学位論文要旨



No 123982
著者(漢字) 野田,直紀
著者(英字)
著者(カナ) ノダ,ナオキ
標題(和) ピコメーター精度位置計測のためのレーザー暗視野顕微鏡法の開発とその応用
標題(洋)
報告番号 123982
報告番号 甲23982
学位授与日 2008.04.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第823号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 上村,慎治
 東京大学 教授 川戸,佳
 東京大学 教授 神谷,律
 東京大学 准教授 奥野,誠
 東京大学 准教授 栗栖,源嗣
内容要旨 要旨を表示する

生物物理学的な研究において、タンパク質をはじめとする生体分子、細胞小器官の動態や位置、それをもとにした変位を、ナノメートル、さらに、サブナノメートルの精度で計測することは、それらの機能と共役した構造変化のダイナミズム、粘弾性などの物理的性質を反映した熱揺らぎなどによる動態変化についての研究を行う上で、詳細な情報を得るための非常に重要な手法である。光学顕微鏡技術を用いた生体分子、細胞小器官の位置計測の側面から見ると、これまでに多種多様な指標(プローブ)、顕微鏡計測手法、位置計測デバイスを用いて研究が進められてきた。プローブとしては、マイクロビーズ、金コロイド粒子、量子ドット(Q-dot)、蛍光色素、蛍光たんぱく質などが挙げられる。また、顕微鏡技術を用いた計測手法としては、位相差顕微鏡法、微分干渉顕微鏡をもとにした手法、レーザー斜光照明法、FIONA、そして、対物レンズ後焦点面法(以下、Back Focal Plane法からBFP法)などがあげられる。位置計測デバイスとしてはCCDカメラ、フォトダイオードがあげられる。より詳細な生体分子の動態変化を知るためのひとつの有力な手段として、より高い計測精度、より高い精密性を得ることが可能な手法を開発することが必須である。特に、既存の技術の10~100倍高い、サブナノメートルの位置精度、マイクロ秒オーダーの時間分解能を得ることができれば、生体分子のダイナミックな動態変化を特徴づける情報をリアルタイムで取得することが可能になり、それらの機能、物理的性質と結びついた原子スケールでの構造変化・揺らぎが解析可能となると期待される。

光学顕微鏡下で、計測対象の位置、それをもとにして変位を計測する際の位置計測精度には、RayleighやAbbeの分解能の定義は適応することができない。位置計測において、計測精度が非常に大きく影響するする因子は、シグナルとノイズの比(S/N比)である。すなわち、高い位置計測精度を得るためには、可能な限り低いノイズのもとで、被計測物体を可能な限り明るく照明して観察し、その位置を計測することが必要不可欠であるということを意味する。これらの要請を満たすためには、実際的な計測において次の2つのアプローチの組み合わせによってのみ実現可能である。1つは可能な限り明るい照明光を用いること、2つ目は、試料の位置計測に寄与しない背景ノイズを可能な限り除去するということである。

本研究においては、ポリスチレンマイクロビーズを試料のプローブとして用いて位置計測実験を行った。これは蛍光プローブに対して明るい像を得ることができるためである。計測対照となる試料以外の背景ノイズを除去するために、暗視野照明光学系を用いた。一般的な暗視野照明光学系は、単純な光学系で構築されている。それは、照明光をコンデンサーレンズ、対物レンズの中心軸に対して斜め方向の大きい角度から導入し試料によって散乱された光のみを対物レンズでとりこみ、その像を観察するという照明法である。しかし、通常の暗視野照明光学系のひとつの短所は試料で散乱される散乱光が非常に弱いという点であり、高精度位置計測に必要となる十分な散乱光を得ることができない。本研究では、レーザー光を光源とし、円錐形のレンズであるアキシコンレンズをそれに組み合わせることにより新しい光学系を開発し上記した問題点を解決した。このようにして完成させた"レーザー暗視野照明光学系"によって高い位置計測精度かつ高い時間分解能で位置計測を実現した。

アキシコンレンズはChabrie、Macleadによって開発された円錐形のレンズである。アキシコンレンズによって生成される0次のベッセルビームが長焦点深度(集光点ではなく集光ラインと呼ばれることもある)をもつことを利用し、微細構造技術、オプティカルトラップ、走査顕微鏡、外科手術用レーザーメスに用いられてきた。また、リング状の照明が可能であるという特性を生かし、エバネッセント照明にも用いられた。アキシコンレンズを用いた暗視野照明光学系については、守矢による特許が公開されアイデアとしては紹介されているが、高輝度観察像を得る利点は特に認識されておらず、位置計測の分野における具体的な実用化はなされていない。

本研究はアキシコンレンズを用いて暗視野照明光学系を構築した初めての研究であり、サブナノメートルの位置分解能、サブミリ秒の時間分解能で2次元の試料の高精度位置計測を可能にした。本論文では、光学系の構成、構築について詳しく述べ、この光学系によって得られる集光点の特性、また位置精度、時間分解能の評価についての結果、また光学系の応用例について詳しく述べる。

審査要旨 要旨を表示する

野田直紀氏の提出した論文「ピコメーター精度位置計測のためのレーザー暗視野顕微鏡法の開発とその応用」に記述される研究において、暗視野照明法という古典的な顕微鏡照明方法を用いているが、光源として用いるレーザー光の光をほとんど損失なく観察試料に集光させることができるという新しい光学系を考案し実現した点が、もっとも高く評価されるべき箇所であり、この装置開発が研究上の大きな進展をもたらしたと審査委員会は判断した。

