学位論文要旨



No 123966
著者(漢字) 李,文淑
著者(英字)
著者(カナ) イ,ムンスク
標題(和) 全羅道方言から見た韓国語のアクセント変化について
標題(洋)
報告番号 123966
報告番号 甲23966
学位授与日 2008.04.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第631号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 福井,玲
 東京大学 教授 上野,善道
 東京大学 教授 熊本,裕
 東京大学 教授 林,徹
 東京大学 教授 生越,直樹
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、全州や光州を中心とする全羅道方言、ソウル方言、中国の朝鮮族が話す朝鮮語のアクセント分析から、その実態を明らかにし、これらの諸方言に見られるアクセント変化を追求するものである。

全州方言は2音節語を中心に見ると三つのパターンがあり、3音節語以上からは二つのパターンが対立を成すアクセント体系である。しかし、ここには世代差があり、年配の世代と若い世代とでアクセント体系が異なる。年配の世代に比べて若年層は対立の数が少なく、2音節語から4音節語まで二つの対立しかない。さらに、5音節語からはその二つの対立も完全に語頭子音によって決まるようになり、結局対立はなくなってしまう。ゆれがあったり、アクセントの対立がなくなってしまったりして不安定ではあるが、名詞にはまだアクセントの対立が認められるが、用言はすでにアクセントの対立がなくなっているものと考えられ、語の音調は完全に語頭子音によって決まる。

複合語は、第1音節と第2音節によって語の音調が決まるという全州方言のアクセント特徴上、前部要素によってアクセントが決定されるシステムになっている。後部要素がそのまま残って語全体のアクセントになることはない。また、複合語を構成する要素の音節数に制約があり、それによって1単位にまとまるか2単位になるかが決まる。前部要素が後部要素より長く、複合語全体が6音節未満であれば、構成される複合語はアクセント上1単位にまとまる。

このような全州方言の実態を見えにくくするのが現在進行中であると想定できるアクセント変化で、以下のような傾向が見られる(以下では高い音節を●、低い音節を○で表す)。

・分節音によってアクセントが決まるようになる

・音節数がアクセントに影響する

・1音節語はアクセントの対立を失う

・言い切り形と接続形の区別ができるようになる

・語頭に特殊子音がある場合は●●○、それ以外は○●○のパターンに向けて変化する

光州方言は全州方言よりアクセントの対立を保っている方言で、音節数ごとに最初の音節だけが高い●○、最初から次の音節まで高い●●、第2音節が高い○●の三つのパターンが現れる。光州方言では語頭の長母音がアクセントとセットになっており、その有無はアクセントパターンまで変えてしまう。長母音がある語は●:○、●:○○、●:○○○のように現れるが、語が長くなると長母音は実現しにくくなり、短母音化が起こる。その場合はアクセントも●●○、●●○○のように変化する。このような光州方言に見られる長母音は、他の方言に比べてその範囲が広く、中期朝鮮語、慶尚道方言、ソウル方言では短母音で現れるものまでも長母音で現れる例が多く見つかっている。この長母音の拡大現象もアクセント変化と関わりがある。

光州方言の用言は語尾の種類と音節数によってもアクセント交替が起こる。

複合語は全州方言と同様に前部要素によってアクセントが決まるシステムになっており、後部要素のアクセントが複合語全体のアクセントにそのまま残ることはない。

光州方言のアクセント変化は全州方言と似た傾向を示す。語頭に長母音がある語と特殊子音がある語は●●系列へ向かって変化するが、特に長母音を持っている語は短母音化と共に●●系列へと変化した後、語頭子音によってもう一段階変化をする。つまり、語頭に平音がある語は●●系列から○●系列へともう一段階の変化が見られ、結局長母音を持つ語は●○>●●>○●のような2段階の変化を想定しないといけない。

ソウル方言は本稿で考察している方言の中でもっともアクセントの簡略化が進んだ方言で、語の音調は分節音の性質によって決まる。語頭に特殊子音があると第1音節から高く現れるが、語頭子音が平音の場合は第2音節から高くなる。一見すると規則性がないように見えるが、最初に高くなる位置が守られれば、それ以外の部分は高くても低くても大きい問題にはならない。

