学位論文要旨



No 124076
著者(漢字) 元森,絵里子
著者(英字)
著者(カナ) モトモリ,エリコ
標題(和) 「子ども」を語る社会の成立と変容 : 近現代日本における子ども・教育・社会
標題(洋)
報告番号 124076
報告番号 甲24076
学位授与日 2008.09.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第844号
研究科 総合文化研究科
専攻 国際社会科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 佐藤,俊樹
 東京大学 教授 盛山,和夫
 東京大学 教授 内田,隆三
 東京大学 教授 山本,泰
 日本大学 教授 廣田,照幸
内容要旨 要旨を表示する

本稿は、近現代日本の教育の文脈において、「子ども」をめぐる言説とその変容を記述する試みである。

社会史の知見によれば、「子ども」は歴史的な観念である。大人ではないが将来大人になる「子ども」、それに配慮すべき「大人」、子どもが将来担う「国家」「社会」といった一連の観念は、学校教育という制度を伴いながら、歴史的に立ち現れてきたものである。そのため、この子ども・教育・社会の結びつきを自明かつ重要なものと見なす言説が繰り返されるが、近年では、そういった言説を問い直そうという動きもある。そこで、本稿は、子ども言説が成立し揺らぐ様を具体的に描き、私たちにとって「子ども」とその教育とは何であるかを考察することとした。

序章では、以上の問題意識を提示した上で、先行研究の検討と本稿の枠組みの提示を行った。子どもや教育に関する研究の多くは、教育史や教育社会学の歴史研究、社会学の理論といった、既存の言説から距離をとりやすいと思われるものも含めて、子ども言説に巻き込まれる傾向があった。子ども・教育・社会の結びつきを、実現すべき理想や、通時的で客観的な議論の前提と見なしてしまっているのである。

その中で、ルーマンが、一般システム理論において、「子ども」という観念とそれと諸観念の結びつきとを非自明化しつつ、教育言説の内部では、「子ども」という想定こそが教育言説を産む鍵となっていると指摘している。この議論は、子ども・教育・社会の結びつきを、その歴史性・構築性を視野に入れて議論できる有用なものである。ただし、本稿はさらに、「子ども」とされた側のフィードバックを考慮する必要があると考える。というのは、教育において、「子ども」はしばしば、自らについて語ることを奨励されているからである。子どもは「子ども」と扱われる中で語り、ときには子ども自身が「子ども」に関する言説を自明のものとして用いたりもする。したがって、子どもの言葉がさらにフィードバックとなり、大人の言説を展開させる面があると考えるのが妥当である。

以上の考察を踏まえ、本稿は、子どもや教育を語る言説の歴史的な変容を、「子ども」に関する前提を置かず、具体的な資料から再構成することとした。その際、諸言説の論理に矛盾や破綻、語られていることを裏切る言葉と言葉の関係性を見つけ、それが言説内で処理されたり問題として発見されたりする様に注目した。加えて、「子ども」とされた存在がどのように「子ども」を語っているかを検討した点が、本稿の最大の特徴である。子どもの言葉と大人の言葉の関係性が、語られている子どもと大人の関係と一致したりずれたりする瞬間を同定し、言説上の子どもや教育と異なったそれらのあり様について考えた。これらの作業により、「子ども」をめぐる言説の歴史性や構築性を明らかにし、言説の変容をその機制とともに記述する。

第I部「『子ども』を語る社会の成立」では、戦前期に、学校教育制度の成立に並行して、子ども・教育・社会が結びつき、私たちの見慣れた子ども言説が繰り返されるようになる様を示した。

第1章では、綴方教育論を題材に、「子ども」とはどのようなもので、それに大人がどう配慮すべきかが、どう語られてきたかを通時的に分析した。まず、世紀転換期に、「子ども」固有の特徴やそれへの配慮の必要性が論じられ出す。そして、1920年代にかけて、「子ども」の大人から見えない「内面」や「生活」が発見され、子ども自身に内省させることでそれを大人が把握し教育目的を達成するという教育方法論が現れる。これによって、多様な子どもを許容しつつ、子どもとそれに配慮した教育は重要だと語り続けられるようになった。また、これ以降、「子ども」とその教育方法をめぐって、放任か指導か、子どもの尊重か統制かといったアンビバレンスが、教育言説において繰り返し問題とされるようになる。

