学位論文要旨



No 124034
著者(漢字) 岡部,恭宜
著者(英字)
著者(カナ) オカベ,ヤスノブ
標題(和) 通貨金融危機の歴史的起源 : 韓国、タイ、メキシコにおける金融システムの経路依存性
標題(洋)
報告番号 124034
報告番号 甲24034
学位授与日 2008.07.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第835号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古城,佳子
 東京大学 准教授 木宮,正史
 東京大学 教授 荒巻,健二
 東京大学 教授 末廣,昭
 政策研究大学院大学 教授 恒川,惠市
内容要旨 要旨を表示する

1.本研究の目的と問題設定(第1章)

1990年代の通貨金融危機はいずれも、同じ「21世紀型金融危機」として扱われてきた。さらに、金融のグローバル化は各国間で経済政策の収斂をもたらすとの説が有力であり、その影響は後発発展国で、より顕著であったと考えられる。また世界銀行は、各国が金融セクターの健全化を進めることが経済成長のために望ましいと論じている。しかし、これらの条件にもかかわらず、危機の発生過程や危機後の金融再建に目を向けると各国間の相違が浮き彫りとなる。本研究の目的は、この違いの理由を説明することにある。

取り上げる事例は、韓国、タイ、メキシコである。その理由は各事例が次の点で共通しているため、体系的な分析が可能になるからである。第一に、危機が他国からの感染ではなく、国内の原因で発生したこと、第二に、危機後にIMF等の支援を受け、ネオリベラルな金融改革が求められたこと、第三に、民主的な政治体制で、危機後に政権交代があったことである。

各国の通貨金融危機の発生過程と金融再建について、そのアプローチと結果の違いの概要は以下の通りである。

韓国では、財閥が海外短期借入によって過剰な設備投資を行い、対外的な脆弱性が高まっていたところへ、財閥の破綻に対する政府の稚拙な対応が原因で、資本逃避が起こった(「企業・過剰設備投資型」危機)。

その後の金融再建は、「政府主導、迅速性、外資参入の部分的受入れ」という特徴を持っていた。金融機関の不良債権処理や自己資本の増強、銀行再編のいずれも、政府が主導的役割を果して、迅速に再建が進んだ一方、銀行セクターへの外資参入が部分的に認められた。

タイでは、銀行信用として流入した短期資本が、不動産や株式に向けられて資産バブルが生じ、バブル崩壊後、問題金融機関に対する政府の処理が市場の信頼を失い、資本が流出した(「金融機関・資産バブル型」危機)。

金融再建は、「市場主導、漸進的、限定的な外資参入」という特徴であった。不良債権処理や資本増強は銀行の自助努力に任され、進捗も漸進的だった。外国銀行の参入は三ヶ国で最も少なく、大規模な金融再編は行われなかった。

メキシコでは、海外短期資本が政府債券向けを中心に流入していたが、国内の政情不安や米国の金利上昇のために流出し始めた。これに対して政府が採った経済政策や債券管理を、市場が評価せず、危機が発生した(「政府・ポートフォリオ投資型」危機)。

金融再建は「政府主導、中程度の進捗、外資の大幅参入」と特徴付けられる。政府主導で再建が進められた一方、外資の参入を大幅に認めた結果、現在、銀行セクターは外国銀行に支配されている。

以上の違いを説明する対抗仮説として、危機の深刻度、政府・ビジネス関係、政治制度や中央銀行の独立性、という3つの要因に基づく仮説があるが、いずれも不充分である。

2.経路依存性アプローチ(第2ー3章)

これに対して、本研究は、経路依存性アプローチを使って、政府と企業と銀行の三者関係(=金融システムと定義)を歴史的に分析している。本研究の主張は、危機と金融再建の歴史的起源が、1960年前後に採用された金融システムにあり、各国が過去に選択した金融システムが異なっていたために、結果に違いが生じた、というものである。

経路依存性の分析枠組みとしては、初期条件、決定的分岐点、制度の持続、制度の変化、社会的帰結、の諸段階で表され、これに沿って各事例は分析される。

まず、各国の金融システムは、次のように分類できる。韓国は「企業還元型金融システム」である。政府による金融市場への介入の程度が強く、優遇金利や信用割当などレントが企業に還元された。タイは「銀行還元型金融システム」で、政府の介入は弱く、参入規制など、レントは銀行に還元された。メキシコは「政府吸収型金融システム」で、政府介入は強いが、インフレ抑制と赤字財政ファイナンスのため、政府がレントを吸収した。

