学位論文要旨



No 124028
著者(漢字) 片田江,舞子
著者(英字)
著者(カナ) カタダエ,マイコ
標題(和) 視細胞トランスデューシンγサブユニットにおけるファルネシル基の作用標的解析
標題(洋) Molecular Targets of the Farnesyl Moiety of Photoreceptor G-Protein γ subunit
報告番号 124028
報告番号 甲24028
学位授与日 2008.07.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5256号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 榎森,康文
 東京大学 教授 深田,吉孝
 東京大学 講師 名川,文清
 東京大学 教授 堅田,利明
 お茶の水女子大学 教授 小林,哲幸
内容要旨 要旨を表示する

視細胞特異的な三量体G蛋白質であるトランスデューシンは、視細胞外節膜において光シグナルの増幅を担う。トランスデューシンは、αサブユニット(Tα、43 kDa)、βサブユニット(Tβ、35 kDa)およびγサブユニット(Tγ、8 kDa)から構成されてされている。Tαにはグアニンヌクレオチド(GDPあるいはGTP)が結合しており、TβとTγは生理条件下において複合体(Tβγ)を形成している。TγのC末端は、S-ファルネシル化およびα-カルボキシルメチル化されており、これらの翻訳後修飾はトランスデューシンの分子間相互作用および機能発現に必須であることが示されている。一般的に、蛋白質に結合した修飾脂質は、その疎水的性質から蛋白質を膜に留めておくアンカーとして機能すると考えられている。一方で、修飾脂質が蛋白質-蛋白質間の相互作用を制御する役割をもつことが報告されている。例えば、TγのC末端ファルネシル化は三量体Tα Tβγの形成、すなわちサブユニット間相互作用に必須である。また、光受容体ロドプシンの活性化に伴ってTαに結合したGDPは細胞質中のGTPと交換されるが、このGDP/GTP交換反応にはTγのファルネシル化が必須である。しかしながら、Tγのファルネシル基がTα/Tβγ分子内で占める位置をはじめ、ファルネシル基が分子間の相互作用を制御する機構については未だ明らかとされていない。本研究では、光シグナル伝達過程におけるファルネシル基の作用標的を明らかにするため、光標識活性をもつファルネシルアナログを導入したTβγをもちいて修飾脂質の標的分子の解析を行なった。

まず、光親和標識活性をもつTβγを作製するために、酵素反応によるin vitro修飾経路を確立した。γサブユニットのC端のシステイン残基におけるイソプレニル化およびメチル化は、以下の3段階の酵素反応を経て完了する(図2)。(i) イソプレニル転移酵素 (Farnesyltransferase: FTase、またはGeranylgeranyltransferase: GGTase) によって、ファルネシルピロリン酸(C15)またはゲラニルゲラニルピロリン酸(C20)がC末端CAAX配列のシステイン残基に転移される。(ii) イソプレニル化された蛋白質の末端3残基AAXは、プロテアーゼ (Rce1; ras converting enzyme 1) によって切り出される。(iii) C末端に新たに露出したシステイン残基のカルボキシル基が、メチル基転移酵素 (Icmt; isoprenyl carboxyl methyl transferase) によって、S-アデノシルメチオニンを供与体としてメチル化される。これらのプロセシングを触媒する酵素を用いてファルネシル骨格上にアジド型光反応性標識基をもつアナログ(3-azidophenoxy)geranyl pyrophosphate (POG-PP、図1) およびメチル基を導入した光親和性Tβγ(POG-Tβγ-OMe)を効率よく作製することに成功した。作製したPOG-Tβγ-OMeが、G蛋白質としての機能を保持しているか否かを確認するために、POG-Tβγ-OMeのTαへのGTPγS結合促進活性を測定した結果、POG-Tβγ-OMeはTαのGDP/GTP交換反応を促進する活性を示した。これより、光親和標識ファルネシルアナログであるPOGによって修飾されたTβγは、G蛋白質としての活性を有する分子種であることが確認された。

次に、POG-Tβγ-OMeをもちいて、POGの先端とその近傍の構造を架橋固定することによりPOG基の作用標的の同定を試みた。具体的には、POG-Tβγ-OMeを含む分子複合体にPOGの吸収波長である300 nmの紫外光を照射した後に、架橋生成物をウエスタンブロット法により解析した。まず、POG-Tβγ-OMe単独で光親和標識を行なったところ、抗γ抗体および抗β抗体によって認識される43 kDaのTγ-Tβ架橋物が観察され、この結果からTβγサブユニットにおいてはTγのファルネシル基がTβの近傍に位置することが示唆された。また、TαとTβγが会合した三量体Tα/POG-Tβγ-OMeにおける光親和標識では、Tγ-Tβ架橋物に加えて、新たに抗γ抗体および抗α抗体によって認識される45 kDaのTγ-Tα架橋物が検出された。Tβγの構造解析ではTβのプロペラ構造内の'ファルネシルポケット'にγサブユニットのファルネシル基が位置する可能性が示されており、今回の結果と総合すると三量体Tα/Tβγにおいては、TαとTβとのサブユニット間における相互作用部位にTγのファルネシル基が位置すると推測される。

