学位論文要旨



No 123965
著者(漢字) 武田,容枝
著者(英字)
著者(カナ) タケダ,マサエ
標題(和) 火山灰土壌における堆肥施用と冬作カバークロップの導入 : リン管理技術としての可能性
標題(洋) Winter cover cropping as a phosphorus management practice for Andosol under compost application
報告番号 123965
報告番号 甲23965
学位授与日 2008.04.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3349号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 中元,朋実
 東京大学 教授 西澤,直子
 東京大学 准教授 山岸,徹
 東京大学 准教授 岡田,謙介
 農業・食品産業技術総合研究機構中央農業総合研究センター 上席研究員 水久保,隆之
内容要旨 要旨を表示する

緒言

火山灰土壌はアルミニウム(Al)や鉄(Fe)の酸化鉱物を多く含む。施用されたリン(P)はこれらのAl・Fe化合物によって固定され、植物に供給されにくい形へと変化し蓄積していく。P固定力の高い土壌では、土壌微生物を介した有機態Pの循環が植物へのP供給に与える影響は大きい。また、微生物によるP代謝回転は速くAl・Fe化合物に固定されるPの量を減少させると考えられている。家畜糞尿、堆肥、緑肥などの有機質資材を施用すると土壌の生物活性は高まる。したがって、有機質資材の施用は火山灰土壌における有機態Pの循環を活性化しP循環全体を改善する可能性がある。有機質資材はさまざまな特性をもちその効果は予測することがむずかしい。日本ではトルオーグ法やブレイ法などの簡易抽出法によって土壌のP供給能を推定することが多い。これらの方法は土壌から容易に放出されるPを測定する方法で、有機物を施用した土壌で長期間にわたって無機化されるPの量を推定する方法としては適さないと考えられる。一方、P分画法(Hedleyらの方法)は異なる溶液をもって連続的に土壌Pを抽出していく方法で、植物への供給の難易によって土壌Pを定量する。したがって、土壌のもつ長期P供給能を評価する手段となりうる。また、土壌の生物活性は有機物の分解程度、またP無機化の程度を評価する上で重要な指標となる。有機物を施用している土壌のP循環には多くの要素が関わっており、さまざまなアプローチで評価する必要がある。本研究では、有機質資材として牛糞堆肥を施用している火山灰土壌においてPの循環を改善する方法として冬作カバークロップに着目し、その効果を検討した。

(1)有機質資材を施用した火山灰土壌におけるリン分画の検討

火山灰土壌におけるP形態はAl型、Fe型、Ca型といったPの結合形態で分類されることが多い(Chang and Jackson法と関谷法)が、Hedleyらの方法のように植物への供給という観点から分類されることはまれである。そこで、有機質資材を連用した火山灰土壌12種類(対照土壌を含む)を用いてHedleyらの方法を検討し、他2法との比較を行った。土壌のP供給能の指標とされるP分画はHedleyらの方法(イオン交換樹脂で抽出されるP)で関谷法(弱酸で抽出されるCa-P)よりも多かった。また、Hedleyらの方法で植物に供給されにくいとされるP分画(強酸で抽出されるP)はChang and Jackson法の中で強酸を使って抽出されるCa-Pよりも多かった。Hedleyらの方法を用いた結果、家畜糞尿(55 kg P ha-1 yr-1)または下水汚泥コンポスト(132 kg P ha-1 yr-1)を20年間施用した土壌では全Pの増加が顕著で、とくに無機態P分画の量が増加することがわかった。また、P含有量の少ない麦わらの施用(2 kg P ha-1 yr-1)は全Pへの影響が少ないもののPの存在形態への影響が他の有機質資材とは大きく異なることが示された。Hedleyら方法で分類されるP分画それぞれがもつ供給能は火山灰土壌においては未だ評価されていない。しかし、本実験の結果から、有機質資材を施用した火山灰土壌におけるP形態の変化を検討する上でHedleyらのP分画法は有用であることが示された。

