学位論文要旨



No 124086
著者(漢字) 佐藤,広幸
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ヒロユキ
標題(和) 火星地すべり地形の多様性の研究 : 火星環境変動への意義
標題(洋) Morphological diversity of Martian landslide and implications for the evolution of Martian environment
報告番号 124086
報告番号 甲24086
学位授与日 2008.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5268号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 宮本,秀昭
 東京大学 准教授 小口,高
 ポールサバティエ大学 准教授 DAVID,BARATOOX
 会津大学 准教授 出村,裕英
 東京大学 教授 栗田,敬
内容要旨 要旨を表示する

火星のマリネリス渓谷内部に多数存在する地滑り地形について,その形成メカニズムと形成当事の環境条件を地形解析および数値実験の2つのアプローチによって検証した.その結果,地形解析・数値実験両方が一致して,火星地滑りが乾燥した粉体流で形成されたことを示唆した.同時に地滑り形成当時,マリネリス渓谷内が乾燥状態にあったことが示された.

まず地形解析では,堆積物表面の模様に注目した.火星地滑りは表面に崩壊物の流動方向に沿った直線的でかつ規則的な縦筋が卓越しており,地球地滑りとは形状において決定的に異なっている[1].地球でこのようなパターンを示す例はほとんど見つかっておらず,形成プロセスについてこれまでほとんど議論が行われていない状況にある.しかしこの縦筋模様は,崩壊物の流れの物理を強く反映したものであり,崩壊物質の物性や地滑り発生当時の周辺環境を示唆する重要な鍵となりうる.そこで本研究では火星地滑りに特有の縦筋について,地形観測からその構造や発生条件を明らかにし,どのような物質が,どのような流れの物理で形成されたのかを初めに検証した.

縦筋は火星地滑りに特有の形状であるが,マリネリス渓谷内の全ての地滑りに縦筋があるわけではない.縦筋があるものの他に,筋がなく表面がブロック状の起伏に富んでいるものが存在する.これらをLineated タイプ(図1 左)・Blocky タイプ(図1 右)として分類し,分布や形状を比較することで発生条件を検証した.

地理的な分布では特に明確な違いは見られないため,地域的な地質構造の違いや火山活動の影響ではないと考えられる.体積とみかけの摩擦係数Hmax(最大落差)/Lmax(最大移動距離)の関係では,Lineated タイプは比較的体積が小さく,地球の乾燥した斜面崩壊と同様な負の相関が見られた(図2 左).一方Blocky タイプは体積が大きい領域に集中し,摩擦係数との明確な傾向は見られなかった.堆積物のアスペクト比を,横軸に面積の平方根,縦軸に平均厚さをとって,比較してみると(図2 右),Lineated タイプはほぼ線形の分布を示し,最終形状が常に相似形を保っている事が分かった.一方Blocky タイプは相似形状を保たず,面積一定で厚さだけ増えるという傾向が見て取れる.これらの結果から,Lineated タイプは流れが十分に発達し,崩壊物が一様に流れたのに対し,Blocky タイプは流れが未発達で,崩壊物の破砕があまり進まず不均一な状態で停止した,という印象を受ける.つまり縦筋は,流れが十分に発達した地滑りに形成されると考えられる.

縦筋の組織や構造を詳細に観察すると,筋は崩壊部から放射状に延び,直線性および連続性が非常に良いことがわかる.また筋は深く狭い溝と幅の広い凸部の連続から出来ており,堆積物末端で扇状に張り出た構造にそれぞれ繋がっている(図3 左).つまり筋は規則的なセル構造によって形成されている.一つ一つのセル構造について幅(λ)と厚さ(h)を計測すると,λ=2.24h という明確な相関関係があることがわかった(図3 右).つまりセルは断面構造が常に自己相似性を保っており,流れの中で自発的にセル構造を形成するプロセスが働いたことを示唆している.

地球では縦筋を持つ地滑りの存在が非常に稀なため,地形学的研究はほとんど行われておらず,その形成プロセスもわかっていない.よって本研究では,室内実験でよく知られている縦筋形成プロセスの中から,前述した観測事実に最も適合するプロセスを検証した.

ゲルトラー渦,サフマン・テーラー不安定,レイリー・テイラー不安定,粉体流などの中で,最もふさわしいのは粉体流における,縦渦[2]と,先端部の不安定[3]によってできる縦筋であると考えられる.粉体が加速状態である程度の距離を流れ粒子が十分な粉体温度を持つと,粉体流表層には非常に直線性がよく,高さ(h)と幅(λ)の関係が,λ=2~4h という強い相似性を持つ筋が形成されることが知られている[2](図4 左).一方減速状態では,粒子サイズ分離によって先端部分が指状に割れ,扇状に張り出した形状を作る(図4 右).重要なのは,この縦縞構造が液体を含む粉体では形成されないという点である.つまり火星の縦縞を持つ地滑りは乾燥した粉体流で形成され,形成当時周囲が乾燥状態にあったことが示唆される.

