学位論文要旨



No 124066
著者(漢字) 竹中,芳治
著者(英字)
著者(カナ) タケナカ,ヨシハル
標題(和) 腸上皮化生と胃腫瘍性病変における内分泌細胞の分化
標題(洋)
報告番号 124066
報告番号 甲24066
学位授与日 2008.09.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3166号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 深山,正久
 東京大学 准教授 川邊,隆夫
 東京大学 講師 吉田,晴彦
 東京大学 講師 金内,一
 東京大学 講師 北山,丈二
内容要旨 要旨を表示する

<背景>

胃癌の発生と進展については、かつてその前癌病変と考えられていた腸上皮化生との関連も含めていまだに明らかにされていない。

胃の粘膜上皮細胞は非内分泌性の上皮細胞(以下、上皮細胞)と内分泌細胞とに大別される。細胞が産生する粘液の性状の免疫組織化学的検討により、腸上皮化生や胃癌を構成する上皮細胞が表現する形質が本来の胃粘膜の細胞に類似するか、あるいは腸粘膜の細胞に類似するかの観点から、腸上皮化生や胃癌を分類する方法が確立されている。胃型上皮細胞のマーカーとしてMUC5AC、MUC6が、腸型上皮細胞マーカーとしてMUC2、villinが知られている。これらにより細胞分化の観点から、腸上皮化生は胃腸混合型、腸型の2つの型に、胃癌は胃型、胃腸混合型、腸型、無形質型の4つの型に分類することができる。

上皮細胞における胃型・腸型形質発現と同様に、内分泌細胞についても内分泌の観点からみた胃型・腸型形質発現の分析が可能である。gastrin、somatostatinが幽門腺に特異的に発現し、一方でglicentin、gastric inhibitory polypeptides (GIP)、glucagon-like peptide-1 (GLP-1) が小腸あるいは大腸の粘膜に特異的に発現することが知られている。このことから、これらのペプタイドホルモンは各々胃型、腸型内分泌細胞のマーカーとなりうる。

胃の腺管内には幹細胞が1つ存在し、この幹細胞から分裂能を備えた上皮系あるいは内分泌系前駆細胞のどちらか一方への分化を経て、以後各々の系列において分化、増殖して上皮細胞あるいは内分泌細胞に分化すると考えられている。

これまでのヒト腸上皮化生の胃型・腸型形質発現についての検討では、腸上皮化生粘膜は常に上皮細胞と内分泌細胞の両方の形質発現を有することから、腸上皮化生の発生起源は幹細胞レベルでの異常であることが示唆されている。

では胃癌の発生起源も幹細胞レベルでの異常であろうか。幹細胞からの各種上皮細胞および内分泌細胞への分化の過程において、幹細胞レベルでの異常により胃癌が発生するならば、基本的には上皮細胞と内分泌細胞の両方の形質を発現する癌が発生するはずである。しかし、実際には胃癌と胃内分泌腫瘍は別々に発生する腫瘍であり、内分泌細胞の癌細胞は内分泌系の細胞の特性しか有していないことも知られている。さらに初期の胃癌は単クローン性増殖を示すことも知られている。以上より、胃癌が幹細胞自身の癌化と考えるよりも、幹細胞から上皮系にわずかに分化した1つの上皮系前駆細胞から発生するというと考える方が想定しやすい。上皮系前駆細胞から胃癌が発生するならば、胃癌組織内には内分泌細胞への分化が基本的には存在しないものと考えられる。しかし、胃癌組織内に内分泌細胞への分化を示す領域が実際には存在することも知られており、さらに胃癌が骨髄由来の細胞から発生するという報告もある。胃癌発生を検討するに適切な幹細胞マーカーが確立されていないため、これまで胃癌の発生起源について、幹細胞由来であるか上皮系前駆細胞由来であるかを直接的に証明した報告はなく、これらは仮説の域を超えない。

今日では胃癌以外の他臓器の腫瘍において、分化能とわずかな増殖能を有する癌細胞、すなわち癌化した後にもわずかに幹細胞の要素を保持する癌幹細胞( cancer stem cell )が存在することが知られている。

