学位論文要旨



No 124105
著者(漢字) 阿部,祐子
著者(英字)
著者(カナ) アベ,ユウコ
標題(和) 歴史地区におけるコミュニティ保全思想の背景と意義 : シアトル市パイク・プレイス・マーケット地区の保全運動に関する研究
標題(洋)
報告番号 124105
報告番号 甲24105
学位授与日 2008.09.30
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6874号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 難波,和彦
 東京大学 教授 伊藤,毅
 東京大学 教授 藤森,照信
 東京大学 准教授 藤井,恵介
内容要旨 要旨を表示する

本研究は、米国における近隣地区保全の理念が提起された背景とその特徴を歴史的研究によって分析し、その意義を明らかにすることを目的とするものである。ここでは、建造物の保全と近隣地区保全の融合を理念として掲げた先進的事例として、米国シアトル市のパイク・プレイス・マーケット地区を研究対象とした。同地区において建造物とともに、事業者や居住者のコミュニティ保全を目指すようになった背景を、保全運動を先導した建築家ヴィクター・スタインブルックの思想から分析し、近隣地区保全の考え方を包括する歴史地区保全の特徴と可能性を考察した。

1章では、米国の歴史地区保全の歴史において、1970年代後半以降、歴史地区において近隣地区のコミュニティの保全が重要課題となる過程を概観し、その中でシアトルのパイク・プレイス・マーケット地区の保全が先導的な例であったことを確認した。

2章では、パイク・プレイス・マーケット地区において1960年代中期から1971年まで展開された保全運動の経緯を整理し、その論点が開発か保全かの論争ではなく、建造物の形態のみを残し再利用を図るか、あるいは農産物市場としての機能や事業所・居住者のコミュニティを一体的に保全するか、という保全のあり方であったことを検証した。

3章では、社会史・都市史等の既存文献を基に1960年代のシアトルにおける歴史保全運動の時代的背景を検証した。パイク・プレイス・マーケット地区の歴史保全がシアトルの社会経済、及び都市計画において転換点として評価される背景を分析し、以下のような考察を行った。

・1930年代以降、米国西部地方では北東部の植民地的な地位からの脱却を求め、強い成長志向を持っていた。第二次世界大戦によって大量の軍事関連資金及び関連産業が流入し、それを活用して西部諸都市は社会的・経済的に急速な成長を遂げた。その中で、1960年代の市民運動は連邦の推進する画一性からの独立、地域の独自文化や居住環境の尊重を主張するものであり、環境保全、歴史保全はその一環として進められたと考えられる。

・1960年後半のシアトルにおいては、政治・行政の面で新旧2勢力の衝突がみられた。1つは、連邦が推進する都市開発を支持する地元経済界・行政であり、もう1つは、地域の文化的独立を追求してきた文化人や一般市民、それを支援する若い反政府活動家であった。ダウンタウンの歴史保全論争は両勢力の衝突の場として市民の関心を集めた、パイク・プレイス・マーケット地区の歴史保全運動の劇的な勝利は新旧勢力の交代の象徴となった。それはまた、開拓時代から1920年代までのシアトルの都市づくりにみられた市民主義的側面の復活を示すものであった。

・ダウンタウンの2歴史地区の比較でみると、先行したパイオニア・スクエア地区では、建造物群の修復・再利用によって地価・賃料の高騰が起き、結果として既存の居住者の転出につながった。

1960年代末にそのような社会問題が顕在化したのを受け、パイク・プレイス・マーケット地区での居住者保護の社会的要請が強くなったことも同地区の保全論争に拍車をかけた。

4章は、歴史地区の保全運動を先導した建築家の思想的背景として、1930年代以降のシアトルに展開された地域主義建築について、文献を基に分析を行った。

・地域主義は、1930年代に地域の独自文化の確立を求めて各地で起きた文化運動であり、シアトルにおいても豊かな自然と東洋文化との接触などを媒介としてアート、文学などの多様な展開がみられた。建築においても、1930年代中期以降同様の展開があった。地域主義建築を提唱した建築家ポール・サーリーは、日本においてアントニン・レーモンドの影響を強く受け、モダニズムを地域の自然環境や生活に柔軟に対応できる基本理念として受容し、地域独自の建築の創出を進めた。サーリーの特徴は、インターナショナル・スタイルをデザインの基本としながらも、地域の自然地形や植生、過去の建築との調和を重視する姿勢であり、景観保全等にも強い関心持っていた。

