学位論文要旨



No 123996
著者(漢字) 奥,彩子
著者(英字)
著者(カナ) オク,アヤコ
標題(和) 境界の作家ダニロ・キシュ : 「ユーゴスラヴィア」から「中央ヨーロッパ」へ
標題(洋)
報告番号 123996
報告番号 甲23996
学位授与日 2008.05.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第827号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柴,宜弘
 東京大学 教授 鈴木,啓二
 東京大学 准教授 安岡,治子
 東京大学 教授 沼野,充義
 京都大学 教授 若島,正
 京都大学 教授 三谷,惠子
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、ユーゴスラヴィアの作家ダニロ・キシュDanilo Kis の作品世界の全体像を示すことを目的としている。

キシュは、1935 年にユーゴスラヴィアのハンガリーとの国境の町スボティツァで、ハンガリー系ユダヤ人の父とモンテネグロ人の母のあいだに生まれた。ユダヤ人に対する迫害が荒れ狂い、自らも死の危険におびえながら過ごした子供時代と、父親の喪失(キシュの父とその親戚の多くはアウシュヴィッツで消息を絶った)は、キシュの心に、深い傷を与える。この傷は、フロイトの「不気味なもの」という論文に見られる考え方を取り入れて、キシュ自身によって「不安を生み出す差異」と名づけられ、創作の源泉となった。さらに、ハンガリーとユーゴスラヴィア、ハンガリー系ユダヤ人とモンテネグロ人、セルビア正教とカトリックとユダヤ教といった、地理と民族にはじまり、言語、宗教、文化にわたる「境界」に生をうけたという意識によって鋭く磨かれた、差異についての感覚は、キシュを自己のアイデンティティの追求に駆り立てた。こうして、キシュは創作活動を通じて、境界性をつきつめることで普遍的なものを獲得しようと試みる。自己のアイデンティティの「境界」に立つということは、そこに、深い亀裂が網目のように走っていることを意味する。キシュは苦痛を受け入れるように、亀裂を受け入れようとした。まず、受け入れて、それから、一つずつ、検証し、確認していく。このように進行する事態こそ、キシュの創造の歩みに他ならない。

キシュは小説というジャンルを自ら選択して、初期の小説『屋根裏部屋』、『詩篇四四』(1962 年に合冊の形で出版)から、自伝的三部作と呼ばれる中期の小説群『庭、灰』(1965)、『若き日の哀しみ』(1969)、『砂時計』(1972)、そして、後期の短篇小説集、『ボリス・ダヴィドヴィチの墓』(1976)と『死者の百科事典』(1983)まで、一つずつ作品を作り上げていくが、そのたゆみない作業は、差異をその度ごとに追求し、明るみに出していくプロセスであると同時に、自己のアイデンティティを検証し、確認するプロセスでもあった。さらに、この実践は、文学においてだけではなく、キシュの生涯においても、なされた。1979 年、キシュはパリヘの「ジョイス的亡命」を選びとり、以来、死去までの10 年間を異郷で暮らしたのである。

そこで、本論文は、序論で、「ユーゴスラヴィア文学」の歴史とキシュの伝記的事実を記述し、キシュの文学の根源的な課題である「不安を生み出す差異」について考える。その後、普遍的なものを志向するキシュの境界性が、どのような作品を生み出しているかを見るために、六つの章をもうけて、キシュの小説作品すべてを、年代を追って、順次、読み解いていく。そして、キシュが後年主張した「中央ヨーロッパの作家」という自己認識の特性について考察し、「ユーゴスラヴィア」に加えて、「中央ヨーロッパ」という観念が、キシュにとってどのような意味をもっていたのかを明らかにしていく。

以下、各章を概観すれば、第一章、「詩と小説のはざまで」は『屋根裏部屋』を扱う。この小説には、諷刺詩という副題がつけられており、キシュの創作活動の原点であった「詩」への志向が「小説」の形式で実現された作品である。詩と小説という二つの方向性が、若きボヘミアンの空想小説とも言えるテキストのなかで、どのように融合しているかについて、主要な素材を具体的に検討する。この融合は、「諷刺詩」という副題、登場人物の名づけ、作中詩、その他にもよく表れているが、しかし、後年のキシュの言葉で言えば、「なりそこないの詩人」という自己の検証と確認はすでに終わっていると見なければならない。作中で、小説の技法がさまざまに試されているのも、抒情から叙事へという作者の内的な視点の転換に応じたものである。

