学位論文要旨



No 124074
著者(漢字) 砂川,秀樹
著者(英字)
著者(カナ) スナガワ,ヒデキ
標題(和) セクシュアリティと都市的社会空間の編成 : 新宿二丁目における「ゲイ・コミュニティ」意識形成の背景に関する分析から
標題(洋)
報告番号 124074
報告番号 甲24074
学位授与日 2008.09.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第842号
研究科 総合文化研究科
専攻 超域文化科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 船曳,建夫
 東京大学 教授 山下,晋司
 東京大学 教授 吉見,俊哉
 東京大学 教授 関本,照夫
 東京大学 准教授 箭内,匡
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、東京都新宿区にある新宿二丁目という街をフィールドとして、盛り場の一つにしか過ぎないその場所が、「ゲイ・タウン」として表象されるだけでなく、そこで築かれる関係性を「コミュニティ」と呼ぶ意識が、ゲイバーの店主や従業員、あるいはそこへ通う客たちの間で生起している様子を民族誌として描き、その背景にある条件性を分析するものである。

しかし、それを単に二丁目と日本のゲイに関する記述、分析に留めず、盛り場がいかに歴史的蓄積とマテリアリティ(物理性)などの場所性の中で編成されるのか、また、そこではいかなる社会的結合関係が形成されているかという大きな問いへ接続し考察している。 そして、二丁目における「ゲイ・コミュニティ」と呼ぶ意識の誕生を、そのような盛り場の編成や社会的結合関係の形成と、支配的な概念枠組みの中で生起してきたマイノリティの抵抗的実践の交差という動態的プロセスとしてとらえ、さらに、それらの考察から、セクシュアリティと社会的結合、およびセクシュアリティと「コミュニティ」意識の形成との関係について論じ、セクシュアリティの定義や、「『コミュニティ』とは」という問いへの回答を図った。

本論文は、1997年から8年間にわたるフィールドワークなどをもとにしており、二丁目におけるゲイバーのネットワークや、そのネットワークを中心に2000年から二丁目で開催されている「東京レインボー祭り」を主な考察の対象としているが、序章では、先の目的と合わせ、この調査方法や調査対象と、それに関わる定義を提示した。また、この章において、人類学におけるホモセクシュアリティ研究やゲイ/レズビアン研究、そして日本のゲイを対象とした研究のレビューもおこなっている。

第1章では、「東京レインボー祭り」について、2000年に初めて開催されるに至る経緯も含めて記述し、その祭りが二丁目を訪れるゲイにとってどのような意味を持っているのか、人類学における祭りの定義などを参考にしながら分析した。そして、二丁目における関係性を「コミュニティ」と表現する心性が生じていることを指摘した上で、そのような語りと相互に影響しあっていると思われる変化を、ゲイの空間や時間の拡大という観点からとらえている。また、祭りをきっかけに結成された「新宿2丁目振興会」を、二丁目のネットワークの組織化として位置づけた。

第2章では、新宿という街がいかに編成されてきたか、歴史的背景やその中で蓄積されてきた場所性、あるいはマテリアリティの変化という面に注目して考察した。宿場町として開設された新宿は、当初から「性」によって動かされてきた街であった。そのため周縁的なイメージが付与され、戦後にいたるまで「アジール」的な場所として機能し、そのよう場所性によりゲイが集まりやすい空間を形成された。また、二丁目が売春防止法以降に空洞化したことが、その街にゲイバーが集中していった理由として語られることは珍しくないが、そのようなプル要因だけではなく、新宿駅を中心とする「非性的エリア」の拡大や都市計画による開発というプッシュ要因があった可能性も指摘した。さらに、二丁目が大きな道路などの<エッジ>によって取り囲まれることによって、街としての独立性を感じさせるつくりになっていることも、その場所に「コミュニティ」イメージを投影しやすい条件の一つとなっているという考察を提示している。

続いて、二丁目の具体的な様子を示しながら盛り場の社会的結合の構造を分析したのが、第3章である。この章では、盛り場のアクターを土地や建築物の所有のあるなし、その街への居住のあるなしという軸で分類し、多層的な盛り場アクターが権利や空間の共有という点で重なることによって社会的結合関係を形成していると分析した。また、所有や居住という点では、他の盛り場のアクターとは社会的結合を形成しない利用者が、バーのように長時間滞在しコミュニケーションの多い小規模な店に「なじみ」となることで、盛り場に接合されることを指摘し、先の権利や空間の共有と、この「なじみ」によって、バーなどの店が盛り場のあらゆるアクターと結びつくことを指摘している。そのような意味では、ゲイバーはバーの中で特異な存在ではない。しかし、ゲイバーには異性愛者を主な対象とするバーとは異なる役割を果たしており、そのようなゲイバーの特徴について詳述したのが第4章である。

