学位論文要旨



No 124037
著者(漢字) 大竹,弘二
著者(英字)
著者(カナ) オオタケ,コウジ
標題(和) 正戦と内戦 : カール・シュミットの国際秩序思想
標題(洋)
報告番号 124037
報告番号 甲24037
学位授与日 2008.07.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第838号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山脇,直司
 東京大学 教授 柴田,寿子
 東京大学 教授 森,政稔
 東京大学 教授 高橋,哲哉
 東京大学 教授 酒井,哲哉
内容要旨 要旨を表示する

本論文が目的とするのは、カール・シュミット(1888-1985)の国際秩序思想とその理論的背景の解明である。そのさい、彼の全生涯にわたる思想行程をその時々の政治状況との関連で時系列的に検討したが、そこから明らかになるのは、しばしば機会主義的に思える彼の政治的立場が、普遍主義(「場所喪失(Entortung)」)に抵抗する「場所確定(Ortung)」への要求に一貫して導かれたものであったということである。

第一章では、1910年代のシュミットの「決断主義」と「フィクション主義」の立場が、30年代のナチス期に彼が主張した法学闘争とどう連関しているのかを追究した。初期シュミットには二つの特徴が見て取れる。一方では、法規範の内容そのものよりも、法規範を適用もしくは実現する実践(すなわち「決断」)に注目する立場。これを示すのが、裁判官の司法決断を扱った『法律と判決』(1912)や、国家による法理念の実現を論じた『国家の価値と個人の意味』(1914)などの著作である。他方では、人間の生の現実は法や理念といった「フィクション」によって形作られているとする立場。ここから、政治秩序を構成するのは単なる力ではなく、言語や概念のような理念的な契機であるというシュミットの立場が出てくることになる。以上の二点から、彼にとっての政治抗争とは、まさに法概念や言葉の解釈と適用をめぐる言説闘争として現れる。シュミットは20年代から国際法の解釈と運用を通じた帝国主義支配に注目し、ナチス期には、旧来の西欧自由主義法学とはまったく異なる民族固有の法思想を打ち立てることにドイツの政治的自立がかかっていると主張するが、このことは、シュミットが法学者として、政治をあくまで法概念の闘争として把握していたことを示している。

第二章では、ヴェルサイユ=ジュネーヴ体制下の国際連盟(Volkerbund)を批判して、真の「連邦(Bund)」の構築を目指した両大戦間期のシュミットの構想を検討した。シュミットは23年のルール占領に示されるようなドイツの苦境を眼前にして、いかなる正統性原理も欠いた国際連盟が戦勝列強の恣意的に運用できる道具に堕していると批判する。そして、「民主主義」という「正統性」の原理を共有する「同質的な」諸国家から成る「真の連邦」を提起するのである。そうして彼は国際連盟が「真の連邦」に改良されることを期待するわけだが、30年代になって、アメリカ帝国主義による世界干渉の実践と、民主主義という観点から見て「異質な」国家であるソ連の加盟により国際連盟の「同質性」が決定的に解体されたのを目撃することで、国際連盟への期待を放棄することになる。民主主義的正統性を共有する主権国家同士の秩序として「真の連邦」を考えていたシュミットであったが、1930年代後半には、国際法の普遍主義化がもたらした正戦論(「差別化する戦争概念」)と全体戦争(総力戦)によって、近代主権国家体制そのものが限界に来ていることを認識するようになり、それとともに、諸国家による連邦主義のビジョンをも断念するに至るのである。

