学位論文要旨



No 124029
著者(漢字) 坪田,拓也
著者(英字)
著者(カナ) ツボタ,タクヤ
標題(和) spineless(ss)遺伝子の解析を中心としたショウジョウバエ付属肢及び体節の特異性決定機構の解析
標題(洋) Requirements of spineless(ss) for appendage and segment specificity determination in Drosophila
報告番号 124029
報告番号 甲24029
学位授与日 2008.07.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5257号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 多羽田,哲也
 東京大学 教授 能瀬,聡直
 東京大学 准教授 平良,眞規
 東京大学 名誉教授 西郷,薫
 東京大学 准教授 小嶋,徹也
内容要旨 要旨を表示する

高等動物の形態は前後軸に沿って多様化しており、この形態的多様性は、Hox遺伝子群と呼ばれる生物種問で高度に保存された一群のホメオボックス遺伝子によって制御されている。Hox遺伝子は、各々が前後軸に沿った特異的な領域で発現し、それぞれの領域の形態的な特徴を決定している。したがって、前後軸に沿った形態の多様化の基本的メカニズムは高等動物の間で共通であると考えられており、Hox遺伝子の解析を中心として、様々な生物で盛んに研究されてきた。しかしながら、その完全な理解のためには、未だ解明すべき点が多く残されている。

ショウジョウバエにおいても、前後軸に沿った形態の多様性決定メカニズムについて数多くの研究がなされており、触角(頭部体節の付属肢)と肢(胸部体節の付属肢)の特異性決定メカニズムの解析からは、Hox遺伝子が別の転写制御因子をコードするspindess(ss)の機能を介して働いていることが明らかにされている。本研究では、前後軸に沿った形態的多様性形成メカニズムのより深い理解を目指し、ssを制御する遺伝子やssによって制御される遺伝子についての詳細な解析を行った。

1)ssの下流で触角の特異性決定に働くdistal antenna (dan)/distal antenna-related (danr)の解析

ショウジョゥバエは完全変態昆虫であり、触角や肢などの成虫構造は、幼虫期の触角原基や肢原基と呼ばれる組織から形成される。ssは3齢幼虫期(終齢幼虫期)に触角原基及び肢原基の両方で発現するが、触角原基では強く継続的に発現するのに対して肢原基の将来肢になる領域では、3齢初期に弱く一過的にしか発現しない。肢原基での一過的な弱い発現は、肢の付節の分節化に重要であるが、触角と肢の区別には関係しない。一方、触角原基での継続的な強い発現により、触角の特異性が決定される。

ss下流遺伝子の単離を目的としたエンハンサー.トラップ系統の探索の結果、レポーター遺伝了が、触角原基ではssと同様のパターンで発現するが肢原基では発現しない系統を見出した。この系統の解析の結果、レポーター遺伝子の挿入点近傍に互いに相同的で機能が重複する2つの遺伝了を見出し、ssがこれら2つの遺伝子の発現制御を介して触角の特異性を決定していることを、これらの遺伝子について発表した他の2つのグループと同時期に、独立に見出した。以下、これらの遺伝子を dan 及び danr と呼ぶ。

Dan 及び Danr タンパク質それぞれに特異的な抗体を作成し、それぞれの発現パターンを詳細に解析した結果、調べたすべての組織において、両者共にレポーター遺伝子と同様の発現パターンを示した。 Dan/Danr の発現は、触角原基におけるssの変異クローンでは消失し、ssを肢原基で強制的に大量発現させると細胞自律的に誘導された。また、 dan 及びdanr の機能欠損では触角が肢様の構造に変化したが、両方を同時に欠損した場合に、より顕著に表現型がみられた。各々を肢原基で強制発現すると、肢に触角特異的な構造が形成され、これらの強制発現により、触角が肢に変換するss変異体の表現型がレスキューされた。さらに、 dan 又は danr を肢原基で強制発現すると、3齢初期に弱く一過的にssを発現していた領域で、3齢後期でもssの発現が維持されていた。これらのことから、ssは互いに重複した機能を持つ dan/danr の発現制御を介して、自身の発現の維持及び触角特異性の決定を行っていることが示唆された。