これらの金融システムは、どのように成立し、持続していったのか。制度の成立には歴史的、構造的な初期条件が影響すると考えられているが、本研究では、三つの金融システムが成立したのは、社会の危機を背景にした偶発的な政治過程によるものであり、工業化のタイミングや植民地の遺産など、当時の初期条件によるものではなかったと論じている。初期条件は、政府が採用し得る金融システムの選択肢を提供するにとどまっていた。すなわち、以下で見る各国の政治過程が、金融システムの歴史的な起源(=決定的分岐点)であった。

3.金融システムの成立と持続(第4-5章)

韓国の朴正煕政権は、経済危機を背景に、当初は輸入代替工業化を推進するため、メキシコのように国内貯蓄を吸収しようと試みた。しかし、その試みは、貯蓄不足と企業や米国の反対によって、失敗した。こうして、別の金融システムの選択肢が挫折したために採用されたのが、「企業還元型金融システム」だった。

この金融システムの下で、企業は輸出を拡大し、経済が大きく成長した。政府も、政権の正統性を獲得でき、制度は持続した。

タイでは、サリット軍事政権が、インドシナの共産化の脅威を感じており、また残存する政敵との対立も抱えていた。そこへ、米国や世界銀行が経済・軍事援助を梃子に、政府が介入しない、民間主導の経済運営を勧告すると、サリットはこれを受け入れた。他方、貯蓄増大を望む中央銀行が、商業銀行の要求に応じた結果、銀行業への参入が禁止された。

この「銀行還元型金融システム」の下で、銀行はインフレ抑制や業界保護という利益を得られ、それが内外投資の環境整備にも繋がり、工業化が進展した。

メキシコでは、実質賃金の悪化や共産主義の影響で、労働運動が激化し、与党PRIの政治支配を脅かしていた。当時のロペス・マテオス政権は、インフレを抑制すると同時に、社会支出を拡大する必要に迫られ、そのために採用したのが「政府吸収型金融システム」であった。

従って、その成果を享受したのは政府であり、内外の資金を準備金や対外債務の形で吸収することで、インフレを抑制し、財政赤字を賄った。しかし企業と銀行は、1970年代に政府吸収が強化されて、インフレが昂進し、民間投資が逼迫すると、不利益を被った。

4.金融自由化、通貨金融危機の発生(第6ー7章)

こうして持続した金融システムも、次第にその「弊害」が露わになってくるため、各国政府はその対処として制度変化、つまり金融自由化を始めた。しかし、「弊害」が、自由化後も解決されずに存続したり、金融システムが新たにリスクを抱え込んだりしたために、通貨金融危機が発生した。

韓国の1980年代からの金融自由化は、インフレと、財閥の債務依存や肥大化という「弊害」に対処するものだった。そのため、銀行は民営化されても、財閥への融資は制限された。他方、対外資本取引の自由化では、短期資本が優先された。これにより、財閥は海外から大量に借り入れを行い、過剰な設備投資に邁進した。それは、政府による暗黙の債務保証という金融システムの「遺制」が、モラルハザードを生んでいたからである。その結果、「企業・過剰設備投資型」危機が発生した。

タイの金融自由化の契機となったのは、経済競争力の弱さや貯蓄投資ギャップのほか、金融財閥の経済支配を打破したいという政府の意向であった。この動きに対し、銀行は参入規制の緩和に強く反対した一方で、対外資本取引の自由化は歓迎した。銀行は、寡占体制と政府による業界保護を背景に、モラルハザードを起こし、不動産や株式への貸出を増やした結果、資産バブルが生じ、「金融機関・資産バブル型」危機に至った。

メキシコでは、1982年に債務危機があったが、政府は銀行国有化でこれに対処しようとした。そのため民間との関係が悪化し、民間投資も減少した。政府はこの「弊害」を克服するため、金融自由化を開始し、銀行の民営化、証券市場の整備を進めた。同時に、政府の赤字財政ファイナンスの方法が、市場での債券発行にシフトした。他方、政府はこうした金融自由化に対する国内の政治的支持を得るため、財政支出を増大させた。しかし、海外短期資本に依存した財政ファイナンスは対外的に脆弱なものであり、海外投資家が政情悪化や経済政策の運営に敏感に反応して、「政府・ポートフォリオ投資型」危機が起こった。

5.金融再建(第8章)

