学位論文要旨



No 123977
著者(漢字) 田中,潤一郎
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ジュンイチロウ
標題(和) マイクロサテライト不安定性を示す大腸癌の存在部位と遺伝子異常の関連についての研究
標題(洋)
報告番号 123977
報告番号 甲23977
学位授与日 2008.04.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3156号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮川,清
 東京大学 准教授 宮田,哲郎
 東京大学 准教授 川邊,隆夫
 東京大学 准教授 野村,幸世
 東京大学 講師 吉田,晴彦
内容要旨 要旨を表示する

大腸癌の発癌モデルとしては、多段階発癌モデルと遺伝子のmicrosatellite部分の不安定性を特徴とするMSI(microsatellite instability)による発癌モデルがある。多段階発癌モデルでは、癌遺伝子および癌抑制遺伝子に遺伝子異常が蓄積していくことにより、発癌のステップが正常粘膜から腺腫そして癌へと進んでいく。このモデルでは、最初にAPC癌抑制遺伝子の不活性化が生じ、K-ras遺伝子の活性化、p53遺伝子の欠失が続いて生じる。一方、MSIによる発癌モデルでは、ミスマッチ修復遺伝子(hMLH1、hMSH2、hPMS2、hMSH6など) に異常が生じた結果、誤って複製された塩基配列を正しい塩基配列に修復できなくなり、遺伝子異常が蓄積して癌が生じる。

MSI癌は全大腸癌の10~20パーセントを占めるといわれている。そして、MSI癌は、遺伝性非ポリポーシス大腸癌(HNPCC)と散発性MSI癌の2つのグループに分けられる。HNPCCの患者では、ミスマッチ修復遺伝子の生殖細胞変異によりMSIとなるのに対し、散発性大腸MSI癌の多くはミスマッチ修復遺伝子hMLH1の異常メチル化により引き起こされると報告されている。散発性大腸MSI癌の特徴は広く研究されており、1) 粘液癌や低分化腺癌が多いこと、2) microsatellite不安定性を示さないMSS癌の患者と比較して女性に多く、3)HNPCC患者と比較して高齢者が多いこと、そして、4)予後が比較的よいことなどが報告されている。また、5)MSI癌は盲腸、上行結腸、横行結腸など近位結腸に多いという特徴もある。

大腸癌の発癌過程における遺伝子異常に関しては、このように染色体の欠失や変異MSIの重要性が報告されてきたが、もうひとつの傍遺伝子異常も発癌において重要な役割を果たしていることが近年の研究で明らかになってきた。散発性の大腸癌においてMSI頻度は10%程度であるが、HNPCCとは異なり、そのMSIを来す機序としてhMLH1 遺伝子のプロモーター領域のメチル化が示唆されている。さらに、近年の研究において、CpG island methylator phenotype(CIMP)というメチル化の新しい概念が提唱されている。すなわち、遺伝子プロモーター領域のCpGメチル化に関しては、腫瘍内で高頻度にメチル化されているゲノム内での特定の場所(MINT)が同定されている。そして、そのMINT部位がメチル化されている腫瘍は、CIMPと呼ばれ、多くの遺伝子プロモーター領域のCpGメチル化を伴っているものと考えられている。CIMP陽性の大腸癌は近位大腸に多い、女性に多い、高齢者に多い、粘液癌が多いなどのMSI癌と類似した性質をもつ。さらに、大腸MSI癌の大多数がCIMPを呈することも報告されている。

散発性大腸MSI癌は、少ないながらも遠位大腸にも発症する。しかし、遠位大腸MSI癌の遺伝子異常、臨床病理学的因子に関しては、現在まで十分明らかにされていない。近位大腸と遠位大腸に存在する散発性MSI癌の発症機序において、いずれも主にhMLH1遺伝子のメチル化によりMSIとなるのか、また、一様に前述した特徴をもつのかについてはいまだ報告はない。そこで、本研究では遠位大腸MSI癌に注目し、臨床病理学的因子、hMLH1遺伝子の異常メチル化とCIMPの頻度、さらに各種のミスマッチ修復タンパクの発現頻度を、近位大腸MSI癌と比較検討した。