Dan/Danr は、DNA結合領域である PSQ 領域とコリプレッサーCtBPとの予想結合領域を持ち、抗体染色では核に局在していたことから、 DNA 結合性の転写制御因子であると予想された。 Dan/Danr の機能をさらに明らかにするために、辻拓也博士(現・国立遺伝学研究所)との共同研究で、以下の実験を行った。 SELEX 解析の結果、 Dan 及び Danr は共に、Aに富んだ配列を挟む二つのCGCG配列に強固に結合することがわかった。ゲルシフト解析の結果、Aに富んだ領域の長さが6-26塩基対であれば結合できることや、PSQ領域のみでも単量体として上記配列に弱く結合可能であるが、DanではC末端領域、 Danr では中央の領域を介してホモニ量体を形成することが強固な結合に必須であること、Dan の場合はPSQ 領域とC末端領域のみで強固なDNA結合には十分であることが示唆された。様々な領域を欠損させたDanを肢原基で強制発現させたところ、全長の強制発現でみられた肢から触角への変換が、PSQ領域を欠損したものやPSQ領域とC末端領域のみのものではまったく見られず、C末端領域の欠損したものでは非常に弱くしか見られなかった。これらのことから、少なくともDanについては、二量体形成を介した強固なDNA結合が、触角特異性決定に重要であること、及び、PSQ領域とC末端領域以外の部分にもDNA結合以外の機能的に重要な活性があることが示唆された。

2)ssの特殊な変異体ssamとそれに特異的な抑制変異体Su(ss(am))の解析

本研究の過程で、触角が肢に変換するものの肢の分節化は正常である新たなssの変異体ssaMと、この表現型を優性に抑制する致死変異体su(ssaM)を見出した。su(ssaM)は、ssaMと同様の表現型を示すssaとは相互作用しなかったため、ssaMとsu(ssaM)の間には特別な関係があり、これらについて解析することで、ssの機能や触角特異1生決定メカニズムに関して新たな知見が得られると期待された。

ssaMにおけるssの翻訳領域の塩基配列やmRNA の触角原基と肢原基での発現は正常だったので、抗Ss抗体を作成してSsタンパク質の発現を調べたところ、Ssタンパク質の発現量が触角原基では著しく減少していたものの肢原基での発現は正常だった。また、RNAスプライシングに関わる U5snRNP の構成因子をコードする prp8 の変異体が、Su(ssaM)の致死性を相補せず、ssaM の表現型を優性に抑制したことや、 su(ssaM)のホモ接合個体の胚でprp8の発現が消失していたことから、Su(ssaM) はprp8 の変異体であることが強く示唆された。さらに、タンパク質合成に関与する遺伝子の変異体(Minute変異体)やRNAスプライシングに関わる他の遺伝子の変異体も、ssaMと遺伝学的相互作用を示した。これらの結果から、触角と肢との問で異なるSsタンパク質の合成もしくは分解の制御及びそれに対するRNAスプライシングの関与という、新たなメカニズムの存在が予想される。

3)腹胸側剛毛(sternopleural bristle: SB)の形成におけるssの機能とHox遺伝子によるSB形成制御に関する解析

ショウジョウバエにおいては、Hox遺伝了であるAntennapedia (Antp)によって決定される第2胸部体節(T2)の形態が胸部体節の基底状態と考えられており、第1胸部体節(T1)ではSex combs reduced(Scr)が、第3胸部体節(T3)ではUltrabithorax (Ubx)といったHox遺伝子により、この基底状態が修飾されることで、それぞれの体節の特徴が決定される。ss変異体の表現型を解析する過程で、腹胸側剛毛(SB)と呼ばれる感覚器官がssの完全機能欠失変異体において欠損することを見出した。SBはT2特有の構造で、T1及びT3ではScr及びUbxによりその形成が抑制されている。そこで、SB形成におけるssの機能を調べ、それとHox遺伝了の機能との関連を探ることで、胸部体節における特異性決定メカニズムに関する重要な知見が得られると考えた。

