学位論文要旨



No 124046
著者(漢字) 小松,雅史
著者(英字)
著者(カナ) コマツ,マサブミ
標題(和) マツ材線虫病が引き起こす通水阻害における電解質漏出の意味
標題(洋)
報告番号 124046
報告番号 甲24046
学位授与日 2008.09.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3352号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 森林科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宝月,岱造
 東京大学 教授 富樫,一巳
 東京大学 教授 山田,利博
 東京大学 教授 福田,健二
 東京大学 准教授 松下,範久
内容要旨 要旨を表示する

研究の背景・目的

マツ材線虫病(Pine wilt disease)はマツノザイセンチュウ(Bursaphelenchus xylophilus (Steiner et Buhrer) Nickle,以下,線虫とする)によって引き起こされるマツ科樹木の萎凋病害である.線虫はマツノマダラカミキリ(Monochumus alternatus Hope)を媒介昆虫として枯死木から巧みなメカニズムによって健全木へと伝播・感染し,枯死へといたらしめる.日本の代表的なマツ樹種であるクロマツ(Pinus thunbergii Parl.)およびアカマツ(P. densiflora Sieb. et Zacc.)は侵入種であるマツノザイセンチュウに対し,著しく感受性であり,1979年に243万立方メートルのマツが枯損した.現在(2005年)は年間約70万m3のマツが枯損している.また,韓国,中国,台湾などの極東地域での被害も問題となっているほか,ヨーロッパへの被害の拡大も危惧されており,世界的な樹木病害に発展しつつある.マツ材線虫病の枯死機構に関する研究はマツノザイセンチュウが病原であることが発見された1969年以降現在まで40年間に渡って精力的に行われ,感染した宿主においてどのような病徴を示すのかということについてはかなり明らかになっている.しかし,これらの観察された病徴間の因果関係については,いまだ解明されておらず,特に,線虫が細胞を変性させる要因や,通水阻害の発生メカニズムは不明なままである.そこで,本研究ではこうした現状の課題を踏まえた上で,(1)線虫の動態を詳細にするためのツールの開発する,(2)細胞の傷害と細胞死の関係を明らかにする,(3)線虫の分布と細胞死の関係を明らかにする,(4)変性と通水阻害の発生要因の関係性を明らかにする,という目的のもとに実験を行うことで,線虫の侵入から細胞の変性,そして通水阻害の発生という,萎凋病であるマツ材線虫病のメインストリームとも言える病徴の流れを解明することを試みた.

マツノザイセンチュウの蛍光標識レクチンに対する染色性

マツノザイセンチュウの樹体内の動態を明らかにするにあたり,樹体組織切片上の線虫を特異的に染め分ける方法が有効であると考えられた.そこで,他の植物寄生性線虫において体表面に結合する性質があることが報告されている小麦胚芽レクチンの蛍光標識物であるF-WGAに着目し,F-WGAに対する線虫の染色性を調べた.その結果,(1)接種前にBotrytis cinereaで培養した線虫は陰門蓋や交接刺などが,F-WGAに染まり体表面は染まらなかったが,クロマツポット苗に接種して,分離した線虫は体表面全体がF-WGAによって強く染まること,(2)接種後の日数経過により染色率(F-WGAに染まる線虫の割合)が高まる,(3)接種点より離れた部位から分離された線虫個体群の染色率の方が高い,(4)抵抗性の強いマツ苗や病原力の弱い線虫を用いると染色率が低くなる,(5)熱処理や冷凍処理により死んだクロマツの枝に接種した線虫はF-WGAに染まらない,という結果が得られた.これより,マツノザイセンチュウのF-WGA染色性は,宿主マツへの接種により獲得される性質で,接種後日数,接種点からの距離,宿主の抵抗性,線虫の病原力,宿主の生死,などの影響を受けることが示された.さらに,一度クロマツに接種して染色率が高い線虫個体群を再び接種すると接種1日後から70%以上の高い染色率が得られた.再接種を行った組織を固定し,作成した切片をF-WGAで染色したところ,組織切片内の線虫断片が特異的に蛍光染色されるのが観察された.こうした結果より,再接種の条件でF-WGA染色を行う方法が樹体内の線虫動態の詳細を見るツールとして有効であることが示された.