第2章では、綴方教育論やその他の教育論から、「子ども」とその教育に「国家」「社会」が結びつく様を明らかにした。第1章で見た変化に並行して、現在の大人とは異なった「子ども」の教育に、未来における「国家」や「社会」の創出や改良が期待されるようになる。このイメージは思想的立場を超えて共有され、「社会」像の議論において、子どもと教育が重要な焦点となり出す。

第II部「『子ども』を語る社会の揺らぎ」では、子ども・教育・社会をめぐる言説の、戦後から現代にかけての変容を、その機制とともに記述した。

第3章では、戦後から1980年代の、子どもや教育の「問題」に関する言説の変化を分析した。戦後は、子どもの教育が社会をよくすると強く信じられ、教育の改良が未来の鍵と考えられていた。ところが、70,80年代には、子どもや教育は社会の変化に対応すべきものとされ、その問題がさかんに語られ出す。「子ども」は、教育領域において、「社会」の成立を想像させる「想像力」であったと言える。人々が過去を否定して未来に期待した戦後には、この想像力が希望をもたらし、その後、この想像力が子どもや教育の問題を発見させるように働いたと考えられる。

第4章では、1955年から1985年の中学校生徒会誌94冊から、「子ども」とされた側の子ども・学校・社会に関する言説とその変容を分析した。子どもにとっての子ども期・学校期は、大人と同様の時代認識の変化とともに、保護された期間、社会化の期間、仲間内のコミュニケーションに閉じた時期と変化している。さらに、この結果を第3章の大人の言説の変化と比較すると、戦後は、子どもの言説が大人の子どもや教育への希望を強化していたのに、後に、大人の不安を助長する関係になったことがわかる。また、子どもの言説と大人の言説、語っている子どもと大人の関係性から、子どもと大人、教育と社会の関係が、言説の内部で語られているものとは異なっていることが示唆される。

「子ども」とは虚構フィクションである。しかし、学校教育という制度=場を媒介に、実体化される擬制フィクションである。学校教育という制度=場、「子ども」のフィクション性、「子ども」という想像力の相互依存的、循環的な関係性に、大人も子どもも巻き込まれる中で、「子ども」は語られているのである。

ただ、近年は、子どもや教育の問い直しがされ、「子ども」をめぐる言説は多様化している。子どもの権利論、ポストモダンの思潮、新自由主義教育改革論などの中で、子どもや教育を高度に反省する言説もあれば、子どもの尊重や教育によるよりよい社会の実現といった素朴で旧来型のスローガンを語り続ける言説もある。また、改革が実行されることで、学校という制度=場そのものも変化しつつある。

そこで、第5章では、1983年から2006年の「毎日中学生新聞」の読者投書欄で議論される悩みや問題意識から、「子ども」にとって、「子ども」や教育の問い直しがどこまで進みうるかを考察した。子どもは、子ども期や学校教育、80年代以降意味を強める仲間内のコミュニケーションを問題化し、「自己決定」「自分らしさ」という価値で問い直したりもする。ただし、「自己決定」「自分らしさ」は、既存の子ども・教育・社会の像を選ぶことを含みうるため、「子ども」も教育も未だ否定されきらない。

「子ども」というフィクションは、その虚構性への反省がなされつつも、学校教育という制度=場と結びついて、未だリアルであり続けている。その中で「子ども」であることは、ときに楽しくときに息苦しいものとなっている。

