学位論文要旨



No 124011
著者(漢字) 青山,英正
著者(英字)
著者(カナ) アオヤマ,ヒデマサ
標題(和) 和歌の教訓的解釈についての史的研究 : 中世から近代へ
標題(洋)
報告番号 124011
報告番号 甲24011
学位授与日 2008.06.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第829号
研究科 総合文化研究科
専攻 言語情報科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 斎藤,兆史
 東京大学 教授 ロバート,キャンベル
 東京大学 教授 エリス,俊子
 東京大学 准教授 品田,悦一
 立正大学 教授 藤井,貞和
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、過去に詠まれた和歌が本来持っていた意味や本来置かれていた文脈をいったん括弧に括り、それにあえて教訓的な解釈を施す、あるいは配列の工夫によって、教訓的な解釈に基づいた文脈に置き直すといった文学的行為の持つ意味を、同時代の思潮や歴史的背景などと関連づけて検討しようとする試みである。

扱う対象は、近世期を中心に、中世後期から近代初期までの、教訓的和歌注釈書および教訓的(和歌)撰集とする。なお、ここで言う教訓的和歌注釈書とは、所収の歌が本来教訓的な意味を持っているか否かに関わりなく、歌に何らかの現実生活に関わる教訓的な注釈を施し、それらを集めて一つの書物とした編纂物を指すこととし、教訓的撰集とは、明文化された注釈等は付していないものの、何らかの現実生活に関わる教訓を読者に伝えることを意図していることが、序文の文言や配列などから分かる編纂物を指すこととする。

こうした対象を取り上げることによって、和歌が担ってきた役割の変化と近世における雅と俗との関係の変化に関して新たな視点を提供し得たと考えられる。従来、和歌・和文・漢詩・漢文などの雅文学は、高級な趣味として実生活から遊離し、俗文学は教訓性・娯楽性といった実用性を持っていたことが指摘されていた。しかし、和歌の教訓的解釈とは、和歌を実生活から遊離させるどころか、むしろ雅文学である和歌を俗文学的な教訓性と積極的に結びつけようとするものであったと理解できる。

確かに、近世を通じて、歌人たちは雅文学としての和歌の優美な表現をさらに洗練させ、また表現の新たな可能性を切り開くべく、過去の和歌を研究し摂取するという営みを不断に続けていたが、そうした芸術的追求の努力のみが、和歌という文芸を支えていたわけではなかった。和歌に携った学者や教育者(往来物の著者等を含む)の中には、和歌を同時代の俗世間における道徳規範と積極的に結びつけ、それによって、和歌が一部の上流階層のみならず庶民にとっても学ぶに値するものであることを世間に伝えようとする者もいた。いわば、近世において和歌は決して雅の枠内にとどまってはおらず、世俗の道徳規範と積極的にかつ柔軟に結びつくことによって、その存在意義を高めようとしていたのである。

その結びつき方の検討を通じて、それぞれの時代において和歌という文芸がどのような観点から把握され、どのような存在意義を持ち、どのような役割を担うものとして理解されてきたのかを、単なる歌論の検討以上の具体性をもって検証することが可能になる。そして、本論文で取り上げる和歌の教訓的解釈の諸事例は、同時代社会における道徳規範と和歌との結びつきを、端的に示してくれる資料群であった。

たとえば、近世前期の朱子学者藤井懶斎の教訓的和歌注釈書である『蔵笥百首』は、儒教に基づいた女性の道徳を和歌解釈の形で説き、また、近世後期の和学者は、政教主義的な観点から社会秩序の安定を説く庶民教化に和歌を利用した。さらに、幕末に国家意識が高まると、それに基づく道徳規範を、和歌を通じて示そうとする『明倫歌集』が編まれるに至る。このように、和歌と道徳規範との結びつきの変遷の過程を辿ることは、近代国家の形成過程において和歌がどのような役割を果たしたのかという問題の解明に資すると思われる。

また、雅文学である和歌の解釈が世俗の道徳規範と結びつくということを、中世から近代に至るまでの各時代の人々がどのように捉えていたのか検討することを通じて、雅と俗との関係の変化が浮き彫りになる。

近世前・中期の教訓的和歌注釈書は、そのやや強引で実用的に過ぎる解釈を教育上の一種の方便だと弁解し、自らを専ら身内の子女を教育するためのものだと規定して、公刊されることを憚る姿勢を繰り返し見せていた。しかし寛政期以降、幕藩体制を建て直し、社会秩序を安定させるための公的な教化活動に、和歌の知識を持つ和学者が参加するようになると、和歌に教訓的な内容を読み取ることが公然と許容される風潮が広まり、私的な教育の手段とされてきたものが公の領域へと吸収されるようになってゆく。そして、幕末に国家意識が高まると、和歌にこそ日本固有の道徳が表現されてきたのだ、という主張がなされるようになり、天皇を頂点とする国家像と和歌という文芸とが、道徳を介して結びつけられるという事態にまで至るのである。つまり、実用性が前面に押し出されることに伴って雅と俗との格差が解消されてゆく過程が、本論文における分析の結果として浮かび上がってくるのである。和歌をめぐるこうした変化は、和歌のような伝統文芸が前近代から近代にかけてどのように継承され、その際どのような役割を担ったのかという、近代文学の成立にも関わる問題の一端とも関わるはずである。

