No | 124038 | |
著者(漢字) | 永田,祐吾 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ナガタ,ユウゴ | |
標題(和) | 超低速反陽子の操作と原子衝突への適用 | |
標題(洋) | Manipulation of ultraslow antiprotons and first application to atomic collisions | |
報告番号 | 124038 | |
報告番号 | 甲24038 | |
学位授与日 | 2008.07.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(学術) | |
学位記番号 | 博総合第839号 | |
研究科 | 総合文化研究科 | |
専攻 | 広域科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 超低速(10 eV-1 keV) の反陽子ビームを用いるとそれによる原子のイオン化実験、反陽子ヘリウム原子のようなエキゾチック原子の生成の実験、反水素原子の生成、それを用いた精密分光によるCPT 対称性のテストなど、様々な実験研究が可能となる。本研究では超低速反陽子ビームの高効率引き出しに成功し、それを用いて初めて250eV という超低速反陽子-原子衝突実験を行った。さらに数~数十keV 領域反陽子による原子衝突も行った。 反陽子は数GeV の高エネルギー陽子陽子衝突によって生成されるため、生成時には高いエネルギーを持つ。そのため超低速の反陽子の生成のためには数段階の減速の手順を踏む必要がある。実験はCERN(欧州素粒子原子核研究機関)で行った。CERN において生成された約3 GeV の反陽子はAD (Antiproton Decelerator; 反陽子減速器) で確率冷却及び電子冷却を受けながら約5 MeV まで減速され、我々に供給される。その後さらにRFQD (Radio Frequency Quadrupole Decelerator; 高周波四重極減速器) によっておよそ110 keV まで減速される。そして、それら110 keVの反陽子は反陽子トラップに入射される。 反陽子トラップは主に、PET 製減速膜と超伝導ソレノイド磁石と多重リングトラップ(MRT) 及び電子銃で構成されており、一様磁場とMRT内に形成される50Vの調和ポテンシャルを用いて荷電粒子を捕捉することができる。反陽子トラップに入射した反陽子はMRT 直前の減速膜で10 keV 程度に減速され、図1 に示してあるUCE とDCE に-13 kV の高電圧を印加することによってMRT 内に捕捉される。捕捉された反陽子雲は、あらかじめ導入された電子との衝突によって冷却される。ここで電子は2.5 T の磁場中でシンクロトロン放射によって環境温度まで冷却されており、反陽子雲も同じ程度まで冷却され、結果、反陽子はMRT の50V 調和ポテンシャル内に捕捉される。 超低速反陽子ビームは、MRT の調和ポテンシャルを変化させて、反陽子雲をトラップの外に引き出すことによって生成される。しかしながら、反陽子は超伝導ソレノイド磁石の出口付近でその軌道が大きく広がるため円筒電極の内壁と接触し、高効率での外部への輸送は難しかった。それを回避するために回転高周波を反陽子に適用した。調和ポテンシャルを形成する電極の一つは方位角方向に四分割されており、90゜ ずづ位相をずらした回転高周波をかけることができる。反陽子雲をMRTで電子冷却した後、調和ポテンシャルの開閉を瞬間的に行うことによって電子のみを排除し、200 kHz 以上の広い範囲の固定回転高周波をかけることにより、反陽子雲の径圧縮が初めて観測された。径圧縮は200s 程度で飽和した。さらに、高周波を掃引することにより、50s 程度で固定回転高周波と同程度の圧縮率で飽和した。この反陽子雲の径圧縮によって、反陽子ビームの超伝導ソレノイド磁石出口付近での広がりを回避し、高効率で250 eV 反陽子の引き出すことができた。ビーム生成の1回の手順(約5 分)では3 × 105 個の反陽子を最下流までに輸送することに成功した。 次に、生成した超低速反陽子ビームを用いてHe 原子イオン化実験を行った。反応式は (1) となる。この実験を行うために、衝突真空槽とHe ガスジェット標的を開発行った。