学位論文要旨



No 124059
著者(漢字) 片岡,大右
著者(英字)
著者(カナ) カタオカ,ダイスケ
標題(和) 隠遁者、野生人、蛮人 : シャトーブリアンにおける宗教と文明
標題(洋)
報告番号 124059
報告番号 甲24059
学位授与日 2008.09.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第661号
研究科 人文社会系研究科
専攻 欧米系文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩川,徹也
 東京大学 教授 中地,義和
 東京大学 准教授 塚本,昌則
 東京大学 准教授 野崎,歓
 京都大学 教授 大浦,康介
内容要旨 要旨を表示する

理性の行使に基づいた都市的生活を営むこと。この生の規範は16世紀以降のヨーロッパにおいてその内実を徐々に変容させつつ、やがて18世紀中葉に「文明/文明化」の語を生み出して、19世紀において特異な展開を示す。本論文は、このような過程を歴史的に跡付けるいわば文明の系譜学としての性格を持つが、あまりに大きな課題を前にしての議論の拡散を防ぐべく、一方では、都市的生活ないし社会への異質性を露呈する三つの形象、すなわち〈隠遁者〉、〈野生人〉、〈蛮人〉の諸形象の系譜の検討を通して問題に接近し、他方では、〈啓蒙の世紀〉の暮れ方からフランス復古王政期にかけて活動を行った作家・政治家であるフランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアンの作品の理解へと議論を収斂させることとした。全体は五部に分かれる。

I シャトーブリアン、パスカルの不実な弟子

『キリスト教精髄』の著者は、1802年のこの護教論の企てを『パンセ』になぞらえるが、実際には彼の転倒的なキリスト教理解は、パスカルとの意図せざる対立によってこそ際立った形で現れている。彼のパスカル理解は18世紀におけるパスカル受容に決定的に影響されており、ヴォルテールによるパスカル批判の論旨をそのまま転倒するところに成立するものである。すなわち、ヴォルテールは『パンセ』の悲観的な世界観を批判し、社会的有用性としての道徳に関心を示さないばかりでなく、世界全体を苦しみの相の下で捉えようとする病人として、パスカルを非難していた。それに対し、シャトーブリアンはパスカルを、健康な人物として捉え返すのではない。むしろ病人だからこそ評価するのである。原罪以後の人間を本質的に病んだ存在と見なす『キリスト教精髄』において、パスカルはそのような病人の英雄としての地位を与えられている。

II シャトーブリアンにおけるキリスト教と文明

とはいえ、『キリスト教精髄』は、単にそのような社会への異質性の顕揚のみから成り立っているのではないし、この護教論は美的観点からのみキリスト教を擁護しているのでもない。本作品の第4部では、この宗教が文明の維持、伝播と発展にいかに貢献したかが説かれる。しかもその際、作家はヴォルテールやルソーら、理神論的傾向に立つ哲学者たちをも味方に付けるのである。第4部のこの主張は、毀誉褒貶の甚だしかったこの著作にあって、その敵によってすら攻撃されることのない例外的部分をなしている。もっとも、宗教の文明発展への貢献を語り、啓蒙の光とキリスト教の調和を打ち立てるこれらの記述において、シャトーブリアンは独自な見解を披露しているのではない。このような立場はむしろ18世紀において典型的なものであり、「文明 (civilisation)」の語が当初キリスト教の社会的有用性の文脈で用いられたことからも知られるように、反哲学者の陣営は、哲学者たちと共通の語彙、共通の理念を掲げて闘っていた。この観点からするなら、『キリスト教精髄』の主張は、啓蒙の世紀の護教論を、ひときわ雄弁に展開したものにすぎないということもできる。しかし、本書がそのような立場に還元しえないことは、彼がキリスト教の文明への奉仕の二つの主要な事例として掲げる、宣教と修道院の役割の称賛を、この両者の18世紀における評判と照らし合わせることで明らかになる。文明の保護者としての宗教を語るシャトーブリアンであるが、修道生活の礼賛は、そのような立場とはそぐわない。蛮人の侵入によるローマ帝国の解体期における修道院の役割を語る彼の記述は、そこここで隠遁者と蛮人の気質を共振させる。そして文明の使者である宣教師でさえも、荒野の隠遁者に、そしてまた彼が文明化すべき野生人との共鳴を示すのである。

