学位論文要旨



No 124080
著者(漢字) 有本,京子
著者(英字)
著者(カナ) アリモト,キョウコ
標題(和) 細胞質内ストレス顆粒形成によるストレス応答MAPK経路の制御
標題(洋) Regulation of the stress responsive p38/JNK MAPK pathways by formation of cytoplasmic stress granules
報告番号 124080
報告番号 甲24080
学位授与日 2008.09.26
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5262号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 井上,純一郎
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 准教授 武田,弘資
 東京大学 教授 斎藤,春雄
内容要旨 要旨を表示する

細胞は外界からの様々なストレス刺激に応答して、細胞損傷を防御し、生存を図るストレス適応機構を持つ一方で、積極的に細胞死(アポトーシス)を誘導するシグナル伝達システムをも兼ね備えている。これらの相反する応答を、刺激の種類、持続時間や強弱に応じて細胞レベルで適切に使い分けることで、最終的に個体としての恒常性が維持されている。前者の代表的な機構として、細胞質内ストレス顆粒の形成による翻訳抑制が知られており、また後者の代表として、ストレス応答MAPK経路が知られている。

細胞は、ヒ素や低酸素などの特定の刺激に曝されると、細胞質内に一過性にストレス顆粒と呼ばれる構造体を形成する。この時、ハウスキーピング遺伝子などをコードする多くのmRNAや、RNA結合タンパク質がストレス顆粒内へと取り込まれ、mRNAの翻訳が一時的に停止する。細胞は、ストレス顆粒の形成による一時的な翻訳制御により、異常タンパク質の蓄積を防ぎ、更なる細胞損傷を防御している。一方、ストレス応答MAPK経路は、環境ストレス刺激や、サイトカインによって活性化され、アポトーシスや細胞周期の制御に中心的な役割を果たしている。ストレス応答MAPK 経路は、細胞外シグナルを核内へと的確に伝達する役割を担い、その中心となる部分はMAPKKK, MAPKK, MAPKと呼ばれる3郡のプロテインキナーゼから構成されている。細胞外からのシグナルは、MAPKKKからMAPKK, MAPKへと至る連続したリン酸化反応を経て核内へと伝達される。

細胞質内ストレス顆粒の形成と、ストレス応答MAPK経路は、共に重要なストレス応答機構であるが、両者の機能的関連は明らかにされていない。

MTK1はストレス応答MAPK経路の主要なヒトMAPKKKであり、その活性化因子としてGADD45関連分子が同定されている。これまでの研究により、MTK1は刺激依存的に発現誘導されるGADD45関連分子が結合することにより、活性化に至ることが明らかにされている。本研究では、MTK1活性制御機構の解析を行い、MTK1の新規結合因子としてRACK1を同定した。更に、RACK1機能解析の結果、RACK1を介したストレス顆粒とストレス応答MAPK経路との相互作用の存在が明らかになった。

はじめに、細胞内でMTK1と相互作用するタンパク質を質量分析の手法を用いて同定した。その結果、MTK1の新規結合因子として、RACK1タンパク質が同定された。RACK1は7つのWD40ドメインから構成されるscaffoldタンパク質である。共沈実験の結果から、RACK1はストレス応答経路の他のMAPKKK(ASK1やTAK1)とは結合しないことがわかった。更に、MAPKK (MEK1, MKK3, MKK6, MKK4. MKK7)やMAPK (p38, JNK, ERK)との結合も観察されなかったことから、RACK1はMTK1に特異的な結合因子であると考えられる。MTK1の系統的な欠失変異体を作製し、RACK1結合領域のマッピングを行った結果、RACK1はMTK1のアミノ酸22-371番目の領域に結合することが明らかになった。この領域はMTK1活性化因子であるGADD45の結合領域、及びMTK1自己抑制領域を含み、MTK1の活性化に重要な領域である。従って、RACK1もまた、MTK1の活性制御に関与する可能性が示唆された。

RACK1の機能を明らかにするため、shRNAiを用いてRACK1をノックダウンした結果、GADD45分子、或はストレス刺激依存的なMTK1の活性化が顕著に抑制された。このことから、RACK1はMTK1活性をpositiveに制御する機能を持つと考えられる。一方、GADD45の場合と異なり、RACK1の過剰発現だけでは、MTK1の活性化は誘導されなかった。従って、RACK1はMTK1の活性化に必須ではあるものの、RACK1単独ではMTK1の活性化には不十分であると考えられる。