・教育者立場から地域主義を先導した建築家として、ライオネル・プリースがいる。プリースは1920年代後期からボザールの建築教育を展開した教師であったが、彼の解釈は様式の固定的な模倣ではなく、過去の建築研究に基づいて建築家独自のデザイン創出を促すというものであった。モダニズムも否定するものではなく、豊かな人間環境創出へのアプローチとして取り入れられた。このような初期の地域主義を推進した建築家の思想は、スタインブルックら次世代の地域建築家に大きな影響を与えた。

・シアトルの建築史をみると、他都市に比較してボザールの影響が弱く、それ以前のアーツ・アンド・クラフツの影響が長く残った。受容されたモダニズムは、サーリーを介したレーモンドのモダニズム、プリースを介したメキシコのモダニズムなど、地域環境や文化との融合を前提としたものであった。その結果、モダニズムは地域の自然環境や生活形態、過去の建築との調和を図りながら展開され、地域の建築文化に深く浸透していった。そのため、シアトルにおいてモダニズム批判は顕著ではなかった。

・地域主義建築の特徴として、(1)モダニズムや日本建築、バナキュラー建築の融合、(2)自然環境や過去の建築の尊重、(3)クライアントとしての市民との強い関係性、などがあげられる。また、建築設計のアプローチとして、自然や生活環境への保全思想が内在していることも特徴である。

5章は、歴史保全運動のリーダーであったスタインブルックの著述・述懐等を基に、建築・都市、及び歴史保全に対する思想を分析し、パイク・プレイス・マーケット地区における保全理念の背景と特徴を以下のように考察した。

・スタインブルックの建築に対する理念は、シアトルの地域主義を踏襲したものであり、モダニズムの持つ機能性・経済性・柔軟性を志向し、自然や生活形態を尊重し、人と建築との関係性を重視した。さらに、建築の地域コミュニティにおける社会的意義を重視した点が特徴的である。

・彼の描いた都市像は、独立性の高い近隣地区を中心として発展してきたシアトルの都市形態をふまえ、ダウンタウンの一極集中的な成長ではなく、近隣地区の核となるエリアを保全・拡充した多角的都市の形成を提唱した。それは歩行者を中心とした「村のような都市」であり、現在のアーバンビレッジの理念に通じるものである。

・歴史保全については、建造物の価値基準を地域の自然や人々との関係性におき、その中で果たしている役割を尊重するという考え方を提唱した。これは、建築設計と同じ思想を保全にも展開したものといえる。

・パイク・プレイス・マーケット地区は歴史的な農産物市場を中心とする地区であり、提唱する都市像において、近隣地区の核となる機能やそれを支えるコミュニティを有するエリアとして重視されるものであった。歴史地区保全は地域に適した持続可能な発展の核として位置づけられ、それまでの地域主義建築に内包されていた保全思想を都市の理念に発展させたものといえる。また、モダニズムの持つ機能主義的な性格、人との関係性において建築を捉える視点が歴史保全にも反映されたという点で特徴的であるといえる。

6章は、上記のようなスタインブルックの思想がパイク・プレイス・マーケット地区において具現化される過程とその課題と意義を、当時の行政文書、新聞記事等を基に検証し、以下のような考察を行った。

・スタインブルックが主張した保全すべき要素は、「空間体験」「機能・活動」「人」の3つに区分される。特徴的なのは後者2要素であり、まず「機能・活動」については、農産物市場として出店農家の確保を最優先としながら、観光化抑制や運営形態・商習慣の維持が図られた。多様な主体の議論に基づいて運営されているが、全般に強い管理の下に本来の農産物市場としての特性を維持している。市場の機能・活動を保全することによって、ダウンタウンへの居住者回帰が促進されルなど地域コミュニティが強化される傾向にあり、核となる機能の保全が都市づくりにもたらす効果を示している。