新しい光学系とはアキシコンと呼ばれる円錐状のレンズを用いたものである。一般的にはレーザーメスのように細く絞ったビームを作成するのに用いられる特殊な光学素子であるが、野田直紀氏はこれを細いビームを光軸に平行なリング状の形状へと変換させる道具として用いることを考案した。これにより、光源のエネルギーをほとんど失うことなく、コンデンサレンズへと導くことが可能となる。同時に、対物レンズの開口数よりも高い開口数(大きな開き角)で観察試料を照明できるために、暗視野照明条件も達成できる点に気付いた点が画期的である。

このような光学系を用いることの利点は、従来の暗視野照明法よりも1000倍も高い像輝度で試料となるマイクロビーズを観察できる点、その結果、マイクロビーズ試料の位置計測において画期的な精度向上をもたらすことができる点である。論文内では、その測定原理から精度に関する考察、装置の光軸調整、安定性に関する注意事項など詳述されており、引き続いて研究する後継者達のための重要な情報を提供している。

このような暗視野照明法を考案、実現した目的や応用上の最終的な目標は、従来のナノメーター計測技術の精度の壁を打ち破る点にあったことが論文の冒頭で詳しく述べられている。ここでいう計測精度とは、位置計測の精度、および、計測の時間分解能の両者を意味する。光学顕微鏡下で試料の位置を計測する時の精度は、分解能とは異なるパラメタで定義されることが古くから示されており、nm~pm精度の計測も可能であることがわかっていた。しかし、従来手法では、光学系や計測システムの制限により、1kHz/.1nm、あるいは、10kHz/1nmという実質的な限界があった。野田直紀氏の考案した暗視野照明法を用いると非常に高い輝度の顕微鏡観察像が得られ、観察試料のnmスケールの小さな位置変位であっても、観察像の上で格段に大きな光量変化が得られる点で、位置計測には優れた方法であることが論文中で強調されている。また、暗視野照明法であるために背景光の混入を非常に少なくでき、その光が発生するショットノイズが無視できる程度に小さいのも大きな利点である。その結果、計測技術上S/N比(信号/雑音比)を大きく高めることが可能となった。論文中では、0.35ミクロンのポリスチレン製マイクロビーズの位置変位を0.1nm/10kHzの高い精度で変位計測できたことが示されている。この点で、従来手法よりも1桁高い計測精度を達成している。ポリスチレン製マイクロビーズはアミノ基やカルボキシル基などの表面修飾が容易なために、生体試料に直接付着する微小マーカーとして使われているが、野田直紀氏の開発した手法を応用すれば、サブナノメーター精度の分子の動きも10kHzの高速で実測できることがわかる。応用例として、論文中ではウニ精子微小管の数100Hzの高速微小振動を高い時間分解能で計測し、振動周期にゆらぎがあること、振動ピークに峰分かれがあることなどが、はじめて明らかにされた。今後の詳細な解析へと発展するものと期待している。生物物理学の分野で、分子構造の動的な変化を光学顕微鏡下という生理的な条件下で調べる研究が盛んに行われているが、この分野に一石を投ずる可能性のある重要な研究であると審査会では判断した。

このようなピコメートル精度の位置計測装置の原理やそれを完成させる設計・製作プロセス以上に、論文中で多くのページを割いて記述されている項目がある。これは研究の上で予期されなかった大きな難題となった箇所でもあるが、今後の応用実験を行う上では最も重要な点である。それは観察試料となるマイクロビーズや金コロイドのサイズが、計測精度に多大な影響を及ぼすという新しい知見である。ミクロンサイズの観察試料と可視光線との相互作用は、ミー散乱と呼ばれる複雑な散乱現象で説明されている。光の波長や試料のサイズに依存して散乱強度や散乱角が大きく変化することが理論的に解明されている。しかし、それが光学顕微鏡下で、また、野田直紀氏の考案した新しいレーザー暗視野照明条件下で、どのような複雑な振る舞いとして現われるのかは全く予期できなかった所である。野田直紀氏は、この問題を直接的で地道な実地試験によって解決した。サイズの異なる複数種の試料を用いて、数ミクロン四方の狭い領域の中で2次元的に走査し、その時の散乱強度分布を綿密に調べ上げるという根気のいる作業である。そのような一連の実験から、波長の半分程度のサイズのマイクロビーズ試料がもっとも高い計測精度を与えるというルールを経験的に導き出すことができた。上で述べた高い計測精度はこのような細かな観察や多くの試行錯誤があって、はじめて達成できたものである。さらに、このような観察から、金コロイドのような金属粒子では、異なる散乱強度分布となる点、観察像の輝度をさらに数100倍も上がられるために、上で述べた位置計測精度をさらに20~30倍向上できる点を論文中で予言している。このように野田直紀氏の開発した手法は、将来的にもさらに大きく発展する可能性を秘めていると考えられる。

このように野田直紀氏の論文では、3つの大きな特長があることがわかる。1つは、新しい光学系の考案・設計するといった技術的な進展を行った点、2つ目は、その光学系の完成により、当初の目的であった計測精度の著しい向上に貢献できた点、3つ目は、マイクロビーズのサイズの選択という応用実験を行う上での重要な指針を与えた点である。どの点も審査会では高く評価された。なお、本論文の内容は申請者が第一執筆者の論文として既に公表されている。これらの理由により、審査委員全員一致して、申請者が博士(学術)を授与されるにふさわしいと認定した。

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