危機後の金融再建は、危機の発生過程と同様、金融システムの発展経路の違いに基づいて、各国毎に異なっていた。理論的には、金融再建の政策には様々な選択肢があるが、特定の政策が個々の国で採用されたのは、金融システムの経路依存的な影響がほかの選択肢を排除したからである。

韓国で、政府主導アプローチが選択されたのは、「企業還元型金融システム」の「遺制」、すなわち、政府の組織や人事の面で市場介入主義の伝統が存続していたためだった。外資参入の部分的緩和は、政府が、財閥による銀行所有を引き続き制限していたため、問題銀行の引き受け手がほかになかったからだった。

タイが、市場主導アプローチを選択したのは、「銀行還元型金融システム」の「遺制」、すなわち非介入主義、市場主義という政府の伝統の影響があった。また、銀行の寡占体制が続いたことで、銀行の選好が実際の政策に反映されやすく、市場主導アプローチを支えるとともに、外国銀行の参入を極力制限する結果となった。

メキシコの政府主導で市場志向的な金融再建は、一方では政府介入の「遺制」に基づくものであったが、他方で、政府の思想が市場主義に転換したことに基づいていた。この転換は、1982年と1994年の二度の債務危機、つまり「政府吸収型金融システム」の「弊害」を経験した強い危機感から生じていた。

〔以上〕

審査要旨 要旨を表示する

本論文「通貨金融危機の歴史的起源--韓国、タイ、メキシコにおける金融システムの経路依存性――」は、1990年代に新興市場経済諸国を襲った「21世紀型」の通貨金融危機の原因と結果を、独自の解釈で精緻化した経路依存性アプローチを使って分析した作品で、40年に及ぶ時期について三カ国を比較する大作である。

本論文は三部九章からなっている。第一部(1~2章)は、先行研究を検討した上で、著者独自の経路依存性アプローチの枠組みを提示する部分である。第二部(3~6章)で著者は、第一部で示した経路依存性アプローチに従って、初期条件、決定的分岐点、制度の持続、制度の内生的変化のそれぞれについて、三カ国を比較しながら分析する。ここでは通貨金融危機に至る過程と原因が三カ国で異なるのはなぜなのかが分析される。第三部(7~9章)では危機の発生とそれへの対応が分析される。これらも国によって異なる特徴を示すのは、やはり制度の遺制と弊害に起源があることが示される。

まず第一部の第1章では韓国、タイ、メキシコで起こったことは同じ「21世紀型金融危機」であったが、危機の発生過程は各国間で異なり、危機への対応も異なることが示される。すなわち韓国では財閥企業による多額の銀行借り入れによって「企業・過剰設備型」危機が生じたが、政府主導で公的資金の投入などの金融再建策が迅速に実施された。それに対してタイでは、外部から取り入れられた資金は国内貸し付けを通じて不動産や証券売買などにあてられ、資産バブルを発生させたという意味で、「銀行・資産バブル型」危機が発生した。それへの対応は、銀行の自力増資と民間資産管理会社を中心とする市場主導の漸進的な金融再建だった。メキシコの場合、短期資本は政府債権を中心とするポートフォリオ投資の形で流入し、「政府・ポートフォリオ型」の危機をもたらした。それに対して政府は資本増強や不良債権処理を支援したが、同時に外資による銀行買収を認めるなどの市場指向性も示した。

第2章は、第1章で示された危機発生の原因と結果を説明するための枠組みを提示する章である。「工業化のタイミングと段階」「国内政治経済の構造」「過去の遺産」からなる初期条件を前提として、何らかの社会的危機をきっかけとして進む偶発的な政治過程を経て、一定の金融システムが形成される。これが「決定的分岐点」である。一度できた制度はアクターに成果をもたらすので、彼らは制度を存続させようと努力する。しかし時間の経過とともに制度が金融市場の機能障害をもたらすようになったり、アクター間のパワーバランスを不安定化させたりという制度の「弊害」が生じると、それが金融自由化など制度変化へ向けての圧力となる。しかし制度変化にもかかわらず、残存する制度の「弊害」と「遺制」(従前の制度の特徴やその下で残存する行動様式)が通貨金融危機を発生させるが、金融再建の方向も同じ「弊害」や「遺制」から影響を受ける。著者のアプローチの特徴は、通常の経路依存論が制度の変化を外生的要因による次の決定的分岐点と見るのに対して、制度の作動によって内生的に生じる制度変化に注目し、それを危機の特徴と危機への対応の説明に結びつけたところにある。

