学位論文要旨



No 124015
著者(漢字) 古水,千尋
著者(英字)
著者(カナ) フルミズ,チヒロ
標題(和) シロイヌナズナにおける細胞の増殖と分化に関する分子遺伝学的研究
標題(洋) Molecular genetic studies of cell proliferation and differentiation in Arabidopsis thaliana
報告番号 124015
報告番号 甲24015
学位授与日 2008.06.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5254号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 米田,好文
 東京大学 教授 中野,明彦
 東京大学 准教授 菊池,淑子
 東京大学 准教授 澤,進一郎
 東京大学 准教授 川口,正代司
内容要旨 要旨を表示する

植物は動物とは独立に単細胞生物から多細胞生物への進化が起きたと考えられている。この多細胞化に伴って単細胞生物にはみられない新たな現象がみられるようになった。例えば、多細胞生物を構成している多くの細胞は一様なわけではない。それぞれの細胞が特徴的な形や機能を持つ様々な細胞へと分化することがよく知られている。同時に、個々の細胞が無秩序に生命活動を行うのを防ぎ、秩序正しく生命活動を行うために、組織や器官のレベルで細胞同士がコミュニケーションを図ることで個体の発生や生理活動を円滑に進めていると考えられている。この多細胞化に伴う細胞の分化と相互作用の分子機構に興味を持って私はモデル植物のシロイヌナズナを用いた分子遺伝学的な研究を行ってきた。

細胞の分化と相互作用に関する研究を開始するにあたって、ERECTA遺伝子に注目することにした。EREC7二4遺伝子の機能を欠損したerecta変異体の示す多面的な表現型の解析から、EREC7}4遺伝子は茎頂分裂組織に由来し、植物の地上部を構成する器官の大きさと形態を制御していることが推測された[Torii et al.(1996)Plant Cell 8:735-746]。ERECTA遺伝子は植物に固有の遺伝子で、細胞外にロイシンリッチリピートモチーフを持ち、細胞内にセリン/スレオニン型キナーゼの特徴を持つ、受容体型レセプターキナーゼ様のタンパク質をコードしていることが明らかになっていた[Torii et al.(1996) Plant Cell8:735-746]。ERECTA遺伝子は茎頂分裂組織や若い器官原基で特に強く発現してい る[Yokoyama et al.(1998)Plant J.15:301-310]。これらの知見から、ERECTA遺伝子は、側性器官の発生において、細胞間のコミュニケーションを通して器官の大きさや形態を制御していると推測された。さらに、近年の研究によって表皮細胞の分化過程におけるERECTA遺伝子の機能が明らかにされた。植物の地上部では気孔と呼ばれる特殊な表皮細胞が分化し、植物が呼吸や光合成のために水蒸気や二酸化炭素のガス交換を行う際の中心的な場となる。遺伝学的な解析から、EREC男4遺伝子とその相同遺伝子から構成されるERECTAファミリー遺伝子は気孔が形成される際の不等分裂を負に制御していることが明らかにされた[Shpak et al.(2005)Science 309:290-293]。これらの知見から多細胞生物における細胞の分化とコミュニケーションを解析するうえでERECTA遺伝子は優れた材料になると考えられた。

ERECTA遺伝子の気孔の形成における機能が明らかになったことにより、ERECTA遺伝子の下流で機能すると考えられるシグナル伝達系や転写因子が同定されたが[Bergmann and Sack(2007)Annu.Rev.Plant Biol.58:163-181;Pillitteri and Torii(2007)BioEssays 29:861-870]、これらの制御因子が働く分子機構に関してはまだ限 られた知見しか得られていなかった。またERECTAファミリー遺伝子は互いに似た発現パターンを示すが、その発現パターンには違いもあることが報告されていた[Shpak et al.(2004)Development 131:1491-1501;Shpak et al.(2005)Science 309:290-293]。ERE CTAファミリー遺伝子のプロモーター領域内には特に保存された配列がないため、EIRECTAファミリー遺伝子の発現はそれぞれ異なる仕組みによって制御されている可能性が示唆されていたが、ERECTAファミリー遺伝子の発現を制御するトランス因子に関してはこれまで知見がなかった。そこで、これらの未解決の問題に取り組むことによって、植物における細胞の分化と相互作用の分子機構に関する新たな知見を得ることを目指し、多角的な視点から以下のような研究を行った。

【第三章erecta変異体に類似した表現型を示す変異体の単離と研究】

気孔の発生の制御因子が近年、相次いで単離されたが、その分子機構に関してはまだ限られた知見しか得られていない。そこで新たな制御因子を同定するために、変異源処理した植物の中からerecta変異体に似た表現型を示す変異体の単離と解析を行った。これによりerecta変異の新たなアレルを多数単離した。さらにmunchkin(muc)変異体を単離した。muc変異体では気孔の密度が増加するため、MUC遺伝子はERECTA遺伝子と同じように気孔の発生の負の制御因子として機能していることが推測された。

