学位論文要旨



No 124064
著者(漢字) 李,東勲
著者(英字)
著者(カナ) イ,ドンフン
標題(和) 商業地における店舗配列と歩行体験に関する研究
標題(洋)
報告番号 124064
報告番号 甲24064
学位授与日 2008.09.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6859号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤井,明
 東京大学 教授 加藤,道夫
 東京大学 教授 西出,和彦
 東京大学 准教授 大月,敏雄
 東京大学 講師 今井,公太郎
内容要旨 要旨を表示する

1. はじめに

都市は人,物,情報が集まる場所であり,人と人,人と社会との交流の場を提供している。都市の魅力は大勢の人々が大量の接触を通じて作りだす盛り場性に端的に現れている。人が集まるとき,都市の活気は具体的な姿として表れる。人の集まる場所には店舗やカフェが立ち並び,都市を体験できる空間が形成されている。

都市の力はこのように人々を引き付ける吸引力であり,人は活気溢れる都市空間を歩きながら買い物をしたり,他人に出会って対話を交わす中で,都市を体験する機会を得る。そういう意味で人,文化,交流の結節点である商業集積地の盛り場的な役割は非常に重要で,都市の中での消費の空間であるとともに,日常性から離れて都市の活気を体験できる場所として位置づけられる。

2. 研究の背景

近年の商業環境の変化の特徴は,零細規模の店舗が姿を消していることで,商品の目新しさや価格競争力に劣っている店舗の廃業,撤退が相次でいる。交通と通信の発達による流通構造の変化が,人々の日常生活における買い物のパターンを変えているからである。交通の便の良い郊外には,十分な駐車場スペースを完備した大型ディスカウントストアーやショッピングセンターが続々登場している。また,ネット販売やカタログ販売といった新しいビジネスモデルの成長により,既存商店街を取り巻く環境は厳しさを増している。その結果,郊外の住宅地や地方都市など過疎地域の商店街の中には,空き店舗の増加により商業施設の連続性や業種構成が破壊され,従来,集積によって顧客に提供していた利便性や商業地としての魅力を失い,ますます空き店舗が増えるという悪循環に陥っているケースも少なくない。このような現象は大都市にも拡散していて,東京都内でも商店街の減少が見られる。しかし,その中でも繁栄している商業地域は存在していて,地域間による格差が広がっていることを示している。

3. 研究目的

商店街の計画において,店舗配列の問題を考える場合,顧客の利便性,商店街全体の利潤,各経営者の満足度,等々考えるべき要因は無数にあり,それらを如何に計画条件の中に組み込んでゆくかは,難しい問題である。そのための基礎的作業として,現実の商店街の店舗配列の中にどのような規則性が存在するかを分析することは有益である。

本論文では,近隣型商店街から成長して周辺地域にまで集客力を高めている商業地を対象に,店舗の集積状況を来街者の観点から捉え,移動に伴う店舗構成の変化を歩行体験として評価することで,賑わっている商業空間の特徴の抽出を試みたものである。活性化している地域型商業地について,店舗の集積状況を様々な観点から指標化し,評価することにより,商業地の成長に必要な店舗集積の状況への方向性に対する手掛かりを得ることを目的にしている。

4. データの作成方法

商業街路における空間情報を分析するために,街路網をグラフで表現し,辺の店舗情報をラインデータ化して,標準化を行う。

[1] 街路網のグラフ化

複雑な街路網を解析するためには,街路の幅,傾斜,高低差など,空間的な属性を取り除き,単純化する必要がある。そこで,街路網から長さと連結関係だけを残してグラフ化を行なう。歩行者が街路を移動するときに,経路を選択する分岐点となる地点を頂点にして,各頂点を辺で結ぶことにより街路パターンをグラフに置き換える。

[2] 移動経路の抽出方法

来街者の移動経路となりうるルートを恣意性を排除しつつ抽出するために,街路網のグラフから始点と終点が一致し,且つ,各辺と各頂点を1度しか通過しない全てのサイクルを抽出して,これを分析対象の経路にする。