(2)火山灰土壌でのリン形態に堆肥施用と冬作カバークロップの導入が及ぼす影響

圃場試験は福島県福島市にて実施した。牛糞堆肥(0、61、122-183 kg P ha-1 yr-1)を施用して2005-2007年にダイズを栽培し、冬の無作付け期間にカバークロップ(裸地、ナタネ、ライムギ)を栽培、残渣を堆肥の施用前にすき込んだ。2年間に5回土壌を採取し、土壌中のP形態の変化をP分画法(Hedleyらの方法)を用いて調べた。堆肥の施用によって添加されたPのほとんどは作土層で認められた。また、植物(ダイズまたはカバークロップ)に吸収されず残余したPは主に無機態Pの分画に分配された。堆肥施用後のP分画の結果から、堆肥Pの多くが無機態で易溶性から難溶性のものを含むことが示唆された。0.1 M NaOHで抽出される無機態Pの分画(土壌中のAlやFe化合物に強く吸着しているP)は、堆肥の処理に関係なく、夏期に減少し冬期に増加した。他のP固定土壌においてすでに提言されているように、火山灰土壌においてもこの無機態P分画が添加されたPを貯留し必要に応じてPを放出するという可逆的な働きをもつ可能性が示唆された。冬作カバークロップによるPの吸収が堆肥に由来する無機態Pの蓄積を軽減し、すき込まれた際に有機態P循環を活性化することが期待されたが、無機態、有機態いずれのP分画にも影響を与えなかった。除草を目的とした耕うんなど、物理的かく乱をともなう作業が多い慣行ダイズ栽培ではPの無機化が促され土壌中に有機態Pが蓄積しにくいのではないかと思われる。

(3)火山灰土壌のリン供給能に堆肥施用と冬作カバークロップの導入が及ぼす影響、また土壌生物活性の重要性

Pの供給は溶解、脱離という化学過程と分解、無機化という生物的過程に左右される。前者の観点からブレイ2法による抽出P(可給態P)を、後者の観点からホスファターゼ活性、微生物バイオマスP、土壌線虫の群集構造を調べた。堆肥あるいはライムギの処理でダイズ(開花時)のP吸収量が増加した。また、両処理によってホスファターゼ活性、微生物バイオマスP、微生物食性線虫の密度が高まった。堆肥施用では可給態Pの増加が認められたため、堆肥から容易に放出されるPがダイズのP吸収に寄与したと考えられる。一方、ライムギはもともと土壌から吸収したPを残渣とともに還元したため可給態Pを増加させなかった。すき込みによって活性化した土壌生物の働きによってPの無機化が促され、ダイズのP吸収量が増加したと考えられる。ライムギよりもC/P比の低いナタネはすき込みによってPの無機化を促進すると予想されたが、ダイズP吸収への影響は認められなかった。これはすき込まれたバイオマスが小さく土壌生物への影響が小さかったこと、植物寄生線虫を増加させたことが原因と考えられる。

(4)堆肥施用と冬作カバークロップの導入が火山灰土壌でのダイズ生産に与える影響

堆肥を183 kg P ha-1で施用した場合のみダイズの収量は増加した。このP施用量は試験を実施した東北地方でダイズ栽培の際に火山灰土壌に施用される標準量の3倍に相当する。標準量で堆肥の効果が認められなかったのはN不足による可能性がある。施用回数が増すとともに堆肥の収量への効果が顕著になったのは、堆肥に多く含まれる有機態Nの分解によってダイズへのN供給量が徐々に増加した結果と推察される。一方、ナタネの処理では植物寄生線虫の増加が原因と思われるダイズの減収が認められた。また、ライムギの処理で収量の変化は認められなかったが、ダイズのP吸収量を高める効果があった。したがって、堆肥の施用が繰り返された後にN供給が十分となった場合にダイズの収量を高める効果が期待できる。

総合考察

ライムギを冬作カバークロップとして導入することで火山灰土壌のP循環が改善された。バイオマスの大きいライムギのすき込みは土壌生物の活性を維持し、その結果、土壌生物を介したPの循環を活性化した。このような土壌生物を介したP循環は火山灰土壌に固定されるPの量は減少させる可能性がある。一方、ナタネはさまざまな要因(気候条件、土壌肥沃度、植物寄生線虫など)によって生育が抑制され、ナタネ特有のP吸収能力を発揮することができなかった。

堆肥を施用した火山灰土壌では、堆肥由来のP(おもに無機態P)がAlやFe化合物に吸着された形で蓄積した。日本には牛糞堆肥のように家畜糞尿に由来する資材が過剰に存在する。したがって、その有効利用は環境保全の視点から重要な課題となっている。火山灰土壌のもつP固定容量は有機質資材を多用する上で利点となるかもしれない。Pを固定することで系外への流出を抑制することができるだろう。しかし、有機質資材の投入量が火山灰土壌のもつP固定容量を超えた場合、Pは流出し近隣水源を汚染する可能性が高まる。ライムギを冬作カバークロップとして導入すれば、まず土壌表面を被覆することで土壌水食を防ぐことができ、さらにPを残渣や土壌生物体内に保持させることでPの系外への流出を抑えられるであろう。

審査要旨 要旨を表示する

火山灰土壌では,家畜糞尿,堆肥,緑肥などの有機質資材の施用によって,土壌の生物活性を高めP循環全体を改善できる可能性がある.有機物を施用している土壌のP循環には多くの要素が関わっており,さまざまなアプローチで短長期の土壌のP供給能を評価する必要がある.本論文は,有機質資材として牛糞堆肥を施用している火山灰土壌における冬作カバークロップに着目し,そのPの循環に与える効果を多面的に検討したものである.

