学位論文要旨



No 123987
著者(漢字) 若狭,基道
著者(英字)
著者(カナ) ワカサ,モトミチ
標題(和) 現代ウォライタ語の記述的研究
標題(洋) A Descriptive Study of the Modern Wolaytta Language
報告番号 123987
報告番号 甲23987
学位授与日 2008.05.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第636号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 林,徹
 東京大学 教授 上野,善道
 東京大学 教授 熊本,裕
 東京大学 准教授 西村,義樹
 金沢大学 教授 柘植,洋一
内容要旨 要旨を表示する

ウォライタ語はアフロアジア語族オモ語派オメトグループの主要言語であり、エチオピアの南西部で話されている。

本論文の目的はウォライタ語を総合的、且つ詳細に記述する事である。

第0章では主として本論文で用いられた方法論を説明し、第1章では言語名、系統関係、周辺言語、人口等のウォライタ語の背景を説明した。

第2章では音韻論を論じた。主たる結論は以下の通りである。ウォライタ語は、従来子音連続と分析されて来た有声喉頭化音を始め29の子音音素を有する。5つの母音音素が存在し、それらは組み合わされて長母音や二重母音となる。トーンは一見複雑であるが、「音調上顕著な箇所」と「トーングループ」により説明される。前者は語彙毎に規定され高音調で実現される。後者の中では「音調上顕著な箇所」は最初のを除いて無視される。

第3章ではウォライタ語の文字論を扱った。比較的近年に到るまでウォライタ語は書かれる事がなかったが、今ではエチオピア文字やラテン文字で表記される事がある。一般のウォライタの人々がウォライタ語を書く時には必ずしも「規範」に従わない事、しかしその「逸脱」も完全に無秩序ではない事を論じた。

第4章では各品詞に属する語を取分け形態論的、意味論的に論じた。先ず様々な名詞類を一つ一つ論じた。主たる結論は以下の通りである。絶対格は意味的に最も無標な格であり、様々な意味を表すのに用いられる。普通名詞は具体形と非具体形を区別する。前者は具体的な指示対象が想定されているか、或いは何等かの方法で想定され得る場合に、後者はその他の場合に用いられる。非具体形の方が無標で古い。純粋な女性名詞は極めて少ない。但し、女性名詞は男性名詞から極めて生産的に派生され得る。生物学的には女性でしかありえないものも多くの場合そうした派生女性名詞で表現される。地名名詞と人名名詞に関しては、形態論上のクラスとトーン上のクラスの組み合わせに偏りが見られる。地名名詞は、一部の先行研究が主張するように4つではなく、3つの形態論上のクラスを区別する。ウォライタの地名の由来はほぼ総て不詳で、近隣の諸言語に由来する可能性がある。人名名詞の場合、他の名詞類と異なり呼格が代表形として機能する場合がある。数詞の形態と派生語はかなり複雑である。下位節の中で上位節の3人称主語に言及する場合、再帰代名詞も通常の3人称代名詞も使える。例えば、「彼iは多くの人が彼iを助けてくれたので感謝した」の2番目の「彼」はどちらの代名詞でも表現され得る。一般に直接話法が好まれるが、引用部の内外を問わず話し手は1人称代名詞で、聞き手は2人称代名詞で表されるのが普通である。但しこの原則は引用部の定動詞とその主語には当て嵌まらない。従って、「彼等iは、私達(=彼等i)は私(=話し手)とは仕事をしない(1人称複数形)、と言った」の様な文が可能である。具体形名詞類の代用となる形式体言が存在する。5つの指示限定詞が様々な指示表現の基盤である。3つの「与格」後置詞が存在し、必ずしも交換可能という訳ではない。後置詞-daaniは名詞類と後置詞-ni「に、で、によって」から成る。複数の品詞に亘って見られる文法的要素が存在する。

第4章ではその後、間投詞や接続詞等の不変化詞を論じた。取分け意味に注意を払って記述した。

その後は動詞の様々な形を論じた。主たる結論は以下の通りである。未完了形は形態的にも意味的にも無標な形である。完了形は副動詞形を基に作られる。未来形は実のところ名詞類(不定詞)である。副動詞形の語尾は主語に関する情報を伝えているだけであり、従って副動詞形は意味的に希薄な従属節形として用いられる。副動詞形は助動詞を伴う事がある。共起形は事象の未完了性を強調し、同時にその事象と上位節で表現される事象が時間的に重なっている事を示す。真の関係節形と派生的な関係節形の2種類がある。真の関係節形は主語指向形と非主語指向形を区別する。前者は関係節の主要部名詞が関係節内で主語として機能する場合に、後者はその他の場合に用いられる。関係節形に修飾された形式体言は、関係節内で主語として機能するならば、それが代用した語と共起出来る。関係節形は様々な慣用的な従属節表現に用いられる。大抵の不変化従属節形は動詞語幹の直後に「従属節標識」-iを伴っている。先行研究の主張と異なり、稀ではあるが-ii-ni形、-i-shiini形(共に不変化従属節形)はその主語と上位節の主語が同じであっても用いられる場合がある。未来不定詞は後置詞-ni「に、で、によって」を含んでいる。2つの完結相接中辞が存在し、当該事象の完結に関係する主語の表すものの変化に着目するかそれ以外の変化に着目するかによって使い分けられている。