マッピングにより原因遺伝子を単離したところ、muc変異はKNOPF遺伝子として解析されていた遺伝子のミスセンスアレルであることがわかった。KNOPF遺伝子はタンパク質の翻訳後修飾の一つであるN-glycosylationに関与するα-グルコシダーゼIをコードしているが、他のknopf変異体はいずれも胚発生が途中で停止するという強い表現型を示すことが報告されていた[Boisson et al.(2001)EMBO J.20:1010-1019;Gillmor et al.(2002)J.Cell Biol.156:1003-1013]。

本研究で得られたmucアレルは非常に弱い機能欠損型アレルとして機能することが示唆され、mucアレルを用いることによって植物の発芽後の発生におけるα-グルコシダーゼIの機能を初めて明らかにすることが可能になった。

興味深いことに、気孔の発生を制御するシグナル伝達系の制御因子の多くは、その配列の特徴から、KNOPFが関与する糖鎖修飾を受けると推測されていた。そのなかでEPIDERMAL PATTERNING FACTOR 1(EIPF1)遺伝子は分泌性の小さなペプチドをコードしており、遺伝学的解析から、ERECTA様のレセプターのリガンドであると推測されていた[Hara et al.(2007)Genes Dev.21:1720-1725]。そこでmuc変異はEPFlの糖鎖修飾に影響を与える結果、EPFIの機能を損なっているのではないかと推測された。この仮説を検討するためにepfl muc二重変異体を作製し、表現型を解析した。その結果、epfl変異はmuc変異に対して遺伝学的に上位であることが示され、KNOPF/MUC遺伝子はEPF1遺伝子と同じ遺伝学的経路上で機能することが推測された。

ところで、多くの真核生物のゲノムにおいて、α-グルコシダーゼIをコードする遺伝子は単一コピーで存在する。しかし、シロイヌナズナのゲノムにはKNOPF遺伝子と非常に相同性の高い、KNOPF-LIKE(KNL)遺伝子が存在することを明らかにした。変異体の解析から、KNL遺伝子は根の発生に関与することが推測された。また、その配列上の特徴などから、KNLはKNOPFとは異なる生化学的な性質をもつことが推測された。

【第四章 OBERONと相互作用するタンパク質の単離と研究】

ERECTA遺伝子の発現を制御する遺伝子の候補として単離されたOBEIRON1遺伝子とそのパラログであるOBERON2遺伝子は冗長的に機能し、分裂組織の形成と維持に関与する[Saigaetal.(2008)Development135:1751-1759]。

ERECTA遺伝子とOBERON遺伝子の関係をさらに詳しく調べるために、私はOBERONlと相互作用する因子を酵母2ハイブリッド法を用いて探索した。その結果、OBERONをコードするクローンが多数単離され、OBERONは二量体を形成する可能性があることを明らかにした。また、OBERON1以外に、OBERON INTERACTING PROTEIN2(BIP2)を単離した。BIP2遺伝子はplant homeodomain(PHD)フィンガーモチーフを持っ核局在タンパク質をコードしており、遺伝子発現制御に関与することが推測された。今までの解析結果からは、BIP2遺伝子がERECTA遺伝子の発現を制御することを示す知見は得られていない。しかしながら、BIP2遺伝子領域の大部分を欠損するbip2-2機能欠損型変異体が野生型よりも大きくなるという表現型を示したことから、BIP2遺伝子はERECTA遺伝子とは逆に、器官サイズの負の制御因子として働いていることが示唆された

野生型とbip2変異体との間で細胞の大きさには違いがないことから、BIP2遺伝子は細胞の増殖を制御することによって、器官サイズを調節していると推測された。先行研究では細胞周期を直接制御する遺伝子の変異体では器官サイズが変化することが報告されていたが、bip2-2変異体では細胞周期関連遺伝子の発現には変化がなかった。一方、細胞の増殖を制御することによって器官サイズを正に制御していると考えられている推定転写因子をコードしている遺伝子などの発現がbip2-2変異体では上昇していた。