そこで、RACK1によるMTK1の活性制御機構の解明を試みた。これまでの研究から、MTK1は定常状態ではN末端とC末端との間の抑制的相互作用により不活性状態に保たれていることがわかっている。刺激依存的に発現誘導されるGADD45分子がMTK1に結合すると、MTK1のN-C相互作用は解除され、その結果coiled-coilドメインが露出する。MTK1はcoiled-coilドメインを介して二量体化し、二分子間でトランスにリン酸化が入ることにより活性化に至る。そこで、1) N-C相互作用の解除、及び2) MTK1二量体化、の二つの活性化ステップに着目し、RACK1の関与を検証した。その結果、RACK1はMTK1のN-C相互作用は解除しないが、MTK1を二量体化する機能を持つことがわかった。以上のことから、RACK1は定常状態でMTK1を不活性状態のまま二量体化させ、刺激依存的なMTK1の活性化を促進する、活性化エンハンサーとして機能することが明らかになった(図参照)。

次に、MTK1及びRACK1の細胞内局在を観察した結果、非刺激時にはRACK1はMTK1と共に細胞質に瀰漫性に共局在することが確認された。一方、細胞に様々なストレス刺激を加えたところ、ヒ素等の特定の刺激に応答してRACK1がMTK1から解離し、細胞質内で顆粒状に局在変化することを見出した。これまでに、細胞をヒ素で刺激すると、ストレス顆粒が形成されるとの報告がある。そこで、ストレス顆粒マーカーとして知られるeIF4Gと内在性RACK1との共染色を行った。その結果、RACK1はヒ素刺激に応答してストレス顆粒へ取り込まれることが明らかになった。タプシガルギンやeIF2αのリン酸化により細胞にストレス顆粒を形成させた場合にも同様に、RACK1は細胞質からストレス顆粒内へ集積した。従ってRACK1が、新たなストレス顆粒構成分子であることが明らかとなった。

上述の様に、RACK1はMTK1の活性化エンハンサーとして機能しており、RNAiによるRACK1の発現抑制はMTK1の活性化を阻害する。RACK1のストレス顆粒への集積もまた、細胞質でのRACK1の枯渇を意味することから、ストレス顆粒形成がMTK1の活性化に影響を与える可能性が強く示唆される。これまでに、ストレス顆粒構成分子であるG3BPを細胞に過剰発現させると、外部刺激を加えること無くストレス顆粒が形成されることが知られている。そこで、G3BPを用いて強制的にストレス顆粒を形成させ、RACK1のストレス顆粒への集積がMTK1の活性化にどの様な影響を与えるか検証を行った。まず、細胞にG3BPを導入すると、巨大なストレス顆粒の形成が観察され、この時、MTK1はストレス顆粒へは取り込まれず、RACK1のみが顆粒へ取り込まれることを確認した。この状況で、細胞にGADD45βを導入したところ、ストレス顆粒を形成させた細胞では、MTK1の活性化が顕著に抑制されることがわかった。GADD45によるMTK1の活性化は、細胞にアポトーシスを誘導することから、次にストレス顆粒の形成がMTK1依存的アポトーシス誘導に与える影響を調べた。HeLa細胞にGADD45βを導入し、48時間培養すると、細胞の多くがアポトーシスに特徴的な形態変化を示した。この時、細胞にG3BPを共導入してストレス顆粒を形成させると、アポトーシスが顕著に阻害されることがわかった。以上の結果から、ストレス顆粒はRACK1を取り込むことによって、MTK1の活性化を抑制し、その結果MTK1依存的なアポトーシスを阻害することがわかった(図参照)。

固形癌の内部では、腫瘍血管の還流不全により、低酸素環境に曝される領域が必ず存在する。そのような領域内の細胞は、抗がん剤抵抗性を示すことから、腫瘍内部の低酸素環境が癌治療の大きな障害となっている。

ストレス顆粒は、低酸素環境下でも形成されることが報告されており、また、MTK1は抗がん剤によっても活性化されてアポトーシス誘導に寄与することから、低酸素環境下での抗がん剤抵抗性に、ストレス顆粒形成によるMTK1の活性阻害が関与しているのではないか、と考えた。そこで、細胞を0.5%酸素濃度条件下で培養した結果、ストレス顆粒の形成が確認された。この時、抗がん剤etoposideによるストレス応答MAPK p38/JNKの活性化が顕著に抑制され、同時にcaspase-3の切断も抑制された。ストレス顆粒に取り込まれないRACK1変異体であるRACK1(DE)を細胞に導入すると、p38/JNKの活性化が回復することから、RACK1がストレス顆粒に取り込まれることにより、ストレス応答MAPK経路の活性化が阻害されたと考えられる。更にこの機構が、低酸素環境下での細胞の抗がん剤抵抗性に関与することが示唆された。