SBは、T2肢原基の将来体壁に分化する領域内で、 proneural 遺伝子achaete(ac)を発現する一群の細胞からの感覚器前駆細胞(sensory organ precursor: SOP)の選択を経て形成される。ss変異体におけるこのacの発現は、発現の初期から著しく減少しており、最終的には消失してしまった。このことから、ssはSB形成において、acの発現誘導・維持に重要であることが示唆された。SB形成には、ホメオボックス遺伝子aristaless(al)が必須であることも知られていた0)で、ssとalの発現パターンを比較すると、両者は一部重なりを持ちながら隣り合って発現しており、その重なり部分でのみ、acが発現していた。ss変異体のモザイク解析やssの強制的な大量発現からは、ssはalの発現を抑制する活性を持っており、この抑制と正の発現調節のバランスによってss発現領域側のalの発現領域の境界が決定されており、それによって、SB形成に必要なacの発現領域を決定していることが示唆された。

SBが形成されないT1の肢原基では、ssの体壁領域での発現は見られず、Scr 変異体のモザイク・クローン内でacの発現を伴って異所的に発現したことや、ssの強制発現によってもacが異所発現したことから、Scrは、少なくともssの発現抑制を介して、T1でのSB形成を抑制していることが示唆された。これに対して、T3の肢原基ではssはT2と同様に発現しており、Ubxはssの発現とは無関係であったことから、Ubxは、Scrとは別の方法で、T3でのSB形成を抑制していることが示唆された。これらのことは、隣接する領域での似通った形態を、異なるHox遺伝子が異なるメカニズムで制御していることを示唆しており、Hox遺伝子による前後軸に沿った形態の多様性形成の新たなメカニズムを提唱するものである。

(図1)Danのドメイン解析。(A)は強制発現に用いたconstiructの模式図を示す。(B-G)ハエの成虫肢の写真。(B)野生型の肢。(C)Dll-Ga14によるdan全長の強制発現では肢は触角に変換する(矢頭)。PSQドメインのみ(D)、PSQドメインを欠損したもの(E)、PSQドメイン+C末端(F)の強制発現でほ特に表現型は観察されない。(G)C末端を欠損したdanの強制発現では、全長の強制発現と比較して弱い表現型を示す個体の割合が高い。矢頭はC末端を欠損したdanの強制発現による肢の先端の一部の次失を示す。

(図2)ssamのモザでク解析。触角原基におけるssamのクリーンではss mRNAの発現は変化しないのに対し(A.A"、マゼンタ)、Ssシンパク質の発現は低下する(B,B"、マゼンタ)。クローンはGFPのシグナール(緑)の喪失により特定される(A")、(B")はそれぞれ(A)と(A')、(B)と(B')を重ね合わせたもの。

(図3)野生型(A)及びss変異体(B)の成虫を横から見た写真。それぞれ白枠の部分の拡大図を右下に示してある。野生型で見られるsternopleural bristle(SB)(A)が、ss変異体では欠失している(B)。(C-E)野生型のT1、T2、T3肢原基の、将来体壁に分化する領域におけるSs(赤)、Achaete(Ac、緑)及びAristaless(Al、青)の発現。(C')はCの白枠の部分の拡大。(D')は(D)を緑の線で切つた断面図。SBのないT1ではSs、AC共に発現していないが(C.C')、SBの形成されるT2ではSsとAcの発現が見られる(D)。A1はSsと一部重なつて発現しその部分でAcの発現が見られる(D'、矢頭Ss、Ac、Alのシグナルが重なって白く見える)方SBのないT3ではSsは発現しているがAcの発現は見られない(E)。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、イントロダクション、材料と方法、結果、考察、結論の5章からなる。第3章は3部構成で、Iでは胸部の剛毛形成とホメオティック遺伝子(Hox遺伝子)機能との関連、IIではdistal antenna (dan)及びdistal antenna-related (danr)の同定、機能解析、およびDan・Danrタンパク質とDNAの相互作用について、IIIではspineless変異とスプライシング関連遺伝子との遺伝学的関係が述べられている。多くの多細胞生物は、前後軸に沿って形態が多様化しているが、本研究ではspineless(ss)遺伝子に着目し、その上流および下流を調べる事で、ショウジョウバエの付属肢や関連胸部体節の特異性決定機構について解析している。