これらの解析結果から、BIP2遺伝子は器官サイズ制御因子の発現を抑制的に制御することによって、シロイヌナズナの器官サイズを制御していると推測することができる。

【第五章ERECTA遺伝子の発現を制御するEMU遺伝子の研究】

ERECTA遺伝子の発現を制御する分子機構に関する知見を得るために、ERECTA遺伝子の発現パターンが変化する変異体を探索した。このために、EREC7二4遺伝子のプロモーターの下流にレポーター遺伝子を融合したキメラ遺伝子pER::GUSを導入した形質転換植物を変異源処理し、レポーターの発現パターンが変化する変異体を選抜した。その結果、レポーター活性を低下させる劣性変異であるerecta mRNA under-expressed(emu)変異を単離した。EMU遺伝子はEREC7}4遺伝子の発現の正の制御因子であると推測された。マッピングにより原因遺伝子を単離したところ、EMU遺伝子はmRNAの代謝に関わる複合体の主要な構成因子の一つであることが明らかになった。

さらにemu変異はERECTA遺伝子以外にも花成の制御因子などの発現に影響を与えることを明らかにした。また、EMUとともに複合体を形成することが推定される因子の変異体についても解析を行ったところ、胚性致死の表現型を示した。これらの結果から、EMUタンパク質とその複合体が植物の発生において重要な役割を担っていることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、6章からなる。第1章は序であり、第2章に研究材料を記述し、第3,4,5章に以下の内容を含み、第6章で総合討論が述べられている。申請者はモデル植物のシロイヌナズナERECTA遺伝子から出発して種々の分子遺伝学的な解析を行い、細胞の分化と相互作用に関する一連の研究で新知見を加えることができた。

【第三章 ERECTA変異体に類似した表現型を示す変異体の単離と研究】

munchikin(muc)変異体を単離した。muc変異体では気孔の密度が増加するため、MUC遺伝子はERECTA遺伝子と同じように気孔の発生の負の制御因子として機能していることが推測された。muc変異はKNOPF遺伝子として解析されていた遺伝子のミスセンスアレルであることがわかった。KNOPF遺伝子はタンパク質の翻訳後修飾の一つであるN-glycosylationに関与するα-グルコシダーゼIをコードしているが、他のKNOPF変異体はいずれも胚発生が途中で停止するという強い表現型を示すことが報告されていた。本研究で得られたmucアレルは非常に弱い機能欠損型アレルとして機能することが示唆され、mucアレルを用いることによって植物の発芽後の発生におけるα-グルコシダーゼIの機能を初めて明らかにすることが可能になった。

【第四章 OBERONと相互作用するタンパク質の単離と研究】

ERECTA遺伝子とOBERON遺伝子の関係をさらに詳しく調べるために、OBERON1と相互作用する因子を酵母2ハイブリッド法を用いて探索した。その結果得られたBIP2遺伝子の変異体は、大きくなるという表現型を示したことから、BIP2遺伝子はERECTA遺伝子とは逆に、器官サイズの負の制御因子として働いていることが示唆された。

野生型とbip2変異体との間で細胞の大きさには違いがないことから、BIP2遺伝子は細胞の増殖を制御することによって、器官サイズを調節していると推測された。先行研究では細胞周期を直接制御する遺伝子の変異体では器官サイズが変化することが報告されていたが、bip2-2変異体では細胞周期関連遺伝子の発現には変化がなかった。一方、細胞の増殖を制御することによって器官サイズを正に制御していると考えられている推定転写因子をコードしている遺伝子などの発現がbip2-2変異体では上昇していた。これらの解析によりBIP2の機能を推定した。

【第五章 EREC7A4遺伝子の発現を制御するEMU遺伝子の研究】

ERECTA遺伝子の発現を制御する分子機構に関する知見を得るために、ERECTA遺伝子の発現パターンが変化する変異体を探索した。このために、ERECTA遺伝子のプロモーターの下流にレポーター遺伝子を融合したキメラ遺伝子pER::GUSを導入した形質転換植物を変異源処理し、レポーターの発現パターンが変化する変異体を選抜した。その結果、レポーター活性を低下させる劣性変異であるEREC禍mRNA under-expressed(emu)変異を単離した。EMU遺伝子はERECTA遺伝子の発現の正の制御因子であると推測された。マッピングにより原因遺伝子を単離したところ、EMU遺伝子はmRNAの代謝に関わる複合体の主要な構成因子の一つであることが明らかになった。さらにemu変異はERECTA遺伝子以外にも花成の制御因子などの発現に影響を与えることを明らかにした。また、EMUとともに複合体を形成することが推定される因子の変異体についても解析を行ったところ、胚性致死の表現型を示した。これらの結果から、EMUタンパク質とその複合体が植物の発生において重要な役割を担っていることが示唆された。

以上のように、多細胞化に伴う細胞の分化と相互作用の分子機構について、申請者はモデル植物のシロイヌナズナを用いて新知見特に三つ以上の遺伝子の新規な機能を明らかにすることができた。

なお、本論文第3章は、米田好文との共同研究として発表済みであるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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