光受容体ロドプシンが光シグナルを受けて活性化ロドプシン(Rh*)になると、Tα-GDP/TβγはRh*に結合して複合体(Rh*/Tα-GDP/Tβγ)を形成する。このとき、TαのGDP/GTP交換反応が起こりTα-GTPおよびTβγはRh*から遊離し、それぞれのエフェクター分子や調節因子と相互作用する。Rh*はさらに別のTα-GDP/Tβγと会合して上記のサイクルをくり返すことにより入力した光シグナルは数百倍に増幅される。このように、光シグナルの増幅過程においてTβγが相互作用する相手分子は変化する。そこで、Rh*およびトランスデューシンによる光シグナル増幅の過程におけるTγの修飾脂質の作用標的を明らかにするため、POG-Tβγ-OMe、Tα、およびRh*を含むROS膜をin vitroで再構成し光親和標識を行なった。その結果、Rh*/Tα-GDP/Tβγ複合体において、TγのPOG基がRh*および低分子成分Xと架橋固定されることを新たに見い出した (図3)。さらに、GTPを添加することによりRh*からTα-GTPおよびPOG-Tβγ-OMeを遊離させると、Tγ-Rh*架橋物およびTγ-X架橋物は殆ど消失した。これらの結果は、受容体とG蛋白質との会合・解離に応じて、ファルネシル基の作用標的が変化することを示しており、特に、Rh*にTα-GDP/Tβγが結合する条件においてTγ-X架橋物が観察されたことは、ファルネシル基とXとの相互作用がRh*とTα-GDP/Tβγとの結合に機能的役割を果たしている可能性を示唆している。そこで、光活性化したロドプシンとトランスデューシンの会合状態における修飾脂質の役割を明らかにするため、低分子量成分Xの分子種の特定を試みた。

Tγ-X架橋物が膜画分に特異的に検出されたこと、およびXが低分子物質であることから、XはROS膜を構成する脂質成分である可能性が考えられるため、脂質分解酵素(ホスホリパーゼA2およびスフィンゴミエリナーゼ)に対するTγ-X架橋生成物の感受性を調べた。その結果、Tγ-X架橋物はホスホリパーゼA2によって酵素処理した場合にのみ検出されなくなったことから、修飾脂質が相互作用したXはROS膜内のグリセロリン脂質であると考えられた。続いて、リン脂質の分子種をさらに絞り込むため、5種類のリン脂質プローブをもちいてTγ-X架橋物のELISA解析を行なったところ、Tγ-Xは、ホスファチジルエタノールアミン(PE)およびホスファチジルセリン(PS)に対するリン脂質プローブによって特異的に認識された。一方、ホスファチジルコリン、PIP2、およびスフィンゴミエリンに対する脂質プローブではTγ-Xは殆ど認識されなかった。これらの結果から、Rh*とTα-GDP/Tβγが複合体を形成する際に、Tγのファルネシル基がROS膜内のPEやPSに作用することによってRh*とTα-GDP/Tβγとの相互作用が制御される可能性が示された。

以上をまとめると、光シグナル伝達において以下のファルネシル基の標的分子モデルが考えられる(図4)。(i) トランスデューシンが膜に結合存在した状態では、ファルネシル基はTβのファルネシルポケットに位置する。(ii)ロドプシンが光を受容して活性化すると、トランスデューシンはロドプシンと複合体を形成する。このとき、ファルネシル基はTβに加えて外節膜のグリセロリン脂質であるPEやPSと相互作用する。おそらく、Tγのファルネシル基はロドプシンと脂質膜との境界面に位置し、このときロドプシンを取り巻くPEやPSと相互作用すると推定される。(iii) 続いて、TαのGDP/GTP交換反応に伴って、GTP型TαとTβγがそれぞれロドプシンから解離するとTγのファルネシル基とPE、PS、およびロドプシンとの相互作用は消失し、Tβとの相互作用が残る。(iv) GDP結合型TαとTβγが会合した三量体 (水溶性状態) においては、Tγのファルネシル基はTα、あるいはTβと相互作用する。このようにファルネシル基が標的とする分子は、光シグナル伝達の各ステップにおいて変化し、ファルネシル基が動的な制御因子として機能している可能性が考えられた。

