学位論文要旨



No 124049
著者(漢字) 姜,英淑
著者(英字)
著者(カナ) カン,ヨンスク
標題(和) 韓国語慶尚南道諸方言のアクセント研究
標題(洋)
報告番号 124049
報告番号 甲24049
学位授与日 2008.09.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第651号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 福井,玲
 東京大学 教授 上野,善道
 東京大学 教授 熊本,裕
 東京大学 教授 林,徹
 東京大学 教授 生越,直樹
内容要旨 要旨を表示する

本論文は,韓国の慶尚道(Kjeongsang-do)方言のうち,慶尚南道(Kjeongsangnam-do)に位置する11の方言を取り上げ,アクセント特徴を記述し,その体系を明らかにすることを目的とする。取り上げたすべての方言のアクセント体系は,数の差はあるものの狭義のアクセントと語声調を兼ね備えていることを主張する。この性質の異なる2つアクセントは複合名詞のアクセント規則や用言の活用時のアクセントにも反映されることを論ずる。語声調は「形」のみによって区別されるとした従来の立場とは異なり,「形」以外に「位置」も弁別的であることを新たに提案する。

第2章の密陽方言は,体系全体が2音節語まではn+2,3音節語以上では2n-1の対立を成しており,性質の異なるアクセントが,複合名詞の規則や用言の活用形のアクセントにも反映されている。語声調の特徴は,位置が絡む「アクセント」的なものであることを論じる。

第3章の咸安・宜寧方言は,表層のアクセントと基底のアクセントが異なる。複合名詞の結合において,Xの性質の違い(アクセント核と語声調)を反映すると捉えられる例があり,表層では弁別されないものが基底では弁別を成していると解釈できる。その結果,基底アクセント体系は,2音節語まではn+2,3音節語以上では2n-1の対立を成している。

第4章は,進永(金海)方言・蔚山方言を扱い,そのアクセント体系について記述する。

進永方言は,2つの語声調とアクセント核型があり,n音節語にn+2の対立を成している。しかし,複合名詞の中にはXの性質の違いが反映されたと捉えられるものがあり,表層のアクセント体系と基底アクセント体系が異なる可能性がある。この点は更なる調査・研究が必要である。

蔚山方言は,1つの語声調とアクセント核型があり,全体はn音節語にn+1の対立を成している。

第5章の統営方言は,2つの語声調と有核型が共に存在する。Xのアクセント性質が反映された複合名詞には表層では中和されて区別がないが,基底では弁別されるアクセント型があり,表層体系と基底体系が異なる。全体は,2音節語まではn+2,3音節語以上ではn+1の対立を成している。この方言の語声調は「形」にのみ弁別される「声調」的なものである。

第6章の釜山方言は,全体が2音節語まではn+2,3音節語以上ではn+1の対立を成している。2つのアクセント核型と語声調を共に持っているが,複合名詞のアクセント規則にはXのアクセントの性質の違いが反映されないものがある。これは,3音節語以上の語末核型の変化により,アクセント核型が少なくなったことに起因する。

第7章の晋州方言は,1つの有核型と3つの語声調が対立を成す体系である。第6章と同様に,有核型が1つしかないことにより,複合名詞のアクセント規則にXのアクセントの違いが反映されないものがある。

第8章は,泗川・南海島・山清方言を扱い,その体系について記述する。

泗川・南海島方言は,1つの有核型と3つの語声調が対立を成す体系である。

山清方言は,1つの有核型と2つの語声調が対立を成している。複合名詞のアクセント規則に異なるアクセントが反映されないものがあるが,それは有核型が1つしかないことに起因する。

第9章は,アクセント核と語声調について,従来の概念と慶尚南道方言においての解釈の相違点をまとめる。そして,本論文で扱ったすべての方言のアクセント体系や複合名詞のアクセント規則をもう一度提示し,アクセント核と語声調を兼ね備えていることや,異なるアクセント性質が複合名詞に反映されることを改めて主張する。

慶尚南道諸方言のアクセントを扱った今までの研究と本論文の大きな違いは,無核型がないこと,数の差はあるものの核と語声調が共に存在していることである。

アクセント核は,従来の概念とほぼ近いが,異質的なものまでを含んでいる上野説(N型アクセント)に対して,本稿では,異質なものを語声調として扱った。

語声調は,「形」のみが弁別的であり,「位置の対立」のないものと見る早田説とは異なり,語声調の相互の弁別には下降の「位置」が有効的と捉える点に大きな相違がある。

従来では,アクセント核(早田の'狭義のアクセント')と語声調は同一言語内の,同一の文法範疇の中で,共に存在することはないとするが(早田説),本論文は,取り上げたすべての方言が,対立数の差はあるものの,狭義のアクセントと語声調を兼ね備えていることを論証した。また,このアクセントの性質の違いは,複合名詞のアクセント規則や活用時のアクセントにも反映されていることを明らかにすることができた。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、韓国語の慶尚南道の諸方言のアクセントを記述し、それらの体系を明らかにしたものである。慶尚南道の諸方言は、弁別的なピッチ・アクセントを持つことと、韓国語の他の地域の方言と比較して、そのアクセント体系が複雑であることが知られていた。その複雑な体系を音韻論的にどう捉えるべきかについては、多くの先行研究にもかかわらず、いまだに充分には解明されていない状態にあった。本論文は、慶尚南道の諸方言のうち11の方言を選んで詳細に調査し記述するとともに、アクセント体系の理論的枠組みを再考することによってその本質に迫ろうとしたものである。また、慶尚南道内部において、東部にはアクセント的な方言、西部には語声調的な方言があり、東から西に漸進的に体系が移行するが、本論文はその全体を扱うことによって、それらの体系相互の関係を示唆するとともに、アクセントと語声調に関する類型論にとって興味深い実例を提供している。

この地域のさまざまなアクセント体系を把握するために本論文で理論的に新しく打ち出された点は、1) 慶尚南道諸方言には(狭義の)「アクセント」と「語声調」という2種類の特徴が存在し、それが1つの体系に離接的に共存すること、2) 語声調にも位置による弁別性があること、である。このうち、アクセントと語声調の関係については、先行研究の中には、1つの体系の中にそれらが離接的に共存することはないとする見解があったが、その理論的根拠は明白ではなかったのに対して、本研究では、両者の共存を認めることによって、アクセント体系の音韻論的解釈と複合語アクセント規則の理解が容易になることを、説得力をもって示している。また、語声調に位置の対立を認めることは、語声調の中にもアクセント的なものと声調的なものを認めるということになる。この点については、はたしてそれが語声調と分類されるべきものかについて考慮の余地がありうるが、本論文では、それらとアクセントとのふるまいの違いがさまざまな局面で首尾一貫して現れることを示しており、説得力のある議論を展開している。また、いくつかの方言について、表層体系と基底体系が異なることを精緻に論じている点も興味深い。総じて、本論文で提出されたアクセント体系の解釈は、従来の研究よりも一歩進んだものであり、また新たに提出された理論的な枠組みは、韓国語に限らず、多くの言語について、アクセントや声調の解明を進める上で有益なものと認めることができる。

本論文の課題としては、慶尚南道の諸方言におけるアクセント体系相互の間の歴史的関係にあまりふれていないことがあげられるが、上に述べたようにこの論文の学術上の意義は、アクセント体系の共時的な解釈を前進させた点にあるのであって、この点において本論文は充分な価値を持っていると言える。以上の理由により、審査委員会は、本論文を博士(文学)の学位を授与するに値するものとの結論に達した。

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