本研究では、1)腸上皮化生の進行過程における胃粘膜の上皮細胞および内分泌細胞の胃型・腸型形質発現の経時的変化を検索し、それらの相関性を検討し、腸上皮化生の発生起源について考察する 2)「胃癌は幹細胞そのものではなく、分化能が上皮系へと限られた上皮系前駆細胞の癌化により発生する」という仮説を検証するために、この仮説に合致しない内分泌系への分化を有する胃癌について上皮細胞および内分泌細胞の胃型・腸型形質発現とそれらの相関性を検討し、胃癌発生について考察することを目的とした。

<実験1>

腸上皮化生粘膜における上皮細胞および内分泌細胞の胃型・腸型形質発現の経時的変化を検討するために以下の実験を行った。

[材料と方法]Helicobacter pylori (Hp) 感染ネズミ実験モデルを用い、Hp感染群とHp非感染群の2群に分け、Hp 感染後50,75,100週群を作成した。Alcian blue-periodic acid Schiff (AB-PAS) 染色を用いて、腺胃粘膜中の腺管に対して上皮の形質発現による腺管分類を行ない、内分泌マーカー であるChromogranin A (CgA)、gastrinおよびGIPによる免疫組織化学的検索とReal-time RT-PCRによる内分泌マーカーのmRNAの定量を行った。

[結果]免疫組織化学的検索にて、腸型内分泌細胞は、Hp非感染群でほとんど認められなかったが、Hp感染群では粘膜の腸型化の進行にともなって経時的に増加し、この結果はmRNA定量による検索結果とも一致した。胃型腺管内には胃型内分泌細胞が優位に発現し、胃腸混合型腺管内には胃型、腸型両方の内分泌細胞が発現し、腸型腺管内には腸型内分泌細胞が優位に発現した。

[考察]

Hp感染スナネズミ腺胃粘膜では、上皮細胞のみならず内分泌細胞にも腸型化が起こること、その進行過程において両細胞の呈する胃型・腸型の形質発現は強く相関することが示された。この所見より、腸上皮化生が、上皮系あるいは内分泌系のいずれか一方のみに分化能が限られた前駆細胞レベルで発生するのではなく、上皮系、内分泌系いずれの方向へも分化しうる幹細胞レベルで発生することを示唆するものと考えられた。

<実験2>

1)通常の胃癌は内分泌系への分化を示さないことを明らかにし、内分泌系への分化を示す胃癌について上皮細胞および内分泌細胞の胃型・腸型形質発現の観点から検討し、2)胃癌以外のヒト胃腫瘍性病変との比較の上で、胃癌の発生について検討するために、以下の実験を行った。

[材料と方法]外科的切除により得られた早期胃癌37例、進行胃癌73例、胃カルチノイド8例、胃内分泌細胞癌4例および内視鏡的切除により得られた胃腺腫30例を対象とした。内分泌細胞一般のマーカーであるCgAの発現により内分泌系への分化を示す胃癌症例を選択し、癌組織中にCgA陽性細胞が集合している領域について、胃型・腸型上皮細胞マーカーと胃型・腸型内分泌細胞マーカーを用いて免疫組織化学的に、上皮細胞と内分泌細胞の胃型・腸型形質発現とそれらの相関性を検索した。他の胃腫瘍性病変についても同様に検索を行った。

[結果]胃癌症例の85.5%は内分泌系へ分化を示さなかった。内分泌系への分化を示した胃癌では、CgA陽性細胞が集合する領域での上皮細胞と内分泌細胞の胃型・腸型形質発現は強い相関を示した。胃腺腫症例の50%はCgA陽性であり、上皮細胞と内分泌細胞の胃型・腸型形質発現は強い相関を示した。胃カルチノイド症例では、全例CgA陽性であり、上皮細胞の形質発現を示したものはなく、内分泌細胞の形質発現を示したものは全例胃型であった。胃内分泌細胞癌症例では、形質発現に一定の傾向を示さなかった。

[考察]多くの胃癌は、ある程度上皮系に分化能が限られた上皮系前駆細胞から発生すると推測しうることが示唆された。一方、この仮説に合致しない「内分泌系への分化を示す胃癌」では上皮・内分泌細胞における胃型・腸型形質発現の間には強い相関が存在することが示された。この所見より、内分泌系癌細胞を有する胃癌は、上皮系前駆細胞の癌化により発生した後の癌幹細胞の可塑性によるという考え方が可能であると思われた。

