学位論文要旨



No 123971
著者(漢字) 加藤,龍
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,リュウ
標題(和) 信号の個人差と時変性に適応する筋電義手を用いた運動機能再建に関する研究
標題(洋)
報告番号 123971
報告番号 甲23971
学位授与日 2008.04.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6850号
研究科 工学系研究科
専攻 精密機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 横井,浩史
 東京大学 教授 新井,民夫
 東京大学 教授 佐久間,一郎
 東京大学 准教授 高橋,哲
 東京大学 教授 満渕,邦彦
内容要旨 要旨を表示する

本論文では,信号の個人差や時変性に適応する機能をもつ新しい筋電義手を開発し,これを応用することにより,手指を失った切断者の運動機能の再建がどのように行われるかを工学的側面,脳科学的側面,臨床的側面から明らかにしている.

本論文の主題となる筋電義手は,表面筋電位からロボットハンドを制御する機能が付与された義手の一種であり,不安的な筋電を如何にして運動意図の識別に用いるかが最大の課題とされてきた.すなわち,計測対象となる表面筋電位は,個々人の身体特性の変化などに影響されその特性が不安定に変化するなどの個人差や時変性を有するため,これらを用いて義手を制御するのは困難な問題と認識されてきた.上記機能は,これら信号の動的特徴を吸収し,動作意図を長期安定的に高精度で識別する機能の実現が本論文の主たる課題である.

本研究は,「信号の動的特徴に適応する筋電義手の開発」と「運動機能再建に対する義手適用効果の調査研究」に大別される.

前者において,筋電義手が実現すべき身体代替機能は,「筋電位からの長期安定的な多動作意図識別」「手指機能を補う五指ハンド(筋骨格系)」「人工触覚(感覚系)」に分類される.上記の適応機能を実現するためには,これら特徴変化に対して,義手が動的にその変化を検知し,適切に追従する必要がある.しかしながら,一般的な動作識別手法では,信号の特徴空間上の分布が時間的に不変であると仮定して識別関数を設計するため,その変化に対して追従できず識別性能を低下させるものがほとんどである.本論文の独創的な点は,識別関数を獲得するために用いる訓練データを,識別動作ごとの競合を考慮しながら,その特徴変化に応じて修正することで動的に識別関数を構築するOn-line型学習型の動作意図識別法を構築したことに集約される.このような方法を適用することにより,3個の筋電センサのみから,切断者で前腕12動作(安静・手首回内・回外・掌屈・背屈,全指屈曲・伸展,母指屈曲・伸展,環指-小指屈曲,つまみ握り・開き),健常者で14動作(切断者で実現した動作+手首橈屈・尺屈)の識別動作を長期安定的(10時間)に高い識別率(85%以上)で識別することに成功した.また,欠損した手指機能を補う運動自由度,把持力及び重量を有するハンド機構として,ワイヤ牽引型の干渉駆動関節を設計し,五指のロボットハンド(18関節13制御自由度・把持力55[N]・重量1.2[kg])構築による筋骨格系の代替を実現した.さらには,表面電気刺激による触覚フィードバックを構築し,感覚系の代替を試みた.

一方,後者では,身体代替機能が切断者の運動機能再建にどのように影響するかを明らかにするため(1)脳科学的側面と(2)臨床的側面の両方から解析を行っている.前者ではfMRIによる脳機能解析を行い,その結果,義手への習熟に応じて一次運動野の脳活動に影響し,その活動が活性化しその後局在化すること,このような適応には長期安定した動作意図識別が重要であること,能動的に得られた触覚は錯覚に類似した現象で感覚系の再建を行うことを明らかにした.

また臨床解析では,日常生活動作における一般動作・調理動作など動作事例から,手首関節と把持形態の重要性を示し,提案する筋電義手が,健常者と同様な自然な形での運動機能を代替することをADL評価により明らかにしている.

本論文は,序章と結論のほか五つの章から構成される.以下に各章における要約を記述する.

序論においては,本論文の意義と目的,および,研究背景を詳述している.特に研究背景では,筋電義手研究を取り巻く関連研究(情報処理,機械設計/制御,触覚フィードバック,脳機能評価,臨床評価)の研究動向を詳しく述べ,現状の筋電義手の問題点を整理している.