第III部「『子ども』を語る社会で/を語るということ」では、現時点で、「子ども」をどう語り、子どものための場をどう設計するかについて考えた。

第6章では、プレーパークという子どものためのオルターナティブな場づくりの運動の、参加者へのインタビュー記録を分析した。プレーパークは、子どもと大人の差異を局所的に宙吊りにし、「自分の責任で自由に遊ぶ」という理念を実現している。また、その場を支えるオルターナティブな大人像や、そのような人々のつながりのうちに現出する社会性のあり様を語っている。しかし、「子ども」をめぐる諸観念を撹乱する実践であるプレーパークも、場を維持するために経済、法、政治という制度上で「主体」になれるか否かという点において、「大人」と「子ども」の区分を自明視していることも明らかになった。

この知見は、「子ども」やそのための制度の必要性は否定しがたいということと同時に、それが、「子ども」が重要だからでも「社会」の成立に不可欠だからでもなく、他の個別の諸制度領域との関係によるということを示している。したがって、教育的な言説とは別様の「子ども」や社会性の語りがありえるし、子どもの処遇の場も、プレーパークのような場も含めて、多様に構想しうると考えられる。

終章では、全体をふり返った上で、本稿のインプリケーションを述べた。第一に、「子ども」をどう語り、どう処遇したらよいのかを考える際に、第6章で見たような否定しがたい最小限の意味を超えた倫理的、哲学的、社会的意味を、「子ども」やその教育に求めることは必要かという問いを引き受けていく必要があると指摘した。第二に、「子ども」をその鍵とする全域的=全体的な「国家」「社会」とは、「子ども」という想像力が見せた夢にすぎないことも指摘した。この特に戦後に強く信じられた社会像が妥当かを、私たちは考える必要がある。

なお、子ども・教育・社会に関する言説の変容とその機制を記述した本稿は、子ども言説内で語られる「国家」「社会」とは異なった意味で、私たちの社会性の歴史を記述する試みでもあった。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、明治以降の日本での「子ども」の教育をめぐる議論や活動の変遷を、一次資料(本や雑誌、未成年者の文書、参与観察など)から追跡することで、「子ども」の観念と教育制度がとり結ぶ独自の運動を描き出し、日本近現代における「子ども」とは何であったか、そして何でありつづけるのかを解明したものである。

論文本体は序章と第1~6章、および終章の8章で構成されている。

序章は論文全体の問題意識を述べ、既存研究との継承と相違を解説しながら、研究の視角と方法を示す。「子ども」の観念が歴史的に形成されたものであることは、P・アリエスなどの社会史や、教育学、社会学などですでによく知られている。それらを通じて私たちは「子ども」が造られたものだと知っているが、にもかかわらず、「子ども」があることを前提にして、教育をはじめとするさまざまな制度を運営しつづけている。

「子ども」の歴史性や非自明性を発見する研究は今も多いが、この点はほとんど看過されてきた。だからこそ、今も発見しつづけられているわけだが、それゆえに、「子ども」の社会性を問うには、この、「子ども」の虚構性を知りながらその外に出られないという事態にまず焦点をあてる必要がある。

その貴重な先行業績としては、ドイツの社会学者ニクラス・ルーマンの教育システム論がある。ルーマンは「子ども」を、それが何かを問われつづけることによってコミュニケーションを継起させていくという意味でのメディアだと再定義し、このメディアとしての「子ども」を通じて自らを根拠づける制度として、近代の教育を位置づけた。そして、このような「子ども」の非自明性の制度化の一部として、教育が、「子ども」とされる側の観察をさらに観察する営みを組み込んでいる点にも着目したが、他方で、機能システムの分化と自律という発展段階図式をあてはめることで、理論面では教育と「子ども」を再自明化し、実証面では制度化の具体的な展開をうまくとらえられていない。

ルーマンの着想と限界をふまえ、本研究では教育の方法論や政策論の言説だけでなく、児童雑誌や生徒会誌、中学生新聞や遊びの場といった、子どもの観察(語り)を取り込む言説や制度の歴史的変遷も追跡していく。それによって、まず、日本近代の教育における「子ども」の非自明性の制度化、そういう意味での外に出られなさそれ自体の多様性と推移を実証的に明らかにする。その上で、現代における「子ども」のあり方とその特性を位置づけ、日本近現代の「子ども」とは何かを探究する。