図1.POGピロリン酸とファルネシルピロリン酸の構造

図2.POG導入のプロセシング反応

図3.ロドプシン存在下における光架橋実験

図4.光情報伝達経路におけるファルネシル基の作用機構モデル

審査要旨 要旨を表示する

シグナル伝達に関与する蛋白質の多くは、イソプレノイド(ファルネシルまたはゲラゲラニル)による修飾を受けている。蛋白質に結合した脂質は、その疏水的性質によって蛋白質を膜に留めておくアンカーとして機能することに加えて、蛋白質-蛋白質間の結合や活性制御に必須である。視細胞特異的なG蛋白質であるトランスデューシン(Tα/Tβγ)のγサブユニット(Tγ)のC末端は、ファルネシル基およびメチル基によって修飾されており、Tα/Tβγの活性制御にこれらの修飾は不可欠である。しかしながら、Tγのファルネシル基がTα/Tβγ蛋白質分子内において存在する位置をはじめ、ファルネシル基による活性制御のメカニズムは未だ不明である。したがって、蛋白質に修飾した脂質がどのようなメカニズムによってシグナル伝達経路を制御しているのかを解析することは、蛋白質の翻訳後修飾の意義を推測する上で非常に興味深い。光シグナル伝達過程におけるファルネシル基の作用標的を明らかにするアプローチ法として、申請者は光親和標識活性をもつ新規のファルネシルアナログであるPOGを導入したTβγをもちいて修飾脂質が作用する標的分子の解析を行なった。

まず、申請者はファルネシル骨格上にアジド型光反応性標識基をもっアナログ(POG)によって修飾されたTβγを作製するために、酵素反応によるin vitro修飾経路を確立した。さらに、メチル基を導入した光親和性Tβγ(POG-Tβγ-OMe)を効率よく作製することに成功した。

次に、作製したPOG-Tβγ-OMeのPOG基の先端とその近傍の構造を光親和標識によって架橋固定することによりPOG基の作用標的の同定を試みた。具体的には、POG-Tβγ-OMeを含む分子複合体にPOGの吸収波長である300nmの紫外光を照射した後に、架橋生成物をウエスタンブロット法により解析した。まず、POG-Tβγ-OMe単独で光親和標識を行なったところ、抗γ抗体および抗β抗体によって認識される43kDaのTγ-Tβ架橋物が観察され、この結果からTβγサブユニットにおいてはTγのファルネシル基がTβの近傍に位置することが示唆された。また、TαとTβγが会合した三量体Tα/POG-Tβγ-OMeにおける光親和標識では、Tγ-Tβ架橋物に加えて、新たに抗γ抗体および抗α抗体によって認識される45kDaのTγ-Tα架橋物が検出された。Tβγの立体構造解析の結果からTβのプロペラ構造内の`ファルネシルポケット'にTγのファルネシル基が位置する可能1生が示唆されており、申請者は三量体Tα/Tβγにおいては、TαとTβとのサブユニット問における相互作用部位にTγのファルネシル基が位置すると結論付けた。

また、光活性化したロドプシン(Rh*)およびトランスデューシンによる光シグナル増幅の過程におけるTγの修飾脂質の作用標的を明らかにするため、POG-Tβγ-OMe、Tα、およびRh*を含むROS膜をin vitroで再構成し光親和標識を行なった。その結果、Rh*/Tα-GDP/Tβγ複合体において、TγのPOG基がRh*および低分子成分Xと架橋固定されることを新たに見い出した。さらに、GTPを添加することによりRh*からTα-GTPおよびPOG-Tβγ-OMeを解離させると、Tγ-Rh*架橋物およびTγ-X架橋物は消失した。これらの結果は、受容体とG蛋白質との会合・解離に応じて、ファルネシル基の作用標的が変化することを示しており、特にRh*とTα-GDP/Tβγが結合する条件においてTγ-X架橋物が観察されたことは、ファルネシル基とXとの相互作用がRh*とTα-GDP/Tβγとの結合に機能的役割を果たしている可能性を示唆している。そこで、申請者は光活性化したロドプシンとトランスデューシンの会合状態における修飾脂質の役割を明らかにするため、低分子量成分Xの分子種の特定を試みた。

Tγ-X架橋物が膜画分に特異的に検出されたこと、およびXが低分子物質であることから、XはROS膜を構成するの脂質成分である可能性が考えられた。そこで、リン脂質の分子種を特定するため、5種類のリン脂質プローブをもちいてTγ-X架橋物のELISA解析を行なったところ、Tγ-Xは、ボスファチジルエタノールアミン(PE)およびホスファチジルセリン(PS)に対するリン脂質プローブによって特異的に認識された。一方、ホスファチジルコリン、PIP2、およびスフィンゴミエリンに対する脂質プローブではTγ-Xは殆ど認識されなかった。これらの結果から、Rh*とTα-GDP/Tβγが複合体を形成する際に、Tγのファルネシル基がROS膜内のPEやPSに作用することによってRh*とTα-GDP/Tβγとの相互作用が制御される可能性が示された。

ファルネシル基が標的とする分子は、光シグナル伝達の各ステップにおいて変化し、ファルネシル基が動的な制御因子として機能している可能性を示し、さらにファルネシル基が作用する生体膜脂質を同定した本論文の成果は、情報伝達経路に見られる分子間相互作用メカニズムの解明に向けて重要な基盤を提供すると考えられる。

なお、本論文は萩原健一・和田昭盛・伊藤好允・梅田真郷・Patrick J.Casey・深田吉孝との共同研究であるが、論文申請者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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