学位論文要旨



No 123976
著者(漢字) 饗場,恵美子
著者(英字)
著者(カナ) アイバ,エミコ
標題(和) 創傷治癒関連因子の採取源としての創部滲出液の特性分析 : 多血小板血漿由来血清との比較と細胞培養への応用
標題(洋)
報告番号 123976
報告番号 甲23976
学位授与日 2008.04.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3155号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 名川,弘一
 東京大学 教授 高戸,毅
 東京大学 教授 齊藤,延人
 東京大学 講師 百枝,幹雄
 東京大学 講師 門野,岳史
内容要旨 要旨を表示する

1. はじめに

再生医療における細胞治療では、幹細胞を分化・増殖させた後に、目的となる組織に移植することが必要となる。しかし、ウイルスやプリオンなどによる感染の危険性を考慮すると、動物由来の血清や組織、酵素、サイトカインなどをこれらの操作中に使用することは望ましくない。そのため、ヒト由来、特に自家由来の成分による代替が試みられ、現在、自己血、さらには多血小板血漿が実用化されつつある。しかし、血小板が持つ増殖因子は限られており、b-FGF、KGF、HGFなどは放出できないため、その応用範囲にも限界がある。

私の属する研究室では、脂肪吸引手術で採取した脂肪から、ヒト脂肪由来幹細胞を採取し、これを臨床治療へ応用するための研究を行っている。2001年、Zukらにより、脂肪組織中には、脂肪・骨・軟骨などへ分化できる多能性幹細胞が含まれていることが発見され、更には、この細胞が血管内皮細胞や神経細胞、肝細胞など、胚を越えた分化能をもつことや、血管新生をはじめとした種々の細胞治療に有用な可能性が示唆されている。

このヒト脂肪由来幹細胞を分化・増殖させ、臨床へと応用するためには、安全で経済的な細胞培養の技術が必須である。現在、研究においては、培養にウシ胎児血清が用いられ、分化誘導にはリコンビナントの各種増殖因子が用いられており、臨床応用への工夫が必要となっている。

そこで私は、細胞を得るために行われる脂肪吸引手術の後に破棄されるドレーン滲出液に着目した。滲出液は、様々な細胞増殖因子によって構成されており、かつ無菌的に採取することができるため、細胞培養を行う際の添加物として、または動物由来因子の代替として、有用である可能性がある。本研究では、創部滲出液に含まれる創傷治癒関連因子の濃度を経時的に計測し、多血小板血漿由来血清や、少血小板血漿由来血清と比較した。さらに、実際にヒト脂肪由来幹細胞、およびその他の各種細胞培養に用いることにより、その有用性を評価した。

2. 多血小板血漿由来血清の分析とヒト脂肪由来幹細胞の細胞増殖に対するその有用性の評価

2.1 研究の背景と目的

現在自家由来の細胞増殖因子の採取源として、実際臨床応用されている多血小板血漿由来血清を生化学的に解析し、これを用いたヒト脂肪由来幹細胞の増殖効果を、ウシ胎児血清を用いた場合と比較し、その有用性と限界を考察した。

2.2 実験方法

4人の健康なボランティアから採血し、全血由来血清と多血小板血漿由来血清、少血小板血漿由来血清を準備した。これらを生化学的に分析するとともに、これらを添加した培養液を用いたヒト脂肪由来幹細胞の増殖効果を分析した。また、その他の細胞についても同様の分析を行った。

2.3 結果

各種血清の生化学的分析により、多血小板血漿由来血清には全血由来血清に劣らないほど、多量な血小板由来増殖因子が含まれていることがわかったが、少血小板血漿由来血清にはそれが少なく、その有用性に限界があることがわかった。

細胞培養液に各種血清を添加し、実際に増殖率を検討したところ、ヒト線維芽細胞では多血小板血漿由来血清はウシ胎児血清に劣らない増殖効果をみせた。しかし、ヒト脂肪由来幹細胞や、ヒト臍帯静脈血管内皮細胞では、ウシ胎児血清による培養に大きく及ばなかった。

2.4 考察および結語

生化学的分析では、多血小板血漿由来血清は、全血由来血清に劣らないほど高濃度の血小板由来細胞増殖因子を含んでいた。しかし、その有用性は、血小板由来の増殖因子の作用によるところが多く、細胞によっては、その有効性が発揮されない場合があることがわかり、多血小板血漿由来血清の有効性に限界があることがわかった。

3. 創部滲出液に含まれる細胞増殖因子・サイトカイン・細胞外基質構成タンパク分解酵素の分析とヒト脂肪由来幹細胞の細胞増殖に対する創部滲出液の有用性の評価

3.1 研究の背景と目的

前章では、多血小板血漿由来血清の限界が示唆された。そこで私は、多血小板血漿由来血清に含まれない重要な増殖因子の採取源として、創部滲出液に着目した。創部滲出液は、創傷治癒期間に起こる様々な現象を反映していると考えられ、多様なサイトカインを高濃度に含んでいる。よって、本研究では創部滲出液に含まれる増殖因子・サイトカイン・細胞外構成タンパク分解酵素の濃度を経時的・定量的に分析し、実際に細胞培養液に添加することにより、ヒト脂肪由来幹細胞の増殖効果を解析した。