[3] 店舗属性の分類

店舗属性を多角的に捉えるために,業種別,営業時間別,主顧客層別に分類する。業種別では,店舗を,物販系,飲食系,サービス系に大別した上で,物販系店舗として,最寄型店舗,買回型店舗に,また,飲食系店舗として,休憩型店舗,飲み屋,飲食店に,サービス系店舗として,娯楽型店舗,・サービス型店舗に細分類する。営業時間別の分類では,昼間営業店舗,深夜営業店舗,24時間営業店舗に細分類する。また,主顧客層別の分類ではターゲットとする客層の違いから,若年層向け店舗,中高年層向け店舗,全年齢層向け店舗に細分類する。

[4] 店舗属性の標準化

店舗の間口幅を街路に発信する店舗情報の場とみなし,グラフの辺ごとに店舗属性のラインデータを作成する。ラインデータには店舗の属性と,街路に接する幅員,移動方向における位置情報(左右),立地する階の情報が含まれている。店舗属性のラインデータを計算機で処理するために,一定幅のユニット(5m)に分割し,ユニットの大半を占める店舗の属性をそのユニットにおける店舗属性として標準化する。

5. 分析方法

移動経路沿いの店舗属性の構成を分析するために,店舗の意外性を評価するための指標として情報量を,店舗配列を評価する指標として店舗影響量と集団凝集力を提案する。

[1] 情報量

情報量は店舗属性の意外性を評価する指標である。対象領域全体における店舗属性の生起確率から情報量を算出し,辺ごとに情報量の和とそれをユニット数で割ったユニット当り情報量を求め,経路における店舗属性の意外性を評価する。

[2] 店舗影響量

3ユニットからなるウィンドウを設定し,街路上の来街者と店舗の位置関係から店舗属性別の影響量を算出する。店舗属性を点光源とみなした場合の照度の相当する値であるが,これを用いて,来街者が受ける店舗からの影響力を測定する。ウィンドウを1ユニットずつ進行方向に移動させながら店舗影響量を算出することにより,経路における影響量の変化の状況を捉える。

[3] 集団凝集力

移動経路における店舗の構成を店舗属性の相同性から評価する指標である。3ユニットからなるウィンドウを設定し,1ユニットずつ進行方向に移動させながら,ソシオメトリックテストを行い,相同性を検出する。スコープを1階から上階に1層ずつ拡張しながら,店舗属性の2つずつの組み合わせを考え,総数に対する店舗属性別の検出数を算出し,集団凝集力を求めて,同種の店舗同士の集積状況を把握する。

6. 対象地域の設定

住宅地を背後にした近隣型商業地から発展し,周辺地域まで商圏を拡大している商業地を抽出するために,東京都内の住宅地域を貫通する小田急線,京王線,京王井の頭線の急行停車駅及び乗換駅を対象にして近隣商業地のサンプルを抽出する。サンプリングした近隣商業地の店舗の集積形態は,駅の出口につながる街路に線状で並ぶ形式が多いが,下北沢の場合は,中心街路から離れた裏の路地にまで店舗があり,面的な広がりをみせている。駅の乗降者数や小売業の年間販売額を比較しても,下北沢は他のサンプルよりも優れていて,近隣をベースにしながらも,広域に商圏を広げている状況が確認できたので,この地域をケーススタディの対象地に選定する。

7. ケ-ススタディ

下北沢の街路網は95個の頂点と137個の辺からなるグラフで構成されているが,駅の南口を始点と終点とし,全長が750mから850m間のサイクルを抽出すると1,153個の経路が抽出されている。各サイクルにおける店舗配列を評価するために,情報量,店舗影響量,集団凝集力という指標を算定し,分析を行なっている。

店舗属性の意外性を評価する指標として,領域全体における店舗属性の生起確率から情報量を算出するが,辺ごとの情報量の和とユニット当りの情報量を求めている。これと街路の経済的評価額を表す路線価との相関を調べると,ユニット当り情報量と正の相関にあることが確認できている。集客の可能性が高い主要な街路では,多様な属性の店舗が混在し,集積しあっているものと思われる。