ゲイバーには、「観光バー」と呼ばれる店がある。それは、異性愛者を主な客とする店であるが、その定義には大きな揺れが存在している。その揺れも含め、「観光バー」とそれ以外のバー(ゲイメンズバー)の違いとして語られる点に注目しながら、ゲイメンズバーの持つ性質について考察した(ちなみに、「ゲイメンズバー」とは、この論文で、ゲイだけを対象とするバーに便宜的につけた名である)。この章では、ゲイメンズバーが、同じ「文化」を共有していることを体感、確認する空間であり、それを通してその「文化」を構築・再生産している空間となっていることを民族誌的に描いている。また、ゲイメンズバーにおける社会的結合のあり方がコミュニティ意識を形成の土台となっていることを指摘した。

そして、第5章では、新宿二丁目に「ゲイ・コミュニティ」という言葉が投影される背景としてある、ゲイが置かれてきた社会的状況の変化を追った。1971年に登場したゲイ向け商業誌によって、ゲイが経験や情報を共有することで共同性を発見していったこと、ゲイ・アクティビズムなどの影響で、「ホモ」という言葉がより肯定的なイメージのある「ゲイ」という言葉へと変わっていったこと、1980年代の後半から1990年代にかけて、対面的関係を持てる場が増大していったことなどを大きな変化として挙げた。また、HIV/AIDSの登場によって、社会の中でゲイが可視化していく流れについても触れた。

続く第6章では、ゲイメンズバーの考察を土台にして、人と人とが親密な関係を結ぶ形を根源的なところに立ち返り整理し、セクシュアリティについて考察した。そのように整理される親密な関係性は、<直引関係>と<介在関係>の二つである。<直引関係>とは、直接相手に惹かれる関係のあり方であり、<介在関係>とは第三項を共有することにより結びつくあり方である。ここで言う<介在関係>という概念と、ルネ・ジラールの「三角形的欲望」やイヴ・K・セジウィックの「ホモソーシャル連続体」という概念との違いを明らかにしながら、異性愛における<介在関係>とゲイにおける<介在関係>の構造の違いについて論じた。その上で、セクシュアリティに関する筆者の新しい定義を提示している。またこの章では、ゲイメンズバーが、パートナーシップを見つけられる可能性のある空間として、あるいはパートナーシップが承認される場所として機能することが、「コミュニティ」観と結びついていることを指摘した。

そして、最終章では、これまでの論を「社会空間」「抵抗的実践」「コモンズ」という概念で整理し直したうえで、「コミュニティ」とは常に<コミュニティ化(communitization)>という動態であるという視点を提示している。

審査要旨 要旨を表示する

砂川秀樹氏の論文、『セクシュアリティと都市的社会空間の編成 ー 新宿 二丁目における「ゲイ・コミュニティ」意識形成の背景に関する分析から』 は、多くの「ゲイバー」が、集中して営業を行っていることで知られている、 東京都新宿区新宿二丁目という地域を調査対象として、その町における人々の あいだに、近年生まれている「コミュニティ」の意識について、その形成の背景と過程のメカニズムを分析したものである。

その分析のデータとなる同地域の民族誌は、新宿という盛り場、その中でも 新宿二丁目という一画がどのように形成されたかについての、江戸時代から現在までの歴史的叙述と、現在の二丁目における、ゲイバーに集う人々の人間関係やゲイパレードなどの「祭」における協同的な活動などについての、フィー ルドワークから得られた記述、とによって構成されている。本論文はその民族誌データを基に、コミュニティ意識がどのように誕生したか、その発展にゲイ パレードなどのイベントがどのように関わったか、また、ゲイバーの中でも、 本論文が「ゲイメンズバー」と名付ける、ゲイの人たちだけが集まる場で、ど のような社会的な結合が生まれているか、といった問いに答えることを目的と している。

本論文の基となっているフィールドワークは、1997年から2005年にかけて行 われたが、著者自身がゲイとして、かねてよりこの地域に、ゲイであるとないとにかかわらず、多くの知己を得ていたこと、また、2000年に再開された「東 京レズビアン&ゲイパレード」の実行委員長であったこと、は、調査開始時の困難を軽減させ、また、調査の対象である新宿二丁目に関わる人々と信頼関係 を築くことの一助となった。

序章では、調査の概要と目的、文化人類学のこれまでのホモセクシュアリテ ィ研究とゲイ・レズビアン研究のレビューを行った。第1章では、「東京レインボー祭り」再開の経緯とその様子を記述し、この祭を通してコミュニティ意識が生まれ、この祭をきっかけとして結成された「新宿2丁目振興会」が、二 丁目にあったネットワークを組織化したことを論じた。第2章は、新宿という町の形成に関する歴史学的研究、江戸時代以降の新宿の歴史に関わる公文書、 盛り場についての論考、そして都市社会学、都市人類学による理論的考察を基礎に、新宿という町がどのように編成され、いかにして独自な場所性を獲得したか、が書かれている。そこでは、新宿が宿場町以来の「性的な空間」とし て、江戸幕府や近代日本の行政によってどのように規定され管理されてきたか、また、近代から現在にいたるまでの、東京という都市の経済と文化の進展、それと関連した都市計画の遂行によって、今の新宿二丁目が、比較的独立した空間、ある場合はアジールとして認識されるようになったか、の過程が、手堅く解説されている。