第二章、「ユダヤという主題」では『詩篇四四』に着目する。これは、アウシュヴィッツの強制収容所を舞台とする小説であり、キシュが自己の創作のなかで、ただ一つ、再版と翻訳を認めていない作品である。研究対象となることもきわめて少ない。キシュは、なぜ、この小説が注目されることを避けたのか。ユダヤ人という自己意識のアンビヴァレントなあり方を「不安を生み出す差異」との関連で検討し、また、正教、ユダヤ教、カトリックという三つの宗教の境界に生を受けたキシュが、神と宗教についての考え方を、どのように表現しているかを分析する。この作品以後、キシュは「ユダヤ性」を直接の主題にして創作をすることに非常に慎重になる。それは、一つには、「ユダヤ作家」というレッテルを貼られる危険に気づいたからである。しかし、その危険が、かえって、「不安を生み出す差異」の源泉としての「ユダヤ性」を深く追求する意志をキシュに固めさせたのではないだろうか。

第三章、「世界の書物」では、キシュの自伝的三部作(『庭、灰』、『若き日の哀しみ』、『砂時計』)を取り上げる。まず、自伝的三部作を、「文学をめぐる教養小説」という視点から読み解き、『砂時計』の重要性を確認する。『砂時計』は、失われた一つの世界の完全な再構築を目的として書かれたが、その際、「文学的道具」に選ばれたのは父親の像である。キシュは、「ユダヤ性」に直接関わってくる父を主人公とするにあたって、表現形式にさまざまな工夫をこらして、距離をとっている。すなわち、章を節に分かち、客観的記述に加えて、覚書、対話、そして、実在する手紙というように、記述の方式を次々に変化させ、また、細部の技法としては、異化、断片化、モンタージュ、羅列、ディテールへの固執、パスティーシュ、等々を駆使している。異色の長編小説がこうして織りなされたが、これは世界の隠喩としての書物と言うべき小説であり、一人のユダヤ人をめぐって、かつて存在したが、いまや、歴史の闇のなかに失われた世界の再創造を成し遂げたものである。ここでは、主人公が死後に遺した「覚書」の言葉は、人間であることの深奥から発する、普遍的なものの光を帯びるに至っている。

第四章、「1970 年代の文学論争」は、『ボリス・ダヴィドヴィチの墓』が引き起こした熾烈な論争について、まず、その経緯を詳細に見る。そのうえで、事実を利用し、フィクションを駆使して、キシュが、どのように7 篇の短篇小説を作り上げ、また、一つの作品として構成したかを検討する。『屋根裏部屋』の創作のときから、言わば取り憑かれていた「一人称という宿命」から解放され、「三人称」にたどり着いた『砂時計』を経て、この、創作と引用、虚構と事実の間隙を縫う短篇小説群においては、「三人称複数」が志向される。個としての人間に根ざしながらも、個人の桎梏から解き放たれた歴史、それは個の体験を、いかに普遍的なものとして表現するかという課題のもう一つの達成である。

第五章、「語り手としての女たち」は、『死者の百科事典』のなかから、女性を語り手とする2 つの短篇、表題作の「死者の百科事典」と「赤いレーニン切手」を扱う。「愛と死」を中心的な主題とする、この作品で、キシュは、『ボリス・ダヴィドヴィチの墓』では排除するほかはなかった抒情を、女の語りという工夫を導入することによって、復権させている。女の語りは、時には感傷を響かせながら、感情も豊かに、男の人生を歌い上げていく。そして、そこに、作者である男の声が、さらに、加わる。幾重にも重なり合う声から生まれるハーモニー、これこそ、キシュが作家として長年の課題としてきた「知的な抒情」である。

第六章、「故国のない男」は、『死者の百科事典』に収録する意図で創作されたが、ついに未完成に終わった短篇「アパトリッド」を、まず、取り上げる。この作品は、キシュにとっての「中央ヨーロッパ」が単なる地理的概念から、文化的統一体という新しい観念へと移行していく、その過渡期のあり方を、エデン・フォン・ホルヴァートという典型的な「中央ヨーロッパ人」の劇作家の運命を描き出すという形で具体的に示している。そして、この「中央ヨーロッパ人の運命」こそ、キシュが身をもって生きることになる運命であった。そして、次に、キシュが「中央ヨーロッパ」という観念をどう受け止めてきたか、その変遷を明らかにし、1986 年のエッセイ「中央ヨーロッパ変奏曲」を主な素材として、「境界」の作家、キシュにとっての「中央ヨーロッパ」の最終的な意味を検討する。