従来の研究のレビューを行った第2章につづく第3章ではリン分画法の検討を行った.火山灰土壌におけるPは結合形態で分類されることが多い(Chang and Jackson法と関谷法)が,植物への供給という観点から分類されることはまれである.12種類の土壌を用いてHedleyらの方法と上記2法との比較を行った.Hedleyらの方法では,土壌のP供給能の指標とされるP分画の抽出量は関谷法よりも多く,植物に供給されにくいとされるP分画の抽出量はChang and Jackson法よりも多かった.Hedleyらの方法を用いた結果,家畜糞尿または下水汚泥コンポストを20年間施用した土壌では全Pの増加が顕著でとくに無機態P分画の量が増加することや,麦わらの施用では全Pへの影響が少ないもののPの存在形態が他の有機質資材とは大きく異なることなどが示された.有機質資材を施用した火山灰土壌においてHedleyらのP分画法は有用であることが示された.

第4章では,リン形態に堆肥施用と冬作カバークロップの導入が及ぼす影響を明らかにするために,福島市にて圃場試験を実施した.牛糞堆肥(3水準)を施用して2005-2007年にダイズを栽培し,冬の無作付け期間にカバークロップ(3水準:裸地,ナタネ,ライムギ)を栽培し緑肥として用いた.植物に吸収されずに残ったPは主に無機態Pの分画に分配された.堆肥Pの多くは無機態で易溶性から難溶性のものを含むことが示された.NaOHで抽出される無機態Pの分画は,堆肥の処理に関係なく,夏期に減少し冬期に増加し,添加されたPを貯留し必要に応じてPを放出するという働きをもつ可能性が示唆された.冬作カバークロップは,生育時にはPの吸収が堆肥に由来する無機態Pの蓄積を軽減し,すき込まれた際には有機態P循環を活性化することが期待されたが,無機態,有機態いずれのP分画にも影響を与えなかった.慣行ダイズ栽培では耕起等によってPの無機化が促進され有機態Pが蓄積しにくいと考察された.

第5章では,堆肥施用と冬作カバークロップが火山灰土壌のリン供給能と土壌生物活性に及ぼす影響について検討した.堆肥あるいはライムギの処理によって,ダイズのP吸収量が増え,ホスファターゼ活性,微生物バイオマスP,微生物食性線虫の密度が高まった.堆肥施用では容易に放出されるPがダイズのP吸収に寄与したと考えられた.いっぽう,ライムギ施用では,すき込みによって活性化した土壌生物の働きによってPの無機化が促されたと考えられた.ナタネのダイズP吸収への影響は認められなかったが,これはバイオマスが小さく土壌生物への影響が小さかったことと植物寄生線虫を増加させたことが原因と考えられた.

第6章では堆肥施用と冬作カバークロップの導入が火山灰土壌でのダイズ生産に与える影響についてとりまとめた.堆肥を183 kg P ha-1(標準量の3倍)で施用した場合にダイズの収量は増加した.ナタネの処理では植物寄生線虫の増加が原因でダイズの収量が低かった.ライムギの処理では収量の変化は認められなかったが,堆肥の施用が繰り返された後にN供給が十分となった場合にダイズの収量を高める効果が期待できた.

以上,ライムギを冬作カバークロップとして導入することで火山灰土壌のP循環が改善されることが明らかになった.バイオマスの大きいライムギのすき込みによって,土壌生物の活性が高まり,その結果Pの循環を活性化した.このような土壌生物を介したP循環は火山灰土壌に固定されるPの量を減少させる可能性がある.一方,ナタネの利用にはさまざまな栽培上の困難がともない,特有のP吸収能力を発揮することができなかった.家畜糞尿等の有機質資材が多用された火山灰土壌においても,ライムギを冬作カバークロップとして導入することでPの系外への流出を抑えられることが期待される.

本論文は,持続的な作物栽培システムの構築が急務とされる中で,圃場試験を実施し,科学的な視点からリンの動態を解明するとともに,作物生産の現場での実践の方向を提示したもので,学術上ならびに応用上に貢献するところが少なくない.審査員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた.

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