マツ材線虫病における電解質漏出現象と細胞死

植物体はストレスに対し,その負荷の程度に応じて細胞膜の透過性を変化させる.本実験では,マツ材線虫病に感染したクロマツ組織の壊死過程における細胞膜の透過性の変化を調べるため,線虫を接種した当年生切り枝及び3年生苗の電解質漏出度と細胞核数を測定した.切り枝では,接種後6日から電解質の異常漏出が認められ,その後増大した.とくに木部では核数の減少より早い段階で異常漏出が引き起こされる傾向があった.一方,苗木では,電解質の異常漏出は部分枯れを示した接種枝のみで発生し,針葉の変色や著しい核数の減少とともに接種30日前後より急激に認められた.これらの結果から,電解質の異常漏出は材線虫病に関連して発生し,細胞死に先行,または同時に発生する現象であると考えられた.

また,樹皮片にも線虫を接種し,細胞死と電解質の関係を調べると共に,細胞核の変化を画像解析処理をおこなって追跡した.樹皮片においても細胞核数の減少に先立ち電解質の異常漏出が起こること,また細胞核数の減少は細胞核の分解によると思われる核サイズの減少を伴うことが明らかになった.

樹皮片におけるマツノザイセンチュウの分布と細胞死の関係

線虫の振る舞いが組織の壊死に及ぼす影響を明らかにするために,本研究により開発されたF-WGA染色法とDAPI染色の二重染色を用いて樹皮片において線虫の分布と細胞死の分布を同時観察した.その結果,線虫の分布を中心として細胞死が発生するという症状は認められず,むしろ,線虫の分布に関係なく,樹皮片組織全体で一様に細胞死が進むという傾向が認められた.こうした結果から,樹皮片という数mm~1cm程度のサイズの組織においては,線虫の直接的な食害だけではなく,傷害を受けた植物や,線虫が分泌する物質などによる間接的な反応が強く影響しているのではないかと考えられた.

マツ材線虫病における樹液流への電解質漏出と表面張力の低下

線虫によって加害された細胞の変性が通水阻害を誘導するという仮説を検証するため,マツノザイセンチュウを接種したクロマツポット苗より加圧法により採取した樹液流の性質を調べた.その結果,マツ材線虫の病徴が進展し,針葉の萎凋が観察された苗から採取した樹液流において著しい電気伝導度の高まりと,表面張力の低下が認められた.また,すべてのサンプルから採取した樹液流の電気伝導度の対数値と表面張力の間に負の相関があることがわかった.このことから,細胞からの電解質漏出現象は仮導管を流れる樹液流に影響を及ぼしていること,また樹液流の表面張力低下に,宿主マツ細胞からの漏出物が関与している可能性が示唆された.表面張力の低下は,植物の水分生理学において,キャビテーションを引き起こしやすくする一要因であると考えられており,マツ材線虫病においても,細胞の変性から誘導される表面張力の低下がキャビテーションを引き起こすという仮説を満たすこととなった.

まとめ

本研究では,マツ材線虫病における電解質漏出現象というものを傷害の指標として用いて研究を行った.そこから得られた結果およびこれまでの研究の蓄積より以下のような考察が示される.マツ樹体内に感染したマツノザイセンチュウは樹脂道を主な経路として全身へ分散し,その後各組織内へと侵入すると考えられる.そこで摂食活動を行うほか,線虫の分泌物や植物側の傷害に対する反応により,数ミリ程度にわたって細胞が変性する.その比較的早い段階において細胞膜の透過性が変化し,電解質が細胞外へと漏出する.細胞膜の透過性の変化は不可逆的な反応で,細胞核の分解および消失を伴い,細胞は死ぬ.また,細胞が線虫の影響により変性すると,細胞から隣接した仮導管へも物質が漏出し,その結果として樹液流の電気伝導度の高まりと表面張力の低下が引き起こされる.表面張力の低下はキャビテーションによる通水阻害を引き起こす一要因と考えられており,マツ材線虫病においても,表面張力が通水阻害の発生に関与しているのではないかという可能性が示唆された.

また,本研究では線虫の動態を見る方法の開発も行った.F-WGAを用いる染色法は有効なツールとなることが示された.そんな中,染色性を調べた結果,生育環境により線虫の表面構造が変化するという興味深い現象も得られた.同様の現象は,他の植物寄生性線虫においても認められており,寄生を成功させるために役立っているという説もある.今後はこうした染色性の変化の生理的な意義についても明らかにする必要があるだろう.