第二章においては,筋電義手の構成要件を明らかにするために,ヒトの手指機能について論じている.鎌倉が提案したヒトの手指機能の役割の8分類と静的把持の14分類に基づき,関連技術に対する機能要求を整理し,それぞれの機能面から,義手で実現すべき識別動作数や動作識別率,また運動自由度,重量,触覚分解能等の構成要件を決定している.

第三章においては,信号の個人差と時変性に適応する機能を実現するために,表面筋電位からのOn-line学習型の動作意図識別法を提案している.提案する動作意図識別法は,(1)振幅・周波数情報を用いた特徴抽出,(2)ニューラルネットワークによる識別処理(識別関数),(3)入出力監視による訓練データの修正機構(On-line学習部)の3つで構成され,(1)(2)で動作識別を行いながら,信号の特徴空間上での分布の変化に合わせて(3)により(2)を修正するシステムとして構築される.また,(3)において,変化の基準として手指動作の連続性に着目し,この基準を用いて訓練データを自律的にシステムが修正する方法論を提案している.さらに,訓練データの修正に際し,異なる動作に対応した訓練データの特徴空間上での分布の競合が学習時間や識別能力に大きく影響するため,ベクトル量子化に基づく部分空間への情報圧縮と条件付き情報エントロピーによる競合表現を行い,これら競合考慮した修正法について論じている.これら方法論に対して,被験者実験を通じて,最適なシステムパラメータの決定などを行い,その結果,少数の筋電計測電極(3個)から最大前腕12動作(切断者)を10時間,90%以上の高い識別率で識別可能とした.また適応機能を有する義手がどの程度ヒトへの介入をすべきかといった「ヒトの習熟による義手への適応」と「義手の個性適応機能によるヒトへ適応」との関係性をエントロピー基準により論じている.

第四章においては,第三章において識別された動作意図を運動として具現化すること(筋骨格系の代替)と失われた感覚系の代替を目的として干渉駆動関節を有する5指ロボットハンドの構築と,表面電気刺激による触覚フィードバックのロボットハンドへの実装について論じている.干渉駆動とは,各主要動作に複数のアクチュエータが協調して働くと同時に,各々のアクチュエータは全ての主要動作に可能な限り高い出力を働かせる機構であり,複数自由度を有したまま高出力が実現可能な駆動原理である.本論文で提案する五指ロボットハンドは,ワイヤ駆動により動力を伝達して制御対象を操作する機構であり,制御対象から離れた位置にアクチュエータを配置することで手先重量の著しい軽量化が可能となる.本論文では二関節筋の干渉,多自由度関節の干渉,関節角度と張力の干渉という3種の干渉駆動関節を構築することで多くの自由度(18関節自由度,13制御自由度)を保持しながら軽量(成人男性の前腕程度の重量)で高アクチュエータ出力(把持力55[N])を実現した.また挙動解析を通じて,その有効性を示している.一方,触覚の実装では,ロボットハンドの指先・掌に設置された感圧導電ゴムによる圧力センサを刺激トリガとし,日常生活での使用を考慮し,非侵襲で低エネルギにかつ少数の電極で刺激が可能な表面電気刺激(矩形,波による二相刺激)を用いてフィードバックシステムを構成した.

第五章では,提案する筋電義手が,切断者の運動機能をどのように再建に寄与するかを脳科学的側面から明らかにするために,fMRIを用いた義手使用者の脳機能計測・解析を行い,その検証結果について論じている.運動感覚に関する義手使用時の脳機能解析の結果,(1)義手への習熟により運動感覚野の賦活が増大・局在化する.(2)義手の長期安定した動作が一次運動野の賦活に大きく影響する(3)能動的に得られる触覚は運動と対側であっても錯覚に類似した反応として同側の一次感覚野を賦活させる(4)残存する運動イメージが一次運動野と前頭前野の賦活に大きく影響する,これら4つの脳機能に関する適応現象を明らかにし,提案する筋電義手の運動機能再建への有効性を実証した.