店舗影響量を算出した結果,業種,営業時間,主顧客層ともに値が最大,最小になるサイクルは,ユニット当り情報量が最大,最小になるサイクルと一致していることが判明している。全サイクルにおけるユニット当り情報量の合計に着目し,最大値を含む上位群と,中央値を含む中位群,最小値を含む下位群からそれぞれ3つのサイクルを抽出し,これらの属性別の店舗影響量を考察している。情報量の多い街路では,主となる店舗属性があるものの,多様な店舗属性の影響が経路の全長において変化している様子が確認されている。

店舗属性別の集積状況を評価する集団凝集力を算出した結果,業種別分類では物販系店舗の集団凝集力が,また,営業時間別分類では昼間営業店舗の集団凝集力が,主顧客層別分類では若年層むけ店舗の集団凝集力が経路全体と高い相関を見せている。また,属性別に最大の値をもつサイクルを選んで,スコープごとにサイクルを考察すると,領域全般において異なる方向性を持つサイクルが抽出されていて,来街目的に応じた多様な経路の選択の可能性が確認されている。

8. 総括

本論文の最大の特徴は,商業街路における店舗の構成を,来街者による移動の観点から評価したことである。商業地における来街者の体験は,商業地内を歩き回りながら,経路上の店舗と遭遇し,自分の目的にあう店舗を探す過程において得られるものであるため,来街者の移動にともなう空間体験をシークエンスとして評価する方法を提案している。また,店舗の属性を業種だけではなく,営業時間,主顧客層といった属性を加えていることで,商業地の店舗構成をより多角的に捉えることが可能になっている。このように新たな視点のもとに,商業地における店舗の構成を分析することにより,店舗の配列の持っ混在性と集積性を評価する手法を確立している。

商業地を評価する方法論としての普遍性や安定性を確かめるためには,他の商業地での検証が必要であるが,それは,今後の課題としたい。将来的には,新都市における商業地計画や複合商業施設の計画において,経路の探索や店舗構成の立案に際してのシミュレーションツールとして活用すること考えている。

審査要旨 要旨を表示する

商業地を訪れた人々は、店舗が並ぶ通りを回遊しながら買物や食事などを楽しむ。来街者がどのような経路を巡るかは人それぞれであるが、商店街全体の歩行者流動をマクロに観察すると、そこには一定の傾向がある。常に賑わっている所や、曜日や時間により歩行者量の変動が大きい所、あるいは、いつも閑散としている所など、街路の活性化の度合いは偏差が大きい。

本論文は、地域型の商業地を対象に、店舗の配列とその属性が、どのような歩行体験を来訪者に与えているのかについて分析したものである。街路特性をいくつかの観点からモデル化し、そこを歩行者が移動する際にどのような影響を受けるかを指標化し、それらを用いて商業空間における街路の魅力を評価している。

具体的には、小規模店舗が集積している商業地を選択し、そこにおける来街者の移動経路を設定した上で、移動に伴い遭遇する店舗属性の変化について、以下の方法で分析している。

[1] 移動経路の抽出

商業地を回遊する来街者の移動経路を抽出するために、商店街の街路網をグラフ化する。このグラフにおいて、歩行者が辿るであろう経路のモデルとして、移動距離が一定の条件を満たすすべてのサイクルを抽出する。

[2] 店舗属性の標準化

店舗の属性をデータ化するために、まず、店舗の間口幅をエッジ上に投影し、ラインデータ化する。次いで、計算機上での処理を容易にするために、このラインデータを一定の幅で分割し、ユニット化する。この操作をエッジの両側に対して行ない、その並びと属性を記憶する。

[3] 情報量による分析

グラフのエッジ毎に店舗の属性を集計し、それを対象地域全体における生起確率に基づいて情報量に換算する。この値をエッジを構成するユニット数で割り、ユニット当りの情報量とする。この指標は、それぞれの移動経路における街路の意外性を表現している。