第4章の最後には更なる研究を要する言語形式を挙げる短い節を設けた。

大抵のウォライタ語の語は語彙的な語幹と文法的な語尾に分けられる。語幹は更に小さな要素に分析出来る場合もある。第5章では、この言語で派生語幹がどのように形成されるかを論じた。名詞語幹形成に関しては、語幹形成接尾辞、語幹修正、動詞からの転成といった手段により名詞語幹が形成される事を論じた。普通名詞斜格形に修飾された普通名詞とはトーンにより区別される複合名詞も扱った。その後、動詞語幹形成を論じた。主たる結論は以下の通りである。-iss-派生形は使役表現に使われる。被使役者は絶対格名詞類か後置詞-ni「に、で、によって」を伴う斜格名詞類によって表されるが、どちらが使われるかを決定する要因は複雑である。-ett-派生形は原則として、主語の表すものがそれ自身に由来しない事象によって直接影響される時に用いられる。従って、受身、相互等の表現に用いられる。二重-ett-派生形は、相互性を明確に表現する為に用いられる。実際の使用は稀であるが、様々な複合ボイスが存在する。

第6章では統語論を扱った。基本語順に関しては、ウォライタ語が典型的なOV言語である事、但し同格構文の使用によりそれが見え難くなっている場合がある事を論じた。本章では主語と述語動詞の間の様々な不規則な一致も論じた。

第7章ではウォライタ語の社会言語学的な側面を簡単に扱った。主たる結論は以下の通りである。ウォライタ語にはアムハラ語からの借用語が多く見られるが、それらは均質ではない。動詞や代名詞の2人称、3人称複数形はそれぞれ2人称、3人称単数の敬語としても用いられる。口承文学に見られるウォライタ語は、現在の話し言葉としてのそれとは必ずしも同じではない。

以上、本論文ではウォライタ語を様々な側面から、従来の研究では見落とされて来た事、充分には論じられなかった事を含め詳細に考察・記述した。それは今後のオモ諸語の個別研究やオモ諸語(更にはアフロアジア)比較言語学に於いても参照される価値があるものとなる事を目指したものでもある。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、エチオピア南西部で話されるアフロ・アジア語族オモ語派のウォライタ語について、著者自ら現地調査で集めた膨大なデータに依りつつ、その全体像をできるかぎり詳細に描こうとしたものである。

序章で本論文の目的と意義を説明した後、第1章ではウォライタ語の名称、話者人口、系統関係、周囲の言語との関係など、その背景が従来の研究の間の相違を含めて紹介される。第2章ではウォライタ語の音韻体系について、分節音、トーン、音節構造などが順に説明される。ウォライタ語で書かれた文献はごく僅かで、定着した正書法もないが、エチオピア文字とラテン文字によって書かれた資料があり、近年では書き言葉の教育も始められている。第3章は、生まれて間もないウォライタ語書き言葉、特にラテン文字による表記の特徴を、音韻体系と対照しつつ紹介する。

第4章は、ウォライタ語の語の特徴を扱う、本論文でもっとも長い章である。伝統的な分類に従って、各語類に属する語の形態的特徴と用法が豊富な用例とともに述べられる。名詞類は形態的特徴により、普通名詞、地名名詞、人名名詞、数詞などに分類される一方で、形容詞と名詞は連続的であること、普通名詞の語形変化は、具体形(個別の対象を指示する場合)と非具体形(属性や総称的な指示の場合)の2つのパラダイムに分かれ、数の区別(単数・複数)は具体形にしかないこと、地名名詞や人名名詞は非具体形のみを持つこと、従って、非具体形はunmarkedな形式と考えられること、男性名詞に較べ女性名詞が少なく、しかもその多くは派生名詞であることなど、興味深い現象が紹介される。動詞についても、多くの活用形を検討した上で、未完了形が形態の点でも意味の点でも基本的な形式と考えられることを指摘し、さらに、名詞類と動詞のそれぞれについて、各語形を分析し、それらが形成された通時的プロセスを推定している。

第4章以降の章はいずれも短いが、興味深い事実を含んでいる。第5章では語幹がどのように派生されるかが個々の派生接辞を列挙しつつ説明され、第6章では語順を中心に統語論が扱われる。また、第7章では敬語や周囲の言語との接触が紹介される。全体として、本論文で著者の目ざした、詳細で網羅的な記述は十分に達成されていると判断できる。

本論文の課題としては、説明にやや冗長な部分があること、第4章が4分の3を占め構成のバランスが悪いこと、データの一部として用いたウォライタ語聖書の文献学的位置づけが不十分であること、「疑問格」interrogative caseや「数え上げ格」counting caseのような格を設定することの説明がやや足らないことなどがあげられる。しかし、長期間にわたる現地調査により先行研究の記述を文字通りひとつひとつ確認し、さらに多くの新たな知見をもたらした点は、これらの欠点を補って余りあるものであり、間違いなくオモ語派の諸言語の研究を大きく進めるものである。以上の理由により、本審査委員会は、本論文を博士(文学)の学位を授与するに値するものとの結論に達した。

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