第三章では、第二次大戦期のシュミットの広域秩序構想とその挫折について考察した。30年代末には近代国際法の主体としての主権国家への信頼を放棄したシュミットが、近代主権国家体制に代わる新たな国際法秩序として提起したのが、「ライヒ」と「広域」から成る秩序であった。アメリカのモンロー主義をモデルとした広域秩序は、域外列強の普遍主義的干渉に対抗しうるようなヨーロッパ秩序として構想されている。この構想がナチスの拡張政策に対応していることは事実だが、しかし、シュミットはこれを彼特有の空間(ラウム)理論に基づく「国際法的な」秩序として考えており、「民族的な(volkisch)」広域秩序を主張する他のナチスの理論家とは一線を画していたと言える。戦後に出版される『大地のノモス』(1950)の基礎となった40年代前半の諸論文において、シュミットは主権国家中心的なヨーロッパ国際法の勃興と没落を考察しながら、それが誕生した16、17世紀に匹敵する新たな「空間革命」が、いまや広域形成とともに始まりつつあると期待した。これはシュミットにとって、これまでは経済と産業革命(技術)を全世界的に推し進めた海洋勢力イギリスによって破壊されてしまっていたような、ヨーロッパ固有の具体的な土地に根ざした国際法秩序への回帰にほかならなかった。だが、アメリカ参戦以後の戦局の悪化に伴い、今度はシュミットはアメリカの人道的干渉主義の起源の分析に関心を寄せるようになり、いまや広域秩序が具体的空間秩序を喪失させる米ソ両世界大国に敗北しつつあるとの悲観的見解を抱くようになるのである。

第四章では、シュミット周辺の知的サークルで戦後に展開された「世界内戦」論を検討するとともに、その基礎をなす「歴史の終焉」という時代診断の歴史哲学的・神学的な理論的背景を明らかにした。戦後シュミットの最大の関心は、技術がひき起こす「場所喪失」の問題にほかならなかった。彼は、冷戦下の米ソは互いに普遍主義的なイデオロギーを掲げて抗争しつつも、結局はともに技術を通じた世界のプランニングと行政管理を目指していると考えた。彼にとって、このような「世界の統一」による歴史の完成というのは、具体的秩序を無化する最悪のビジョンにほかならなかった。シュミットはこうした近代の歴史哲学的な進歩史観に対して、普遍史的な終末に向かって加速する歴史を「抑止」し、特定の場所に根ざした秩序を打ち立てる政治的権威の理念、すなわち「カテコーン」というキリスト教の理念を対置する。そして彼は、このカテコーンの敵を、あるときはブルーメンベルク的な近代主義に、あるときはペーターゾーンの反政治神学的な教説に、またあるときはユダヤ教のうちに見たのである。だが、戦後の高度産業社会は、内戦抑止という16世紀以来の国家の任務を古びたものにし、国家をむしろ技術的・経済的発展のための一機能に変質させることで中立化と脱政治化を完成するかに見えた。シュミットはこうした産業社会の到来のうちに「世界内戦」の危険を見、とりわけ、国家の、さらには歴史の終焉についての楽観論を代表するコジェーヴとのあいだで論争を展開するのである。

第五章では、60年代のシュミットによるパルチザンの理論の展開と帰結について究明した。産業社会の一機能と化した国家への信頼を捨てたシュミットは、ユンガーやロルフ・シュレールスから示唆を得て、国家に代わる「政治的なもの」の新たな担い手をパルチザンに託そうとした。シュミットにとっての範型は、19世紀初頭のプロイセン・パルチザンである。フランス革命とナポレオン戦争への応答として生み出されたパルチザン戦争の理念は、一方では、17、18世紀の国家間の官房戦争の枠組(「慣習的敵対」)を破壊するほどの敵対に至るが、他方では、自分たちの土地に根ざした人民の戦争であるがゆえに、いまだ具体的な空間秩序を無化する「絶対的敵対」をひき起こすことはないとされる。こうして「土着的パルチザン」の「現実的敵対」に新たな「場所確定」の可能性を見出そうとしたシュミットであったが、しかし同時に、プロイセンの軍事改革者たちによるパルチザンの理論がエンゲルスやレーニンといったマルクス主義革命家に受け継がれることで、それが「世界革命的なパルチザン」の「絶対的敵対」へ変質する過程も認めざるをえなかった。さらに、いかなるパルチザンであれ、第三国による物質的支援、さらには(自らの闘争に正統性を与えてもらうという)イデオロギー的な支援を通じて、固有の土地から切り離されて不可避的に世界政治の舞台に引き込まれるという事態も存在する。シュレールスから借用したこのいわゆる「利害関係ある第三者」の理論によって、シュミットはパルチザンによる「場所確定」の限界をも認識することになったのである。