・「人」の保全については、初期の段階では低所得居住者の実態・ニーズの把握が遅れ様々な齟齬を生んだが、1970年代後期になって、住民参加の上での計画策定が進められるようになり、そのニーズへの適応を第一に考えることで低所得コミュニティの維持と強化が達成された。

・パイク・プレイス・マーケット地区の保全は公的な強い管理の下に実施されたものであり、シアトル市内でも他地区への適用は限定的であった。しかし、近年の近隣地区計画を中心とした都市計画において、各近隣地区において核となるエリアの建造物とその機能・居住形態の一体的保全を自主的に掲げる地区も随所にみられ、スタインブルックの提唱した都市像の浸透が伺える。

上記から、本研究を総合した結論として、以下2点を示す。

(1)1960年代のシアトルにおける歴史保全運動には、1930年代から発展してきた地域主義建築の思想との関連がみられる。地域主義の持つ保全志向がアーバンビレッジに通じる都市像に展開され、その中で歴史地区保全は核となるエリアを保全・強化するものとして位置づけられた。それは地域主義の背景ともなったモダニズムを否定するものではなく、連邦の推進する画一性に対する地域の独自性の主張であった。

(2)パイク・プレイス・マーケット地区の保全は、近隣地区に存在する歴史的な中心核エリアを保全することによって、都市の居住・就労・交流機能を維持・強化し、その安定的・持続的発展を促進できるという可能性を示唆するものである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、米国における近隣地区保全の理念が提起された背景とその特徴を歴史的研究によって分析し、その意義を明らかにすることを目的とするものである。

全体は6章からなり、1章では、米国の歴史地区保全の歴史において、1970年代後半以降、歴史地区において近隣地区のコミュニティの保全が重要課題となる過程を概観し、その中でシアトルのパイク・プレイス・マーケット地区の保全が先導的な例であったことを確認した。

2章では、この地区において1960年代中期から1971年まで展開された保全運動の経緯を整理し、その論点が建造物の形態のみを残し再利用を図るか、あるいは機能やコミュニティを一体的に保全するか、という保全のあり方であったことを検証した。

3章では、社会史・都市史等の既存文献を基に1960年代のシアトルにおける歴史保全運動の時代的背景を検証した。

4章は、歴史地区の保全運動を先導した建築家の思想的背景として、1930年代以降のシアトルに展開された地域主義建築について、文献を基に分析を行った。教育者立場から地域主義を先導した建築家として、ライオネル・プリースがいる。プリースは1920年代後期からボザールの建築教育を展開した教師であったが、モダニズムも否定するものではなく、豊かな人間環境創出へのアプローチとして取り入れられた。このような初期の地域主義を推進した建築家の思想は、スタインブルックら次世代の地域建築家に大きな影響を与えた。

5章は、歴史保全運動のリーダーであったスタインブルックの著述・述懐等を基に、建築・都市、及び歴史保全に対する思想を分析し、パイク・プレイス・マーケット地区における保全理念の背景と特徴を考察した。スタインブルックの建築に対する理念は、シアトルの地域主義を踏襲したものであり、モダニズムの持つ機能性・経済性・柔軟性を志向し、自然や生活形態を尊重し、人と建築との関係性を重視した。さらに、建築の地域コミュニティにおける社会的意義を重視した点が特徴的である。

6章は、上記のようなスタインブルックの思想がパイク・プレイス・マーケット地区において具現化される過程とその課題と意義を、当時の行政文書、新聞記事等を基に検証した。スタインブルックが主張した保全すべき要素は、「空間体験」「機能・活動」「人」の3つに区分される。特徴的なのは後者2要素である。「機能・活動」の保全によって、居住者回帰が促進されルなど地域コミュニティが強化される傾向が生まれ、核となる機能の保全が都市づくりにもたらす効果を示している。「人」の保全によっては、低所得コミュニティの維持と強化が達成された。

本研究は1860年代のシアトルにおける歴史保全運動の分析を通じて、地域主義建築の存在意義を示し、現代の画一的都市計画手法に対する批判的分析を達成している。以上は興味深い都市計画史研究であり、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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