックスモデルと陸上生態系物質循環モデルとを結合することの有用性を確認することができた。また、日内変動から経年変動での炭素収支・エネルギー収支を推定することが可能な本研究のモデルの特徴を生かして、現在、急速に観測網が広がりつつあるフラックス観測データと、データを用いたモデル推定の相互検証を容易に行うことが可能になった。

以上、本論文では、大気と陸上生態系の間における炭素収支とエネルギー収支の整合性をとり、時間スケールの異なる陸上生態系モデルを相互に結合し、より精度の高い陸上生態系モデルを構築し、その有用性を検証した。本研究で得られた知見は学術上貢献するところが少なくないと考えられる。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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