III 野生人と蛮人

フランス語は、アメリカ先住民を名指すために「野生人 (sauvage)」の語を採用した。本研究第3部では、このフランス的例外の意味を見極めることに努める。まずは、このフランス語に由来する英語 savage との比較を行った後、次いでアメリカ征服期スペインにおける、先住民の身分規定をめぐる議論が検討される。黄金世紀のスペインは、発見された人民をその神学的・法学的身分規定を論じるときに「蛮人 (barbaro)」と名指した。この語は、基本的にはトマス・アクィナスの自然法理論の枠組の内部で解釈されつつも、論者の立場に応じて様々にニュアンスを変える。スペインの事例との比較から明らかになるのは、同じ16世紀のフランスにおけるアメリカ先住民をめぐる議論が、やはり自然法との関係でこれらの人民を理解しつつも、その政治的賭け金においてほとんど一致することがないという事実である。さて17世紀になると、フランス人はそのカナダ植民の展開にもかかわらず、アメリカ先住民を論じることをほとんどやめてしまう。しかし、そのことはフランス人の意識から野生人が消滅したことをまったく意味しない。社交界の礼節との関係で、野生の気質は概ね批判的観点から道徳的考察の対象となっていた。このような文脈において、野生人は新世界の人民であるよりも、むしろ厳格な信仰心ゆえに世俗の交わりを避ける隠遁者の像に結び付けられた。

IV モンテスキューにおける野生人と蛮人

モンテスキューの『法の精神』の眼目は、フランク人が彼らの森から持ち込んだ諸制度からの、フランスの国制の発生を跡付けることであるが、そのため彼は、このゲルマニアの牧畜民の蛮人としての性質を正面から取り扱うことになる。この作品の第18巻で、モンテスキューはフランク人を初めとする蛮人とアメリカ先住民に代表される野生人とを「土地を耕さない人民」という共通のカテゴリーに括って論じているが、それにもかかわらず、両種の人民にはほとんど共約不能な隔たりがあるように見える。両者の差異の検討を通して、モンテスキューが野生人の語の理解に際して前提としているものを明らかにする。

V シャトーブリアンにおける野生人と蛮人

彼の国民の先祖たるフランク人とガリア人、この両蛮人についてのシャトーブリアンの理解を跡付けるに先立ち、ブーランヴィリエとデュボスの論争以来、復古王政期のギゾーやティエリに至るまでのフランスの歴史記述を概観する。ブーランヴィリエが帯剣貴族の擁護のために持ち出した、征服者フランク人と被征服者ガリア人の分断の論理は、革命後の自由主義者たちによって、ガリア人の末裔として観念された市民階級による権力の再獲得の展望へと転換される。シャトーブリアンがこうした文脈の中で占める興味深い位置を、彼が『歴史研究』において提起する「蛮人=ローマ帝国」の概念を参考にしつつ見定める。シャトーブリアンはフランク人のもとにもガリア人のもとにも、文明と蛮性の共存する両義的性質を認めようと望む。一方、野生人はといえば、問題なのは「心的野生人」であると彼自身によって明言されており、彼自身のファンタスムの投影にほかならない。シャトーブリアンはそれを一旦は新世界の人民のもとに見出しうると信じるが、結局は彼らは野生人ではないと断言することになる。かくしてアメリカはもはや他の場所と同じ一つの土地にすぎず、そこに住まう人民は、社会状態の不在という観念を宛がわれる代りに、それぞれに独自の習俗と政体を持つものとして脱神話化される。そしてそのことにより、外部に投影されることをやめた「心的野生人」は、ヨーロッパの諸個人の内部へと送り返されるのである。

こうして本論文は、ともすれば西洋人にとっての「我々と他者」(トドロフ)の問題――西洋による非西洋の表象の問題へと一般化されがちな主題を、〈隠遁者〉、〈野生人〉、〈蛮人〉の三つの形象の役割の変遷に着目することによって再歴史化する。都市的な生からの隔たりによって特徴付けられるこれらの形象は、基本的にはヨーロッパ内部に見出されていたこと、なるほど「他者」ではあろうが、それはしばしば「我々」の内なる他者でもあったことが明らかにされる。この観点からするなら、19世紀前半におけるシャトーブリアンの作品の意義は、世紀全体を通してますます勝ち誇ることとなる「文明」への異質性を誇示する世紀後半の芸術家たちへの橋渡しを、こうした伝統を引き継ぎつつ果たしたものとして理解することができよう。もちろんその一方で、まさにこの同じ世紀を通し、西洋と非西洋の分割はますますその自明性を堅固なものとしていったのであり、都市の只中に内なる野生人としてのボヘミアン的芸術家を抱え込んだこの世紀は、〈文明化の使命〉に駆り立てられたヨーロッパ諸国が外なる野生人のもとへと競って赴いた世紀でもある。そしてシャトーブリアンのうちにはこのような分割を支える論理もまた、見出すことができる。こちらの問題を論じるには別の研究が必要となろうが、その場合でも、先立つ時代を扱った本論文の成果は、不可欠の前提として役立つはずである。

