学位論文要旨



No 124001
著者(漢字) 武田,祐輔
著者(英字)
著者(カナ) タケダ,ユウスケ
標題(和) 刺激及び反応に時間同期した脳波信号の分離手法の開発
標題(洋) Temporal Decomposition of EEG into Stimulus-and Response-locked Components
報告番号 124001
報告番号 甲24001
学位授与日 2008.06.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第144号
研究科 教育学研究科
専攻 総合教育科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 多賀,厳大郎
 東京大学 教授 山本,義春
 東京大学 准教授 野崎,大地
 東京大学 教授 南風原,朝和
 東京大学 教授 岡田,猛
内容要旨 要旨を表示する

我々は日常生活において、外界からの感覚情報に対して二種類の反応を起こしている。一つは、運動を伴ったOvertな反応であり、例えば、信号が赤に変わったのを見て車のブレーキを踏む反応などがこれに相当する。もう一つは、運動を伴わないCovert(内的)な反応であり、例えば、雄大な景色を見て「素晴しい」と思う反応などがこれに相当する。このような反応を起こす場合、脳には、感覚刺激に時間同期した活動(Stimulus-locked activity)と反応に時間同期した活動(Response-locked activity)が生じており、特に刺激から反応までの間隔が短い場合には、両活動は時間的に重なっていると考えられる。感覚刺激から反応までの脳活動を詳しく調べるには、両活動を分離して調べる必要があるが、そのための十分な解析手法はこれまで提案されてこなかった。

そこで本論文では、OvertまたはCovertな反応を伴う課題中にヒトの頭皮上から計測された脳波を刺激に時間同期した成分(Stimulus-locked component)と反応に時間同期した成分(Response-locked component)に時間的に分離する手法を開発することを目的とした(図1)。

(1)Overtな反応を伴う課題中の脳波の時間的分離反応がOvertな場合、これまでは、Stimulus-locked componentを抽出するには刺激をトリガにした加算平均、Overt response-locked componentを抽出するには反応をトリガにした加算平均が用いられてきた。しかし、そうして得られた加算平均波形には両成分が混在しており、刺激または反応に関連した脳活動を純粋に反映しているとは言えない。

そこで本研究では、反応時間を用いて、単チャンネルの脳波をフーリエ領域でStimulus-locked componentとOvert response-locked componentに分離する手法を開発した。この手法では、離散フーリエ変換によって時間シフトが位相シフトに変換されるという性質を利用することによって両成分を歪みなく分離している。開発した手法の妥当性は人工データを用いたシミュレーション結果より確認された(図2)。

開発した手法を単純反応時間課題中に国際10-20電極配置法(図3)に従って記録された脳波に適用することにより、両成分が混在していない、純粋なStimulus-locked componentとOvert response-locked componentが抽出された(図4)。抽出された成分を加算平均波形と比較した結果、刺激後400ms付近でStimulus-locked componentと加算平均波形は大きく異なっており(図4, A)、Overt response-locked componentが混入することによって、刺激をトリガにした加算平均波形の後半部分が大きく歪められていることがわかった。

開発した手法は、両成分が混入していない純粋なStimulus-locked componentとOvert response-locked componentが得られる手法である。この手法を用いることによって、刺激やOvertな反応に関連した脳活動に関して、加算平均法を用いるよりも精確な知見が得られると考えられる。

(2)Covertな反応を伴う課題中の脳波の時間的分離

反応がCovertな場合、いつ反応が生じたのかが不明であるためCovert response-locked componentを抽出することは困難であった。例えば景色を見て「素晴しい」と思う場合、「素晴しい」と思うことは完全にその人の頭の中だけで生じており、周りの人はいつその人が「素晴しい」と思ったのか直接知ることはできない。そのため、いつの時点の脳波を調べれば「素晴しい」と思ったことに関連した脳活動が調べられるのかが分からないのである。

そこで本研究では、単チャンネルの脳波から、刺激後Covertな反応が生じるまでの各試行の遅れ時間を推定し、Stimulus-locked componentとCovert response-locked componentを抽出する手法を開発した。開発した手法では、まず、乱数を発生させそれをCovertな反応の各試行の遅れ時間とする。そして、その遅れ時間を使って、上記した方法を用いて脳波をStimulus-locked componentとCovert response-locked componentに分離する。次に、抽出された成分を遅れ時間分だけずらして重ねることで脳波を再構成し、実際の脳波との二乗誤差を計算する。もし遅れ時間が真に近ければ、脳波は良く再現されるために、二乗誤差は小さくなるはずである。二乗誤差が小さくなるように遅れ時間を更新していくことによって、最終的には遅れ時間は真に近い値に収束する。そして、Stimulus-locked componentとCovert response-locked componentも同時に抽出される。開発した手法の妥当性は人工データを用いたシミュレーションによって確認された(図5)。

この手法をボタン押しといったOvertな反応を伴わないGo/NoGo課題のNoGo試行中の脳波に適用した。適用の際、脳波の試行間分散の時系列を調べることで、Covert response-locked componentが含まれていそうな電極を調べた。Covert response-locked componentが生じている電極では、その遅れ時間が試行間で変動するために試行間分散は刺激後上昇するはずである。C3, C4, Fz, Czにおいて試行間分散の上昇が見られたため(図6)、それらの電極の脳波に開発した手法を適用しCovert response-locked componentを抽出した(図7)。