最後に、結論、「境界の作家ダニロ・キシュ」は、「境界の作家」としてのキシュのあり方を、すべての作品の読解の結果を通して、まとめる。キシュが自己のアイデンティティの追求のはてに、普遍的なものが存在する場として見出したのは、「中央ヨーロッパ」である。「精神的な意味で、僕は、ユーゴスラヴィアから中央ヨーロッパへと転じた」と、1989年に、キシュは語っている。それは、ユーゴスラヴィアが解体に向けて加速度を増していくなかでの、苦渋の発言であった。「精神的な意味で」とは、作家としてのアイデンティティに関わって、ということである。「境界」という位置に立ちつつ、自己のアイデンティティをどこまでも追求してやまない、一つの意志、それは、キシュが「境界の作家」であることの証であった。

審査要旨 要旨を表示する

奥彩子「境界の作家ダニロ・キシュ――『ユーゴスラヴィア』から『中央ヨーロッパ』へ」はユーゴスラヴィアの作家ダニロ・キシュ(1935-89年、パリで客死)の全作品を読み込むことによって、作家の人生と作品の全体像を描きだしたわが国のみならず、英語圏でも初めての本格的な論文である。

キシュはユーゴスラヴィアとハンガリーとの国境の町スボティツァで、ハンガリー系ユダヤ人の父とモンテネグロ人(セルビア人)の母とのあいだに生まれた。そのため、ハンガリーとユーゴスラヴィア、ハンガリー人とモンテネグロ人、ユダヤ教とセルビア正教、ハンガリー語とセルビア語といった民族、宗教、言語、文化の「境界」に生きることを余儀なくされた。キシュは幼年期に反ユダヤの嵐が吹きすさぶ環境のなかで死の危険におびえながら過ごしただけでなく、父親がアウシュヴィッツで消息を絶ったことから、心に深い傷を負った。こうした環境がキシュの差異についての感覚を研ぎ澄ませることになり、自己のアイデンティティの追求に駆り立てた。本論文では、心に深い傷を生じさせた原因、キシュ自身「不安を生みだす差異」と表現しているものが全作品を貫くテーマとして捉えられており、自らの境界性を突き詰めることで、普遍的なものを獲得しようとしたキシュの試みが、初期の小説、中期の小説群、後期の短編小説まで、年代を追って一つずつ作品を取り上げる形で分析され論じられている。

本論文は序論と結論を除く6章から構成されており、A4用紙で脚注を含めて171ページ、参考文献表が12ページからなる力作である。キシュの刊行した小説7冊が直接の分析対象であるが、エッセイ集3冊、その他、戯曲、テレビドラマの脚本、インタヴューの記事、さらには生涯を通じて詩人であろうとしてきた作家の未発表の詩40篇にも目配りがされている。これらの作品はすべてセルビア語によるものであり、日本語訳は奥彩子の翻訳『砂時計』を含めて3冊の小説のみである。

序論では、ユーゴスラヴィア文学史が概観され、そのなかでのキシュの位置づけが行なわれると同時に、キシュに関する先行研究についてふれている。わが国ではキシュを取り扱う初めての博士論文であることから、キシュの伝記的事実も描かれている。本論文の中心的な概念である「不安を生みだす差異」についての問題設定をしたうえで、「ユーゴスラヴィア」や「中央ヨーロッパ」という地域概念が、境界の作家キシュにとってどのような意味を持っていたのかという問題提起がなされる。

第一章「詩と小説のはざまで」では、諷刺詩という副題がつけられている初期の小説『屋根裏部屋』が取り上げられる。この小説は、キシュの創作活動の原点であった詩への志向が小説の形式で実現された作品である。ここでは詩と小説という方向性がこの作品のなかで、どのように融合しているのかが検討され、叙情から叙事へという視点の転換がすでになされたと指摘している。

第二章「ユダヤという主題」では、『詩篇44』というアウシュヴィッツの強制収容所を舞台とする初期の小説が分析されている。キシュが再版と翻訳を認めていない唯一の作品であることから、研究対象となることがほとんどない。この章では、なぜ、この小説が注目されることを避けたのか。アンビヴァレントなユダヤ人という意識のあり方(「ユダヤ性」)を、「不安を生みだす差異」との関連で検討し、キシュが神と宗教についての考えをどのように表現しているかを分析する。