なお、本論文におけるテーマは、(1)和歌研究、(2)教育史研究、(3)政治史研究、(4)文化史研究、(5)思想史研究などといった、各研究分野にまたがるものである。しかし、和歌の解釈と教訓との関係を史的に辿るという試みに、これまでどの分野の研究者も本格的に取り組んだことはなかった。その理由としては、和歌の教訓的解釈が、あまりにも語義からかけ離れた、荒唐無稽な解釈として片付けられてきたこと、あるいは、教訓を説くという行為が、為政者や教育者といった権力関係における上位者から下位者に対して為されるものであることに対する反発、各研究分野に広くまたがるものであるが故に、かえってそれぞれの分野の研究者にとっては主要な課題と見なされなかったこと、などが考えられる。

本論文は、教訓的解釈もまたあり得べき一つの解釈であって、重要なのはそれを一概に荒唐無稽として批判することなどではなく、なぜ和歌解釈の形で教訓を説く必要があったのか、またそうした解釈は、一体どのような意義を持っていたのか、と問うことであると考える立場から、あえて権力者側に視点を据え、彼らがどのように和歌を政治や教育に利用したのかを明らかにすることを通じて文学と権力との関係を可視化し、上記の各研究分野にも新たな角度から光を当てようとする試みである。

審査要旨 要旨を表示する

青山英正氏の論文「和歌の教訓的解釈についての史的研究-中世から近代へ」は、中世後期から近代初期までの教訓的和歌注釈書および教訓的和歌撰集の分析を通じ、本来雅(みやび)の文学であったはずの和歌がいかに実践的な教訓性と結びつけられ、それぞれの時代の道徳規範に照らして読者へ修養を促す解釈が施されてきたかを明らかにしようとしたものである。

著者は、序章においてまず『古今集』三四〇番の和歌のさまざまな解釈を例示しつつ問題提起を行なったのち、第一章では室町末期に編纂されたと考えられる『仮名教訓』を手掛りとして和歌の教訓的解釈の裏にある歴史的経緯と思想的背景を明らかにする。第二章では朱子学者藤井懶斎の『蔵笥百首』の分析を通じて、近世の儒者がこのような注釈書を身内の女子向けの教材として捉えていたと論じる。第三章では、荷田春満と本居宣長の思想がのちの庶民強化活動における和歌の使用の理論的基盤となったと論じ、第四章では、宣長の弟子たちが宣長の理論を活かすために和歌の教訓的解釈を全面に押し出していた事実に焦点を当てる。さらに第五章で保田光則の『訓誡歌集』が男性向けの教訓的撰集であったことを明らかにし、第六章では水戸藩の編纂になる『明倫歌集』の編纂過程の分析を通じて、天皇を頂点とする国家像と和歌とが道徳を介して結びつけられていく過程を論じている。さらに第七章では、政府機関としての教導職が歌集を編纂することで国家が編纂に関わるようになったと論じ、第八章では、民間有志が編纂した勤王志士詩歌集の分析を通じて、古代や中古の和歌だけでなく、勤王志士の詩歌までが近代国家像を支えるものとして利用されていた事実を指摘する。

問題点としては、(1)賀茂真淵の歌論が近世後期以降の和学者の教化活動の問題と関わりがあるはずなのに、宣長の「雅」に対して真淵の「雅」に関する分析が不十分である、(2)春満の限界を指摘しながらその限界が生じた根拠が明確になっていない、(3)城戸千楯の主張が、寛政異学の禁以降に国学が活性化することに関する重要な問題を含んでいるにもかかわらず、簡単に整理されすぎている、(4)和歌が聖俗両面の効用性を失って新体詩に取って代わられたとの論では明治以降も短歌が詠まれつづけている事実が説明できていない、などが指摘された。しかしながら、これらの問題点は本論文の論旨を損なうものではないと判断された。

一方、本論文の学術的価値に目を転じると、和歌の教訓的解釈という、ややもすると荒唐無稽な解釈として退けられてきた読みとそれを用いた教化のありようを体系的にまとめた点はきわめて独創的である。また、あえて権力者側に視点を据え、彼らがどのように和歌を利用したかを論じることで文学と政治の関係を明確にしたことも大いに評価に値するものであり、今後の和歌研究に多大なる貢献をする研究であると判定された。

以上の審査結果により、本審査委員会は、本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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