第3章では、新宿二丁目の「ゲイバー」のオーナー、経営者、客といった盛 り場のアクターを、土地や建築物の所有者であるか否か、居住者か訪問者か、 といった対立軸で分類し、彼らが異なる立場で社会的結合関係を形成している ことを分析した。その分析によって、頻繁にバーを訪れる者たちが「なじみ」 となり、たんなる客ではなく、盛り場のあらゆるアクターと結びつくことで 「コミュニティ」の意識を抱き、それを共有するにいたることを示唆し た。第4章では、そうした新宿二丁目の53軒のゲイバーと、他の18軒の、浅 草、札幌、那覇などのゲイバーを調べ、概観した。その中でも、異性愛者を主 な客とするバーと、ゲイのみが訪れるバーとを区別して、それぞれを「観光バー」、「ゲイメンズバー」と呼んだ。そして、先に挙げた概観的な資料と、個別のゲイメンズバーにおける人間関係を描写、解釈することで、ゲイメンズバーがゲイの「文化」を構築、再生産する場として、第3章で示唆した「コミュ ニティ」意識を形成する土台となっていることを提示した。

第5章では、新宿二丁目が形成される社会的背景であるところの、日本社会一般にお ける「ゲイ」を取りまく社会的状況の変遷を、1971年のゲイを対象とした商業誌の発刊以降の事象を通じて追った。その変遷の後半では、HIV/AIDS感染がニ ュースに取り上げられるようになって、ゲイが社会の中に大きく浮かび上がることとなる様子にも触れている。第6章では、ゲイメンズバーの現場で、人々が交際する中に生まれる関係性について、<直引関係>と<介在関係>の二つがあることを明らかにした。<直引関係>とは、直接に惹かれ合う関係で、< 介在関係>とは第三項を共有することにより結びつく関係である。最終章である結論では、「社会空間」、ゲイというマイノリティの「抵抗的実践」、私的空間と公的空間の中間に位置する、共有空間としての「コモンズ」等の概念を援用し、新宿二丁目に、「コミュニティ」意識が<コミュニティ化 (communitization)>という動態として生起していることを論じた。

本論文の学的貢献は、次の三つに大別されよう。一つは、日本のゲイ・レズ ビアン研究における、最初の本格的な民族誌に基づく文化人類学的な分析を行ったことである。著者がゲイであることは調査開始の一助となったとはすでに述べたが、著者のゲイとしての立場は、ゲイについての「研究」において、客観的分析と自らのマイノリティとしての主張とのあいだに、政治性に関わる錯綜した問題を招かざるを得ない。そうしたことは、文化人類学の調査が本来的 に持っているものであるが、とりわけ、本論文のように、社会的マイノリティであるゲイの研究者が、自らの「コミュニティ」を調査研究する場合に、潜在的に対峙せねばならない問題でとなってくる。それを著者は、8年間の長い期間をかけて調査をゆっくりと遂行し、その分析を対象の人々とのやりとりの中で行うことで、この問題を回避せず、本論文全体としてそれに応答する試みを徹底させ た。第二に、都市人類学の研究として、新宿二丁目という盛り場を、その物理的条件である区域の成立、建物の法的所有関係、都市計画、行政による風俗営業の規制、といった多くの側面から検証し、そこで生起する人々の関係をていねいで鋭い観察により、生きられている生活世界として描き出した。第三に、 人文、社会科学の第一線で、多くの論者によって、議論が深められている「セ クシュアリティ」の問題について、ルネ・ジラールの「三角形的欲望」やイヴ ・K・セジウィックによる「ホモソーシャル連続体」の理論を再検討することで、新たな枠組み、<直引関係>と<介在関係>を提出した。そして、そのような関係を腑分けすることで、ゲイメンズバーが、「パートナー」を見出し、そのパートナーシップがそこで交際するメンバーによって承認される場となっているなどのことを明らかにした。以上の諸点から、本論文の文化人類学への学問的貢献は、高く評価できる。

しかしながら本論文にも問題点がないわけではない。その調査期間の長さか らすると、論文中に、より詳細な民族誌的記述があってもよい。また、セクシ ュアリティの理論に比して、都市人類学理論への参照の薄さが、その側面に関する理論的な枠組みの弱さを生んでいる。またコミュニティ形成に関わる新宿 二丁目の「祭」の果たした役割が、通常の儀礼論の内に留まり、例えば、ヘテロセクシュアルの人々の祭における表現とどのように異なるのか、といった 側面を見逃している、等の批判がなされた。しかし、このような指摘は本論文の本来の価値をそこなうものではない。今後、そうした点を改良することで 本研究はさらなる発展が期待される。

以上により、本論文提出者は文化人類学の研究に対して重要な貢献をなしたと評価される。したがって、本審査委員会は、全員一致で、本論文提出者は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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