本研究の結果、近位大腸MSI癌と比較して遠位大腸MSI癌においては臨床的には有意に若年発症という特徴のみがみられた。遺伝子異常としては、hMLH1遺伝子のメチル化の頻度が、遠位大腸の症例で有意に低頻度であった。さらに、多くの大腸MSI癌に認めるCIMPに関連するp16、MINT1、MINT2、MINT31のメチル化を調べたところ、遠位大腸MSI癌においてはいずれの部位におけるメチル化もCIMPも有意に低頻度であった。以上の結果はこれまでの大腸MSI癌に関する報告と異なっており、遠位大腸MSI癌が従来報告されているMSI癌とは異なる性質をもつことが考えられた。

次に、hMLH1タンパクの発現低下の有無を免疫組織化学染色により検討した。結果、遠位大腸MSI癌においては発現低下しているサンプルが有意に少なかった。この結果は、メチル化に関する結果と矛盾しないものと考えられた。しかし、興味深いことに、遠位大腸MSI癌症例においては免疫組織化学染色で発現が低下している症例でもメチル化を認めるものが近位大腸MSI癌と比較して有意に少なく、遠位大腸MSI癌においてはメチル化以外の原因でhMLH1タンパクの発現低下に至っている症例があることが示唆された。

遠位大腸MSI癌症例ではhMLH1の発現低下を認めない症例が過半数であったため、他のミスマッチ修復タンパクであるhMSH2、hPMS2、hMSH6の発現についても免疫組織化学染色で検討したところ、いずれのミスマッチ修復タンパクにも両グループ間で差異を認めなかった。hMLH1のC末端のドメイン(C-terminal homology domain: CTH)を介してhMLH1とhPMS2がヘテロダイマーを形成してhPMS2が安定化するために、hMLH1が発現低下しているとhPMS2も発現しないという報告と、hMLH1またはhMSH2の発現低下によりhMSH6のC8モノヌクレオチドリピートに2次的に変異が起こると考えられるという報告がある。以上を考慮に入れると、遠位大腸MSI癌11例中、hMLH1が3例, hMSH2が4例, hMSH6が0例, hPMS2が1例(重複なし)の症例においてMSIとなる経路に関与していると考えられる。これに対して、近位大腸MSI癌24例において関与しているミスマッチ修復タンパクは、hMLH1のみが16例、hMSH2のみが3例、hMLH1とhMSH2の両方が2例、hMSH6が0例、hPMS2が2例であった。また、いずれのミスマッチ修復タンパクにも発現低下を認めないものが遠位大腸で3例、近位大腸で1例あった。これらの症例については、hMSH3やhPMS1などの今回検討しなかったミスマッチ修復タンパクがMSIとなる経路に関与していたと考えられた。以上の結果より、遠位大腸MSI癌では、近位大腸MSI癌に比しhMLH1の発現低下が有意に少なく、その原因もメチル化ではない可能性があることが示唆された。

大腸MSI癌は抗癌剤に抵抗性であるといわれており、化学療法の検討はMSS癌以上に重要と考えられる。術後の補助化学療法を受けている再発高リスクの病期IIと病期IIIの大腸癌の患者を対象とした予後研究により、MSI患者はMSS患者に比較して予後が良好であったとの報告を考えると、大腸癌患者の術後補助化学療法の選択の際にMSIの検索は有用と考える。大腸癌治療において標準的な抗癌剤である5-FUに関して、病期IIとIIIの症例で予後を改善しないという報告もあるが、2'-Deoxy-5-azacytadineによってhMLH1遺伝子を脱メチル化して5-FUに対する抵抗性が克服されたとのin vitroの報告もある。しかし、遠位大腸MSI癌がhMLH1遺伝子のメチル化によるものではないという本研究の結果を考慮すると、hMLH1遺伝子の脱メチル化が遠位大腸MSI癌の治療として適切でないとも考えられる。また、CIMP陽性腫瘍が、CIMP陰性腫瘍と比較して5-FUに対する感受性が有意差をもって高いことも報告されているが、これも遠位大腸MSI癌症例には当てはまらない可能性も考えられる。白金製剤によるDNAのダメージは、ヌクレオチド除去修復やDNA相同組み換え修復などの機構により修復されるため、これらの機構が正常に機能していない癌細胞において、白金製剤の効果はより強いと報告されている。それに対して、ミスマッチ修復の機構に異常があると白金製剤の効果は減弱するといわれている。hMLH1とhMSH2の発現が抑制されている大腸癌細胞株では、それらが発現しているものと比較してcisplatinとcarboplatinに対しより抵抗性を示したとの報告もあるが、本研究で、遠位大腸MSI癌では近位大腸MSI癌よりもhMLH1の発現が抑制されているものが有意に少なかったことよりこれらの薬剤に対しても反応が異なる可能性が考えられる。また、大腸癌患者に対する化学療法の研究で、MSS癌よりもMSI癌の患者においてイリノテカンが有意に奏効したという報告、大腸癌細胞株を使った研究で、UGT1A1遺伝子にメチル化がありタンパク発現が低下しているものは、脱メチル化を行うことによりタンパク発現が回復し、イリノテカンの活性代謝物であるSN-38に対する抵抗性が強くなるという報告もあるが、本研究で、遠位大腸MSI癌にメチル化が有意に低頻度であることを考えるとイリノテカンの奏効率も近位大腸と遠位大腸のMSI癌では異なる可能性があると思われる。以上より、遠位と近位の大腸MSI癌では化学療法の検討を別個に行う必要性が示唆された。

