学位論文要旨



No 124081
著者(漢字) 坂井,南美
著者(英字)
著者(カナ) サカイ,ナミ
標題(和) 低質量星形成領域における「暖かい炭素鎖化学」の発見とその宇宙物理学的意義
標題(洋) Discovery of Warm Carbon Chain Chemistry in Low-Mass Star Forming Regions and Its Astrophysical Implication
報告番号 124081
報告番号 甲24081
学位授与日 2008.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5263号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中川,貴雄
 東京大学 教授 坪野,公夫
 東京大学 教授 永原,裕子
 東京大学 准教授 山崎,典子
 東京大学 教授 横山,順一
 東京大学 教授 尾中,敬
内容要旨 要旨を表示する

1.背景

現在、太陽質量程度の恒星の形成過程の中で重要な課題の一つは、原始星円盤から原始惑星系円盤への物理進化の理解である。星間分子雲コアの重力収縮により原始星が誕生する際、原始星のまわりには1000AUスケールのガス円盤が形成され動的降着源となる。この原始星円盤は原始星の進化とともに原始惑星系円盤に進化すると考えられている。従って、星形成から惑星系形成に至る物理進化とその多様性を探求する目的で、原始星円盤の観測的研究が非常に注目されている。

一方、原始星円盤から原始惑星系円盤への化学進化は、惑星環境の多様性や生命の起源などとも関連する重要なテーマであり、活発な研究が進められている。近年、太陽質量程度の原始星において、HCOOCH3などの大型有機分子が電波観測によって検出され話題となった。これらの分子は星形成に伴う温度上昇のために星間塵表面から蒸発してきたものと考えられる(Hot Corino Chemistry)。これらの分子が原始星円盤で検出されたことは、いずれは惑星系にもたらされる可能性を意味しており、原始惑星系円盤への物質進化の点でも非常に重要である。そこで、申請者は、星形成過程のどの段階で大型有機分子が生成されるのかを調べる目的で、非常に若い小質量原始星NGC1333IRAS4Bの観測を行い、それらがごく初期段階から存在していることをつき止めた。一方で、大(中)質量星形成領域であるNGC2264IRS1領域の観測から、進化が進むとこのような分子は減る傾向にあることがわかった。大型有機分子の検出は、星間塵氷層の蒸発によって生じる化学組成の一時変化を捉えたものであり、その観測によって星形成の初期段階を選び出すことができる可能性を示した。これらの研究の結果、原始星円盤の化学組成の一般的特徴が十分に把握されたかに思われた。

しかし、大型有機分子探査を他の様々な領域の小質量星形成領域へ展開する過程で、意外な発見があった。おうし座のL1527原始星で高感度探査を行ったところ、大型有機分子は全く検出されず、炭素鎖分子C4H2の高励起輝線が強く検出された(図1)。これは大変な驚きで、同じような進化段階の天体でもその化学組成に大きな違いがある可能性が出てきた。本論文の目的は、この発見を確実にした上で、その起源および宇宙物理学的意義を探ることである。

2、星形成領域における新しい炭素鎖分子生成メカニズムの発見

炭素鎖分子は、一般に星形成以前の若いコアで豊富に存在し、星形成領域では少なくなると考えられてきた。事実、C4H2はこれまで星形成領域で検出されたことがない。そこで、直ちに内外の大型ミリ波望遠鏡による観測を行った結果、L1527にはC2H,C4H,C6H,HC5N,HC7N,HC9Nなどの多種多様な炭素鎖分子が豊富に存在していることがわかった。しかも、C4Hの輝線の線幅の空間的変化から、原始星に落下しつつある高密度で暖かいガスに存在していることが示された。このことから、L1527は星形成領域にも関わらず炭素鎖分子に恵まれた特異な化学的環境にあることがわかった。星形成領域で一般に炭素鎖分子が少ない理由は、星形成に至る時間スケール(106yr程度)の間に化学反応によって壊されたり星間塵に吸着されてしまうからである。これをもとに考えると、L1527では重力収縮が自由落下に近く、他の原始星の場合よりも早かったために、炭素鎖分子がある程度生き延びている可能性が考えられる。

しかし、L1527の炭素鎖分子の組成は若い分子雲コアの代表であるTMC-1と系統的に異なっていた(図2)。また、短い炭素鎖分子C2Hの存在量はL1527で極端に多い。このことは単に生き延びていると考えるだけでは説明できず、原始星周辺で炭素鎖分子が再生成していることを示している。そこで、再生成のメカニズムとして、次のようなスキームを提案した。星間塵の氷層にはCH4が含まれている。CH4の昇華温度は30Kなので低温の分子雲(10K)では気相に出てこないが、星形成周辺の暖かい領域で一挙に蒸発する。このCH4の蒸発により炭素が豊富な状態が作られ、主に気相反応によって様々な炭素鎖分子が爆発的に再生成されるというものである。これをWarm Carbon-ChainChemistry (WCCC)と名付けた。この提案を受け、WCCCは化学モデルシミュレー ション計算でも確かめられた(Aikawa et al. 2008; Hessel et al. 2008)。シミュレーションによって得られた存在量や空間分布はL1527における観測結果と対応し、この天体でWCCCが起こっていることを支持している。一方で、L1527では高感度観測にもかかわらずHCOOCH3などの大型有機分子は検出されなかった。従って、L1527の化学組成はIRAS16293-2422などの「典型的」原始星と明らかに異なっている。WCCCの発見は、星形成領域の化学組成が均一でないことを明瞭に示した。