第六章では,提案する筋電義手の適用効果を臨床的側面から明らかにするため,提案する筋電義手において,手指機能が必要となる83項目からなる日常生活動作(ADL)の実現性を評価した.その結果,主体的な役割に筋電義手を用いて実現できるADLは,健常者のADL全体の約61%であり,市販の筋電義手と比較して10%以上高い結果となった.また日常生活の動作事例解析から,手指機能と手首機能を同時に再建することが,自然な形での運動機能代替には重要であることを明らかにしている。

結論においては,各章の要約および本論文の成果を述べるものである.本論文における重要な成果を以下に示す.

・信号の動的特徴に適応する筋電義手の開発

信号の個人差と時変性に適応する筋電義手として,下記の三つの身体代替機能を実現した.

表面筋電位からのOn-line学習型の動作意図識別法を構築し,日常生活に必要な手指機能を満足する動作数を長期安定的に識別可能な方法論を確立した.

筋骨格系の代替として自由度・高出力・軽量を実現するワイヤ駆動型干渉駆動関節を構築し,よりヒトの手に近い性能を持つロボットハンドを実現した.

触覚系の代替として表面電気刺激による触覚フィードバックを構築し,触覚を有する実用義手を実現した.

・運動機能再建に対する義手適用効果の調査研究

fMRIにより個性適応型筋電義手を使用時の脳機能解析を行い,「習熟過程における脳賦活変化」「触覚フィードバックによる錯覚による脳の適応」「運動イメージがもたらす運動野への影響」を明らかにし,義手の安定駆動と触覚の重要性を示した.

日常生活上における提案筋電義手の運動機能再建への適用効果を解析し,手指機能と手首機能を同時に再建することが健常者と同様な自然な形での運動機能を代替が重要であることを示した.

審査要旨 要旨を表示する

加藤 龍(かとう りゅう) 提出の本論文は「信号の個人差と時変性に適応する筋電義手を用いた運動機能再建に関する研究」と題して全7章で構成され,信号の個人差と時変性という不安定な信号特性に適応する新しい筋電義手の開発と,手指を失った切断者の運動機能再建に対する義手適用効果について調査することを目的として執筆した論文である.

特筆すべき成果としては,本論文で提案した表面筋電位(EMG)を用いた動作意図識別法を,ヒトの手指の筋骨格構造と触覚を模した五指ロボットハンドに適用した結果,従来の筋電義手に比べ,長期安定的に高精度で多くの動作を実現する筋電義手を構成し,これに対する工学的・脳科学的,臨床的側面から詳しい解析結果が述べられていることである.

本論文は,序章と結論のほか五つの章から構成される.

序章においては,本論文の意義と目的,および,研究背景について述べられており,本論文の独創性および独自性について,筋電義手研究を取り巻く関連技術の研究動向と定量的な比較に基づいて明らかにされている.

第二章においては,筋電義手の構成要件と評価方法がヒトの手指機能と比較することにより論じられている.特に作業療法におけるヒトの手指の機能的役割や構造から,関連技術に対する機能要求を整理・分析した結果が示されている.それら機能要求から,義手で実現すべき構成要件とその評価方法を導出することにより,提案している筋電義手の評価基準の正当性が示されている.

第三章においては,信号の個人差と時変性に適応し,安定した動作識別を実現するためのOn-line学習メカニズムを導入した動作意図識別法を提案されている.この手法は,EMGの振幅・周波数情報からニューラルネットワーク(識別関数)により動作識別し,同時に,EMGパターンと識別結果を監視することで信号の特徴空間上での分布変化を検知して訓練データの修正・識別関数の再学習を行う方式が提案されている.また,信号の特徴空間上での分布変化は手指動作の連続性から変化に関する基準を定義し,この基準を用いて訓練データを自動的に修正する方式と,さらに,システムによる訓練データ修正の制御(抑制)の概念を導入し,異なる動作の訓練データが特徴空間上の分布の競合することを防ぐため,「ベクトル量子化と条件付き情報エントロピー」による訓練データの競合度を定義し,これに基づいた修正法についても提案されている.これらの提案手法の性能評価は前腕動作の識別率を用いて行われており,少数の筋電センサ (3個)から最大前腕12動作(切断者)を10時間連続して,90%以上の高い識別率が維持されることが示されている.また,適応機能を有する義手がどの程度ヒトへの介入をすべきかといったヒトと義手の相互適応の関係性をエントロピー基準により論じられている.