<総括>

腸上皮化生が幹細胞レベルでの異常により発生すると仮定するのが妥当と考えられた。胃癌は上皮系前駆細胞の癌化であり、内分泌系癌細胞を有する胃癌は、上皮系前駆細胞の癌化で、ときに内分泌細胞へも分化しうる可塑性を有するものと仮定することが妥当であると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、Helicobacter pylori(Hp)感染スナネズミ実験モデルを用いて発生させた腸上皮化生粘膜とヒト胃腫瘍性病変(胃癌、胃腺腫、胃カルチノイド、胃内分泌細胞癌)における上皮細胞および内分泌細胞の胃型・腸型形質発現について解析を行ない、幹細胞を起源とする細胞分化の観点から、腸上皮化生と胃癌の発生について検討したものであり、以下の結果を得ている。

1.Hp感染スナネズミ腺胃に発生させた腸上皮化生粘膜における上皮細胞および内分泌細胞の胃型・腸型形質発現の経時的変化を解析した結果、

1)上皮細胞および内分泌細胞の胃型・腸型形質マーカーによる免疫組織化学的検索では、腸型内分泌細胞は、Hp非感染群ではほとんど認められなかったが、Hp感染群では胃粘膜の腸型化の進行にともなって経時的に増加した。この結果はこれらの形質マーカーのmRNA定量による検索の結果とも一致した。

2)胃型形質を示す腺管内には胃型内分泌細胞が優位に発現し、胃腸混合型腺管内には胃型、腸型両方の内分泌細胞が発現し、腸型腺管内には腸型内分泌細胞が優位に発現していた。

3)Hp感染スナネズミ腺胃粘膜では、上皮細胞のみならず内分泌細胞にも腸型化が起こること、その進行過程において両細胞の呈する胃型・腸型の形質は強く相関することが示された。これらの所見より、細胞分化の観点から検討すると、腸上皮化生は幹細胞レベルでの異常により発生するとの考え方が可能であると思われた。

2.ヒト胃癌について、まず内分泌系への分化を示す胃癌の存在の有無を確認し、内分泌系への分化を示す胃癌について、上皮細胞および内分泌細胞の胃型・腸型形質発現を検索し、胃癌以外のヒト腫瘍性病変との比較から胃癌の発生について検討した結果、

1)胃癌症例の85.5%は内分泌系への分化を示さなかった。

2)内分泌系への分化を示す胃癌では、内分泌細胞一般のマーカーであるChromogranin A(CgA)での陽性細胞が集合する領域において、上皮細胞と内分泌細胞の胃型・腸型形質発現は強い相関を示した。

3)胃腺腫症例の50%はCgA陽性であり、上皮細胞と内分泌細胞の胃型・腸型形質発現は強い相関を示した。

4)胃カルチノイド症例では、全例CgA陽性であり、上皮細胞の形質発現を示したものはなく、内分泌細胞の形質を示したものは全例胃型を示した。

5)胃内分泌細胞癌症例では、形質発現に一定の傾向を示さなかった。

6)多くの胃癌は、ある程度上皮系に分化能が限られた上皮系前駆細胞から発生すると推測しうることが示唆された。一方、この仮説に合致しない「内分泌系への分化を示す胃癌」では上皮・内分泌細胞における胃型・腸型形質発現の間には、強い相関が存在することが示された。この所見より、内分泌系癌細胞を有する胃癌は、上皮系前駆細胞の癌化により発生した後の癌幹細胞の可塑性によるという考え方が可能であると思われた。

以上、本論文は、上皮細胞および内分泌細胞の胃型・腸型形質発現の解析により、腸上皮化生は幹細胞レベルでの異常により発生し、胃癌は上皮系前駆細胞の癌化であり、さらに内分泌系癌細胞を有する胃癌は上皮系前駆細胞の癌化で、ときに内分泌細胞へも分化しうる可塑性を有するものと仮定することが妥当であることを明らかにした。さらには、いまだその存在の直接的証明がなされていない胃癌幹細胞の存在を示唆するものである。本研究は、腸上皮化生および胃癌、その他の胃腫瘍性病変の細胞分化からみた発生の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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