[4] 店舗影響量による分析

店舗影響量とは、エッジの左右に対し、一定のユニット数のウィンドウを設定し、その内部に含まれるユニットからの影響力を、歩行者とユニットとの距離と角度の関数として定義したものである。これはユニットの位置に点光源があると仮定した場合に歩行者が受ける照度に相当するもので、店舗の位置と属性に着目した店舗の並びを評価する指標になっている。これを移動方向に動かすことにより、シークエンシャルな移動体験が記述できる。

[5] 集団凝集力による分析

集団凝集力とは、店舗影響量と同様のウィンドウを設定した上で、ウィンドウ内に表れる店舗の属性をマトリックス上に並べたものに対して、地上階から上階に、1階ずつスコープ(対象範囲)を広げながらその相同性を数値化したものである。これにより、移動経路上における同種の店舗の集積効果がわかり、店舗属性の相同性をシークエンシャルに捉えることができる。

論文全体は、理論編(第1、2、3章)、分析編(第4、5章)、総括編(第6章)に別かれ、最後に付録としてケーススタディで用いた調査データと分析結果が添付してある。

序では、研究の背景と目的を示し、研究方法の概要について述べている。また、商業地を対象とした既往研究を概観し、関連研究の傾向をまとめると共に、本研究の位置づけを行なっている。

第1章の基本概念では、都市を構成する商業空間とその街路の特性について述べている。商業地における店舗の表層やその属性の多様性を説明し、商業地における人の空間体験を、移動と認知の観点から捉えるという本研究の方向性を示している。

第2章のデータの作成方法では、調査データを分析する手順について説明している。まず、街路網をグラフ化する手法を示し、次いで、そこから移動経路を抽出する具体的な方法について解説している。また、商業空間を特徴づける店舗の属性(業種、営業時間、主顧客層)を分類する基準を示し、それを計算処理するために標準化する手法について説明している。

第3章の分析方法では、移動経路沿いに表れる店舗の構成を評価する方法について説明し、商業街路をシークエンシャルに捉える手法を提示している。移動経路に沿う街路の属性の意外性を評価するために、情報量の概念を導入し、また、街路沿いの店舗属性による影響量を評価するために、店舗影響量を、さらに、経路沿いの店舗属性の相同性を評価するために、集団凝集力という指標を提案している。

第4章の対象地の抽出では、近隣型の商業地をサンプリングし、商業施設の集積形態と商業統計に基づく比較を行い、調査分析をおこなう対象地域として下北沢を選択し、その地域特性について概説している。また、対象地域の店舗に関する調査内容をまとめ、その店舗属性の構成について説明している。

第5章のケーススタディでは、下北沢の街路網を95のノードと137のエッジからなるグラフで表現し、そこから1,153のサイクルを抽出し、これらに対して情報量、店舗影響量、集団凝集力を算定し、経路別、属性別の分析を行っている。その結果を詳細に読み解くことにより、下北沢の多様で活気に満ちた商業空間を定量的に評価する手法として有効かどうかを検証している。

第6章の総括では、本研究の成果をまとめている。研究で用いた分析の手法とその意義についてまとめ、商業地における店舗構成の分析手法としての正当性について述べている。また、適用対象と手法を省察するとともに、その問題点と今後の展望についてまとめている。

以上要するに、本論文は、地域型の商業地を対象に、その店舗の配置と属性が来街者にどのような影響を与え、歩行者流動を誘起しているかについて、実証的に調査・研究したものである。ここで提案された指標群は、商業空間の歩行に伴う実体験とよく合致し、また、街の賑わいの状況の変化を旨く説明するものになっている。特筆すべきは、従来の研究が商店街を俯瞰的に眺めて、その活性化の状況を捉えているのに対し、本論文の手法は、歩行者の移動に伴う体験として、シークエンシャルに事象を表現し、時空間的にその変化を捉えている点で、これにより、動的な観点から商業地を評価する手法を確立している。この手法は、将来的な変化や、街の再開発などを容易にシミュレートすることができ、実務面においても有用で、地域の将来予測に活用できるものである。これは都市・建築の計画学の分野に新たな方法論を導入するものとして、その意義は極めて大きい。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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