中国黒龍江省尚志市で話される朝鮮語はこれまで見た三つの方言とは異なり、はっきりしたアクセントの対立を持っている。慶尚道からの移住者が多いことから基になっている言語は慶尚道方言であると予想されるが、現在の慶尚道方言に比べると、慶尚道方言のアクセント特徴を残しつつも多くの部分で変化している。1音節語はアクセントの対立を失って、すべての語が●(●)で現れる。ただし、2音節以上の助詞が付くと●●系列と○●系列に別れ、対立を持つようになる。2音節語には3種類の○●があるが、○●(○)の形で現れるものが圧倒的に多く、○○(●)、○●(●)の順になる。特に、○●(●)は不安定で○●(○)又は○○(●)の二つの形が容認されることが多い。この現象は3音節語・4音節語でも同じである。

この方言に観察されるアクセント変化でまず挙げられるのは、●○系列から●●の系列への合流である。2音節語の単独形には●○系列があるが、3音節以上になると単独形では現れない。●○系列の2音節語に助詞をつけた場合にのみ●○○や●○○○が現れる。これは移住2世代目には見られない現象で、移住3世代目のアクセント体系は2世代目のアクセント体系より対立の数が少なくなっている。また、この方言でもアクセントの分節音への依存度は高くなっているが、語頭に特殊子音があるものは●●の系列になりつつある。

これら四つの方言から考えられる韓国語のアクセント変化の一般的な傾向を整理すると以下のようになる。

(1) アクセント変化は体系の簡略化を目指す。

(2) アクセントの弁別性の消失が進行するにつれ、分節音への依存度が高くなる。

(3) 1音節語はアクセントの対立が失われやすい。

(4) 音節数がアクセントに影響を与える。

(5) ●○系列は●●系列へ合流する。

(6) ○●○のパターンは非常に安定しており、好まれるパターンである。

(7) 最後に高い音を持つことで語の境界を表示しようとする。

(8) 単独形では現れない古いアクセントが複合語になると現れることがある。

(9) 用言の方が名詞よりアクセント変化が進んでいる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、韓国語(朝鮮語)のアクセント研究の中でも先行研究の少なかった全羅道方言について、全羅北道全州方言と全羅南道光州方言を代表として取り上げ、そのアクセント体系と特徴を詳細に記述し、これら2つの方言の比較やそれぞれの方言における世代差などを考察して、これらの方言が現在アクセント変化を経験しつつあることを明らかにしている。次いで、これらの方言と、アクセントの弁別性が完全に失われているソウル方言を比較して、ソウル方言もかつて全羅道方言のような段階を経て現在の状態に至ったものと推論している。さらに出自が韓国南部の慶尚道方言であることが分かっている、中国黒龍江省尚志市に住む朝鮮族の方言に関して、慶尚道方言との比較により現在アクセント変化が進行中であることを明らかにし、最後に以上すべての方言で観察されるアクセント変化に基づいて、韓国語におけるアクセント変化の一般的傾向を探ろうとするものである。

韓国語の諸方言の中で、単語における相対的な声の高さが決まっているピッチ・アクセントをもつ方言としては、従来、慶尚道方言と咸鏡道方言が知られていたが、本論文で中心的に扱っている全州、光州などの全羅道方言は、ピッチ・アクセントの存在自体がほとんど知られておらず、詳しい先行研究が少なかった。本論文の第一の意義は、このような方言について詳しい調査を行って記述をしている点にある。代表として全州、光州の方言を主に取り上げているが、実際にはその周辺の十数地点について詳細な調査を行なっており、調査項目も、単純名詞、複合名詞、漢字語、外来語、用言およびその活用形を含む詳細なものである。全羅道方言のアクセントについてのこれほど大規模な調査はこれまでになかったもので、大変貴重な貢献である。次に、ソウル方言についても詳細な記述と、その成立に関する歴史的な脈絡を与えたことも本論文の意義としてあげることができる。ソウル方言は弁別性が完全に失われている点では全羅道方言と異なるが、音調型そのものの類似性のほか、それが語頭子音の種類に左右されること、また言い切り形と接続形の区別などの点において、全羅道方言との密接な関連が見られ、その成立について手がかりが得られたことは貴重な貢献である。さらに、韓国語におけるアクセント変化の一般的傾向をまとめている点も高く評価することができる。同様の試みは日本語については金田一春彦によって夙に行なわれているが、韓国語については本論文が初めての試みであると言っても過言ではない。

本論文の課題としては、記述が若干分かりにくいところがあることと、本格的な歴史的研究のために他方言も視野に入れる必要があることなどがあげられるが、上に述べたようにこの論文の学術上の意義と貢献はそれらを補って余りあるものである。以上の理由により、審査委員会は、本論文を博士(文学)の学位を授与するに値するものとの結論に達した。

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