前後軸に沿った各領域の形態的特徴は、それぞれの領域で発現する Hox 遺伝子により、デフォルトの形態が修飾する事で形成される。 Hox遺伝子がある領域に特異的な形態的特徴を制御する機構についてはこれまでよく研究されてきたが、複数の領域に共通する形態的特徴は、Hox遺伝子とは無関係なデフォルトの形態だと暗黙のうちに考えられてきたため、そのHox遺伝子との関わりや、異なるHox遺伝子が同じ形態的特徴を制御する機構については見過ごされてきた。ショウジョウバエの第一胸部体節(T1)、第二胸部体節(T2)、第三胸部体節(T3)では、それぞれ Sex combs reduced (Scr)、 Antennapedia (Antp)、 Ultrabithorax (Ubx)といった異なるHbx遺伝子が発現して各体節の特異性を決定している。T2特有の構造である stemopleural bristle (SB)の形成は、T1ではScrにより、T3ではUbxにより抑制されているが、その分子機構は不明であった。論文申請者はまず、ssがSBの pnoneural cluster における achaete(ac)の発現誘導・維持に必要である事、また同じくSB形成に必要なホメオボックス遺伝子aristaless(al)の発現境界を決定する事でacの発現領域を限定している事を明らかにした。更にScrや Ubxとssとの関係を調べた結果、T1では8crがssの発現を抑制する事によりSB形成を抑制しているが、T3ではUbxはssの発現と無関係にSB形成を抑制している事が分かった。この事は、SBが無いという同じ形態的特徴を作り出すためにScrとUbxは別々の機構で働いている事を示すと共に、T1とT3でSBが形成されないのは、これらの遺伝子によってT1とT3が単にデフォルトの形態に戻されているわけではない事を示している。本研究の結果は、Hox遺伝子は特定の領域に特異的な形態的特徴を制御しているだけではなく、進化の過程で別々に機能を獲得しながらも、複数の領域に共通する特徴を制御している場合がある事を示すものであり、今まで見過ごされてきた問題に対して重要な知見を与えるものである。

ssの下流で触角の特異性決定に関与する遺伝子の探索から、機能的に互いに冗長なdan 及び danr の2つのpsqドメイン・タンパク質をコードする遺伝子を見出した。両遺伝子共にssにより正に発現制御され、触角の特異性を決定していた。更に、Dan/Danrタンパク質を単離し、その生化学的特性を調べた結果、多量体を形成する事によりDNA上の複数の結合配列を同時に認識する性質が明らかとなった。この事は、 Dan/Danr が、クロマチン上の複数の結合配列を同時に認識して遺伝子制御をする転写制御因子のクラスに属する事を強く示唆している。

論文提出者が新規に獲得した、ssの触角特異的な変異体ssaMでは、mRNAの発現は正常であるが、Ssタンパク質の量が触角特異的に著しく低下しているという事を見出した。更に、ssaM変異体に特異的な抑制変異体 Su(ssaM)も見出し、これが U5snRNP 構成因子をコードする prp8 の変異体である事も明らかにした。また、他のスプライシング関連遺伝子の変異によってもssaMの表現型が抑制又は増強される事も分かった。この事から、触角の特異性決定には遺伝子の転写制御だけでなく、スプライシングや翻訳といった転写後制御も重要である事が示唆される。

以上、本研究ではssを中心に、ショウジョウバエ付属肢や関連胸部体節の特異性決定機構について調べたが、ここで得られた知見は新規なもので、発生分化の分子機構の理解に重要な寄与するものと考えられる。

本研究は、西郷薫、小嶋徹也との共同研究であるが、論文提出者が主体的に行ったものであり、論文提出者の寄与が十分あると判断する。従って,博士(理学)の学位に値すると認める。

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