これまでCovertな反応に関連する脳活動を調べるには、被験者にCovertな反応の後にボタン押しなどのOvertな反応をしてもらい、Overtな反応のオンセットから間接的にCovertな反応のオンセットを推測していた。例えば、ネッカーキューブを見たときに起こる知覚交替時の脳活動を調べるには、ネッカーキューブの見えに応じて被験者にボタン押しをしてもらっていた。しかしながら、一般に、Overtな反応のオンセットとCovertな反応のオンセットがどれだけ一致しているかは不明であり、さらに、そうして得られた脳波データにはCovertな反応だけでなくOvertな反応に関連した脳活動の影響も混入していると考えられる。開発した手法は、判断や認知など人の頭の中だけで主観的に生じるCovertな反応がいつどのように起こったのかを脳波から直接調べられる手法である。この手法を様々な認知課題中の脳波に適用していくことによって、そうした脳の高次機能に関する重要な知見が今後得られていくと考えられる。

図1.Stimulus-locked componentとResponse-locked componentの二成分が脳波には含まれている。本論文では、脳波を両成分に時間的に分離する手法の開発を目的とした。

図2.人工データを用いたシミュレーション。A:元のStimulus-locked component(上段)、Overt response-locked component(中段)、ノイズ(下段)。B:人工的に作成された脳波。C:開発した手法を用いて抽出されたStimulus-locked component(上段)とOvert response-locked component(下段)。

図3.国際10-20電極配置法

図4.単純反応時間課題中の脳波(Cz)から抽出された成分。A:抽出されたStimulus-locked component(実線)と刺激をトリガにした加算平均波形(点線)。B:抽出されたOvert response-locked component(実線)と反応をトリガにした加算平均波形(点線)。

図5.人工データを用いたシミュレーション結果。A:元のStimulus-locked component(点線)と抽出されたStimulus-locked component(実線)。B:元のCovert response-locked component(点線)と抽出されたCovert response-locked component(実線)。C:元の遅れ時間と推定された遅れ時間の散布図。

図6.NoGo課題中の脳波の試行間分散(太線)とNoGo課題と同じ視覚刺激を受動的に見る課題中の脳波の試行間分散(細線)。

図7.NoGo試行中の脳波から抽出されたCovert response-locked component。横軸は正のピークに対する相対的な時間を表す。

審査要旨 要旨を表示する

人間の感覚情報に対する反応には、運動をともなうOvert Response(外的反応)と、外部へは表出されないCovert Response(内的反応)とがある。一方、脳活動には、感覚刺激に時間同期したStimulus-locked activity(刺激同期活動)と反応に時間同期したResponse-locked activity(反応同期活動)とが見られるが、両者の時間的な分離や内的反応の抽出には、これまで多くの課題があった。そこで、本論文は、外的または内的な反応をともなう課題中にヒトの頭皮上から計測された脳波を、刺激に時間同期した成分と反応に時間同期した成分とに分離する新しい手法の開発を扱ったものである。

第1章では、反応課題中の脳波は、反応時間の異なる二つの成分の重ね合わされてできた信号であること、そして、それらの時間的な分離の可能性について問題提起がなされている。第2章では、実際の単純反応課題に関して、脳活動に二つの成分が見られることや、それらの分離を単純加算平均や空間的分離によって試みた先行研究の問題点が述べられている。

第3章では、課題への反応時間を用いて、単チャンネルの脳波信号をフーリエ領域で刺激同期成分と外的反応同期成分とに分離する手法が提案されている。この手法では、離散フーリエ変換によって時間シフトが位相シフトに変換されるという性質を利用することによって両成分を歪みなく分離している。開発された手法の妥当性は人工データを用いたシミュレーションにより確認されている。さらに、第4章では、この手法を単純反応課題中に記録された脳波に適用し、刺激同期成分と外的反応同期成分とについてそれぞれ純粋な反応が抽出できることを示している。

第5章では、外部への反応の表出のない脳波の内的反応に関する先行研究が述べられている。そして、第6章では、第3章で提案された手法を拡張し、単チャンネルの脳波信号から、刺激後に内的反応が生じるまでの各試行の遅れ時間を最適化計算の導入により推定して、刺激同期成分と内的反応同期成分とを分離して抽出する手法を提案している。その妥当性は、シミュレーションによって確認されている。第7章は、ここで提案された手法をボタン押しのように外的反応を伴わないGo/NoGo課題のNoGo試行中の脳波に適用し、刺激同期成分と内的反応同期成分とを分離して抽出できることを示している。

第8章では、外的および内的反応を同時にともなうような場合について、本論文で提案された手法の拡張可能性等について、将来の課題が議論されている。

本論文は、脳波に含まれる複数の成分を分離するための新しい手法を示したものであり、判断や認知など主観的に生じる内的反応がいつどのように起こったのかを脳波から直接調べられる可能性を提示した点で、特に意義が認められる。よって、本論文は、博士(教育学)の学位を授与するに相応しいものと判断された。

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