しかし一方で,乾燥流では観測されている火星地滑りの高い流動性を説明できないという問題点が以前から指摘されている.この問題を解決する唯一の鍵が,体積の効果である.崩壊物の体積の増加と共に,流動性の指標となる摩擦係数が減少することが地球の乾燥した斜面崩壊から経験的に知られている(図5)が,未だにその原因は明らかになっていない.また,地球の乾燥した斜面崩壊のトレンドに比べ,火星地滑りは系統的に大きい摩擦係数を示す側にシフトしている[4](図5).最も大きな原因として重力の違いが上げられるが,単純な摩擦構成則では重力項は相殺されるため,乾燥流における重力の影響はこれまできちんと検証されてこなかった.

そこで本研究では2 つ目のアプローチとして,崩壊物の流動性に対する体積および重力の影響と,その原因を明らかにするために,個別要素法を用いた粉体流の数値実験を行った.実験はCampbell et al.(1995)[5]らが行った実験条件を参考に,2 次元斜面において同じ形状を相対的に維持しながら粒子量や重力を変化させ,全体の崩壊および流れの様子を観察した.結果として,見かけの摩擦係数および重心の移動で算出した真の摩擦係数は,粒子数や重力が増えるに従い減少する傾向が確認された.流れが進行中の歪速度の分布をみると(図6),粒子が多くなるに従い歪速度の大きい領域が流動層底部に集中し,上層の粒子は運動エネルギーの散逸を抑えながら滑動する状態に遷移している.重力が大きい場合にも同じ効果が確認された.つまり体積や重力の増加に伴い粒子層内部の歪状態が遷移するために,摩擦係数の減少が引き起こされていることがわかった.この結果は,崩壊物の体積の増加とともに摩擦係数が減少し,かつ火星地滑りが系統的に大きな摩擦係数を示す図5 の傾向とよく一致する.

これまで火星地滑りの研究では,wet かdry かという2択の議論が続いていた.しかし本研究ではその特徴的な表面形態に着目し,分類することによってLineated タイプについては少なくともdryだった,という新しい見解を示した.同時に数値実験により,流動性という点からも火星地滑りが乾燥流で説明できることが示された.Quantin et al. (2004)[6] の地滑り形成年代を見ると,Lineated タイプは前期アマゾニア代で急激に発生頻度が増加している.つまりこの時代,特にマリネリス渓谷内部は乾燥状態にあったことが推測される.

References:[1] Lucchitta, B. K., Geological society of America bulletin 89, 1601 (1978).[2] Forterre, Y., and O. Pouliquen, Physical Review Letters 86, 5886 (2001).[3] Pouliquen, O., J. Delour, and S. B. Savage, Nature 386, 816 (1997).[4] McEwen, A. S., Geology 17, 1111 (1989).[5] Campbell, C. S., P. W. Cleary, and M. Hopkins, JGR-Solid Earth 100, 8267 (1995).[6] Quantin, Q., C., P. Allemand, N. Mangold, and C. Delacourt, Icarus 172, No. 2, 555-572 (2004b).

図1.マリネリス渓谷内の地滑り地形の例.Lineated タイプ(左)とBlocky タイプ(右).

図2.地滑り堆積物の体積と見かけの摩擦係数(Hmax/Lmax)(左),および面積の平方根と平均厚さ(右)の関係

図3.地滑り堆積物末端の拡大図(左),および断面形状の計測結果(右)

図4.Forterre and Pouliquen (2001)[2]の縦渦(左),およびPouliquen et al. (1997)[3]の先端部の指状分岐(右)の実験.