3.2 実験方法

症例は、当科にて形成外科手術を行った18例で、術中に創部皮下にJohnson & Johnson 社製 J-vac drainage system を挿入した。術後、創部滲出液を持続的に吸引し、付属の貯液バックに無菌的に回収した。術中・術後に、感染などの問題なく経過した15例から得られた49検体を正常治癒群、術後皮下に漿液腫を形成した3例4検体を漿液腫形成群とし、正常治癒群との比較に用いた。検体は、一般生化学所見の他、ELISAキットを用いて創傷治癒関連因子の濃度も定量的に解析した。さらに正常治癒群のうち、術後0-1日目の早期の滲出液と、術後5-6日目の後期の滲出液のサイトカイン濃度を、漿液腫穿刺液や、前章で得られた多血小板血漿由来血清、少血小板血漿由来血清のデータと比較検討した。さらに創部滲出液を細胞培養液に添加し、ヒト脂肪由来幹細胞の培養を行い、その有用性につき評価をおこなった。

3.2結果

滲出液中のNa+, K+, Cl-の濃度は術前の血清値とほぼ一致したデータのまま、経時的変化を認めなかった。総タンパク、アルブミン濃度は、早期には術前血清値の50%程度であったものが、後期には30%程度に減少した。Fe2+の濃度は、術前血清値より非常に高く、出血量に依存することが示唆された。

また、創部滲出液は、多血小板血漿由来血清に含まれない様々な細胞増殖因子も多く含んでいた。創傷治癒の早期における滲出液は、b-FGF、PDGF-BB、EGF、TGF-β1を高濃度に含んでおり、KGF、IL-6、MMP-8の濃度は術後2-3日で最高値となった。VEGF、HGF、IL-8、MMP-1の濃度は、術後0-6日にかけて徐々に増加した。

他の血清との比較としては、創部滲出液より多血小板血漿由来血清の方が濃度が高かったサイトカインは、EGF, PDGF, TGF-β1, IGF-1のみであった。その他の増殖因子は、b-FGF, IL-6, MMP-8 が早期の滲出液に、VEGF, HGF, KGF, IL-8, MMP-1が後期の滲出液に高濃度に含まれていた。これらのうち、VEGF, HGF, KGF, MMP-1は、さらに漿液腫穿刺液の方が高濃度の含有を示した。

次に、創部滲出液を細胞培養液に添加し、ヒト脂肪由来幹細胞の培養を行ったところ、単独の添加でも増殖率は有意に増加したが、5%のウシ胎児血清を添加した上でさらに5%量の創部滲出液を添加すると、5%ウシ胎児血清単独の添加に比べ5.3倍、10%ウシ胎児血清単独の添加に比べ2.6倍という、高い増殖率を示した。

3.4 考察および結語

生化学的分析により、創部滲出液は主に間質液により占められた液体であり、そこに血漿が混入し、経過とともに徐々にその割合が減少していくということが示唆された。

創部滲出液は、多血小板血漿由来血清に含まれないb-FGFやHGFといった重要な様々な増殖因子を含むことがわかり、ヒト脂肪由来幹細胞の培養液に添加することにより増殖率は有意に増加し、その有用性が示唆された。

4. 創部滲出液を用いた自家および他家の様々な細胞培養への応用

4.1 研究の背景と目的

前章の結果から、創部滲出液は、多血小板血漿由来血清に含まれない重要な様々な増殖因子を高濃度に含むことがわかり、ヒト脂肪由来幹細胞の培養でその有用性が示唆された。そこで、さらに創部滲出液の汎用性を検討するために、自家由来のヒト脂肪由来幹細胞だけでなく、自家および他家由来の様々な細胞培養への応用の可能性についても検討した。また、創部滲出液には、私が調べた創傷治癒関連因子以外にも、様々なサイトカインが含まれていることが予想された。よって本研究では、サイトカインアレイを用いて、創部滲出液に含まれるサイトカインを網羅的に検索した。

4.2 実験方法

培養液に、ウシ胎児血清または早期滲出液、後期滲出液を様々な濃度で添加し、用意した。この培養液を用い、ヒト軟骨細胞、ヒト線維芽細胞、ヒト臍帯静脈血管内皮細胞の培養を行い、その増殖率を検討した。

さらに、サイトカインアレイを行い、79種類のサイトカインが、滲出液中に含まれるかどうかを分析した。

4.3 結果

滲出液の添加により、ヒト軟骨細胞の細胞増殖率は著明に改善した。ヒト線維芽細胞の増殖も良好であったが、ヒト脂肪由来幹細胞やヒト軟骨細胞ほどの増殖効果は得られなかった。ヒト臍帯静脈血管内皮細胞の培養では、創部滲出液を添加する有用性を認めることはできなかった。

サイトカインアレイでは、NT-3, 4やGDNFといった神経系の増殖因子や、CXCケモカインであるENA-78, NAP2, GRO、CCケモカインであるMCP-1, MIP-3α、アディポカインであるLeptin、骨吸収代謝に関わるOsteoprotegrin などが検出された。