第六章では、戦後にシュミットが提起した諸々の理論問題を、戦後の現実政治との関連で検討した。まず、自らの学説のナチスによる政治利用を、公共空間で普遍的に利用可能となった学問(とりわけ法学)が脅かされている技術化と機能化の一例とみなし、一回的な場所確定の回復を「秘奥(Arcanum)」の名のもとで希求した戦後シュミットにおける公共性と秘密との理論的関係を明らかにした。次に、シュミットはナチスの権力構造の分析から、権力者への権力集中が彼へのアクセスをめぐって側近たちが闘争する空間(「権力の前室(Vorraum)」)を拡大させ、かえって権力者を無力にするという、「権力と無力の弁証法」を見て取ったが、こうした執行権力の恣意が働く空間の発見が、かつての主権的決断の理論の前提に決定的な変更を迫るものであることを解明した。さらに、憲法裁判所の設置等に見られる戦後西ドイツにおける憲法保護の諸方策が、法秩序の前提たる「正常性(Normalitat)」の確保によって「合法的革命」を予防するというシュミットの理論に即したものであったことを示したうえで、こうした考えが60、70年代の左翼反乱という情勢のなかで、イデオロギー化した秩序の「正常性」を守るために憲法の実定条規を超えた例外的措置を日常的に拡大させるという状況を生み出したことを明らかにした。そして最後に、70年代以降の新保守主義の台頭のなかでシュミットの理論がいかに受容されているかについて概観した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、ドイツの政治思想家・法思想家として、1910年代から晩年の1980年代半ばまで多彩な業績を残したカール・シュミットの思想を、包括的に論考した労作である。

これまでわが国では、カール・シュミット政治思想に関しては、「友と敵」区別に基づく理論や、例外状況を決断する者としての主権者、民主主義と独裁の両立論など、その特異な思想が断片的に論じられることがあっても、包括的に論じられることは少なかった。また、彼の思想の背景や根源をカトリシズムに求め追究した大著はあるが(たとえば、和仁陽『教会、公法学、国家――初期カール・シュミットの公法学』東京大学出版会、1990年、古賀敬太『カール・シュミットとカトリシズム――政治的終末論の悲劇』創文社、1999年)、それらも、彼の思想全般を細部にわたって体系的に論じたものではなかった。また特に、シュミットが第二次大戦後発表した『大地のノモス』『政治神学II』『パルチザンの理論』などにみられる思想が、第二次大戦前と戦中期におけるシュミットの政治思想とどう関連するかという問題についての本格的研究は、ほとんどなかったと言ってよい。そうした空白を埋めるべく、本論文は、膨大な一次資料を基に、豊富な二次文献にも十分留意しながら、シュミットの政治思想を、体系的・包括的・批判的に論じきった点に大きな特徴を持っている。

まず著者は序論で、シュミットにほぼ一貫してみられた「反普遍主義思想」が、彼独自の「場所喪失論」と密接に結びついていたことを指摘する。シュミットにとって、国家主権を超えた普遍的国際法思想とは、ヴェルサイユ条約にみられるように、ドイツの主権を剥奪し、戦勝国が主導権を握るための欺瞞的装置であったし、第二次世界大戦を裁く根拠とされた「人道に対する罪」という名の普遍主義も、戦勝国が「人類」という居場所のない抽象概念によって敗戦国を裁く欺瞞にすぎなかった。しかし他方でシュミットは、ナショナリズムとは一線を画すような形で、国家を超えた「広域秩序」や「ヨーロッパ公法」を肯定的に提起している。この一見矛盾するような彼の思想を、どのように解明したらよいだろうか。著者は、こうした問いに導かれながら、初期から晩年に至るシュミットの思想を丹念に検討していく。