審査要旨 要旨を表示する

フランス・ロマン主義の先駆けであり、社会への嫌悪と不適応に悩む自我を『ルネ』を始めとする小説のうちに描き出したシャトーブリアンは、また十八世紀啓蒙思想に対抗してキリスト教の復権を主張し、その文明史的意義を強調する護教論『キリスト教精髄』を著し、近代フランスの宗教観と文明観の転換に大きな影響を及ぼした。本論文は彼の膨大な著作を広くまた緻密に読み解くことを通じて、彼が宗教と文明に対していかなる態度を取り、いかなる思索を展開したかを解明することを目指す。その際、考察の導きの糸になるのは、ヨーロッパ思想史において文明と自然の関係を考える上で鍵となる三つの形象、すなわち隠遁者、蛮人、野生人である。片岡氏はフランスのみならずスペインの文献を広く渉猟して、これらの形象がルネサンスから十八世紀に至るまでヨーロッパの思想的伝統において蒙った複雑な意味の変遷を丹念に辿り、これらの形象がシャトーブリアンにおいて、どのように機能し絡み合いながら、宗教と文明に対する彼のスタンスを表現しているかを論ずる。

論文は五部からなる。第一部では、シャトーブリアンが護教論としての『キリスト教精髄』をパスカルの『パンセ』になぞらえるにもかかわらず、じっさいには彼のパスカル理解は十八世紀のパスカル受容に規定されており、ヴォルテールによるパスカル批判の論旨をそのまま転倒するところに成立することを示す。第二部は、キリスト教が文明の維持と発展に寄与したと主張する『キリスト教精髄』第四部に焦点を当て、シャトーブリアンの護教論が十八世紀の啓蒙思想を受け継いで、文明の価値を肯定的に捉えていることを示した上で、それにもかかわらず彼が文明に対して抱いている違和感、そして野生に対して示す共感を、伝道と修道院の役割に彼が送る賞賛の言葉を分析することによって明らかにする。第三部と第四部はシャトーブリアンを離れて、野生人(sauvage)と蛮人(barbare)というフランス語およびそれに対応する西洋近代語が、地域と時代によっていかなる変貌を示したかを、ルネサンス期スペインそしてルネサンスから啓蒙の時代に至るフランスを対象として観念史的アプローチを試みる。最後の第五部は、前二部の探求の成果を踏まえて、彼がフランス国民の祖先と見なされるフランク人とガリア人をどのように理解していたかを検討し、彼がフランク人を征服者、ガリア人を被征服者と位置づけるブランヴィリエの理論を退け、両者のうちに文明と野蛮が共存する両義的性質を認めようとしたことを示す。そして「野生人」についていえば、それを文明の歴史や人類学のなかに位置づけるのではなく、彼自身を始めとする特定の人間の心の状態のうちに見出し、それがある意味で彼の文学創造の核にあることを、最後の著作『ランセの生涯』の読解によって示唆する。

本論文は、雄大な問題意識から出発し、フランスのみならず近代ヨーロッパの文学全般にわたる該博な知識、強靭な思考力とテクストの綿密な読解を武器として、シャトーブリアンが近代の始まりにあって抱えていた問題が何であるか、さらに作家個人を超えて、ロマン主義のヨーロッパにとって宗教と文明がいかなる意味を持っていたかを考察し、それに興味深い見通しを与えることに成功した。一方では、シャトーブリアンを対象とする文学研究、他方では、近代ヨーロッパにおける自然と文明の観念の変容とそれが文学と思想に及ぼした影響を跡づけた思想史研究という二面性を持っており、そのために論文全体の主張がどこにあるか見定めにくいところがあるが、それは同時に本論文のスケールの大きさの証しでもあり、全体として独創的で水準の高い論文に仕上がっている。以上から審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に相当するものと判断する。

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