そのガスジェット標的の密度は3 × 1012 cm-3 という高密度で、その直径は約9 mmとなった。このHe ガスジェット標的と生成した超低速反陽子ビームとを交差させ、イオン化実験を行った。しかし、イオン化の反応確率は~ 10(-4) と低いため、検出器系が重要となってくる。理論計算によると、超低速反陽子のヘリウム原子衝突による放出電子は全方向にほぼ一様に散乱し、そのエネルギーは主に5 eV程度以下であることが予想されている。我々はイオン化事象の検出数を増やすために、これら放出電子の高効率の捕集が可能な飛行時間分析器の開発を行った。 図2 に飛行時間分析器の概要図を示した。反陽子は図左側から入射し、図右側のマイクロチャンネルプレート(MCP-p) で検出され、放出電子は図の下方に輸送されて別のマイクロチャンネルプレート(MCPe) で検出される。磁気コイルによって電子の輸送方向に向かう磁場が生成され、その磁場は放出電子の磁場に垂直な向きの運動を束縛し、放出電子の分析器外への漏れを防いでいる。加えて、反陽子軌道に影響を与えない程度の電圧を印加することによって、電子捕集効率は5 eV以下の電子に対して98%以上となり、高効率で捕集可能となった。また、周りをプラスチックシンチレータで囲み、反陽子の対消滅によって生成したパイ中間子を同時に検出することで、反陽子の同定を行った。図3 はMCPe とMCP-p で検出されたシグナルの飛行時間差のスペクトルである。黒丸はガス標的との衝突で得られたスペクトル、赤四角はガス標的無しで得られたスペクトルである。青三角はその差で、黒実線は0 ns から1000 ns までガウス関数でフィットした結果である。期待される飛行時間差である約150 ns の位置にピークが見られた。入射反陽子数6.3 × 106 個に対し、約220 個のイオン化事象の検出に成功した。また、共同実験としてAarhus のグループとAarhus Ionization Apparatus (AIA) を用いて超低速反陽子の再加速による数~数十keV の領域でのHe 衝突実験を行った。 図4 に反陽子衝突によるHe 原子のイオン化断面積及び、反陽子He 原子生成断面積を示す。青四角、緑丸は以前に測定されたイオン化断面積である。それ以外は理論計算によるもので、反陽子エネルギーが~30eV 以上の場合はHe 原子のイオン化断面積を示し、一方、~30eV 以下では反陽子He 原子生成断面積を示す。黒丸と茶色三角が、それぞれ今回測定した250 eV 反陽子と、数keV 領域の反陽子によるHe原子のイオン化断面積である。数keV 領域で得られたイオン化断面積は最近の理論研究と合致した。250eV では、反陽子He 原子生成断面積と、keV 領域のイオン化断面積をつなぐような位置にイオン化断面積が得られた。 黒丸はガス標的との衝突で得られたスペクトル、赤四角はガス標的無しで得られたスペクトルで、青三角はその差で、黒実線は0 ns から1000 ns までガウス関数でフィットした結果である。 青四角、緑丸は以前に測定されたイオン化断面積である。それ以外は理論計算によるもので、反陽子エネルギーが~30eV 以上の場合はHe 原子のイオン化断面積を示し、一方、~30eV 以下では反陽子He 原子生成断面積を示す。黒丸と茶色三角が、それぞれ今回測定した250 eV 反陽子と、数-数十keV 領域の反陽子によるHe 原子のイオン化断面積である。 図1: 多重リング電極(MRT) 図2: 飛行時間分析器の概要図 図3: 放出電子と反陽子の飛行時間差 図4: イオン化断面積及び、反陽子He 原子生成断面積 | |
審査要旨 | 本論文は、第1章序論、第2章超低速反陽子ビーム、第3章実験装置I、第4章実験装置II、第5章実験結果、第6章結論、及び、付録からなっている。本論文の学位請求は大きくわけて3つの要件からなっている。その第1は、トラップ内での反陽子雲の動径方向圧縮に成功し、それによって高い効率で超低速の直流反陽子ビームを生成したことで、第2章がこれに当てられている。そのようにして得た250eVの超低速反陽子ビームと高密度ガスジェットとの衝突を行う実験装置の開発を詳細に論じたのが第3章で、第2の要件である。第4章では、後段加速により数keVから数10keVまでの反陽子ビームとする方法と、計測方法を論じている。第5章はそれぞれのエネルギー領域における実験結果のまとめと理論との比較が行われており、これが第3の要件となっている。