第一章では、1910年代から1930年代半ばまでのシュミットにおける決断主義がどのようなコンテキストで形成され、展開されたかが論じられる。著者によれば、シュミットの後に定式化された「例外状態における主権者の決断」という有名な思想は、裁判官の司法決断が正確な法律解釈とは異なるという趣旨の、彼の若き論文に端を発している。この端緒は、法実現の主体としての国家論へと発展するが、そのプロセスの中でシュミットは、そのつどの具体的状況のうちで法を解釈・運用する実権を持った「背後の誰か」を暴くことに関心を抱くようになった。彼のヴェルサイユ=ジュネーブ国際法体制への批判は、そうした関心の所産なのである。しかしここで著者は、こうしたシュミットの批判が、具体的な秩序思想において法は一定の道具に貶められるという帰結を招き、その帰結がもろにシュミット自身の思想に跳ね返ってくることを指摘する。シュミットにおいて、法を決断する具体的場所が一体どこにあるべきかが明示されていないことに加えて、彼自身が一時的にナチ党員になったことにより、彼の決断主義的な法理論は、ナチズムに利用されても仕方がない論理を内包することになったのである。

続く第二章では、1923年から1938年に至るシュミットの連邦主義思想とその挫折が描かれる。第一次大戦中には、プロシャ国家への反発さえ感じていたシュミットがナショナリストとしての心情を呼び起こされたのは、ヴェルサイユ=ジュネーブ国際法体制によってであった。しかしまた、「決断主義的」主権論を奉じていた1920年代のシュミットといえども、既存のジュネーブ国際連盟に留まることのできない、真の「連邦(Bund)」の構築をめざしており、著者はそれを、普遍主義に抵抗するようなヨーロッパ的秩序の可能性を追求する試みであったとみなす。すなわち、この時期のシュミットは、連邦構成国が敵対関係にあってはならず、その正統性を承認し、同じ規範に従うという意味で「同質」でなければならず、その点で内政干渉を伴うと考えていた。だが、国際連盟は、構成国のそうした同質性を全く貫徹できておらず、さらにアメリカの帝国主義的な世界干渉と、民主主義的とは異質なソ連の参入によって頓挫し、それを悟ったシュミットは、真の「連邦」への関心を次第に失う。

とはいえ、シュミットは国家主義に逆戻りしたのではない。続く第三章では、1939年に始まる彼の新たな国際思想としての「広域秩序(Grossraumordnung)」構想がどのような展望の下で展開され、挫折したかが論じられる。この時期に構想されたシュミットの広域秩序は、単にヨーロッパだけではなく、全地球上の空間の分割に、すなわち不干渉原則を通じた諸々の広域間の境界決定に関わるところの秩序を意味していた。特筆すべきは、そのような秩序が種々できることによって、普遍主義の帝国主義的干渉に抵抗する国際秩序ができると考えたシュミットは、アメリカの19世紀型モンロー主義を、域外列強の不干渉を広域秩序のために打ち立てた近代国際法史の最初の宣言として評価し、アメリカが参戦する1941年12月まで、アメリカの行動に一抹の期待を抱いたことである。しかし、アメリカが広域主義的孤立主義ではなく、普遍主義的干渉主義を採って参戦した後、シュミットは、モンロー主義が「孤立線」ではなく、新大陸の平和と自由を守るための「検疫隔離線」であったと理解を修正する。アメリカが、そういうメンタリティによって自分以外の諸地域を道徳的に差別化し、そこに干渉する「正戦」も厭わないような態度が生じると、シュミットはみなすようになった。そしてさらに、ドイツに参戦したソ連をも、自らのイデオロギーを正当化する「正戦」として、世界各地での「内戦」を煽る帝国主義と考えるようになる。そして、イデオロギーの違いに関わらず、このように米ソを帝国主義的という点で同質とみなすシュミットの国際秩序観は、第二次大戦後にも引き継がれ、それへの対抗ヴィジョンを打ち出すことが彼の課題となった。

第四章では、こうした課題に対処すべく、第二次大戦後にシュミットが展開した歴史思想と神学思想が浮き彫りにされる。大学の職に就くことを禁じられながらも、大戦後のシュミットは、旺盛な執筆活動を続け、普遍主義的な進歩史観に抗して、「そのつど一回的な状況認識にもとづく一回的な応答」が歴史を作るという歴史観を、また技術的プランニングを通しての世界統一論に抗して、「大地のノモス」という固有の場所論を打ち出した。この対抗ヴィジョンを、彼は、新約聖書のパウロ書簡に出てくる「アンチ・クリストとしての普遍史的な完成に向かう歴史の加速を抑止するカテコーン」になぞらえている。このカテコーンの敵としてシュミットが標的にしたのは、第二バチカン公会議(1962-65)以降に生まれた解放の神学、神学を政治から切り離そうとする没政治的な神学思想、世界から敵対関係を排除するブルーメンベルク的な近代観、戦争の危険をはらむ技術・産業社会、政治的決断を行政術にすり替えるテクノクラート的保守主義などであった。