第四章においては,筋骨格系と感覚系の代替を目的として,干渉駆動関節と触覚フィードバックを有する五指ロボットハンドの開発について論じている.干渉駆動関節とは,各関節に複数のアクチュエータからの動力路を全て接続し,アクチュエータ間の出力比率を適宜調整することにより,任意の関節を駆動する機能を有するとともに,複数のアクチュエータの出力の重畳を可能とした機構である.本論文では,これを指・手首関節に採用したロボットハンドに関する設計方法とその性能評価の結果, 多自由度(18関節自由度,13制御自由度),軽量(成人男性の前腕程度の重量),かつ高把持力(55[N])を有することが示されている.一方,触覚フィードバックの実装では,ハンドの指先・掌に設置された圧力センサを刺激トリガとすることにより,表面電気刺激を用いたフィードバックシステムが提案されている.この方法の設計法とその性能評価の結果,日常生活での使用範囲において非侵襲で低エネルギにかつ少数の電極で刺激が可能であることが示されている.

第五章では,筋電義手使用時における切断者の脳機能変化を解析するために,fMRIを用いた脳機能計測を行い,その検証結果が述べられている.運動感覚に関する義手使用時の脳機能解析の結果,(1)義手への習熟により運動感覚野の賦活が増大・局在化すること,(2)義手の長期安定した動作が一次運動野の賦活に大きく影響すること,(3)能動的に得られる触覚は運動と対側であっても錯覚に類似した反応として同側の一次感覚野を賦活させること,(4)残存する運動イメージが一次運動野と前頭前野の賦活に大きく影響すること,という4つの脳機能に関する適応現象を明らかにし,提案する筋電義手の運動機能再建への有効性が示されている.

第六章では,提案する筋電義手の臨床評価を行うため,手指機能が必要となる83項目からなる日常生活動作(ADL)の実現性を評価した結果が示されている.その結果,主体的な役割に筋電義手を用いて実現できるADLは,健常者のADL全体の約61%であり,市販の筋電義手と比較して10%以上高い結果という結果が得られている.また日常生活の動作事例解析から,手指機能と手首機能を同時に再建することが,自然な形での運動機能代替には重要であることを明らかにしている.

第七章では,論文全体に亘る結論として以下のことが述べられている.

■信号の動的特徴に適応する筋電義手の開発

信号の個人差と時変性に適応する筋電義手として,下記の三つの身体代替機能を実現したこと.

(1)表面筋電位からのOn-line学習型の動作意図識別法を構築し,日常生活に必要な手指機能を満足する動作数を長期安定的に識別可能な方法論を確立.

(2)筋骨格系の代替として自由度・高出力・軽量を実現するワイヤ駆動型干渉駆動関節を構築し,よりヒトの手に近い性能を持つロボットハンドを実現.

(3)触覚系の代替として表面電気刺激による触覚フィードバックを構築し,触覚を有する実用義手を実現.

■運動機能再建に対する義手適用効果の調査研究

(1) FMRIにより個性適応型筋電義手を使用時の脳機能解析を行い,「習熟過程における脳賦活変化」「触覚フィードバックによる錯覚による脳の適応」「運動イメージがもたらす運動野への影響」を明らかにし,義手の安定駆動と触覚の重要性.

(2) 日常生活上における提案筋電義手の運動機能再建への適用効果を解析し,手指機能と手首機能を同時に再建することが健常者と同様な自然な形での運動機能を代替が重要であること.

本論文は,日常生活に必要な手指機能を満足する制御の安定性と精度を有する筋電義手を開発し,その有効性が示されている. このような高い適応機能を有する筋電義手は世界的に見ても類はなく,医工学分野において価値ある成果を得たと評価でき,また,工学全般の発展に寄与するところが大である.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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