第6章は結論と今後の展望となっている。 反陽子は原子核反応p+p+p+p+p+pにより生成され、実験室系では必然的に数GeVのエネルギーを持っている。本研究では、先ず多段階の減速冷却過程により、数GeVのエネルギーを持っていた反陽子を数meV程度まで10数桁にわたって冷却し、その後これを再加速して数百eVから数10keVの上質な単色ビームを得ている。これは反水素の大量生成を通じてなされる高精度のCPT対称性テストや反物質における重力相互作用研究など、基礎物理学研究に必須であるばかりでなく、本論文の主要研究テーマである"重い電子"による原子のイオン化過程研究など、原子衝突ダイナミックスの基礎研究にも不可欠の重要な技術開発項目である。ところで、重粒子による原子の励起、イオン化、さらには阻止能等の研究は、Bohr以来数十年の歴史をもっており、また、放射線効果をミクロに理解する上での必須の研究といえるが、いまだに十分な理解に達しているとは言えない。特に、低エネルギー領域における重粒子と原子の衝突では、通常、正電荷を持った粒子による研究しかなされていない。しかしながら、正電荷を持った粒子では、低エネルギー領域において電荷移行反応が支配的となるため、励起、電離といった現象を実験的に研究することが極めて困難となっている。低速反陽子ビームはこの問題を解決できる極めてユニークなビームである。これまで、反陽子ビームによるイオン化研究は、数10MeVから数10keVにわたって実験結果が公表されている。数10MeVから数MeVにかけての反陽子による一電子イオン化断面積は、同じエネルギー領域の陽子によるそれとほぼ一致し、ボルン近似による現象の記述が有効であることが知られていた。一方、数10keV領域における実験データは信頼性の高い理論予測とは大きく乖離しており、大きな謎となっている。さらに、数keV及びそれより低いエネルギー領域では実験データは皆無で、理論計算も簡単なものを除いてほとんど存在していない。 本研究では、数10keVから数keVの単色反陽子ビームとヘリウム原子の衝突実験を行い、これまで公表されていた実験結果とは大きく異なり、かつ、最近の理論計算の結果と誤差の範囲内で大変良い一致を示すことを明らかにした。20年近く続いた論争に一定の決着をつけた研究として、高く評価できる。学位請求者はさらに、数百eVというこれまでに例のない低エネルギー単色反陽子ビームを用いて原子衝突実験を実現し、He原子のイオン化断面積を評価した。これは、イオン化に伴って放出される電子とイオン化を起こした反陽子の同時計測によって実現されたが、反陽子の検出は、必然的にその消滅を伴い、その際、GeVオーダーのエネルギーと大量の2次電子を放出する。これは実際のイオン化シグナルより数桁大きなバックグラウンドノイズを生じ、意味のある計測を極めて困難なものとする。実際、このバックグラウンドがどの様なエネルギー・時間領域に現れるかはこれまで全く知られておらず、従ってまた、各種検出器の応答も未知であったが、学位請求者はこの巨大なバックグラウンドの性質を逐次明らかにし、適切に除去するスキームを開発して、最終的にイオン化断面積を決定することに成功している。 以上、本申請者は、トラップ中に蓄積された反陽子の動径圧縮に成功し、これによって、超低速の"大強度"反陽子ビーム生成を実現した。さらに、この超低速反陽子ビームを用い、数百eV及び数keVから数10keVの反陽子ビームによるヘリウム原子のイオン化断面積決定に成功し、数10keV領域ではこれまでの懸案であった実験と理論が大きく乖離している問題を解決し、さらに、数keV、及び、数百eVでの衝突実験という未踏のエネルギー領域における実験を実現し、イオン化断面積を評価した。これにより反陽子とヘリウム原子の衝突イオン化の様子が従来より2桁近く広いエネルギー領域にわたって得られたことになる。衝突ダイナミックスの理解に大きな貢献をしたと結論できる。本研究は10数名の共同研究者と共に進められた中規模のグループによる共同研究であるが、実験装置の立ち上げ、実験の遂行、その後のデータ解析等、本要旨に記載された研究内容については本申請者が主体的に進めたものである。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。 | |
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