学位論文要旨



No 124083
著者(漢字) 岩前,伸幸
著者(英字)
著者(カナ) イワマエ,ノブユキ
標題(和) 深海における潮汐混合のパラメタリゼーションの改良に向けた数値的研究
標題(洋) Numerical study for the revised parameterization of tide-induced abyssal mixing
報告番号 124083
報告番号 甲24083
学位授与日 2008.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5265号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 升本,順夫
 東京大学 教授 日比谷,紀之
 東京大学 教授 安田,一郎
 東京大学 准教授 中村,尚
 東京大学 准教授 羽角,博康
内容要旨 要旨を表示する

1 背景と目的

海洋の中・深層における鉛直乱流拡散は,深層海洋大循環のパターンや流量をもコントロールする重要な物理過程である。この鉛直乱流拡散に関して,海盆スケールの循環の力学から見積もられた値(c.f. Munk, 1966) と海洋内部領域で実際に観測された値(c.f. Gregg, 1989; Ledwell et al., 1993) との間に1 オーダーもの開きがあることが,長年にわたって問題とされてきた。本研究が対象とする海底境界混合は深層海洋大循環を維持するために必要な鉛直拡散係数10-4m2=s への不足分をまかなう,いわゆるmissing mixing の有力な候補と考えられており,実際に,海底境界混合の存在を仮定することで子午面循環の流量が強化されたという先行研究もある(Endoh and Hibiya, 2007)。しかしながら,海底境界混合の物理的根拠に基づいた具体的なパラメタリゼーションは提案されておらず,現在もっともよく用いられているパラメタリゼーション(St. Laurent et al., 2002) は,一部の観測から得られた描像を他の海域にも適用するという甚だプリミティブなものである。

本研究では,深海における潮汐混合の強度と空間分布を対象として,それらが海底地形・成層などの外部パラメータにどのように依存しているのかを,高解像度数値モデルを用いた比較実験とアイコナール・アプローチと呼ばれるレイ・トレーシングの方法を用いて調べた。

2 海底境界混合におけるファインスケール地形の影響に関する数値的研究

2.1 数値モデル

本研究ではMITgcm (Marshall et al., 1997) を鉛直2 次元,非静水圧の設定で用いた。グリッドサイズは海底地形の近くで水平50m・鉛直5m とし,背景場の成層としてWorld Ocean Atlas 2001 の温度・塩分データから計算した大西洋中央海嶺付近の平均的な成層を用いた。初期状態として,Garrett-Munk スペクトルに基づいて振幅を決定した位相ランダムな線形内部重力波場(Winters and D'Asaro, 1997) を仮定し,水平境界で振幅2cm/s,M2 周期の順圧潮流を課すことによって強制を与えた。

このような設定のモデルに,マルチビーム観測によって得られた高解像度(~ 200m) のデータ(Kurt Polzin, 私信,2008) を元に作成した,

・水平2km 以下の成分を取り除いた地形データ(コントロール実験)

・水平2km 以下の成分を含む生の地形データ(マルチビーム実験)

の2 種類の地形を組み込んで実験を行い,その結果を比較した。

2.2 結果

海底地形の違いを反映して,マルチビーム実験では水平2km 以下,特に水平500m 以下のスケールの運動エネルギースペクトルがコントロール実験と比べて10-100 倍強化されていた。計算結果からエネルギー消散率を見積もると図1 のようになっており,マルチビーム実験では海底地形近傍のエネルギー消散率が著しく強化されている様子がわかる。

深海での時間平均したエネルギー消散率を指数関数ε = ε0 exp(-z=ζ) に最小自乗フィットし,その大きさ(ε0) と鉛直スケール(ε) を見積もった結果を図2 に示す。ここでz は海底からの距離を表す。一部の例外的な場所を除いて,マルチビーム実験ではコントロール実験と比べてエネルギー消散率の値は1 オーダー大きく,その鉛直スケールは半分以下となっていることがわかる。

また,海底地形によって励起される内部潮汐波エネルギーと深海における局所散逸係数q を調べた結果,マルチビーム実験では,内部潮汐波エネルギーの生成が1.5 倍大きい上に,深海での局所散逸係数は2 倍以上大きく,深海において効率よくエネルギー消散が生じていることがわかった。

以上の結果により,海底境界混合域は,水平2km 以下のスケールの海底地形によって強化された水平高波数のエネルギーが深海で効率的に消散することによって形成されていることが示唆される。また,既存のパラメタリゼーションでは定数として扱われてきたパラメータ(局所散逸係数やエネルギー消散率の鉛直スケール) が,実際には,海底地形の波数分布に依存して空間的に大きく変化することが示された。