第三章「世界の書物」では、自伝的三部作と称される『庭、灰』『若き日の悲しみ』『砂時計』が取り上げられる。これら三作品を「文学をめぐる教養小説」という視点から検討し、とくに『砂時計』の重要性が強調される。『砂時計』は失われた世界の完全な再構築を目的に書かれ、ユダヤ人である父親が主人公とされる。この章では、「ユダヤ性」に直接係わる父親を主人公にしながら、表現形式にさまざまな工夫を凝らして、それと距離をとろうとするキシュの手法に注目して分析がなされ、普遍性を求めるキシュの試みが一定の成功を収めたと評価する。

第四章「1970年代の文学論争」では、7つの短編からなる『ボリス・ダヴィドヴィチの墓』という作品が引き起こした文学・政治論争について、その経緯が概観される。さらに、この短編集では、主人公が「一人称」から「三人称」をへて、「三人称複数」になった点を指摘し、個の体験を普遍的なものとして表現するというキシュの課題が達成されたと結論づけている。

第五章「語り手としての女たち」では、短編集『死者の百科事典』から、女性を語り手とする二つの短編を取り上げ、『ボリス・ダヴィドヴィチの墓』ではまだ達成できていなかった叙情性を復権させたことが検討される。女性による語りは感情豊かに男の人生を歌い上げ、それに作者である男の声が重なり、幾重にも重なり合う声がハーモニーを生み出す。キシュが作家として、長年求めてきた「知的な叙情」が表現されていると指摘している。

第六章「故国のない男」では、『死者の百科事典』に収録する目的で書き始められたが、未完成に終わった短編『アパトリッド』を題材として、「中央ヨーロッパ」という概念が検討される。『アパトリッド』は「中央ヨーロッパ人」の劇作家の運命を描く作品であり、これは境界の作家キシュが身をもって生きることになる運命であった。ここでは、1986年のエッセイ「中央ヨーロッパ変奏曲」を主な素材として、キシュにとっての「中央ヨーロッパ」という概念の検討がおこなわれる。

結論「境界の作家ダニロ・キシュ」では、境界の作家キシュのあり方が本論の分析を通してまとめられている。キシュが自己のアイデンティティーの追求の果てに、普遍的なものが存在する場として見出したのが「中央ヨーロッパ」であったと結ばれている。

本論文の研究上の貢献としては次の3点が指摘できる。第一に、キシュという作家のすべての作品を読み込むことによって、その全体像を描き出した点である。「キシュ学」という用語がセルビアだけでなく、欧米でも用いられ、その研究が始められている。本論文はわが国のキシュ研究の嚆矢をなす論文であり、今後、キシュ研究を行なううえでの基本的な研究となりうる。第二に、セルビア語で書かれた難解なキシュの全作品を原語で読み込む作業は容易なことではなく、ユーゴスラヴィア文学研究、東欧文学研究の質を大いに引き上げた。第三に、地域文化研究のなかに文学をどのように位置づけるかは困難な問題であり、さまざまな模索がなされている。本研究は境界の作家キシュを取り上げることで、地域文化研究における文学研究の一つのモデルを提示したといえる。

全体として、本論文は学術論文としての客観性と、文学としての感動を伝える叙情性を兼ね備えた好論文と評価できる。

上記のように、本論文はきわめて高く評価することができるが、問題点がないわけではない。審査会では、(1)論文全体を貫くテーマである「不安を生み出す差異」によって、全体が必ずしも統一的に描き出されているとはいえない、(2)個別のテーマが提示されているだけで、十分に論じられているとはいえない、(3)境界という用語についての説明が不十分であり、イメージしにくい、境界という表現が妥当なのか、(4)「中央ヨーロッパ」という概念は同じ東欧の作家であるクンデラやゴンブロヴィチのそれとどこが違うのか、(5)キシュのテキストの読み込みに不正確な部分が見られる、などの本論文の問題点や今後の課題を含めた指摘がなされた。

しかし、審査委員会は指摘された問題点が本論文の学術的な価値を損なうものではなく、本論文が博士論文としての水準を十分に超えていると判断した。したがって、審査委員会は本論文が博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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