第二部の4つの章は、初期条件から制度変化にいたる各段階の分析にあてられている。初期条件については(第3章)、3カ国とも同じ第四世代工業化国であり、「強い国家」であったにもかかわらず、異なった金融システムを持つようになったこと、過去の遺制も十分な説明力を持たないことから、「偶発的な政治過程や事件」に目を向けることが必要だと指摘する(第4章)。韓国では初期条件からすれば、政府吸収型の金融システムができてもおかしくなかったが、低い国内貯蓄や外貨不足、そしてアメリカ政府・IMFの反対に直面した政府は、残余的な政策として、労働集約型商品の輸出による工業化路線を採用せざるを得なくなった。結果として政府は、それを担う民間企業への低利融資や海外借入れの割当てという金融政策をとるようになった。タイでも初期条件そのものではなく、緊迫するインドシナ情勢を背景とするアメリカ政府の圧力、そして軍内部の指導権争いや政権を握ったサリット将軍の思想などが作用した結果、銀行還元型の金融システムが形成されていった。最後にメキシコでは、反政府的な労働運動の盛り上がりとキューバ革命の影響による制度的革命党(PRI)体制の危機に対処するために、政府がインフレを抑制しながら公共支出を伸ばす必要に迫られ、それが政府吸収型金融システムの形成をもたらした。

第5章は、「決定的分岐点」で形成された制度がいかに持続したかを分析した章である。ここでは3カ国とも中心的アクター――韓国では財閥企業と政府、次いで銀行、タイでは銀行と企業と政府、メキシコでは政府、次いで企業と銀行――が制度から経済成長や政治的正統性といった利益を得たこと、補完的な制度ができて金融システムを側面から支えたことによって、一方で矛盾を蓄積しつつも、システムが全体として維持されたことが主張される。

第6章は、制度の機能によって生じる「弊害」――インフレや累積債務など金融システムの機能不全とアクター間のパワーバランスの不均衡化――に各国が対処しようとした結果、どのような経路を経て特定の金融自由化政策が実施されるに至ったかが分析される。韓国では「企業還元型金融システム」の下でチェボルの債務依存が極端に高まり、インフレも悪化し、チェボルへの富の集中も社会問題となった。そこで財閥を抑制するために、政府は金融自由化措置を開始するが、大きくなりすぎた財閥企業を倒産させることは経済的影響が大きすぎて困難だったから、政府管理下の銀行民営化やチェボルへの信用割り当て制限をおこなう一方で、ノンバンク規制を大幅に緩和した。金利自由化も徐々におこなった。対外資本取引も企業支配につながらない短期資本取引の自由化が先行した。しかし、政府による暗黙の債務保証という「企業還元型金融システム」の遺制の下で、金融機関は短期資金を長期に運用し、その融資を受けたチェボルは債務依存を深めつつ、さらに肥大化することになった。タイの「銀行還元型金融システム」は所有の集中という問題と、国内産業への金融仲介や国内貯蓄動員という面での低い効率性という弊害を引き起こしたので、政府は正統性の維持と金融部門の強化をめざして金融自由化を進めようとしたが、銀行の強い反対に直面したために、参入規制緩和は後回しになり、金利の自由化や対外資本取引の自由化が先行した。バンコク・オフショア市場(BIBF)のOut-In取引は認められたのに、プルーデンス規制が伴わなかったために、金融機関による短期資金の大量取り入れと、非生産部門への貸し出しが増え、バブルを生じさせたのだった。メキシコでは「政府吸収型金融システム」の矛盾が蓄積されて累積債務危機が発生すると、政府は銀行を国有化して「政府吸収型金融システム」をいっそう強化させることで乗り切ろうとした。しかし国有化された銀行には民間貯蓄を生産セクターへの投資へと仲介する力がなかったために、政府は準備金制度と預金金利規制を廃止した上で、銀行を民営化した。準備金制度の廃止後政府赤字をファイナンスするために、政府は債券発行によって市場から資金を調達するようになった。