3 アイコナール・アプローチを用いた海底境界混合のパラメータ依存性に関する研究

3.1 方法

次に,アイコナール・アプローチ(Henyey et al., 1986) の手法を用いて,海底から鉛直上方に伝播する内部潮汐波パケットが背景の内部重力波場との非線形相互作用を通じて砕波することで生じるエネルギー消散の鉛直分布を調べた。モデルでは,水深2000m・浮力周期一定の鉛直2 次元海洋を仮定し,GM76 モデルにより振幅を決定した位相ランダムな線形内部重力波場中を伝播する内部潮汐波パケットの軌跡を追跡する。パケットの位置x および波数k の時間変化は以下の方程式により記述される。

ただし,σはパケットの周波数,uBG は背景場の流速を表す。伝播途上で鉛直波長が5m 未満となったパケットは砕波したとする一方で,砕波する前にモデルの上端に達したパケットはその場のエネルギー消散には寄与しないとする。実験パラメータとして,パケットの初期水平波数kI,背景場の浮力振動数N,緯度φを様々に変化させて実験を行った(各実験につき,100 個のテストパケットを投入し,結果は統計的に処理した)。

計算結果に対して,単位エネルギー密度当たりの内部潮汐波パケットが引き起こすエネルギー消散率

(1)

を用いて解析を行った。ただし,T はパケットが砕波に至るまでの時間,σおよびσI はパケットの周波数とその初期値をそれぞれ表す。また,Ntotal とNbreak はそれぞれ投入したパケットの数と砕波したパケットの数を表す。

3.2 結果と考察

モデルから見積もった* に対して,その大きさと鉛直スケールを見積もった結果を図3 に示す。図に見られる,初期の水平波数kI・浮力振動数N に対する依存性は,

・パケットと背景場の非線形相互作用の強さ(水平波数が高い/浮力振動数が大きいほど強い)

・パケットの鉛直群速度(水平波数が高い/浮力振動数が大きいほど遅い)

を考えることにより定性的に理解できる。また,これらの実験結果は次の実験式でよく表せることがわかった。

得られた実験式を現実の深層海洋の成層に適用し,海底境界混合の形成に寄与し得る臨界波長を求めた結果を図4 に示す。臨界波長はほとんどの場所で400-600m 程度,短い所では300m 未満となっており,これよりも大きい水平波長を持つ内部潮汐波は背景場との非線形相互作用により砕波するよりも早く遠方に伝播し,局所的な混合には寄与しない。この結果から,海底境界混合の詳細なパラメタリゼーションには,水平高波数の内部潮汐波を励起し得るような,高解像度の海底地形の情報が必要であることが示唆される。

4 まとめ

本研究では『深海における潮汐混合の強度と鉛直スケール』が海底地形などの外部パラメータにどのように依存するのかを,2 種類の数値実験により調べた。

高解像度の鉛直2 次元モデルを用いた実験から,観測されている様な,値が大きく鉛直スケールの短いエネルギー消散率の鉛直分布を再現するためには水平1km 以下のスケールの海底地形が重要であることがわかった。また,このような海底境界混合域の形成には,高波数の地形により励起された水平数100m スケールの内部波が海底地形の近傍で効率的にエネルギーを失うことが重要であることが示唆された。

そこで,アイコナール・アプローチを用いた数値実験によって,海底から鉛直上方に伝播する内部潮汐波が背景の内部波場との非線形相互作用を通じて砕波することで形成される海底境界混合について調べた。その結果,プリミティブ方程式モデルにより示唆された高波数の内部波の重要性はアイコナール・アプローチモデルによっても確認された。さらに,海底境界混合の強度と鉛直スケールについてより詳細なパラメータ依存性が明らかになり,それらを実験式としてまとめた。

従来用いられてきた海底境界混合のパラメタリゼーションでは,局所散逸係数やエネルギー消散率の鉛直スケールは,一部の観測から得られた値を全球代表値として用いてきた。しかし,本研究で示されたように,それらのパラメータは背景場の成層やエネルギー源である内部潮汐波の波数分布によって大きく異なるものであり,従来の方法は,そのような背景にあるプロセスを無視したものであったと言える。また,海盆規模の循環が混合強度の鉛直スケールなどに強く依存することを考えると,従来のパラメタリゼーションは,現実とは異なる循環を引き起こす危険性をはらんだものであったと言える。

本研究の結果から,より適切なパラメタリゼーションの可能性として,次のようなものが考えられる。潮流と海底地形の相互作用により励起される内部潮汐波は様々な波数を持つが,励起源付近の海底境界混合に寄与するのは図4 に示した臨界波数よりも高い水平波数のものだけである。そのような内部潮汐波が境界混合を引き起こす効率やその鉛直スケールは成層と内部潮汐波の水平波数を用いて実験式で表すことができる。高波数の内部潮汐波のエネルギーを重みとしてそれらの情報を積分することで,海底境界混合の強度と空間分布を得ることができるものと期待される。

図1 計算結果から見積もった(a) コントロール実験, (b) マルチビーム実験,におけるエネルギー消散率ε。計算開始から20 潮汐周期後のスナップショットを示した。