4.4 考察および結語

創部滲出液の添加により、様々な細胞の増殖に改善が見られ、創部滲出液が再生医療において、動物由来成分の代替添加物として有用である可能性が示唆された。また、多血小板血漿由来血清の添加により、有効な増殖効果が得られなかったヒト脂肪由来幹細胞は、滲出液の添加により細胞増殖率が著名に改善した。逆に、多血小板血漿由来血清の添加により、良好な細胞増殖を認めたヒト線維芽細胞は、滲出液の添加により増殖率は改善したものの、ヒト脂肪由来幹細胞やヒト軟骨細胞ほどの良好な増殖効果を得ることはできなかった。この様に、細胞種により、良好な増殖率を示す添加物に違いがあり、本研究結果は、個々の細胞種の培養に必要な成分を評価する情報としても使用できるのではないかと考えられた。さらに、サイトカインアレイによる分析によって、今まで創部滲出液に含まれているという報告のない、様々なサイトカインの存在が明らかになった。滲出液の利用方法に、さらなる展望が期待できるのではないかと考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、著者の所属する研究室で扱われているヒト脂肪由来幹細胞の安全な臨床応用への実現を目指し、自家由来の創部滲出液を同細胞の培養に利用する有用性につき検討を試みたものであり、この件を含め下記の結果を得ている。

1.はじめに、現在実際に臨床応用されているヒト多血小板血漿由来血清をはじめとする各種ヒト血清を生化学的に分析した。多血小板血漿由来血清は、全血由来血清に劣らないほど高濃度の血小板由来細胞増殖因子を含んでいたが、少血小板血漿由来血清にはそれが少なく、その有用性に限界があることが示された。

2.細胞培養液に各種ヒト血清を添加し、実際に増殖率を検討したところ、ヒト線維芽細胞では多血小板血漿由来血清はウシ胎児血清に劣らない増殖効果をみせた。しかし、ヒト脂肪由来幹細胞や、ヒト臍帯静脈血管内皮細胞では、ウシ胎児血清による培養結果に大きく及ばなかった。多血小板血漿由来血清の有用性は、血小板由来の増殖因子の作用によるところが多く、細胞によっては、その有効性が発揮されない場合があることがわかり、多血小板血漿由来血清の有用性に限界があることが示された。

3.次に、各種ヒト血清に含まれない増殖因子の採取源として創部滲出液に着目し、これを生化学的に分析した結果、創部滲出液は主に間質液により占められた液体であり、そこに血漿が混入し、経過とともに徐々にその割合が減少していくということが示唆された。創傷治癒の早期における滲出液は、b-FGF、PDGF-BB、EGF、TGF-β1を高濃度に含んでおり、KGF、IL-6、MMP-8の濃度は術後2-3日で最高値となり、VEGF、HGF、IL-8、MMP-1の濃度は、術後0-6日にかけて徐々に増加することが示された。

4. 実際に創部滲出液を細胞培養液に添加し、ヒト脂肪由来幹細胞の培養を行ったところ、単独の添加でも増殖率は有意に増加したが、5%のウシ胎児血清を添加した上でさらに5%量の創部滲出液を添加すると、5%ウシ胎児血清単独の添加に比べ5.3倍、10%ウシ胎児血清単独の添加に比べ2.6倍という高い増殖率を示した。創部滲出液は、多血小板血漿由来血清に含まれないb-FGFやHGFといった重要な様々な増殖因子を含むことがわかり、ヒト脂肪由来幹細胞の培養液に添加することにより増殖率は有意に増加することが示された。

5.ヒト脂肪由来幹細胞以外の細胞についても、培養における創部滲出液の有用性を評価したところ、滲出液の添加により、ヒト軟骨細胞の細胞増殖率も著明に改善した。ヒト線維芽細胞の増殖も良好であったが、ヒト脂肪由来幹細胞やヒト軟骨細胞ほどの増殖効果は得られなかった。ヒト臍帯静脈血管内皮細胞の培養では、創部滲出液を添加する有用性を認めることはできなかった。創部滲出液の添加により、様々な細胞の増殖に改善が見られ、創部滲出液が再生医療において、動物由来成分の代替添加物として有用である可能性が示唆された。

6.また、創部滲出液に含まれるその他のサイトカインを網羅的に解析するためサイトカインアレイを行ったところ、NT-3,4やGDNFといった神経系の増殖因子や、CXCケモカインであるENA-78, NAP2, GRO、 CCケモカインであるMCP-1, MIP-3α、アディポカインであるLeptin、骨吸収代謝に関わるOsteoprotegrin などが検出された。今まで創部滲出液に含まれているという報告のない、様々なサイトカインの存在が明らかになり、滲出液の利用方法にさらなる展望が期待できるのではないかと考えられた。

以上、本論文は安全な臨床応用への道が試行錯誤されている再生医療において、自家の細胞増殖因子の採取源として創部滲出液に着目したはじめての論文といえる。今後、幅広い応用も可能と考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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