3.WCCCの展開

さらに、L1527において負イオン分子C6Hを検出した。C6Hが検出されたのは星間分子雲ではTMC-1に次いで2天体目であり、星形成領域では初めてである。[C6H-]/[C6H]比は9.8%と高く、TMC-1の4倍程度もあることを見出した。さらに、第二の負イオン分子C4Hも検出した。この分子はTMC-1ですら検出されておらず、星間分子雲で初めての検出である。これらの成果はWCCCにおける負イオンの役割の重要性を示すものとして注目された。また、L1527は新しい分子の探査においても有用な天体であることがわかった。

また、最近、気相中のCO2をトレースする重要なイオンHCO2+をL1527で検出した。HCO2+は銀河系中心部で顕著に見られるイオンで、星形成領域では初めての検出である。CO2は基本的な星間分子でありながら、その挙動はよくわかっていなかった。もし、CO2が主に星間塵上で生成し、星形成に伴って蒸発しているとすると、昇華温度から判断して原始星のごく近傍にのみ存在することになる。観測されたHCO2+の強度を解析した結果、その場合にはCO2の存在量が炭素の元素存在量を超えるという不合理が生じることがわかった。従って、星形成領域において、CO2は蒸発領域よりもずっと広がって存在しており、気相反応によって生成していると見られる。その可能性の一つはWCCCで生成される炭素鎖分子の酸化反応である。AikawaらのモデルでもWCCCによるHCO2+の増加が予想されており、これを支持する。

5.第二のWCCC天体の発見

WCCCはL1527でのみ起こる特殊な現象なのか?この問いに答えるために、16個の星形成領域について、野辺山45m望遠鏡とオーストラリアのMopra22m望遠鏡を用いて炭素鎖分子のサーベイ観測を行い、WCCC天体の候補を探した。その結果、おおかみ座のIRAS15398-3359が、L1527と酷似した特徴を示すことを発見した。即ち、C4Hなどの炭素鎖分子輝線が非常に強く、C4H2やHC5Nの高励起輝線が検出され、さらにそれらの炭素鎖分子が原始星近傍に集中して分布していた。また、HCO2+輝線も検出された。これらの事実から、間違いなく第二のWCCC天体であると結論できる。この他にも、部分的に上記の特徴を満たす天体がいくつか存在することがわかった。L1527やIRAS15398-3359は極端なWCCC天体であるが、WCCC現象自体は程度の差はあれ、星形成領域における一般現象であると考えられる。また、大型有機分子が検出される星形成領域(Hot Corino天体)では一般にWCCC現象は弱い傾向にあることも示された。

5.WCCCの宇宙物理学的意義

上記の研究から、星形成領域の化学組成を特徴付ける2つの極端なケースがあることがわかってきた。一つはWCCC天体であり、もう一つはHot Corino天体である。これらの違いは、星形成に至る物理過程の違いを反映している可能性が高い。もし、重力収縮が自由落下に近ければ、炭素は原子のまま星間塵に吸着され、順次水素化されてCH4となる。そのため、星間塵上のCH4が相対的に豊富になると考えられる。一方、もし、ゆっくりと収縮した場合、炭素はCOに変化してから星間塵に吸着され、水素化されてCH30Hや複雑な有機分子となる(図3)。もしそうだとすると、WCCCとHot Corino化学は相反していることになる。この場合、L1527やIRAS15398-3359では収縮が比較的早かったことを意味し、Hot Corino天体では収縮がゆっくりであったことを意味する。中間的天体の存在は、収縮速度の違いによって説明できる。

これまでのところ、収縮速度の違いをサポートする他の強い観測事実は他にない。逆に言うと、化学組成が星形成現象の多様性の新しい側面を浮かび上がらせている可能性がある。化学組成は過去の履歴を非常に鋭敏に(非線形に)反映する。これまで、星形成から惑星系形成に至る過程は統一的に理解され、その間の化学進化についても天体による違いはないと信じられてきた。しかし、物理的に見ると同じような原始星でもその化学組成には多様性がある。その多様性は星形成過程の多様性を探る手段として、星形成研究において新しい方法論となろう。