本研究により、MTK1の新規結合因子として同定されたRACK1は、MTK1を定常状態で二量体化し、MTK1の活性化エンハンサーとして機能することが明らかになった。また、細胞がストレス顆粒の形成を促すような特定の刺激に曝された場合には、RACK1はMTK1から解離してストレス顆粒内へ取り込まれ、その結果MTK1-p38/JNK経路の活性化が抑制されることが示された。更に、RACK1を介したストレス顆粒とストレス応答MAPK 経路の相互作用が、低酸素環境下での癌細胞の抗がん剤抵抗性に寄与する可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなり、25の図版と62の引用論文を含む。

第1章(Introduction)は、9節よりなるイントロダクションである。ストレスに対する細胞応答の一般論より説き起こし、ストレス顆粒形成、細胞内シグナル伝達、MAPキナーゼ、SAPK経路、MAPキナーゼキナーゼキナーゼ(MAP3K)、SAPK経路のおける足場タンパク質の機能、などを取り上げて概説した後、本論文の直接のテーマであるRACK1足場タンパク質とMTK1 MAP3Kについて比較的詳細に述べている。同時に、本研究開始時点での当該分野の概況を、目下不足している知識やこれから解明すべき問題点の事例を挙げながらまとめ、章を閉じている。短いながらも、ストレス応答一般から、より具体的なMTK1キナーゼの機能にわたって、バランスよく解説されており、基礎知識が十分であることを感じさせる。

第2章(Results)は、11節よりなる実験結果である。まず第1節に於いて、MTK1キナーゼの新規結合タンパク質RACK1を見出した。第2節では、MTK1におけるRACK1結合領域を決定した。第3節においては、逆にRACK1におけるMTK1の結合領域を解析した結果、RACK1が複数の領域によってMTK1と結合することを示した。第4節および第5節において、RACK1結合がMTK1の活性化に必須であること、およびRACK1結合だけではMTK1を活性化することが出来ないことを示した。したがって、RACK1結合はMTK1活性化の必要条件ではあるが、十分条件ではない。第6節においては、RACK1結合はMTK1活性化の重要なステップであるN末とC末との解離を引き起こさないことを示した。このことは、RへCK1結合のみではMTK1の活性化が見られないこととよく一致する。しかし、第7節において、RACK1結合がMTK1の二量体を引き起こすこと、さらにそれがMTK1活性化に重要であること、などを示した。第8節では、典型的な細胞ストレスであるヒ素刺激によりRACK1の細胞内局在が変化し、顆粒状の分布をすることを示した。さらに、第9節においては、この顆粒状構造が翻訳停止状態のリボソームなどを含むことの知られているストレス顆粒であることを証明した。第10節では、ストレス顆粒形成がP38/JNK経路の活性とアポトーシスによる細胞死とを抑制することを見出した。最後に、第11節において、ストレス顆粒形成を促進する低酸素ストレスが、抗がん剤エトポシドによるP38/JNK経路の活性とアポトーシスとを抑制することを示した。癌組織内では低酸素状態なので、そのことが抗がん剤抵抗性を促進すると考えられる。

本論文では、数多くの新知見が報告されている。一部例外はあるものの、全般的に実験計画や得られたデータの解釈は緻密であり、最終的なモデルも充分な信頼性がある。またストレス顆粒形成とストレスMAPK活性化との関係を、このように詳細に解明した例はなく、きわめて高い意義がある。

第3章(Discussion)は考察である。本論文で解明した、ストレス顆粒形成によるP38/JNK経路の活性化制御機構、という全く新規の細胞制御機構のもつ医科学的側面、特に癌治療との関係などについて検討を加え、本研究結果の新規な点を分かり易く説明している。

第4章(Perspective)においては、未解決の問題点などについて簡潔に述べている。

第5章(Experimental procedures)においては、本論文で使用された実験方法のうち主要なものを述べている。

以上述べたように、本論文は、今まで知られていなかったストレス顆粒形成によるストレスMAPK活性化制御機構の詳細を明らかにするとともに、将来の研究方向をも示唆する、重要な成果であると評価できる。

なお、本論文第2章は、武川睦寛、福田宏之、大海忍、斎藤春雄との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験の立案とその実施、データの分析、及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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