学位論文要旨



No 124089
著者(漢字) 近藤,江里
著者(英字)
著者(カナ) コンドウ,エリ
標題(和) カタユウレイボヤ卵による精子誘引制御機構の研究
標題(洋) Studies on Sperm Attraction to the Eggs of the Ascidian, Ciona intestinalis
報告番号 124089
報告番号 甲24089
学位授与日 2008.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5271号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 講師 吉田,学
 東京大学 教授 神谷,律
 東京大学 教授 赤坂,甲治
 東京大学 講師 尾田,正二
 筑波大学 教授 稲葉,一男
内容要旨 要旨を表示する

「受精」という生命にとって重要なイベントにおいて、効率的に受精を行い、かつ正常に発生するために、実に巧妙な戦略がとられている。未受精卵が精子誘引作用を示すという現象は、Danら(1950)によって刺胞動物を用いて初めて明らかにされて以来多くの動物において示されている。この現象は、特に体外受精を行う生物において同種の精子と卵子が確実に出会うために重要であると考えられており、生殖戦略を探るうえで興味深い。

精子誘引活性を引き起こすのは精子誘引物質である。精子誘引物質については、古くから精子走化性の知見があるにもかかわらず、同定された例は少なく、分子機構については殆ど解明されていない。さらに、卵側からの精子誘引物質放出機構に関する研究は皆無である。原索動物のカタユウレイボヤは、精子誘引物質として硫酸化ステロイドであるSAAFが同定されており、精子走化性の研究が進む数少ない動物の一つであり、詳細な精子誘引物質の放出機構を明らかにするために最適な材料である。そこで本研究では、カタユウレイボヤの受精時の卵による精子誘引活性の制御機構を解明することを最終目標とし、まず受精前後での卵によるSAAFの放出量を定量し、精子誘引活性の消長に関わる機構を検討した。さらに、SAAFの輸送に関わる卵内の分子の解析を行い、SAAFの放出メカニズムの研究を行った。

1.卵による受精前後の精子誘引活性の消長

受精前後の卵の精子誘引活性の変化は、これまで受精後に消失するという報告があるのみで、詳しくは解析されていなかった。そこで、カタユウレイボヤの卵成熟過程から受精後までの一連のSAAFの放出パターンを明らかにするため、未成熟な卵母細胞から、成熟後、放卵後、受精後までの各ステージにおいて、卵のSAAF活性の測定および抗SAAF抗体を用いたSAAF放出量の定量を行った。その結果、成熟卵はSAAFの放出が見られたが、未成熟卵ではSAAFの放出が起きず、さらに卵内にも活性を持つSAAFが存在していないことが明らかとなった(図1)。また、受精後は卵内にSAAFが存在するものの、SAAFの放出が停止していた(図1)。従って、SAAFは卵成熟による卵核胞崩壊後に合成もしくは活性化され、さらに放出が開始すること、受精後にはSAAF放出が停止することが明らかとなった。また、受精後の卵を詳細に観察すると、精子の誘引が停止するだけではなく、卵から精子が遠ざけられるような様子が観察された。そこで、受精後にはSAAF放出の停止だけではなく、精子誘引活性を消失させる機構があるのではないかと考え、受精卵から卵海水を調製し(受精卵海水)、SAAFと混合してSAAF分解能力の測定を行った。その結果、SAAFの活性は受精卵海水によって減少した。さらに、受精卵海水をプロテアーゼ処理し、SAAFと混合したところ、SAAF活性は変化しなかった。このことから、卵は受精後にSAAF活性を失わせるタンパク質性因子を放出し、卵の精子誘引活性を積極的に消失させていると考えられる。

2.精子誘引物質の卵内の輸送経路に関わる分子の解析

これまでに精子誘引物質を卵内から放出する機構については全く知見がなかったため、SAAFを卵外に放出する分子及び卵内の輸送に関わる分子の解明を行った。まず、卵内のSAAFの合成や輸送に関わる候補分子の探索をプロテオミクスの手法を用いて行った。卵細胞膜タンパク質画分に対してビオチン及び光親和性プローブで標識したSAAFをUVによって架橋し、二次元電気泳動法で分離した後に標識タンパク質をアビジン-HRPで検出することにより、SAAFと相互作用する卵細胞膜タンパク質を探索した。さらに検出したタンパク質をMALDI-TOF/MSによるペプチドマスフィンガープリント法によって同定を行った。その結果、SAAFと特異的に結合するいくつかのタンパク質が同定され、そのうち分子シャペロンであるVCP/p97が最も顕著なタンパク質として検出された。VCP/p97はAAA (ATPases associated with various cellular activities)ファミリータンパク質で、膜融合、アポトーシス、小胞体関連分解や物質の輸送に関わるなど、多様な機能を持つことが知られている。このことから、カタユウレイボヤの卵内においてもVCP/p97がSAAFの輸送に関わる可能性があると考え、実際にSAAFと相互作用するかどうかを調べた。ビオチン化SAAFをアビジンレジンに固相化し、これを用いてプルダウン法によって解析したところ、確かにSAAFとVCP/p97とは結合することが示された(図2)。

さらに、VCP/p97の卵内での局在を解析したところ、VCP/p97は未受精卵および受精卵内では細胞質中の小胞体周辺および卵膜直下に局在していた。加えて、未成熟な卵では卵核胞および細胞質中にほぼ均一にVCP/p97が見られるのに対し、卵核胞崩壊後には細胞質中の小胞体周辺および卵膜直下に局在が見られるようになり、卵成熟過程においてVCP/p97の局在が変化することが明らかとなった(図3)。VCP/p97の局在が細胞質中および卵膜直下へ変化する時期は、卵成熟に伴うSAAFの放出開始する時期と同時期であることから、二つの物質の関連が予想される。次に、SAAFを放出する膜タンパク質として、ステロイドを放出する機構として知られている多剤耐性トランスポーターが関わる可能性があると考え、多剤耐性トランスポーターの阻害剤であるVerapamilおよびMK571で未受精卵を処理したところ、精子誘引活性が消失した(図4)。このことから、このトランスポーターが卵膜からのSAAF放出に関与することが考えられる。