第三部は通貨金融危機の発生と、その後の金融再建についての分析にあてられる。第7章では各国の金融システムの「遺制」と「弊害」が金融自由化後も存続して通貨金融危機を発生させたことが説明される。韓国では金融自由化によっていっそう肥大化し、資金面で政府から自立したチェボルが、金融機関が海外から短期で借り入れた資金を、長期の設備投資に回す競争を展開した。チェボルは政府が倒産させるはずはないというモラルハザードの下、リスクを軽視した投資を続け、その結果「企業・過剰設備投資型危機」が発生することになったのである。タイでも金融自由化を利用した銀行が外国から大量の短期資本を取り入れたが、それを不動産・証券などに投資したしたところが韓国とは異なる。「銀行還元型金融システム」の下でモラルハザードに陥っていた銀行はリスクを軽視した投資を続け、民主化後金融機関との癒着が進んでいた政党政府も破綻寸前のファイナンス・カンパニー(FC)にたいして迅速な処理ができず、「金融機関・資産バブル型危機」を招来した。メキシコでは新しい財政赤字ファイナンスのメカニズムとして、市場における各種国債の発行がおこなわれた結果、短期のドル資金への依存が高まった。それに、為替レートの増価、経常収支赤字の拡大、政治情勢の悪化、膨張的財政政策などが重なり、「政府・ポートフォリオ投資型危機」に直面することになった。

第8章では金融危機後の再建策も3カ国それぞれの金融システムの「遺制」と「弊害」を色濃く反映したものであることが明らかにされる。韓国では政府が銀行経営を管理・指導した「企業還元型金融システム」の遺制を反映して、政府が不良債権処理、資本増強、銀行再編のすべてにおいて強く介入した。その結果金融市場の安定化が迅速に進み、外資の銀行支配も中程度ですんだ。タイでは韓国とは逆に、銀行側が強い影響力を維持する「銀行還元型金融システム」の下で、資本増強も不良債権処理も民間主導で行われ、政府の役割は限定的だった。外資参入に対しても韓国より抑制的で、金融再建は全体として漸進的だった。「政府吸収型金融システム」のメキシコでは、不良債権処理も資本増強も政府主導でおこなわれたが、銀行再編にあたっては外資の参入を全面的に認めたところが韓国とは異なる。メキシコでは2度にわたる危機によって旧来のシステムの弊害があまりにも大きいことがわかったため、政府エリートの思想が大きく変化した結果、メキシコの金融システムは完全に市場型へ転換したと見るべきであるというのが著者の主張である。

以上のような内容をもつ氏の博士論文については、多くの優れた点を指摘できるが、特に次の三点に注目すべきであろう。

何よりもまず本論文は、韓国、タイ、メキシコという3カ国における通貨金融危機の発生とそれへの対応を、およそ40年間の時期を射程に入れて分析した大作である。しかもスケールが大きいにもかかわらず、大ざっぱな説明に陥らず、自分が最初に提示した分析枠組みを常に踏まえながら、最後まで説得的に論じきった力量は高く評価されるべきである。

第二に、本論文は「経路依存性アプローチ」精緻化への貢献という面でも評価されるべきである。まず3カ国比較を通して、決定的分岐点での社会危機下で新たな制度形成が促される場合、類似の初期条件でも異なった制度が形成されること、したがって、制度が形成される「偶発的」な政治過程を詳細に追う必要があることを明らかにした。さらに制度変化についても、従来言われていた外生的で断続的な変化ではなく、制度の機能による内生的な変化が重要な役割を果たすことを分析して見せた。

第三に、上で述べた点とも関連するが、対外的に脆弱な経済を抱えているために、もっぱら外部から変化を促されると思われがちな発展途上国でも、内部の偶発的な政治過程次第で異なった制度をもつようになり、また同じようなグローバル経済の影響下でも、異なった制度変化の様相を示すという点を明らかにした。これは発展途上国のポリティカル・エコノミー研究の深化に貢献しうる指摘である。

以上のように本論文の貢献は大きいが、不十分な点がないわけではない。第一に、制度の内生的変化を強調するあまり、外生的要因と内生的要因の比較考量をおこなっておらず、外生的要因のほうが決定的であるかもしれない可能性を十分に検討しているとは言い難い。第二に、本論文の枠組み――最初の制度形成は偶発的要因に左右され、その後の持続と変化は最初の制度の弊害と遺制に左右される――で説明できる事例のタイプには、今回扱った3カ国の金融危機以外にどのようなものがありうるかが必ずしもはっきりしない。第三に、筆者は「金融システム」を政治学的にアクター間の関係とレント配分として定義する一方、その機能を金融仲介・貯蓄動員等の経済学的側面から捉えており、その間の関係が必ずしも明確ではない。

しかし、以上のような諸点は容易に修正可能な問題点であり、本論文の価値を少しも損なうものではない。3カ国の金融システムの形成と変化、そして、その結果としての危機と再建を、自ら再構成した経路依存性アプローチを使って描ききった壮大な作品として、本論文は学界に貢献するところ大である。

したがって、本審査委員会は本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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