図5.火星および地球の様々な種類の斜面崩壊における,見掛けの摩擦係数と体積の関係

図6.流動中の粉体の歪速度.粒子1000 個(左)と10000 個(右)の場合.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、5章からなる。第1章はイントロダクションであり火星における地滑り地形や、先行研究の紹介とその問題点、本論文の概要などが説明されている。第2章は地滑り地形の形態解析がまとめられており、特に縞状の構造に着目した解析が述べられると共に、対象地域の地すべり形成に関する新しい概念モデルが提唱されている。第3章では第2章で提案されたモデルに基づいた数値解析が述べられ、このモデルの妥当性が示されている。第4章はモデルの詳しい議論が展開され、特に流動性に関する体積効果の原因や、地すべりに対する制約条件が示され、とそこから得られるマリネリス峡谷の環境進化に対する示唆を与えている。第5章では、本論文の結論がまとめられている。

本論文は、火星のマリネリス渓谷に多数存在する地滑り地形の形成過程、および形成に必要な周囲の環境条件に制約を与えることを目的として、地形解析および数値実験の2つのアプローチから研究を行ったものである。火星上の地すべりに関して、これまでにも流れの物理や崩壊物の物性について議論が行われてきているが、本研究では解像度や周波数、量の意味で格段に向上した近年獲得されたデータを最大限に利用することで、従来行われてきた長さや幅といった形態的な統計量の比較に留まらず、堆積物の規模や表面構造を定量的に議論し、具体的な流動プロセスについて検討が行われている。

まず地形解析では、地すべり地形の表面に縦縞模様を呈する場合があることに着目し、縦縞の有無で形態を分類して定量的な議論を行っている。そして縦筋を伴う地滑りは、(1)縦筋を伴わない複雑な形状の地滑りに比べ薄く延び広がること、(2)堆積物がある一定のアスペクト比を保つこと、(3)縦筋は崩壊物の移動・堆積と同時に形成されたこと、(4)縦筋は規則正しく平行かつ直線的で、一定の幅・厚さの比を保つこと、という重要な形態的特徴を明らかにし、縦縞の構造はある種の自己組織化によって形成されていることが示した。その結果、観察された地すべりの形成を最も矛盾無く説明できるのは、乾燥した岩石粒子の流動体(粉体流)であり、特に不安定性から成長する縦渦と、岩石粒子の分級に伴う先端部分の分岐が、縦縞を形成したとするモデルを提唱した。

このように乾燥した岩石が流動したとするモデルは、例えばスロープストリークやデブリエプロンなど火星上の他の現象の形成過程においても過去に議論がされている。しかしこうしたモデルは、潤滑効果の欠如による流動性の低下が最大の欠点であるとされている。本論文ではこの問題点を十分に認識し、数値実験を行うことで、火星上における地すべりの流動性について検討している。その結果、粒子数(すなわち体積)と重力の増加に伴って、流動中の内部歪が長時間にわたって底部付近に集中し、全体としては摩擦が減少して流動性が増すことを明らかにした。歪の伝播はシステムサイズに強く依存するために、体積増加の際には相対的に伝播が遅れ、歪が底部に集中すると説明している。これは流動性という側面からも、火星の特に縦縞を呈す地滑りが乾燥した粉体流で矛盾無く説明できることを示す重要な結果であると共に、従来定量的に検討されてこなかった体積と重力の効果が、粉体流の流動性において重要な役割を果たすことを明らかにしたものであるため、火星に限らず乾燥した斜面崩壊一般に見られる問題に対しても有益な新しい知見である。

こうして得られた結果を元に、1)乾燥粒子流における底部への歪集中の原因、2)地形学的証拠に基づいた縦筋形成モデルの検証、3)粉体流実験に基づいた縦筋形成モデルの検証、4)火星地滑りの形成条件、そして5)地滑り発生時における火星マリネリス渓谷周辺環境への示唆、の5つの点についても考察されている。特に縦筋形成モデルについては、地形学的証拠から粉体流中に発生する縦渦と粒子サイズ分離による先端部の分岐が最も妥当な形成モデルであると提唱されたが、縦渦については粉体流実験からその発生条件を火星地滑りが満たしていることが数値的に示唆されている。これらを総合的に判断すると、縦筋を伴う火星地滑りは、乾燥した状態の流れで形成されたという制約条件を得ることができる。興味深いことに、縦筋を呈す地滑りは、アマゾニア代前期以降、マリネリス渓谷内で急速に割合が増えており、渓谷内部がこの時期に乾燥状態にあったことを示唆している。

本研究では、これまで注目されて来なかった堆積物表面の縦縞模様という地形学的に重要な特徴に着目し、詳細な観測からその形成プロセスを絞り込むことに成功した。一方で、乾燥した粒子流の流動性について粉体物理の側面から検証を行い、特に重力や体積の流動性に関する重要な知見を得た。ここで得られた結果は、火星地形学・環境変動学のみならず、他天体に見られる斜面崩壊や、非平衡系における粉体物理への応用が可能であり、高い一般性を有する。

なお、本論文第3章は、独立行政法人海洋研究開発機構,坂口秀氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となってシミュレーション、解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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