本研究により遠位大腸と近位大腸のMSI癌ではhMLH1遺伝子のメチル化の頻度、CIMPの頻度、さらには発現が抑制されているミスマッチ修復タンパクの種類が異なることが示された。よって、将来的には大腸MSI癌症例の存在部位を検討することにより、より効果的な術後化学療法を選択することができるようになる可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は大腸MSI癌の存在部位と遺伝子異常の関連を明らかにするため、臨床で切除された大腸癌のサンプルを用いて、ミスマッチ修復遺伝子、癌抑制遺伝子、大腸癌で癌特異的なメチル化を高頻度に示す配列(MINT配列)におけるメチル化の頻度と4種類のミスマッチ修復タンパクの発現頻度を近位大腸MSI癌と遠位大腸MSI癌で比較し、下記の結果を得ている。

1.遠位大腸MSI癌と近位大腸MSI癌の臨床病理学的因子の検討において、遠位大腸MSI癌では有意に発症年齢が低いという結果が得られた。他の臨床病理学的因子(性別、T分類、リンパ節転移の頻度、遠隔転移の頻度、TNM病期、病理組織型)には2群間で差違を認めなかった。

2.凍結標本より抽出されたDNAサンプルを用いて、hMLH1, p16, MINT1, MINT2, MINT31の異常メチル化の頻度を近位大腸MSI癌と遠位大腸MSI癌で比較検討し、いずれの遺伝子、配列においても遠位大腸MSI癌群でメチル化が有意に低頻度であることが示された。また、CIMP (CpG Island methylator phenotype)の頻度も同様に比較検討したところ、遠位大腸MSI癌群で有意に低頻度であることが示された。

3.パラフィン包埋されたサンプルを切り出し、4種類のミスマッチ修復タンパク(hMLH1, hPMS2, hMSH2, hMSH6)の発現を検討したところ、hMLH1の発現は、遠位大腸MSI癌群で有意に高頻度に保たれていることが示された。他の3種類のミスマッチ修復タンパクの発現には2群間で差違を認めなかった。

4.hMLH1タンパクの発現が低下しているサンプルを対象として、hMLH1遺伝子のメチル化の頻度を比較検討したところ、遠位大腸MSI癌群においてはメチル化の頻度が有意に低いことが示された。これより、遠位大腸MSI癌ではメチル化以外の機序でhMLH1タンパクの発現が低下しているものもあると考えられた。

5.大腸MSI癌において、存在部位により発症年齢、遺伝子のメチル化の頻度、ミスマッチ修復タンパクhMLH1の発現低下の頻度が異なることを明らかにした。大腸MSI癌に対する化学療法において、メチル化やCIMPが陽性の症例と陰性の症例では薬剤の種類によっては感受性が異なるといわれている。また、ミスマッチ修復タンパクの発現の有無も、薬剤によっては感受性に影響があると報告されている。本研究の結果を考慮すると、遠位大腸MSI癌と近位大腸MSI癌は術後化学療法を行う際、別々に検討する必要性が示された。

以上、本論文は遠位大腸MSI癌において遺伝子のメチル化・CIMPの頻度が低いこと、hMLH1タンパクの発現が保たれていること、hMLH1の発現低下にメチル化以外の機序が関連している症例があることを明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、大腸MSI癌の存在部位と遺伝子異常の関連の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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