まとめ

本研究で卵による卵成熟過程から受精後までの一連のSAAFの放出パターンを明らかとし、受精可能時期のみ精子誘引物質が放出されているという、より効率的な精子誘引機構の仕組みが示された。また、受精後に卵から放出される酵素によってSAAFが分解されるという現象も、多精防止に大きく貢献していることが示唆される。さらに、本研究で卵内にVCP/p97が存在することが初めて示され、SAAFと結合していることが明らかとなった。VCP/p97は卵成熟過程で細胞質中から小胞体周辺および卵膜直下に局在が変化し、この時期はSAAF放出開始時期と同時期であることから、VCPがSAAF放出のモジュレータとして働いていると考えられる。

図1 卵成熟過程および受精前後における精子誘引活性の変化

(A) 卵巣の凍結切片像 (B) 精子誘引活性の測定 *t-test (p<0.01)

図2 VCP/p97のプルダウンアッセイ

図3 卵成熟過程におけるVCP/p97の局在

図4 Verapamil処理卵の精子誘引活性

審査要旨 要旨を表示する

本論文は受精時に観察される、卵による精子の誘引機構を扱った論文である。全体の構成は、General Introduction(イントロダクション)、2章からなる研究成果内容、Conclusion and Perspectives(結論)からなる。イントロダクションでは、精子の卵に対する走化性機構について概説し、その中で未だ不明である点、特に卵側における精子誘引能の調節機構の研究が進んでいなかった点について問題提起がなされている。研究成果内容は、第1章では卵形成から受精前後にかけての卵の精子誘引能の消長について、第2章では卵の精子誘引物質放出の分子機構について、それぞれ序論・研究手法・結果・考察が書かれている。結論では、これらの成果をふまえ、卵における精子誘引物質放出の調節機構について、総合的な考察がされている。

研究成果内容のうち第1章では、尾索動物のカタユウレイボヤを実験材料に用いて、受精時の精子誘引活性の消長について詳細に調べられている。カタユウレイボヤは、精子誘引物質として硫酸化ステロイドであるSAAFが同定されており、精子走化性の研究が進む数少ない動物の一つであり、詳細な精子誘引物質の放出機構を明らかにするために最適な材料である。そして、卵からの精子誘引物質の放出が非常に限られた期間のみ行われることを初めて明らかにした。カタユウレイボヤの卵成熟過程から受精後までの一連のSAAFの放出パターンを明らかにするため、未成熟な卵母細胞から、成熟後、放卵後、受精後までの各ステージにおいて、卵のSAAF活性の測定および抗SAAF抗体を用いたSAAF放出量の定量を行った。その結果、SAAFは卵成熟による卵核胞崩壊後に合成もしくは活性化され、さらに放出が開始すること、受精後にはSAAF放出が停止することが明らかとなった。また、卵は受精後にSAAF活性を失わせるタンパク質性因子を放出し、卵の精子誘引活性を積極的に消失させていることも示唆された。

第2章は、精子誘引物質の輸送経路に関わる分子の解析について述べられている。これまでに精子誘引物質を卵内から放出する機構については全く知見がなかったため、まず、卵内のSAAFの合成や輸送に関わる候補分子の探索をプロテオミクスの手法を用いて行った結果、SAAFと特異的に結合するいくつかのタンパク質が同定され、そのうち分子シャペロンであるVCP/p97が最も顕著なタンパク質として検出された。VCP/p97はAAA (ATPases associated with various cellular activities)ファミリータンパク質で、膜融合、アポトーシス、小胞体関連分解や物質の輸送に関わるなど、多様な機能を持つことが知られていることから、カタユウレイボヤの卵内においてもVCP/p97がSAAFの輸送に関わる可能性があると考え、実際にSAAFと相互作用するかどうかをプルダウンアッセイにより調べたところ、確かにSAAFとVCP/p97とは結合することが示された。さらに、VCP/p97の卵内での局在を解析したところ、VCP/p97は未受精卵および受精卵内では細胞質中の小胞体周辺および卵膜直下に局在していた。加えて、卵成熟過程においてVCP/p97の局在が変化することが明らかとなった。VCP/p97の局在が細胞質中および卵膜直下へ変化する時期は、卵成熟に伴うSAAFの放出開始する時期と同時期であることから、二つの物質の関連が予想された。更に、SAAFを放出する膜タンパク質として、いくつかのトランスポーターの阻害実験により、ABCトランスポーターがSAAF放出に関与することが示唆された。

このように本研究により、動物において初めて卵による卵成熟過程から受精後までの一連の精子誘引物質の放出パターンを明らかとし、受精可能時期のみ精子誘引物質が放出されているという、より効率的な精子誘引機構の仕組みが示された。さらに、方ユウレイボヤにおいては卵内にシャペロン分子VCP/p97が存在し、精子誘引物質SAAFの輸送に働いていることが示唆された。先にも述べたように受精時における卵の精子誘引調節機構の研究はこれまで皆無だったと言って良く、全く未知の領域を切り開く本論文は発生生物学研究、特に受精に関する研究分野の新規領域の礎となる研究内容であり、貢献度は大であると言える。

なお、本論文の一部は、指導教員の吉田学、および筑波大学・稲葉一男、筑波大学・紺野在、大阪大学・大石徹、大阪大学・村田道雄との共著論文として印刷公表されたが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上のことから、博士(理学)の学位を授与出来ると認める。

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