図2 最小自乗法により見積もったエネルギー消散率の(a) 大きさと(b) 鉛直スケール。青,赤はそれぞれコントロール実験,マルチビーム実験の結果を表す。

図3 ε*の(a) 大きさと(b) 鉛直スケール。色はそれぞれ異なる浮力周期に対する結果を表す(赤:20 分,黒:1 時間,緑:2 時間,青:3 時間)。

図4 World Ocean Atlas 2005 の温度・塩分データから見積もった深海(3000m 以深) の成層に対し実験式を適用して見積もられた,海底境界混合に寄与し得る最大の波長。

審査要旨 要旨を表示する

深層海洋大循環は,主に海洋の中・深層における鉛直乱流混合によって駆動されていると考えられている。しかしながら,海洋内部領域におけるこれまでの乱流観測からは深層海洋大循環を維持し得るような強い鉛直乱流混合はみつかっていない。本論文の主題である深海における局所的な強い潮汐混合 (海底境界混合) は,海洋内部領域における鉛直乱流混合の不足分を補うものとして,近年注目を集めている。しかしながら,海底境界混合に関する既存のパラメタリゼーションは,潮汐から乱流に至るまでの物理過程の詳細を考慮しておらず,一部の海域における観測結果から経験的に提案されたものであり,全球海洋に適用できるものなのかどうかは明らかではない。そこで本論文では,海底境界混合の強度や鉛直スケールが様々なパラメータに対してどのように依存するのかを調べ,これまで無視されてきた力学過程を考慮した新しいパラメタリゼーションのフレームワークを提案している。

本論文は全4章で構成されている。第1章では,これまでの潮汐混合の研究に関する総括的なレビューと海底境界混合の既存のパラメタリゼーションについての解説がなされ、問題点が提起されている。第2章では,詳細な地形データを組み込んだ高解像度数値モデルを用いて大西洋中央海嶺付近における海底境界混合の強度と鉛直スケールを初めて再現し,比較実験の結果から海底地形の粗さの重要性について議論している。第3章では,アイコナール・アプローチと呼ばれるレイトレーシングの手法に基づいて広範なパラメータ領域にわたる数値実験を行い,海底境界混合の強度と鉛直スケールを評価する実験式を提示している。第4章は結語である。

まず,第2章では,高解像度の非静水圧モデルに粗さの違う二種類の海底地形データを組み込んで比較実験を行うことにより,海底境界混合の強度や鉛直スケールに与える海底地形の粗さの影響を議論している。その結果,水平 2km 以下のスケールの細かい地形を含まない実験では,海底付近での強い混合は見られなかった。一方,マルチビーム観測から得られた水平 2km 以下のスケールの海底地形を含めた実験では,効率的に励起された水平数 100m スケールの内部波が砕波することで,海底付近での局所散逸係数が増大し,結果として,乱流観測と整合的な海底境界混合の強度と鉛直スケールを再現することができた。このように,海底境界混合の強度と鉛直スケールは海底地形の粗さに敏感に依存しており,特に,水平 1km 以下のスケールの海底地形により励起される内部波が海底境界混合域の形成に重要な役割を果たしていることがわかった。これらの結果は,従来のパラメタリゼーションを全球海洋に適用することは妥当ではないことを示している。

第3章では,前章の結果を踏まえて海底境界混合のパラメータ依存性をさらに詳細に調べている。前章で用いた数値モデルでは多大な計算コストが必要となるため,広いパラメータ範囲にわたって実験を行うことは困難である。本章では,アイコナール・アプローチの手法を用いて計算コストを抑えることで詳細なパラメータ実験を可能とした。数値実験の結果,海底境界混合の強度と鉛直スケールは海底地形の粗さのみでなく,密度成層の強さにも敏感に依存することがわかった。また,成層が弱い場合ほど,より小さいスケールの内部波でなければ海底境界混合域を形成し得ないことが示された。これらの計算結果は,内部潮汐波が背景の内部重力波との非線形相互作用を通じて砕波するまでの時間のパラメータ依存性を反映したものとして説明できる。最後にすべての実験結果のまとめとして,内部潮汐波の水平波数と成層の強さをパラメータとして海底境界混合の強度と鉛直スケールを見積もる実験式を示した。

以上,本研究は,水平 1km 以下のスケールの海底地形や内部波の効果を陽に考慮することにより,深海での潮汐混合における寄与を初めて明らかにした。この結果は,既存の経験的なパラメタリゼーションに警鐘を鳴らすものであり,今後,全球的な海底境界混合のパラメタリゼーションを行っていくための重要な基礎を与えたものとして高く評価できるものである。なお,本論文の第2章は指導教員の日比谷紀之教授,第3章は日比谷紀之教授と渡辺路生博士(東京大学気候システム研究センター)との共同研究であるが,論文提出者が主体となって数値実験・解析・考察を行ったもので,論文提出者の寄与は十分であると判断できる。したがって,審査員一同は,博士(理学)の学位を授与できると認める。

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