第1章以下では、具体的な資料にそって「子ども」と教育の変遷が時代ごとにたどられる。

第1章と第2章は非自明性の形成史にあたる。明治期以降、西欧近代との接触によって、日本でも教育制度が整備され、教育思想や方法論とともに「子ども」の観念も輸入された。発達の途上にある存在として、「子ども」は半ば透明な内面をもつとされ、「大人」はその「子ども」に連接しながら導く社会化エージェントとして位置づけられて、大人が「子ども」を大人化する機関としての学校ができあがる。

ところが制度の整備につれて、そんな教育活動が期待通りの成果をあげられないことも見出されてくる。大正期~昭和初期の教育思想や児童雑誌や綴方教育の言説は、その原因を半ば透明な「子ども」の不透明な半分に求めて、そこを積極的に探求する営みとして教育を再解釈していった。こうして、「子ども」の観念にもとづく教育が「子ども」とは何かを探求するという循環、その意味で、「子ども」と教育が互いに互いを根拠づける循環ができていく。そして、この循環的閉域のもとで、「放任か強制か」の対立や、教育の権力性の発見などをともないながら、教育を通じてより良い「社会」を形成していくという思想も形成されていった。

1930年代後半からの戦時体制下では、この循環が部分的に弱まるが、敗戦後は、改革で戦前の学校教育の多くが否定されることを通じて、あらためて再構築されていく。第3章では敗戦直後から80年代までの、政策論や教育学・教育社会学の文献、雑誌や書籍の教育論といった大人側の言説から、その転換と展開の過程をたどる。

戦後の教育改革を経た1950年代から60年代半ばまでは、経済成長や教育の量的拡大も背景にして、より良い未来へ「子ども」と社会がともに進歩するという図式がさかんに語られていた。より正しい「子ども」概念を前提とする教育が、より正しい方向へ「子ども」と社会を導きながら、その、より正しい「子ども」と社会とともに、さらにより正しい「子ども」概念を探求していく。そういう形で「子ども」と社会をより強く巻き込んで循環が再編され、教育の達成や社会の進歩への強い期待をあらためて掻きたてた。「子ども」と教育の循環は、むしろ戦後の高度成長期に最も強固に働いていたといえる。

しかし、高度成長が終わった70年代以降になると、社会を進歩させるという方向性は語られなくなる。教育論は教育自身のなかに根底的な「問題」をくり返し発見するようになり、より正しさへの信憑も次第に解体していった。

第4章では第3章とほぼ同時期、1950年代半ば~80年代半ばの東京と山形の生徒会誌を使って、今度は子ども側の言説からその変遷をみていく。生徒会誌でも60年代半ばまでは、身の周りの後進性や歪みを指摘しつつ、より良い教育をうけた「子ども」と彼ら彼女らのつくる社会がより良い未来へ進歩するという形で、「子ども」と教育と社会の関係が語られていた。学校は、より正しい「子ども」と社会の孵化器とされ、大人側の言説と図式を共有していた。

ところが60年代末には、現在の大人社会の不全という形で、現在の「子ども/大人」のちがいの方に強く焦点があてられるようになる。さらに70年代以降は、社会がとりあげられることもなくなり、「子ども」たちは大人とのちがいの内容を特定しないまま、大人とちがう存在として自らを語るようになる。学校はもっぱら「子ども」独自の文化や社会の空間として位置づけられる。

これはもはや「子ども」がいるから教育があるというより、教育があるから「子ども」がある状態に近い。だが、第3章でみた大人側だけでなく、子どもの側の言説でもそのことは発見されなかった。「子ども」と教育が互いを根拠づける循環は、循環自体を自明化したまま、「子ども」がより見えなくなったという大人側の不安を裏書きする方向へ逆回転していき、「子ども」の内実だけが語られなくなっていく。