審査要旨 要旨を表示する

マツ材線虫病(Pine wilt disease)はマツノザイセンチュウ(Bursaphelenchus xylophilus、以下、線虫とする)によって引き起こされるマツ属樹木の萎凋病害である。本病は日本だけでなく、中国・韓国においても猛威をふるっている重大樹木病害の一つである。マツ材線虫病によるマツの枯死過程では、主要な病徴として柔組織の細胞死および通水阻害が発生することが知られている。しかし、線虫感染からマツの枯死にいたる本病の病徴進展過程の中で、両者がどのような関係にあるのかは、依然として不明である。本論文の研究は、この両者の関係を明らかにするべく行われた。

本論文の前半では、両者の関係を検証すべく、線虫を接種したマツの木部水への細胞質漏出と表面張力の低下との関係を、時間を追って解析している。一方後半では、柔組織の細胞死をもたらす線虫の加害に着目して、組織内の個々の線虫の分布を容易に特定できる蛍光染色法を新たに開発した後、同一試料中での線虫分布と宿主の細胞死との空間的関係を解析している。

第一章では、これまでの材線虫病研究を広く概観している。

第二章では、線虫を接種したクロマツ組織における電解質漏出現象を調べている。苗木、切り枝、樹皮片の三つのスケールでクロマツへの接種実験を行い、DAPI染色により組織壊死過程における細胞死を、また漏出電解質測定により細胞質漏出度を調べ、両者の関係を明らかにしている。その結果、材線虫病に感染した組織からは一定の細胞が加害されると細胞質が異常漏出し始めることが解った。なお、本研究のように、両者の関係を詳細にしかも様々なスケールで調べた例は、これまで報告されていない。

第三章では、マツ材線虫病における木部水への電解質漏出と表面張力の低下の関係を調べている。線虫を接種したクロマツポット苗より加圧法により採取した木部水の電気伝導度と表面張力を測定している。材線虫病の進行に伴って木部水中の電解質は増加し表面張力は低下することを明らかにしている。更に、この結果から、「細胞死が進行した組織において電解質の漏出異常が発生し、電解質を含む細胞質が木部水へと漏出する。細胞質は表面張力を低下させる成分を含み、木部水の表面張力が低下した結果、通水阻害が発生する」という斬新かつ検証可能な仮説を提案している。なお、材線虫病進展に伴う木部水の電解質増加と表面張力低下とに相関関係があることを明らかにしたのは、この研究が初めてである。

第四章では、線虫の蛍光標識レクチンに対する染色性を調べ、新たな材線虫に特異的な染色法を確立している。様々なレクチンをサーベイした結果、フルオレセイン標識小麦胚芽レクチン(F-WGA)によって、マツ組織の細胞は染まらないが、分離した線虫が強く染まることを見いだしている。また同時に、線虫のF-WGAに対する染色性が線虫の培養条件によって変化するという、興味深い知見も得ている。このF-WGAによる染色方法が、パラフィン組織切片内の線虫でも特異的に染色できることを確認しており、樹体内の線虫動態の詳細を見るための画期的な方法として評価できる。

第五章では、F-WGA染色法とDAPI染色の二重染色により、樹皮片における線虫の分布と生きているマツ細胞の分布を同一試料中で観察し、線虫の分布と細胞死の分布との空間的関係を調べている。その結果、細胞死は線虫の周辺を中心として発生するのではなく、むしろ線虫の分布とは関係なく、樹皮片組織全体で一様に発生することが解った。この結果は、細胞死が線虫の直接的な加害ではなく間接的な加害によって起こることを示唆しており、今後の新たな研究展開の出発点として期待される。

第六章では、今後の展開を含め総合考察を行っている。

以上のように本論文では、我が国最大の樹木病害であるマツ材線虫病の病理学的解析を行い、それに基づいて、病徴進展に伴って起こる柔組織の細胞死と通水阻害とを、細胞質漏出を介して関係づける斬新かつ検証可能な仮説が提案された。加えて、線虫の特異的染色法を新たに確立することにより、個々の線虫と細胞死の空間的関係も明らかにされた。得られた成果は、本病の病徴進展過程の解明に大きく貢献するものと考えられる。従って、本研究は応用上および学術上の意義が極めて大きく、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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