第五章では、1960年代のシュミットが、行政管理装置と化した国家に抵抗するものとして展開したパルチザン論が、どのようなものであったかが追究される。シュミットにとって、19世紀初めにプロシャで生まれたパルチザンは、正規軍による国家間の官房戦争から、ナポレオン軍に対する人民戦争への移行を現していた。それは土着的なものに根ざす実践的に一回限りの「現実的敵対」を遂行するものであったが、20世紀初めのレーニンの世界革命論によって、場所的性格を失い、「世界革命的なパルチザン」という「絶対的敵対」へと変質した。しかし他方、日本と国民党と戦った毛沢東のパルチザンは、農村という場所に根ざす土着的性質を帯びており、シュミットは、ソ連と中国の対立を「普遍主義的な世界統一の理念に対抗する広域的多元主義の対立」とみなす。とはいえ、そうした土着的パルチザンは、「利害関係のある第三者」の介入によって場所を喪失し、衰退していく運命にあるというのが、シュミットの診断であった。

第六章では、シュミットが1926年の「議会主義論第二版」の前書きで記していた「権力の前室(Vorraum)」という考えが、戦後のシュミットにおいて、不可視の執行権力として前面に打ち出されることにより、かつての『政治神学』での決断主義的な政治理論が大きく揺らいだことが指摘される。この場合の「前室」とは、最終決断を下す権力者への取次ぎが行われる「控えの間」であると同時に、権力へのアクセスをめぐる熾烈な権力闘争の場を意味している。シュミットは、そうした前室が政治を大きく動かしている事態を、晩年のヒットラー政権のみならず、戦後の自由主義的議会主義にも見出した。これをもって著者は、晩年の彼の関心が、国家主権の理論から主権者の前室における「権力の社会学」へと移行したとみなす。しかしまた著者は、「例外状態においての決断」という政治理論が、1960年代と70年代の左翼反乱の時代以降に、イデオロギーの左右を問わず、新たな形で論議され始めたところにシュミットのアクチュアリティを見出している。

そして最後に、シュミットの政治思想は、一回かぎりの場における決断を喪失させる普遍主義に抗する思想を主要なモチーフとして展開されたが、その反普遍主義思想自体が、何らかの普遍主義的な要求を伴わざるを得ないという「行為遂行矛盾」を犯していること、それ故に、「一回限りの場で決断」は「普遍的な拘束」を自覚してこそ可能になるという著者独自の見解が手短に述べられ、本論文の結語とされる。

以上の本論文は、以下のような点で高く評価されなければならない。第一に、冒頭でも述べたように、このような大部のシュミット研究は、日本では初めての試みであり、外国語に翻訳されても高い評価を受けるであろう程の労作であること。第二に、決断主義者、ナチのイデオローグ、「敵味方」論者などのステレオタイプ化されたシュミット像ではなく、生きた歴史的状況に対応して思想を発展・展開させていくダイナミックなシュミット像が鮮明に描かれたこと。それと関連して第三に、戦後のシュミットがどのような思想状況におかれ、どのような論客たちと、どのような議論を展開したかが詳細に論じられたこと。第四に、普遍主義と多元主義と特殊主義という今日でも重要な国際政治思想的問題を、シュミット研究を通して喚起したこと、等々である。

とはいえ、次のような問題点も指摘できる。それは第一に、「正戦と内戦――カール・シュミットの国際秩序思想」というタイトルが、本論文で展開された包括的内容と比べ、やや部分的な印象を与えており、もっと適切なタイトルが望ましかったのではないかということ。第二に、著者なりのスタンスから、シュミットの広域秩序論と現在のEUとの関連を論じてほしかったことがあげられる。

しかし、これらは本論文の豊かな内容と成果を損なうものでは決してない。本論文は極めて高い水準に達しており、本審査委員会は、本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する次第である。

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