第5章では1983年~2006年の毎日中学生新聞の投書欄をもとに、その推移をたどる。投書欄の語りでは、80年代には大人への準備期間としての自らの位置づけと「子ども」独自の社会への注目が並列していたが、90年代には大人とのちがいがあまり言及されなくなり、「自分たち」などの言葉で、「子ども」でない外部を指示しないまま、自らを語る言説がふえてくる。

そこにはもはや「子ども」と教育の循環は見出せないが、循環が積極的に否定されたわけでもない。教育制度が期待外れや改革の失敗をくり返しながらも、そういう語りが子どもの観察として観察されることで、「子ども」は独自の領域としてありつづける。そこで消滅するのは「子ども」ではなく、「子ども」を定義する教育の専門家の特権性である。「子ども」とは何かは、日常的な実践と語りのなかでたえず発見されつづけ、大人とのちがいを線引き直されるようになる。

そんな現代の姿を、第6章では2000年代前半の世田谷区プレーパークの参与観察から描き出す。プレーパークの活動は、契約による免責や保険などの制度的手段を巧みに活用しながら、「子ども」が「自分の責任で自由に遊ぶ」ことを追求する。それはヴォランティアによる試行錯誤という形で、「子ども」の定義の不在を、「大人」もふくむ全ての当事者の自己発見と自己成長の物語へ読み換えている。

現代では、法や経済、政治などの教育外の制度が、「子ども」の存在を組み込んで運営されている。それゆえ、教育によって根拠づけられなくても「子ども」はありつづけるが、だからこそ「子ども」らしさを現実化したいという欲望も抱かれつづける。プレーパークの活動はそのなかで、「子ども」の定義の不在を積極的に主題化することによって、新たな「子ども/大人」の定義づけのあり方を模索する営みだと考えられる。

終章では各章の議論をふり返りながら、そうした「子ども」の現代的位相を概括した上で、より妥当な「子ども」の語り方の可能性を展望する。

以上、述べたように、本論文は「子ども」をめぐる最新の理論社会学的研究をふまえつつ、著者自身が収集した一次資料を用いて、日本近現代の「子ども」の観念と教育がとり結んできた独自の運動を解明している。

広い領域にわたる理論・実証両面での先端的な研究を吸収しつつ、著者自身の視点から再検討を加えることで、新たな知見が得られた点、そして、既存の文献や資料集によりかかることなく、多大な時間と労力を費やして一次資料を発掘・整理し、多くの興味ぶかい事実を発見した点は、それぞれ単独でも重要な学問的貢献である。本論文はそれらに加えてさらに、独創的な着想でその二つを有機的に結びつけ、日本近現代における「子ども」と教育に関して、示唆に富む全体像を提示することに成功している。とりわけ、その独特な閉じ、すなわち「子ども」観念の外に出られなさの多様性と重層性を具体的に描き出したことは、「子ども」をめぐる社会科学に新たな地平を開くものである。

他方で、残された課題もある。まず実証面では、資料の切れ目がしばしば時期の切れ目と重なる。「子ども」のあり方にともなって資料形態も変化するので、ある程度やむをえないが、変遷をもっと連続的に追跡できる資料をさらに探す必要があるだろう。また理論面では、「子ども」の現代的位相の考察が他の章に比べてうすい。例えば、著者が先行業績としたルーマンは、この点でも独自の考察を展開している。観察の観察という自省性をどう観察するかは、現代の社会科学全般の探究課題でもある。それらとの異同を通じて、著者の独創性をさらに明確にしていく必要があるだろう。

ただし、これらは部分的な疑問点であり、本論文の学術的な成果を損なうものではない。特に、学校制度の内外を横断しながら一次資料を自ら発掘した点、それにもとづいて「子ども」と教育が、非自明性の制度化という形で相互依存しながら、展開し変容していく過程を明らかにした点は、従来の教育学や社会学を超え出るものであり、制度横断的に社会を探求する相関社会科学にふさわしい業績である。

したがって、本審査委員会は、本論文を博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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