図1.L1527における炭素鎖分子のスペクトル線

図2.L1527のTMC-1に対する様々な炭素鎖分子の柱密度比

図3.様々な小質量星形成領域におけるC4H輝線

図3.収縮速度で変わる星間塵の氷層の化学組成

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、星形成領域の中に、炭素鎖分子が豊富に検出される領域があることを明らかにし、それをもとに「暖かい炭素鎖化学」という新しい星間化学反応のスキームを提唱したものである。

本論文は8章から構成される。

まず、1章において、研究の背景が紹介されている。星形成領域においては、従来、大型の有機分子が検出されており、これを説明するために、これらの分子が星形成に伴う温度上昇のために星間塵表面から蒸発してきたとする「Hot Corino化学」が提唱されてきたことが述べられている。

続く2章においては、本論文で用いたデータを取得するために、世界中の数多くの電波望遠鏡を用いて行った観測について述べられている。

続いて3-6章において観測結果が議論されている。

まず、3章では、L1527における炭素鎖分子の観測結果が議論されている。従来、炭素鎖分子は、星形成以前の若い分子雲コアにのみ豊富に存在し、星形成領域では少なくなると考えられていた。しかし、L1527においては、多種多様な炭素鎖分子が存在していることが、本研究で明らかになった。L1527では、若い分子雲コアの代表であるTMC-1とくらべても、短い炭素鎖分子C2Hの存在量が極端に多い。このことから、L1527においては、原始星周辺で炭素鎖分子が生成されていることが示唆される。これを説明するメカニズムとして、本論文では「暖かい炭素鎖化学」を提唱している。これは、星間塵の氷層にふくまれているCH4が、原始星周辺の暖かい領域で一挙に蒸発し、この状態を基に、気相反応によって様々な炭素鎖分子が爆発的に生成されるというものである。

続く4章においては、L1527における負イオン分子の検出が議論されている。L1527では、まずC6H-が検出された。これは、星形成領域では初検出であり、星間分子雲でもTMC-1についで2例めである。さらに、第2の負イオン分子C4H-も検出された。これは星間分子雲において初めての検出である。これらの検出は、「暖かい炭素鎖化学」において、負イオンが重要な役割を担っていることを示唆している。

さらに5章においては、L1527においてHCO2+が検出されたことを報告している。これは、星形成領域での本イオン分子の初めての検出報告である。HCO2+は、気相中のCO2分子をトレースすると思われている。観測されたHCO2+の強度から示唆されるCO2の存在量を説明するためには、CO2が星間塵の表面で主に形成されるという従来の考え方では不十分であり、気相においてもCO2が豊富に形成される必要がある。そのメカニズムの一つの候補としても、「暖かい炭素鎖化学」をあげている。

6章においては、「暖かい炭素鎖化学」がL1527だけの特異現象であるのか、他の天体にも起こりえることであるかを調べるための探査結果が報告されている。その結果、IRAS15398-3359において、C4Hなどの炭素鎖分子輝線が非常に強く検出され、かつHCO2+輝線も観測された。すなわち、「暖かい炭素鎖化学」は、L1527だけの特異現象ではなく、ある条件のもとでは他の天体にも起きていることが示された。

これらの観測結果を受け、7章において「暖かい炭素鎖化学」のおきる原因を考察している。本研究により、星生成領域の化学組成を特徴づける2つの極端なケースがあることがわかった。一つは、多くの星生成領域で大型の有機分子が観測されることを説明するために従来から提唱されてきた「Hot Corino化学」であり、もう一つが、豊富な炭素鎖分子の存在を説明するために本論文で提唱した「暖かい炭素鎖化学」である。この違いを生んだ原因として、本論文では、星形成領域にける重力収縮のタイムスケールと化学反応のタイムスケールとの関係が重要なパラメータであるという描像を提案している。もし重力収縮のタイムスケールのほうが短いとすると、炭素はCO分子になる前に炭素原子のままで星間塵に吸着される。すると、星間塵の表面において水素化がおこりCH4になり、収縮後の原始星形成にともなう温度上昇により「暖かい炭素鎖化学」が卓越する状況になると考えられる。一方、化学反応のタイムスケールのほうが短いとすると、炭素はCO分子になってから星間塵に吸着されて、塵上での水素化を経て大型の有機分子が形成され、「Hot Corino化学」が卓越すると考えられる。このように、星形成領域における化学組成の違いは、星形成過程の多様性を反映するものであることが示唆される。

最後に8章において、全体のまとめを行っている。

このように、本研究は、星生成領域において今までにない化学組成状態が存在することを観測的に明らかにし、それを説明するために「暖かい炭素鎖化学」という新しい考え方を導入したものであり、星間物理・化学研究に新たな道を開いたものとして、高い価値を持っている。

なお、本論文は多くの研究者との共同研究であるが、論文提出者が主体となって、観測の提案、観測の実行、データの解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

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